【第3話】 モーズ
私はミーミル・ファンタジーの攻略対象である3人の男性が全員好きだった。だから今、グスタフと2人きりのシチュエーションになっていること自体は凄く嬉しい。でも、いざ隣に並んで座ってみると緊張して何を喋ればいいのか分からない。
エリクの時はブリジットさんが来るタイミングを教えてくれたから脳内で会話をシュミレートする余裕があったからなのかな? きっと、その差は大きいと思う。
何も言えずにモジモジしている私を気を遣ってくれたのか、咳払いをしたグスタフが先に話し始める。
「あー、その、なんだ。体と心は元気か? 目覚めたらいきなり4年後だもんな。正直辛いだろ?」
「う、うん、色々な意味で頭がついていってないかも。でも、屋敷の皆もエリクもグスタフも凄く優しいから大丈夫。目覚めてから、まだ話せていないルーナ様もきっと優しくしてくれると思うしね。それにグスタフのお見舞い品は優しさが詰まってて凄くグッときたから、それだけで元気100倍だよ」
前世で『彼氏いない歴=年齢』の私からすればストレートすぎる褒め言葉を無意識に発していた。でも、紛れもない本心だし、ゲーム内で培ってきた思い出と経験だってあるから恥ずかしさはあっても後悔はない。
グスタフは私の言葉をどう受け取ってくれるのかな? ドキドキしながらグスタフを見つめると彼は少し険しい顔で俯いていた。その理由が分からず困惑する中、グスタフは何か決心したような顔で上半身を私の方へと向ける。
「なあフィオル。さっきの言葉の中にテオの名前が挙がっていなかったよな? もしかしてエリクから……既に聞いているのか?」
グスタフが険しい顔をしていた理由はテオの話題を出していいか迷っていたからみたい。確かにテオのことは残念だけど今はグスタフの思いやりが胸に沁みているから平気だ。ここは全然気にしていない雰囲気を出す為に笑顔で返答しよう。
「うん、聞いてる。でも平気だよ。テオには少し繊細なところがあるって分かっているし、テオにはテオの事情もあると思うから。それに私たち幼馴染4人組の絆の強さは半端じゃないもん。会えばすぐに4年前と同じ空気感になるよ」
「…………そうだな、フィオルの言う通りだ。テオだってフィオルのことが大切なはずだし絶対大丈夫だ。どうやら少し考え過ぎたみたいだな。あれこれ考えるのは俺らしくない。頭を使うのは賢いエリクとテオの方が向いているよな、ガハハッ!」
「フフッ、グスタフらしさが戻ってきたね。やっぱりグスタフにはいつも元気で豪快な姿を見せてもらわないと。グスタフの逞しさで、これから私の復活をサポートしてもらわなきゃいけないんだもの」
「おう、任せとけ! どんなことでもやってやる。何だったらテオと会う時について行ってやってもいいぞ。だから気軽に何でも頼れよ?」
「うん、ありがとう」
それから私たちは別れの時間まで雑談を楽しんだ。正直会話が楽しすぎてリハビリのことをすっかり忘れていたけど今日ぐらいは許してもらえるよね?
グスタフと別れて部屋に戻った私は早速、彼にもらったノートを参考に勉強を始めた。知らない言語で書かれているはずの文章を何故か読むことができる……転生のお約束ってやつかな? おかげで内容もスッと頭に入ってくるから勉強も苦じゃなくてラッキー!
もっともゲーム内世界における基礎知識が欠けているから学校の勉強の遅れは4年どころではないのかもしれない。それでも前世で真面目に勉強していた影響で数学など部分的に応用の効く箇所もある。そのおかげで勉強を教えてくれる執事を驚かせる場面もあったぐらいだ。
とはいえ地理や歴史などは現地人ではないから当然疎く、苦労することは多かった。その点はアナイン病で部分的に知識が欠けてしまっていると誤魔化しながら何とかしていたけれど上手く嘘をつけていたかなぁ?
