6-3. 応接室で、二人きり
ソユンをうきうきもてなしていた書物館の皆さんは、仕方なしに持ち場へ戻りました(´ω`)
申請が通り、無事書類の受け渡しを終えたメイメイは、本日の業務を完遂してしまったことになる。
中庭に面した開放感のある応接室で、今はソユンと二人きり。
「久々に顔が見れてよかったよ。 これで仕事は終わりかな?」
「わたしもソユン様と偶然お会いできて、本当に嬉しかったです! 仕事も、これでもうおしまいです。 資料を届ける道筋的に、書物館を最後の目的地にしておりまして……」
メイメイが茶菓子を食べ終えて落ち着くまで見守ってから、ソユンは退室する素振りを見せた。
もちろんメイメイも従うつもりだったが、この時間が終わってしまうのが、少し切ない。
「……もしここが気に入ったなら、君がもう少しゆっくり過ごせるように言っておこうか」
名残惜しげに部屋を一望したメイメイを見て、ソユンがにこやかに提案してきた。
相変わらず、思いやりの精神に満ちあふれた人である。
ただメイメイとしては、素敵な部屋に一人いるよりも、場所はどこでもいいからソユンと一緒にいられる方がいっとう嬉しい。
せっかく久々に会えたうえに、二人で過ごせたとても得がたい時間だったのだ。
どうにも惜しくて、向こうの都合もここしばらくの葛藤すらも、頭から抜け落ちた。
それで、未練がましい言葉が口から漏れてしまった。
「大丈夫です! ソユン様がいらっしゃらないなら……、あっ……」
「僕は次の会議まで少し時間があるから、もし休憩に付き合ってくれたら嬉しいけれど」
「……! わたしは暇ですっ! お付き合いさせてください……!」
それに罪悪感を覚える暇を与えず、目の前の優しい人は温かに笑いかけてくれる。
気を使わせてしまった申し訳なさはあるものの、もっと一緒にいられるということが、メイメイの心を弾ませた。
(もちろん、ソユン様が暇なわけはないから、早く解放しなくてはいけないんだけど……)
そんなソユンは、部屋の外を通りかかった若い男性官吏に何か話しかけてから、向かいの椅子に戻ってきた。
どうやら部下に対する伝言らしい。
(うう、やっぱり予定を変えさせてしまったみたい。残念だけど今からでも、もう十分だからここを出ようと提案した方がいいのかな……)
そわそわしながら彼を見ると、先ほどまでは気が付かなかったが、少し伏し目がちで眠たげにも見える。
気怠げなソユンは、ほんのり艶めかしい。
「……少し、疲れていらっしゃるみたいです」
「ちょっとね。最近忙しくて」
顔に出てしまっていたのかなと仄かに苦笑する様子も、いつもより儚げである。
そういえば、最近は連日大きな会議が開かれているらしい。
もしかすると、少し休憩したいという気持ちも本当にあって、一緒に残ってくれたのかもしれない。
それでは早めに切り上げようかなどと余計な提案はせず、その線引きはソユンに任せようと考えを改めた。
「近頃、大規模な会合が行われているのだとか。 責任のあるお仕事ばかりされているに違いないので、じゃあ代わりにやっておいてと人に任せることもできないんですよね? ご多忙な方なのに、休む間もなくまた忙しくなってしまったみたいで大変そうです……。 きっとソユン様抜きでは回らない仕事がいつも山積みなんだろうなと思うと、なんて負担の大きいお立場なんでしょうか……」
つい悄然としながら労りの言葉を掛けると、少し草臥れぎみの美青年は淡く笑った。
「心配してくれてありがとう。 まあ、僕だけが特別に忙しいわけではないし、任せても問題ないものは手伝ってもらっているから大丈夫だよ。 ただ、殿下の評判にも関わるから、自分でもできる限りは頑張りたいんだ」
そうだとしても心配なメイメイは、頼りなく眉を下げ、胸の前で両手を握りしめながら、思わずおろおろしてしまう。
普段完璧王子様なソユンがメイメイでも察することのできるくらい疲れているなんて、よほどのことではないだろうか。
それを眺めるソユンは、気が抜けたように破顔した。
「……はは、赤毛ちゃんを見ていると癒やされるな」
「えっ、本当ですか!? す、少しでもお役に立てるなら本望です……! お疲れの際はいつでもぜひお呼びください、駆けつけますっ!」
「あはは、本当に可愛いね」
「ゔっ……! あ、ありがとうございます……」
中庭から差し込む陽光に包まれて、ソユンのことはいつも以上に眩く見える。
そんな彼が無邪気に笑うから、メイメイの胸はときめきでいっぱいになってしまった。
ほのかにできた目尻の笑い皺から、なんだか目が離せない。
さっと吹き抜けた風に、メイメイははっと我に返った。
それでも顔も火照ってきてどうにも落ち着かないため、別の話題でも出して気を逸らすことにする。
(な、何がいいかな……! ソユン様とはしばらくお会いできていなかったから、その間に起こった印象深いこと……。 えっと、武芸大会の数日後くらいにお会いした時以来だから、その後に起こった………)
―――ソユンが最も枕を交わす相手を知っているか?
