【第2話】 テオの変化
エリクの言葉は私にとってかなりの衝撃だった。というのもテオはゲーム内においては絵に描いたようなクール&ツンデレキャラだったから。好意を持ったフィオルに対してツンツンしながらも、かなり優しくて重たいほどの愛を示してくれる男性だったはずなのに……。
ゲーム内のテオはズバズバと物を言ってしまう性格で他人との衝突も少なくなく、人に頼るのも苦手なタイプだ。だけど嘘は言わないし行動にも筋が通っていて、何も言わずに人の為に動ける不言実行タイプのキャラだった。だからネットの人気投票では1番人気に輝いていて私から見ても印象深かった。
そんなテオが見舞いに来てくれなくなるなんておかしい。理由を聞かなければ。
「テオに何かあったの? もしかして留学に行ってしまったとか?」
「いえ、留学ではありません。もう4年も経っていてテオもグスタフも20歳ですから学院も卒業していますしね。1歳下の僕も同様です。テオには何度か見舞いに行かない理由を尋ねたのですが、何も答えてくれませんでした」
「そうなんだ……それはちょっと残念かな、ははっ……」
今日だけでゲーム内と異なる点がいくつもあったけれどテオのことが群を抜いて衝撃かも。ゲーム内では何度もテオと恋仲になることができたから正直凄くショック。
精神的ダメージを引きずって沈黙しているとエリクは両手で私の右手を握り、眉尻を下げる。その目は美青年というステータスを差し引いても思いやりに満ちていて美しかった。
「大丈夫です、テオとフィオルの絆は本物ですから。きっと中々目覚めないフィオルの寝顔を見続けることが辛く、耐えられなかっただけでしょう」
「そう……かもね。うん、そう思うことにする。ありがとう、エリクのおかげで元気が出たよ。しばらくは屋敷で体の回復に努めるつもりだから、よかったらまた屋敷に会いに来てね」
「はい、もちろんです。ただ明日はグスタフが見舞いに行く日ですから明後日になったら様子を見に来ますね。話したいことはまだまだいっぱいありますから」
「明日はグスタフが来てくれるんだ。それならエリクも同席してくれたらいいのに。3人で話せばもっと楽しいよ?」
「確かにそうでしょうけど遠慮しておきます。グスタフはグスタフでフィオルと2人きりで話したいことがあるでしょう。それに僕だけが1対1で再会するのはフェアじゃないので」
「フェアってどういうこと? まるで勝負ごとみたいな言い方だね」
「ご、ごめんなさい、何でもないです。今の言葉は忘れてください。それじゃあ無理はせず、ゆっくり回復してくださいね」
何故か逃げるようにエリクは去って行ってしまった。都合よく解釈するならエリクとグスタフがフィオルを狙って恋のレースをしているからと考えられる。でも流石に目覚めたばかりだしゲームとの相違点も多いからモテモテなんてことはないと思うけど。
それに愛されているのは私ではなくフィオルなのだから調子に乗る資格なんてない。私は所詮ニセモノなのだから――――珍しくネガティブな気持ちが湧いてくる。
自己否定をしてしまうのはきっとメイドやブリジットさんが大粒の涙を流していたからなのだろう。私はこれからフィオルとして上手く生きていけるのかな? 色々なことを考えすぎて疲れちゃったのか気が付けば私は再び眠りについていた。
※
重たい瞼を開いてみせると言わんばかりに小鳥のさえずりが耳に飛び込む。まだまだ病み上がりだから体が重たい。気合を入れて上半身を起こして瞼を開くと外はすっかり朝の景色となっていた。
どうやらメイドやブリジットさんは私を起こさなかったみたい。体力回復の為に好きなだけ寝させた方が良いと思ったらしい。
ボーっとしていると知らぬ間にメイドが部屋にやってきて丁寧に着替えを手伝ってくれた。寝巻もそうだけど普段使いのドレスも本当に綺麗だ。水色の多弁花を彷彿とさせるふんわり感はジャージが主流の私とは大違いで悲しくなってくる。
とはいえ今の私のビジュアルは美しいフィオルなのだから自信を持って歩くことにしよう。私はメイドに案内してもらいダイニングホールに足を踏み入れる。すると視線の先にある椅子にはチョビ髭で少しやつれた中年男性……改めフィオルの父ホフマンさんが座っていた。
ホフマンさんは私と目を合わせた直後、右手に持っていたスプーンを皿の上に落として肩を震わせている。椅子から立ち上がり近づいてくると少し痛いぐらいに私のことを抱きしめた。
