34.令和22年2月10日 午前10時11分
翌朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
外は薄い曇り空で、窓際の空気は微かに湿っている。
時計の針は10時を少し回ったところ。
昨夜のうちに道具類はすべて揃えておいたから、特に準備に時間はかからない。
グラスの底に残った氷を指先で転がし、ゆっくりと口に含む。
喉を通る冷たさが、ぼんやりとした頭を研ぎ澄ませていく。
「……そろそろ、行くか」
車を出し、昨日と同じ道を走る。
公園の前を通りかかると、昨日と変わらぬ光景が広がっていた。
だが、私の中ではすでに別の時間が流れている。
約束の時刻が近づくにつれ、倉庫の内部の様子が自然と想像に浮かんでいた。
吊り下げたままの男は、もう声を出せないだろう。
失血と体温低下で、意識は深い闇に沈んでいるはずだ。
それでも、まだ生きているかもしれない。
昨日、あの目で私を見上げ、必死に言葉を探していたあの表情を思い出す。
あれほど“生”に縋りつこうとする人間を、他に見たことがない。
11時ちょうど、倉庫に到着する。
鍵を回し、シャッターをゆっくりと開けると、冷たい空気が流れ出した。
中は薄暗く、乾いた鉄と血の匂いが入り混じっている。
吊り下げた男の足先が、かすかに揺れていた。
生きているのか、風で揺れているだけなのか、判別はつかない。
だが、どちらでもよかった。
私にとって重要なのは、ここから先の過程だ。
道具を一つひとつ並べ直し、手袋をはめる。
今日は昨日の続きではない。
“完成”のための最後の作業だ。
吊り下げられた男の足先に視線を落とす。
かすかな揺れは、もう生きている証ではなかった。
頸動脈を切ったわけではない。
ただ、流れ出る血と失われた体温が、すべてを奪っただけだ。
近づくと、皮膚を剥いだ部分は赤黒く沈み、
露出した筋肉が冷気で硬直し始めていた。
呼吸は止まり、胸は微動だにしない。
もう声を発することも、抗うこともない。
昨日のあの眼差しが、記憶に浮かぶ。
「助けてくれ」とかすれた声で言っていた。
生を求めて必死に伸ばしたその指先は、今はただ重力に従うだけだ。
私はその顔をしばらく見下ろし、
やがて視線を外した。
この状態を見ても、何の感情も湧かなかった。
終わったという事実だけが、ここに残っている。
「……いい表情だったな」
小さく呟き、視線を道具へと移す。
片付けはここからだ。




