【第38話】 2つの保険
終わりを促すエリクの声が寂しく法廷に響く。
カミラは滝のように汗を流していた。
「もう、ここまでされたら私たちは……」
「待てっ!」
素早くカミラの肩を掴んだテオは首を横に振って発言を制止させる。彼の目にはまだ抗う意思が残っている。いや、違う、抗うどころか自信すら満ちているように見える。
底の見えない不気味さに身構えるエリクとグスタフ。テオはエリクに視線を向けると肩を竦める。
「準備が足りなかったな、エリク。子供の頃に教えてやったことを忘れたか? 戦いでは常に保険をかけておかなければならない、と」
「保険?」
首を傾げるエリクを尻目にテオは挙手をして裁判長に訴えかける。
「裁判長、蓄音機に録音された音声は我々兄妹の会話ではありません。蓄音機自体がそもそも音質が悪く、他者が声を真似ることも不可能ではありません。証拠としては不十分ではないでしょうか?」
テオの滅茶苦茶な言い分を聞いた裁判長は何故か深く考える様子をみせずに即答する。
「確かに証拠としては不十分であり、殺害の動機としては認められない。法廷では“疑わしきは罰せず”が基本となる。テオ、カミラ兄妹からスミレへの他意は認められない」
裁判長は何を言っているの? 意味の分からない展開を前にして怒りが溜まっていたのは私だけではなく、傍聴人たちが口々に怒鳴り散らす。
――――ふざけるな! どう考えてもカミラたちが悪いだろ!
――――何が“疑わしきは罰せず”よ! それならスミレさんだって悪くないじゃない!
――――筋が通ってねぇだろうが!
傍聴人たちの怒りは収まるところを知らない。それでも裁判長は激しくガベルを鳴らし、傍聴人たちの声を無視して判決を告げる。
「テオとカミラは証拠不十分で無罪! そして、平和を脅かしかねない転生者スミレは死刑とする。これはキノリス王国裁判所の決定であり、覆るものではない!」
嘘……本当に私は殺されるの? こんな理不尽なことが許されるの?
あまりに強引すぎる決定に傍聴人たちは閉廷後も法廷から出て行こうとしなかった。終いには椅子を蹴り、机を叩く者まで現れて収拾がつかないと判断した裁判官たちは見張りの兵を動員して強制的に傍聴人たちを廊下へと追い出していった。
ガラリと空いた法廷、そして開いたままの扉越しに見える無人の廊下が虚しい。
私は本当に死ぬんだ。少しだけ覚悟はしていたけど、実際に判決を告げられるともう……悲しみを超えた絶望で涙も出ない。
眩暈で視界が歪んできた……。仲間たちがあれだけ頑張ってくれたというのに。
歪む視界でテオを見つめると視線に気づいた彼は冷酷な笑みを私に向ける。
「残念だったな、スミレ。お前は殺されるのだ」
「……この不自然な判決……裁判官たちを買収していたってことなの?」
「ああ、そういうことだ。この法廷にいる裁判官全てに手を回しておいた。最初からスミレたちに勝ち目はなかったのだよ。まぁ本音を言えば傍聴人たちを刺激する前にケリをつけたかったのだがな。ここは素直にエリクの善戦を褒めてやろう」
もはや人とすら思えないテオの煽りに私は血が出そうなほどに拳を握りこんでいた。私ですら自我を保てそうにないのだから人一倍他者の痛みに敏感なエリクとグスタフなら殴りかかっていてもおかしく……アレ?
「…………」
「…………」
エリクもグスタフも一切動じる様子もなく沈黙している。いや、2人だけじゃない、関係者として法廷にまだ残っているママも落ち着いている。
あまりにも汚い手を使われて頭がショートしてしまったの? 不安が膨らむ私の心を更にかき乱したのはエリクの笑い声だった。
「フッ、フフ」
どうしてこんな状況で笑えるの? きっと私以上に不安を覚えているであろうテオは勝者側であるにも関わらず声を張り上げる。
「何がおかしいッ!」
「いいえ、おかしくて笑ったのではありません。ホッとして笑っただけなのです」
「どういう意味だ?」
「さっきテオは言いましたよね? 保険をかけておかなければならないと。ですが、いつ僕が保険をかけていないと言いましたか?」
「まだ何か手を残しているとでも言うのか? 判決が出た後だというのに?」
テオが問いかけるのとほぼ同じタイミングでコツコツとこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。音のした方へ振り向くと、そこには大きな帽子を目深に被った長髪で眼鏡をかけた男性3人が立っていた。
視線が集まる中、彼らは帽子と眼鏡を外す。そして、驚くことに髪の毛まで掴み、長髪のカツラを外して短髪姿をこちらに見せてきた。彼らは3人とも大体50~60代ぐらいかな? 変装をしていた理由を考えていると裁判長が声を震わせながら3人の正体に言及する。
「あ、貴方たちは……キノリス中央裁判所の裁判官……」