※
勉学とリハビリに励む日々はあっという間に過ぎていき、気が付けば転生から10日が過ぎていた。
毎朝恒例になっている鳥のさえずりと窓からの日差しで目を覚ました私はいつものようにブリジットさん、ホフマンさんと共に朝食と雑談を楽しんでいた。すると食事を終えたタイミングでホフマンさんが近くの棚から1冊の本を取り出して私に手渡してきた。
「フィオル、今日はいよいよミーミル学房に行く日だな。ルーナ様によろしく言っておいてくれ。それと、ついでに頼みたいことがある。この本をルーナ様に渡しておいてくれ。先日貸してもらった本なのだ」
「うん、分かった。それじゃあ行ってきます」
私はホフマンさんに渡された本とブリジットさんからもらったお弁当のサンドイッチを鞄に入れて屋敷の外で待機している馬車へと乗り込んだ。
馬車に揺られること20分――――馭者のお爺さんは大通りで馬の足を止めると南にある丘を指差す。
「フィオル様、向こうの丘の上に見えます建物がミーミル学房です。ここからは傾斜がキツく馬車で上がっていけないので徒歩でお願いします。15分もかかりませんので」
「分かりました、ここまでありがとうございました」
私は馬車を降りて1人で丘へと歩き出す。馭者の言う通り傾斜は少しキツいものの、大小さまざまな丘、視界を覆う木々と花々が美しい素敵な通学路だ。
ゲーム内で何度も通った道だけど、それでも一人称視点で味わえる異世界の景色は良いものだ。
私がルンルン気分で道を歩いていたその時――――事件は突然訪れる。なんと木陰から飛び出してきた黒猫が私の手提げ鞄を奪い取ってしまったのだ!
「えっ、嘘! ま、待ちなさい!」
少し間抜けな声を出してしまった私は鞄を取り返すために慌てて黒猫を追いかける。
だけど、流石は猫なだけあって足が速い。しかも、目の前の黒猫は鞄を背中に乗せたまま器用に走っている。
普通の猫なら鞄の重さで速く走れないだろうし、そもそも鞄を背から落とさずに走れるわけがない。それを可能にしているのは目の前の黒猫が普通の猫の2倍近く体格が大きいからなのかもしれない。
って感心している場合じゃない、絶対に掴まえないと! 30秒ほど私と黒猫の追いかけっこが続く。30秒の全力疾走は病み上がりの私には厳しい。足が限界に近付いて上がらなくなってきたところで黒猫は小さな丘の先端で停止する。
黒猫の前方は崖と言う名の行き止まりだ、ついに諦めてくれたのかな? そう期待した私の考えは甘かった。なんと黒猫は鞄に顔を突っ込みホフマンさんから預かった本を口に咥えると勢いよく首を振って丘の下に放り投げてしまったのだ。
ルーナ様の私物になんてことを! と怒りの言葉を口にしそうになったけれど黒猫はそんな暇も与えてくれない。再び鞄を背負った黒猫は私の左横を通り、逃亡を再開する。
「ハァハァ……こ、今度こそ逃がさないんだから……」
私は最後の力を振り絞って走り出す。後ろを振り返って私を見た黒猫は何故か人間さながらのギョッとした表情をみせている。私が本の方を追いかけると思っていたのかもしれない。
そんな黒猫は動揺したのか足元にある石に気が付かず盛大に転んで地面に長い筋を作る。今がチャンスだ! 前方へ飛び込んだ私は鞄ごと黒猫を両腕で包み込む。
しかし、その飛び込みがよくなかった。私が飛び込んだ方向はよくよく見ると急な下りの傾斜になっていたのだ。今すぐ黒猫と鞄を手放して両手でブレーキをかければ傾斜を転がらずに済むかもしれない……だけど、その選択肢は私には無かった。
私は絶対に黒猫が怪我しないよう優しくも力強く両腕で囲い、傾斜を勢いよく転がっていく……。
「キャァーーッ!」
10秒以上転がったかな? 打撲と擦り傷が幾つできたか分からない。でも両腕で覆っている黒猫は全くの無傷みたい。私はズキズキと痛む体を動かし鞄を脇で挟み、取られないように警戒しながら黒猫の顔を覗き込む。
すると黒猫は土埃を払うように体をブルブルと振り、真っすぐな目で私を見つめると――――
「やれやれ、庇いながら転がるとは。随分と無茶なことをする娘だ。下手をすれば怪我じゃ済まなかったぞ。だが、これほどの気概があるならば正体を明かし、人語を使っても逃げられることはなさそうだな」
なんと人の言葉を喋り始めたのだ。
待って……全く意味が分からない。いくら異世界ファンタジーゲームとはいえ、ゲームプレイ時には喋る黒猫なんていなかった……。しかも、可愛い猫ちゃんに似つかわしくない凄く低い男性声だ。
私は何かの間違いであってほしいと願いながら「今、人の言葉を喋ったの?」と尋ねる。すると黒猫は頷きを返し、再び口を開く。
「少し手順が違ってしまったが自己紹介をさせてもらおう。我の名はモーズ。黒猫でもモーズでも好きに呼ぶがいい。我は“とある目的”があって君に近づかせてもらった」