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【第36話】 誓い



 まさかブリジットさんが私のことを娘と言ってくれるなんて……。驚きと喜びが整理できないでいるとエリクが裁判長に尋ねる。


盾法士(じゅんほうし)側は元々、被告の母であるブリジットさんにスミレの潔白を訴えてもらうつもりでした。ですので、このまま喋ってもらっても構わないでしょうか裁判長?」


「……ふむ、順番が前後する分には構わないでしょう。では、ブリジットさんの意見を聞かせてください」


 話を振られるとブリジットさんは証言台へと移動し、エリクと目を合わせて頷いてから話し始める。


「フィオルに宿ったスミレが目覚めた日、当然正体に気付いていない私は喜びのあまりスミレへと抱き着きました。その時、スミレはとても申し訳なさそうな顔をしていたのです。正体が分かった今なら“あの表情”が『フィオルと私のことを想っての表情』だと断言できます。スミレは優しい人間だと思いませんか、裁判長?」


「ある意味では1番の被害者である母親の貴女が言うのならば被告に対する心証の影響も大きくなるでしょう。他に何かありますかな?」


「スミレは転生後もよくフィオルや家族のことを調べていました。私に直接思い出話を尋ねてくることも多く、私やフィオルに対する理解が深まった時は本当に嬉しそうでした」


 同じ屋根の下で暮らしているだけあって私のことをよく見てくれている。本当に感心するばかりだ。フィオルだと思っていた私の笑顔や言動がそのまま反転して憎悪になっていてもおかしくないのに。


 その後もブリジットさんは私の心証を良くする話を沢山してくれた。開廷からピリピリとしていた法廷が今になってようやく柔らかい空気感になってきた気がする。


 そして、ブリジットさんは話のまとめに入る。


「たった1年にも満たない時間の中でスミレとの思い出が沢山できました。そして、留置所にいたスミレは悪質な移送係から私を守る為に魔術を発動し“私とフィオル”しか知らない氷の花を咲かせて守ってくれました。懐かしいママという呼び名まで添えて。その時の迫力と出来事は悪意ある偽物なんかに実現できません。スミレが心からフィオルのことを知りたいと思い、一心同体になりたいと願ったからこその結果なのです」


 私は涙を堪えるのに必死だった。他の傍聴者も騒めきを超えてブリジットさんに拍手を贈っている。当然、厳粛な法廷では拍手が禁じられている。裁判長は「静粛に! 静粛に!」と声を張りあげて注意していた。


 この時、私はテオの顔を見て驚かされることとなった。終始冷静だった彼の額に初めて汗が垂れていたからだ。


「し、静かにできないなら帰ってくれないか! 大体、ブリジットさんの発言は感情的なものばかりだ……そう思いませんか、裁判長?」


「……続けてください」


「騙されていた時間が1番長いのがブリジットさんがスミレを許していることは驚きだ。故に許していること自体がスミレの心証を良くすることは認めよう。だが、ブリジットさんの発言も客観的にスミレの無罪を示すものではなかった。ブリジットさん個人の主観や思い入れでしかない。スミレを白だと断定できる物的な証拠があるわけではないのだから」


 身一つどころか心ひとつでやってきた転生者の私に無罪を示す物的証拠なんか出せるわけがない。テオの言っていることが滅茶苦茶すぎて怒りが湧いてくる。


 だけど、今はブリジットさんが怒り、味方になってくれている事実だけで充分幸せだ。


 怒りと喜び、相反する気持ちが満ちる中、ブリジットさんは何故か突然、証言台から離れて傍聴席の横にある通路の方へと歩き出す。


 訳の分からない行動を前に裁判長が「退廷されるおつもりか?」と尋ねるとブリジットさんは首を横に振りつつ法廷の角へ移動する。


 ブリジットさんが移動した先――――そこにはミーミル領の領参事(りょうさんじ)……日本でいうところの市役所員のバッジを付けた中年の男性が立っていた。


 ブリジットさんは男性から大きな紙を受け取ったものの、まだ何を書いているのかは見せてくれなかった。紙を裏に向けたまま法廷にいる全員の視線を集めたブリジットさんは自身の狙いを語る。


「主観や思い入れに過ぎない……そんな風にケチをつけられる可能性は事前に考慮していましたよ。だから、ここからは公的な力でスミレを守りたいと思います」


 宣言を受けたテオは頬をピクつかせた笑顔で言葉を返す。


「ほう……やれるものならやってみてください」


「私、ブリジット・クワトロと夫ホフマン・クワトロはここに誓います。今日を以て、スミレを正式な娘に迎えると。今は亡き、フィオルの妹として」


「なにッ!?」


 驚嘆の声を漏らすテオのことなどお構いなしにブリジットさんはナイフで軽く親指の腹を切って血を滲ませ、領参事の男性から渡された紙……契約書に血判を押してみせた。


 契約書には宣言通り、私をクワトロ家に迎える意思を示す両親の名が刻まれている。


「法廷にいる全員に聞いてもらいたい。下手を打てば私たち夫婦が貴族の名を失墜させてしまう行動をとるほどにスミレは素晴らしい人間なのです。そのことを踏まえたうえでスミレに罪があるのかどうか決めて頂きたい。愛する次女の幸せを祈っています。私も夫も、そして長女フィオルも」


 気が付けば私は堪え切れない大粒の涙を流していた。私は本当に幸せ者だ、今日ここで裁判に負けて死んでしまっても悔いはない。心からそう思えるぐらいブリジットさん……いや、ママとパパのことが大好きだから。


 私は堂々とクワトロ家の娘であると、フィオルの妹だと名乗れるんだ。本当の意味で私の人生の第2章が始まったと思っていいよね?