―――わたくしは、ほ、本当に、ソユン様……あの御方の交友関係を、存じ上げていないのです
―――おれだよ
(………そうだ、王子と会ったんだ)
頭を過ぎったのは、王子と対面した時のこと。
伝えられた言葉はなかなか頭から離れず、ふとした拍子に何度も思い出すようになった。
今は渦中の人が目の前にいるのだと気づくと、なおさら思考に囚われてしまう。
「……そうそう。王太子殿下も妃殿下も本当に立派な方だけれど、ああいうことを話す人間は、お二人と身近な者の中にもいるんだよ。 場合によってはきつめの罰則もあるから気をつけて。 もちろん赤毛ちゃんはそんなこと考えないだろうけれど、優しいからこそああいう会話に巻き込まれてしまいかねない」
ちらちらと視線を寄越してはうつむき、何か言いかけては口を閉じる。
突如挙動不審になりだしたメイメイに、ソユンは穏やかに話しかけた。
何か気になることがあるのは察したが、話しづらいことだと推測したのだろう。
まずは当たり障りがなく、ついでに彼がメイメイに伝えたかったことを話題にしてくれたようだ。
「あっ……! おっしゃる通りですね、気をつけないと。 ご忠告ありがとうございます!」
思考の堂々巡りが途切れたところで、確かにという気持ちがしみじみ湧いてくる。
先ほどの出来事は他人事のように考えていたが、メイメイのことだから、ああいうのに巻き込まれたらうまく逃げられそうにない。
一緒に罰を受けるなんて御免被りたいので、ソユンのありがたい忠告を頭の中にしっかり刻んでおく。
メイメイの生家のような一般貴族の身分だと、通常は結婚も子供もそれほどあからさまに求められない。
しかし、より高貴な身分だと、そういうわけにもいかないのだろう。
良くも悪くも注目の的となり、普段から気苦労も多いのではないかとメイメイは少しぞっとした。
「その、実は、感じの悪い噂話なんていうのは、宮廷で使用人として働いているとまあ耳にすることではあるんですけども。 あんなに高貴なお方に対して、ソユン様もご存知のような偉い人たちでもそんな風に話すことがあるんですねぇ……」
「王族はやることなすこと全てに周りの目が向いてしまう。……煩わしいことも多いだろうと思うよ」
ふと、目の前の整った顔に、先ほどよりも強い憂いが滲んだ。
思い浮かべる相手は、もちろん王太子でもあるが、きっとそれ以上に彼の主のことだろう。
(ソユン様は、王子のことをとても大切に思っているから……)
先日から気持ちの不安定なメイメイは、そんなちょっとした感想一つで、すぐにまた思考が巡る。
王子はソユンとどんな仲なんだろう。
王子も結婚や子供について考えることはあるのか。
そうなるとソユンとの関係はどうしていくつもりなんだろう。
「例えば殿下が……、もし、どなたかと結婚したら、ソユン様はどう思いますか?」
「殿下が? ……それがあの方の望むことなら、大いに歓迎するよ。 喜ばしいことだからね。 誰であろうと、ジフン様がお選びになった方ならお支えするまでだし」
頭の中が混沌としたメイメイは、つい思ったことをそのまま口走っていた。
怪訝に思われないかと内心慌てるメイメイに対して、ソユンはなんてことないように答える。
その表情も回答もあっさりしていて、厭う気持ちは感じられない。
長らく一緒にいる相手なら、もっと感情が揺れ動いてもおかしくない気がするのに。
もしあのとき王子が言っていたことが事実なら、彼を差し置いてそんなことは起こり得ないと確信しているから動じていないだけなのか。
それともやはり、恋人のような甘やかな関係ではなく、単なる主従関係だったのか。
(もちろん、秘められた感情があったとしても、それをたかだか知り合いの女官風情に吐露するはずがないと言われればそれまでだけど……)
「何か心配事でもある? そういえば最近、殿下の話をよく口にするね」
歯切れの悪いメイメイを、美貌の青年は気遣わしげに見つめた。
「接点はそうないと思っていたけれど……。 殿下のことで何か噂を聞いたり、言われたりした?」
さすが優秀な高官、勘がいい。
噂というより、もはや本人から直接聞いたことなのだが、その通り。
偶然出会うことはまずない、直接話すほどの立場にないような女官にわざわざ会いに来て、貴方との仲を問いただされたのです。
そして、貴方とあの方には長らく、閨をも共に過ごす親密な関係があるのだと伝えられたのです。
―――そんな事は、とてもではないが自分から言い出すことなんてできない。
「いえ、あの、特には……」
「職務上、殿下に関することは些細なことでも把握しておきたい。 個人的には赤毛ちゃんが悩んでいるのが心配でもある。 ……僕では相談するに足らないかな?」
麗しいかんばせに憂いを滲ませながら問いかけられて、それでも躊躇っていられる人は、この国にどれだけいることだろう。
もちろん、メイメイは包み隠すなんて芸当もできるはずがなく、この前の出来事をすべて話してしまうのも当然のことであった。