変装していた人達の正体がまさか裁判官だったなんて。しかも、キノリス中央裁判所の裁判官は高位の存在だ。つまり今、私たちのいる国境付近の裁判長よりも位が上だ。
彼らは裁判に不正が無いように監視してくれていたのかな? 高位裁判官の隣へ移動したエリクは答え合わせを始める。
「今回の裁判において、テオは少なくとも2つ大きなミスを犯しました。1つは傍聴席にいる人たちをしっかり確認しておかなかったことです。彼ら3人はずっと裁判を見ていました。そして他の傍聴人が退出した後も廊下に残って聞き耳を立てていました。閉廷後に扉を開けっ放しにしていたのも良くなかったですね」
「ま、まさか、勝利を確信した俺が買収のことを話すと予想し、あらかじめ高位裁判官を用意していたと言うのか?」
「より正確には不正な裁判となった場合“再審する為に傍聴してもらった”と言うべきですかね。キノリス王国にも周辺国にも“裁判管や判決を訴えることができる制度”がありますからね。これが僕なりの保険の1つですよ」
「……もう1つの保険とは何だ?」
顔色がみるみる悪くなっていくテオは、か細い声で尋ねる。するとエリクは何故か天井のシャンデリアを指差して告げる。
「裁判前、テオは事前に不審な人物や物がないか法廷内を確認していましたよね? こちらが机の上に置いていた蓄音機が現在進行形で録音していないかどうか確かめてもいましたし、シャンデリアの上も隈なく調べていました。その慎重さは素晴らしいと思います。ですが、警戒は裁判中も裁判後も続けるべきでしたね」
エリクが珍しく、したり顔で告げるとシャンデリアの上から突然、黒い何かが落ちてきた。いきなりのことでびっくりした私が数秒遅れで床を確認すると驚くことに証言台の前に蓄音機を咥えたモーズさんが立っていた。
モーズさんのことを知っているテオは頭を掻きむしりながら怒鳴るように尋ねる。
「どうしてお前がここにいるッ! どうやって法廷内に侵入した? 開廷前には絶対にいなかったはず……それに裁判中も見落とすわけがない!」
「確かに我の力だけでは侵入しても見つかっていただろう……ブリジットが迫真の芝居をしてくれていなければな」
そこからモーズさんとママは侵入方法について説明を始めた。
ママが傍聴人を含む全ての人間の視線を集めた書類への血判、そして声を張り上げた宣言は室内の隅で行う狙いがあったらしい。というのも視線がシャンデリアから離れた一点に向き、なおかつ大きい声で宣言すれば窓から侵入したモーズさんが多少シャンデリアへの着地で音を鳴らしてしまっても状況が状況だけに気付かれないと考えたらしい。
モーズさんは小さな猫の手で器用に蓄音機に触れる。さっきテオが勝ち誇って買収を宣言した録音を目の前で再生させてくれた。
きっとカミラの部屋に侵入して毒物と書類を調べ、録音したのもモーズさんなのだろう。私が牢屋で落ち込んでいる間に、ここまでの作戦を考えて準備を整えるなんて。
更にモーズさんは「早速、この事実をキノリス王と国民に教えてあげねばな」と告げると蓄音機を咥えた状態で窓から飛び降りてしまった。驚いた私はすぐに窓際へと駆け寄る。
飛び降りた先には驚くことにホフマンさん……いや、パパが馬に乗って待機していた。しかも、手には大きな法螺貝みたいな筒を持っている。モーズさんが馬の後ろ側に乗ったことを確認すると窓から顔を出している私に向かってパパが手を振り、声を張り上げる。
「スミレー! 後はパパとモーズさんに任せておけ。お前の世界に存在する拡声器……だったか? これを使ってテオの罪とスミレの無罪を拡散してやるからな! まずはキノリス王へ報告だ、行きますよモーズさん!」
「うむ、どんな妨害が来ようとも我が魔術で守ってやる。安心して馬を走らせるがよい」
まさかパパまでモーズさんと手を組んでいたなんて。胸があまりにも熱くなって……嬉しくて……パニックを起こしそう。
買収を認める音声、自分の耳目で不正を確認した高位裁判官3名、間もなく拡散されるテオの肉声、解明された毒の性質――――ここまできたらテオに逆転の目は絶対にない。
きっとエリクは叶うことなら大事にせず、内々にテオの悪事を暴き、罪を認めてもらいたかったのだと思う。じゃないと悲しそうな顔で忠告なんてしないはずだから。
「テオ……大人しく捕まってくれますよね?」
終わりを願うエリクが優しい声で問いかける。カミラは諦めて床に座り込んで涙を流し、テオは俯いたまま拳をギュッと握り込んで震わせている。
テオに歩み寄ったグスタフが肩に手を伸ばす。すると、急に顔を上げたテオは差し出されたグスタフの手を弾き、走り出す。
テオの進んだ先にいたのは高位裁判官の男性だった。テオは一瞬で男性の後ろ側に回り込むと右手に持ったナイフを首元に突きつけ、左手で体を拘束する。
「全員動くな! 1歩でも動いたらコイツの命は無いと思え」