 再び法廷は騒めきに支配され、中には泣いてくれている人もいる。裁判長ですら言葉を失う状況下で、テオはとうとう動揺を隠そうとすらしなくなり、頭を激しく掻きむしり始めた。


「くっ……何か……手を打たねば……」


 少し憐れにすら思えるテオを見かねたエリクは盾法士の席から離れて移動し、テオの肩に手を伸ばす。しかし、直前でハッとした表情を浮かべたテオはエリクの手を荒々しく弾くと同時に不気味な笑みを浮かべる。


「裁判長、俺はまだスミレの罪を証明することができる根拠を残しています。発言してもよろしいでしょうか?」


「む? 分かりました。許可しましょう」


 テオは敢えて両手を広げた仰々しい仕草で考えを語り出す。


「今回の転生という大事件は前代未聞の出来事である……と皆さんは考えているでしょう。ですが、似たケースが少しだけ存在するのです。それはアナイン病を引き起こした原因である魔物モルペウスです」


「ふむ、確かに異世界から流れ着いたという点ではスミレと同じではありますが、それがどうかしましたかな?」


「思い出してください。突発的な脅威に対し、我々は法に則り『モルペウスを全て抹殺する』と決めたのです。未知の生物である以上、1匹でも残してしまえば子を増やしたり、新たな病を生み出したりと色々な可能性が考えられますので。脅威という点で言えばスミレも同じなのです」



――――異議あり!



 再び異議を唱えたエリクの表情は今日1番の怒りに満ちていた。私が化け物扱いされているから怒ってくれているのかな? だとしたら少し嬉しい。


「それは論理の飛躍ではありませんか? 前世も今もスミレは人間そのものです。会話できる相手を脅威と扱うのは無理があります!」


「そんなことはない。スミレ以外の人間にスミレのいた世界の事を説明できる者はいない。この事実を忘れてはいけないのだ。異界の人間であるスミレが“どれほどの知恵と力”を持っているのか誰にも分からないのだぞ? ならばミーミル領としては前例通り、法に則って安全策を取るべきなのだ。最悪の事態を避けられる極刑という選択をな」


 テオの主張を受けた裁判長は「一理あるかもしれぬな……」と小さく呟いている。そんな馬鹿な……。


 法整備が必要なことは理解できるけど、だからってテオの言い分は極端すぎるよ……。それに裁判長がテオに押されているように見えるのも気にかかる。裁判長はテオに買収されているの? それともテオの迫力に飲まれているの?


 傍聴席から聞こえるボソボソ声は私の味方をしてくれている人が大半だけど、同時に「裁判長はテオに賛成しそうよね?」と予想を呟いている。エリクの主張とママの誓いを以てしても私は黒にされてしまうの?


 いよいよ迫ってくる死の宣告を前に胸が張り裂けそうなほど鼓動が早まる。視界がチカチカするほどに追い詰められた私の脳裏に“諦め”の2文字がよぎる。眩暈すら起こしそうな状況で下を向いた次の瞬間、救いの言葉が耳に届く。


「テオ、貴方の負けです」


 声の主を確かめるまでもない……この声はエリクだ。


 予想だにしない言葉を受けたテオはエリクを睨みつける。


「どういう意味だ?」


「テオと同じような言葉を返してしまい申し訳ありませんが言わせてもらいます。貴方は、ここまでの弁論でスミレの危険性をしっかり示し切らなければ裁判には勝てなかった。例えば危険性を表す物的な証拠を提出したりね」


「エリクのくせに偉そうな説教を垂れるじゃないか。ならば貴様はスミレの無罪を断言できる物的な証拠があるとでも言うのか?」


「いいえ、そんなものはありませんよ。僕は盾法士としてスミレの人柄や行動に関する情報を全て伝えたつもりです。同時にテオの弁論に裁判を動かす力があることは認めましょう。気に食わないですけどね」


「どうした? 敗北宣言か?」


 テオの目元と口元は少しだけ笑っている。勝利を確信した笑みだ。


 一方、エリクの表情は悲しみに満ちていた。しかし、悲しみと言っても負けを覚悟したものではないと私には分かる。何となくだけど今のエリクの表情は相手を憐れむものであると。


「いいえ、むしろ勝ちを確信しています。こちらにはとっておきの策があるので。ですが、策を披露する前に最後の忠告をさせてください」


「忠告だと?」


「はい、ここで剣法士側であるテオの口から“スミレに罪はない”と認めてくれませんか? 認めてくれればテオは“ただ敗北するだけ”で済みますから。逆に認めなければ……目も当てられない状況になってしまうので」


「訳の分からぬ忠告は止めろ!」


「…………本当にいいのですか?」


「くどい!」


「……分かりました」


 丁寧に意思を確認したエリクは少しだけグスタフと目線を合わせる。私から見たグスタフもまた憐れみに満ちた表情を浮かべていた。あの2人にはどんな未来が見えているの?


 期待と不安に満ちた私の視線の先でエリクは終わりに向けて論理を展開する。


「さきほど僕は『テオの言葉には裁判を動かす力がある』と言いましたね。この事実は反転すればテオを貫く刃となり、スミレを守るのです。剣法士であるテオ自身に悪意と罪があると認められればね」


「俺に罪があるだと? デタラメを言うな!」


 机を叩くテオに対し、エリクは全く動じることなく言葉を続ける。


「ここにいる全ての人にお願いがあります。今から僕が話す真実を聞いても、どうか大きな声で騒がないでください」


 法廷が静寂に包まれる中、エリクはとんでもないことを口にする。


「ここにいるテオ、そして妹のカミラ……2人はミト・ルスコールさんを殺していたのです!」




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