「昨日、母さんから目覚めたとは聞いていたが……実際に動いているフィオルを見たら涙を堪えられなかったよ。おかえりフィオル」
「ただいま……お父様」
真っすぐな親の愛を受ける度に私は“スミレであり偽物”なんだと心が痛くなる。
死後の世界だと割り切って貴族令嬢としての人生を楽しむのが本当は正解なのだと思う。だけど目の前にいる人々があまりにもリアルで、暖かくて、割り切れない。
両腕を離したホフマンさんは涙を拭うと「朝食の続きをしよう」と言い、私に椅子へ座るよう促す。ホフマンさんはフィオルが眠っていた頃の屋敷や街の状況を一通り教えてくれた後、食事の手を止めて真っすぐに私の目を見つめる。
「フィオルが眠っていた頃の話は大体こんなものだろう。じゃあ次はこれからのフィオルについて話し合おう。アナイン病になってしまったから仕方ないとはいえ、フィオルが同年代の者たちと比べて遅れをとってしまったのは事実だ。父さんが何を言いたいか分かるかい?」
「遅れを取り戻す為に必死で勉学や仕事に励まなければいけない……ということ?」
「そこまで厳しいことは言わないさ。ただ、病に罹る前よりもほんの少し頑張ればいいだけだ。まずはゆっくり体のリハビリを進めよう。それが終わったらワシの傍で貴族としての仕事を学びつつ、ミーミル学房に行くよう話をつけておく」
ミーミル学房は名前の通りミーミル領に存在する学び舎だ。ミーミル学房には教室はもちろんのこと、街1番の図書館、孤児院、教会、研究所などなど、1つの敷地に様々な施設が存在する場所だ。
学房の管理者であり学長でもある老齢の女性ルーナ様は『ミーミル領の母』とも呼ばれるくらい偉大な方で、ゲーム内でも様々な知識を授けてくれるとても優しい人で印象に残っている。
だから勉強自体は不安だけどルーナ様に会えるのは楽しみだ。少し期待を膨らませた私は両親との朝食を終えると執事の青年に連れられて庭へと移動した。体を動かし、魔術を扱ってリハビリするのが目的らしい。
体のリハビリはともかく魔術のリハビリなんて言われてもさっぱり分からない、どうしよう……。ゲーム内のフィオルなら華麗に水や氷の魔術を扱えていたけれど私に扱えるわけがない! と焦ったものの、それは杞憂に終わる事となる。
なんと執事が出してきた指示に従っているだけで体の内側と外側に存在する魔力を感覚的に認識できたからだ。
私は見様見真似で手をかざして魔力を練り込むと手の平から水鉄砲レベルの弱々しい水が放出された。見た目はカッコ悪いけれど目の前で起きるファンタジーな現象に興奮が止まらない。
私の興奮は収まらず何度も何度も魔術を放っていた。すると何故か体がふらつき始め、堪らず私は地面に座りこんでしまう。心配そうにしゃがみ込んだ執事は確かめるように私へ尋ねる。
「水属性の魔術自体は扱えるようですが魔力も魔量もかなり弱まっているようですね。それに珍しいものでも見るかのように魔術を放っていましたね。もしやアナイン病の影響で魔術関連の知識が抜け落ちてしまっているのでしょうか?」
「そ、そ、そうなのかも。良かったら1から教えてもらえるかしら?」
「かしこまりました。ではまず魔力という概念についてですが――――」
それから執事は魔術や魔力について丁寧に教えてくれた。どうやらゲーム内で言うところの魔術を放つ為のスタミナが『魔量』というらしい。
魔量がなくなれば魔術が放てなくなるだけでなく一時的に五感や体調にも影響が出てしまうらしく今の私みたいにへたり込んでしまうみたいだ。使い過ぎないよう気を付けなきゃ。
そして肉体の内外に纏うオーラのようなものが魔力らしく、強い密度で魔力を纏えば身体能力も上がって体も頑丈になり、魔術に強い魔力を込めれば威力も上がるらしい。
つまり水鉄砲レベルの魔術を連続で放った程度で眩暈を起こした私は相当弱いということだ。病み上がりだし、他人の体を借りているから仕方ないのかもしれないけれど早いうちに何とか鍛えなければ。
一通り語り終えた執事は懐中時計で時間を確認すると薄く笑みを浮かべて立ち上がる。
「では、そろそろわたくしは屋敷の中に戻りますね。フィオル様はもう少しここで休んでいてください。わたくしの代わりに面倒を見てくれる方が間もなく来ていただけるはずなので」
「代わりの人? それって一体?」
――――おおぉぉいい! 元気にしてたかフィオルゥゥッ!
