8-4. これはもう紛れもなく
初めて出掛けただけに過ぎない男に、恋人扱いされる謂れはない。
勝手に誤解して見下されるなんて、なおさらだ。
「なんだよ、高貴な方に気に入られているからって、自分もお高くとまっているんじゃないか!?」
そう思って言い返した途端、怒りを顕に怒鳴られた。
こんな経験は初めてで、メイメイはただ恐ろしく立ち竦んでしまう。
震え始めた手を胸の前で握りしめ、うっすら張った涙の幕が弾けてしまわぬように目を瞬かせる。
「も、もう放っておいてください! わたし……」
絞り出した声は、ただ弱々しく響いた。
(どうしたらいい……? 怖いよ、誰か――……)
「――怖がる女性に怒鳴ってみせるなんて、褒められた真似ではないね」
そんなメイメイの前に、ソユンが庇うように割って入った。
艷やかな毛先が目の前で揺れていて、甘く清らかで、メイメイの大好きな香りがふわりと漂う。
彼のまっすぐ伸びた背中を見ながら、震えが収まるのを感じた。
「こんなに優しい女の子の、どこを見たら高慢だと思うのかな。非礼を詫びて、もう姿を見せないことだね」
「しゅ、首席補佐官……!?」
対面するシンは先ほどの威勢を失い、分かりやすく狼狽えた。しかし視界にメイメイが映ると怒りが再燃したのか、彼女のことを指さして高貴な男にも言い返す。
「あ……、あなた様のような高貴な方に日頃取り入っていたから、こうして庇ってもらえるのでしょう。しかし、その者は私にも気を持たせるような言動をしていたんですよ! い、今も、わざとらしく怯えて見せて!」
「好意を抱く女性に勘違いした挙句、逆上しているということなのかな。……見苦しい」
必死に言い募る焦った声に対して、応じる声は淡々としている。最後にぽつりと落とされた言葉は、意外なほど冷たい色を帯びていた。
「この……」
羞恥にかっと顔を染めた男は、我を失ってしまったのだろうか。
ソユンに掴みかかろうと片手を伸ばし、もう片方の手で拳を振りかぶった。
(あ、だめ、危ない……!)
ソユンの背中に守られながら、その一連の動作を呆然と見る。
男の様子は鬼気迫るもので、先ほどの恐怖をメイメイに思い出させた。ソユンを庇いたいのに身体が動かず、思わずぎゅっと目をつぶってしまう。
――どさっ
しかし、衝撃はいつまで経っても感じない。
目を開くと、シンが地面に身体を押さえつけられているのが見えた。
男を取り押さえたのは、ソユンの護衛だ。
気が動転して、当然そばにいるはずの彼らの存在を忘れていた。
「御身を大切にしてください、ソユン様! 特にこうした場面では、我々に何でもお頼りくださればよいのです!」
いつもの護衛はソユンに不満を言いながら、抵抗するシンを片手間に拘束した。
「ごめんね。顔見知りを見掛けた気がして、覗いてみるだけのつもりだったんだ」
「ではせめて、今後は貴方様への無礼な行いに対してすぐに罰する許可をください。相手の行動があってから動くというのでは、遅すぎる場合もございますゆえ!」
気づくとお馴染みの侍従もいて、大事な主人に何の被害もないか素早く確認している。
その間にもう一人の護衛が、駆け寄って来た治安隊にシンを引き渡した。
彼も手を出しかけた相手をようやく認識できたのか、顔を青褪めさせると、促されるままに去っていく。
「穏便に済むこともあるだろう? それに、君たちを信じているから大丈夫」
「ええ、勿論、言われるまでもなく必ずお守りいたしますが……。こほん、これからはきちんと我々をお連れくださいね。それに酷なことを申しますと、ソユン様お一人ではきっと、そちらのご令嬢と共倒れになっていましたよ!」
懐っこく微笑まれて、護衛たちは満更でもないようだ。照れたように口元を引き結ぶ彼らの姿や、その気さくなやりとりに、メイメイはなんだかほっこりする。
そして、続く言葉には危うく笑ってしまうところだった。
(た、確かに、それはありえる……!)
「そうだね、そうするよ……」
メイメイが思わずソユンの横顔を覗き込むと、彼もその図を想像したのか、苦笑いをしている。
「それでは、あの男はどうしましょうか」
その様子を微笑ましげに見ていた治安隊の一人が、ソユンに話し掛けた。
「一応暴力も未遂だし罪人ってほどでもないから、婦女子への適切な関わり方が理解できるようになったら解放していいよ」
ちょっと非力だがとびきり有能な美しい人は、てきぱきと指示を出すと、少し眉を寄せて付け加える。
「ただ、含みのある言い方が気になったな。どんな噂が回っているか、後で簡単に調べておいてくれる?」
「かしこまりました」
不意に、こわばっていた体から力が抜けた。
その拍子に足がもつれて道の端までよろめき、メイメイはその場で尻もちをつく。
「う、うわっ……!」
つん、と嫌な冷たさが腿辺りに感じられた。
そういえばさっき、最近この地域では雨が降っていたと聞いた気がする。
まだ道の窪みに泥濘が残っていたようだ。
「たまたま通りかかってよかった。……おや、大丈夫?」
メイメイの方へ顔を向けた高貴で美しい人が、気遣わしげに表情を曇らせる。
なぜかすぐ声が出てこなかったから、彼を見上げ、首肯することで答えた。
「怖かったね、ほら」
差し出された手を掴むと、ふわ、と引っ張って優しく立ち上がらせてくれた。
ひんやりして滑らかな肌を感じ、この手に触れたことは今までなかったと気づく。
手の甲に指を沿わせると、少し筋張っている。メイメイの手よりも、大きな手だった。
(……ソユン様が、助けてくれた……)
胸のあたりが急に温かくなり、メイメイは衝動のまま、ソユンの胸元に飛び込んだ。
ソユンは、彼女の背中にそっと手を回して受け止めてくれる。
いつもの香りをいつもより身近に感じ、鼓動が高まった。
「よしよし、もう大丈夫だからね」
その言葉に涙が滲み、堪らなくなってソユンの胸にぐりぐりと頭を押し付ける。
穏やかな鼓動の音が聞こえてきて、心の底まで安堵が染み渡るのを感じた。
メイメイを宥める柔らかな声が、彼の身体を通して、触れる耳の鼓膜を揺らす。
背中に回った彼の手が、メイメイの心を慰撫する。
そうして自覚した。
他の人と、彼に抱く感情の違い。
彼と共にいる時にだけ感じる胸の疼き。
寄り添われることを望まない姿への切なさ。
誰よりもそばにいたいと思う心。
(この人が好き――――)
明確に、これは恋だと分かった。
唐突ですが、Xでたまに作品のこと呟いております!よかったら気軽にお話してください(*˘︶˘*).。




