36.余韻
家は正確に沈黙していた。
冷蔵庫の低い唸り、壁時計の秒針、床材が乾くときの微かなきしみ。
その三つだけが、ここで生き物のふりをしている。
棚に骨壷が二つ、等間隔で並んでいる。
白の濃淡はわずかに違い、光の返し方に個体差がある。
名は不要だ。履歴も要らない。
粉の粒度と層の沈み方だけが、ここで意味を持つ。
窓の外を人間たちが流れていく。
荷物を提げ、信号に従い、誰かに道を譲り、会釈を返す。
規則に沿って動く筋肉。
躊躇と逡巡の間で減速する目。
私はそれらを“動作”として読む。
動物の群れを観察するのと同じやり方で。
私は欠落しているわけではない。
空虚が私の中心にある、という言い方は正確ではない。
中心が空虚そのもので出来ている。
だから周縁に何を積み上げても、静かに沈むだけだ。
沈み方にばらつきがある。そこにしか興味がない。
机上の物を左右対称に寄せる。
紙端を揃え、ペンの向きを統一する。
配置が整うと、頭の内側のノイズが減る。
減衰したところで、思考はようやく輪郭を持つ。
二つでは、判断ができない。
一は例外、二は偶然。
三が必要だ。傾向という言葉を使うために。
四に届けば、法則の影が見えるかもしれない。
骨壷を見やり、窓の外へ視線を戻す。
母親の手を振りほどこうとして引き戻される子供。
斜め後方から近づく自転車に気づかず歩幅を乱す男。
小さな危険と小さな回避が、昼の街に均等に散っている。
わずかな力加減で破れる布だ。
破れ目を作るのは難しくない。
問題は、どの繊維から切ると一番静かに裂けるか、ということだけだ。
私は水を飲む。味はない。
舌に残るのは温度だけ。
温度はすぐに均される。
それでいい。均されるものは退屈しない。
再び乱せばいいからだ。
棚の二つは、動かない。
街の多くも、動かないふりをして動いている。
私だけが、静止しているように見えて、別の速度で進んでいる。
二つでは、まだ足りない。
それは欠乏ではない。
測定の条件が整っていない、というだけの話。