庭でくつろいでいる鳥たちが全て逃げ出すぐらい大きな男性の声が響き渡る。私はこの声を知っている……ゲーム内で何度も何度も聞いた低くて太い声、攻略対象3人のうちの1人――――貴族グスタフ・ガントレットの声だ!
視線を向けると立っていたのは私の記憶通りのグスタフだった。銀色の短髪、高身長で筋肉質な体、少し鋭い眼光だけど大きくて優しそうな焦げ茶色の瞳、真っすぐな鼻筋、生で見ると威圧感が凄いけど、それでも乙女心に突き刺さる格好良さだ。
「久しぶり、グスタフ! ずっとお見舞いに来てくれていたんだよね? ありがとね。今日は私のリハビリの様子を見に来てくれたの?」
「ああ、その通りだ! 昨日目覚めたという知らせは受けていたんだが忙しくてどうしても行けなくてな。代わりと言っちゃあなんだが見舞いの品を沢山持ってきたぞ、ガハハッ!」
ゲーム内と変わらない豪快な笑いと共にグスタフは行商人が背負うような縦横1mはある巨大な鞄を体から外して地面に置いた。中には美味しそうな果物や野菜が大量に入っている。特に果物は見ているだけで涎が垂れそう……早速1個食べさせてもらおう。
「ありがとうグスタフ、食べていい?」
「ああ、勿論だ。1個でも100個でも好きなだけ食え。俺が色々な店に行って買ってきた一級品ばかりだ、美味しいし栄養価も高いはずだぞ。栄養を沢山取って1日でも早く元気になれよ」
100個も入っていないと心の中でツッコミを入れつつグスタフ自らの足で買いに行ってくれたことが凄く嬉しい。感謝しながら私は鞄に手を伸ばす。すると鞄の中の野菜・果物が入っているスペースとは別に本や紙の束が入っていることに気が付いた。
「ねえ、グスタフ。この本と紙の束は何?」
「それは俺がフィオルの復学やリハビリの為にまとめてきた勉強ノートだ。勉強の苦手な俺がまとめた物だから分かりにくいかもしれないが良かったら使ってくれ。俺はフィオルの遅れを取り戻す為ならいくらでも時間を使う。だからやって欲しい事があったら何でも言えよ」
グスタフの真っすぐな優しさが心に沁みる。エリクが優しい言葉選びと忖度のスペシャリストだとすればグスタフは親切な行動と行動量が魅力的な人物だ。
だからゲームキャラの人気投票でも魅力的な攻略対象3人はほぼ均等に票が散らばっている。3人全員がほぼ同じぐらい愛されているなんて本当に良く出来ているゲームだなぁ、と当時は唸らされたものだ。
私は執事の背中を見送った後、グスタフへ近くの椅子に座るよう促して自分も横の椅子に腰かけた。さあ、彼とはどんな話をしようかな。