まにまに外伝 結界術師ディザナ 〜結界で分ける空間と人生〜
ティザナ外伝 第1話「壊れゆく境界線」
ティザナは、自分の結界を信じていた。
「私の結界に入っていれば、絶対に安全よ。……誰にも触れさせないから」
古代遺跡の魔物掃討。
小規模な討伐依頼で、ティザナは4人パーティの魔法職を任された。
その結界は、物理攻撃も魔力の流れすら遮断する密閉型。
結界術師としての自信と誇りが、彼女の言葉ににじんでいた。
「ディザナ、かっこいい!!」
仲間の一人——女戦士レナは、片手剣と盾を構える快活な女性だった。
彼女はいつも、銀のペンダントを身につけていた。
「これ、姉ちゃんのお下がりなんだ。ピカピカじゃないけど……落ち着くんだよね。お守り、みたいなもん」
レナは人懐こく、誰とでもすぐに打ち解ける。ティザナとは性格も正反対だったが、なぜかやたらと話しかけてきた。
「いいねぇ、その結界。まるで“わたしの部屋”って感じ。心地いいよ」
「……あんた、人との距離感バグってるでしょ」
「そう? でもさ、あんたの結界って、あったかい感じするんだよね。不思議だね」
ティザナは顔をそむけた。
けれど、心のどこかで——悪くないと思っていた。
⸻
遺跡の奥、問題の魔物が姿を現す。
《クレイ・アコール》。幻影喚起種。
精神に干渉し、心象を映す魔物。
だが、ティザナは平然としていた。
「こっちは万全。私たちは結界の中。遮断済み。外からの干渉は通らない」
結界は、仲間3人と自分を囲むように展開されていた。
魔物はその外側にいた。
「安全圏確保。内部は安定——完璧よ」
ティザナはそう思っていた。
⸻
最初の異変は、弓使いの若者だった。
「……あれ……?」
彼は空中の一点を見つめ、怯えたように後退した。
「姉ちゃん? ……なんでここに……?」
何もない空間に、光が揺れるような幻影が現れた。
「ティザナ! これ……見えてる!? 中なのに、なんで!?」
「そんなはずは——」
ティザナの言葉が止まる。
《クレイ・アコール》は
外部から幻影を送り込むのではなかった。
内側にある“恐れ”を媒体にして、幻影を映す魔物だった。
結界は
「守るもの」ではなく「閉じ込めるもの」になっていた。
錯乱した弓手が叫び声を上げ、結界の中で暴れ始める。
混乱と恐怖の連鎖が、狭い空間を満たしていく。
——パァン!
その騒ぎの中で
結界がわずかに揺らぎ、裂け目が生じる。
「いけない! 私が行く!」
レナが剣を構え、裂け目の前に立ちはだかった。
ティザナは思わず叫ぶ。
「ダメ! 前に出たら——!」
「大丈夫。私、“守る”って決めたんだから!」
その瞬間、魔物の影がしなるように伸び
彼女の背を貫いた。
——崩れるレナ。
——立ち尽くすティザナ。
ティザナは
目の前で倒れるその姿に手を伸ばすことすらできなかった。
急いで結界を張り直すが、レナはもう動かない。
「、、、た……退却するよ!」
「くっ……!」
ティザナはレナのペンダントを握りしめると
遺跡の外へと走った。
⸻
任務終了後。誰も言葉を発せず、ただ静かに外へ出た。
ティザナはそっとしゃがみ込み、地面に四角い線を引く。
その中央に、レナの銀のペンダントを置いた。
“姉のお下がり”。“お守り”。
今、何一つ守れなかったそれを。
ティザナはその中に、静かに結界を張った。
風も音も通さず、誰にも踏み荒らされることのない、ただ一つの空間。
「……守れなくて、ごめん」
呟くその声は、小さく震えていた。
「……境目って、壊れるもんなんだな……」
そして最後に、ひときわ静かに口を開く。
「……壊れる時に何を守るかで、人の価値が見えるんだ」
その言葉は、レナのペンダントにそっと重なり
静かな風に溶けていった。
それは——
ティザナが「結界師は何を守っているのか」を
深く考えた瞬間だった。
ティザナ外伝 第2話「壁の使い方」
それからしばらく
ティザナは結界を張れなくなっていた。
術式は描ける。魔力の流れも問題ない。
けれど、心の奥で“張ること”に躊躇いが生まれていた。
(……また、誰かを閉じ込めてしまったら——)
小さな旅の傭兵団に加わっていたが、ティザナは最低限の仕事しかしなかった。
誰とも深く関わらず。距離を置き、自分だけを守る術師になっていた。
⸻
ある日、護衛任務の最中の峠道で事件は起きた。
霧の中から現れたのは、見たことのない異形の魔物たち。
獣のようでいて、知性あるもののように動く。
「囲まれた!? なんで気づかなかったんだよ!」
「くそっ……あの子、もう動けないぞ!」
仲間の一人——年若い旅の少女が、足を怪我して動けずにいた。
その周囲を魔物たちがじりじりと包囲していく。
「ティザナ! お前の結界が必要だ!」
誰かが叫んだ。
だがティザナは、動けなかった。
(結界を張ったら、また……)
頭の奥で、あの日の光景が蘇る。
倒れるレナ。結界の裂け目。握りしめたペンダント。
目の前の少女が、震えながらもこちらを見ていた。
——そしてその目に、見覚えがあった。
怯えながらも、信じていた。
あのときの、レナの目と同じだった。
(……もう、二度と——)
その瞬間、ティザナの目に光が宿った。
(——あたしは、自分のための壁じゃなくて、誰かのための“囲い”を……!)
手にしていた術具を叩きつける。
「展開——防壁陣・四方囲み!」
地面に術式が浮かび上がる。
淡い光が、少女のまわりに正方形を描き、静かに立ち上がっていく。
魔物が一体、その壁に飛びかかる。
だが、バチンと魔力の火花を散らし、跳ね返された。
ティザナはその中心で、まっすぐに叫んだ。
「二度と……同じ間違いはしない!!」
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戦いは、無事に終わった。
少女は守られ、
仲間も誰一人欠けることなく、魔物を退けた。
囲った壁の内に、命が残った。
ティザナが
初めて“外に向けて張った”結界だった。
仲間の一人がつぶやく。
「なんだよ、できんじゃねぇか。前よりすげぇぞ、あの壁」
ティザナは、静かに息をつきながら答える。
「若いうちは……自分の“内側”を守るのに必死だった。
でもそのうち、“誰かを守るための外側”に境界線を作るようになるもんなんだな。」
その言葉に、誰かが笑い、誰かがうなずいた。
そして彼女は思った。
あの日の後悔は、消えない。
けれど——次はもう、同じ過ちを繰り返さないために、この術がある。
それが、ティザナが“結界術師”として本当に歩き出した、最初の一歩だった。
ティザナ外伝 第3話「締め出す囲いより迎える囲い」
「結界ってのは、本来“人を閉め出す”もんだと思ってた」
ティザナはそう言って、風見亭の縁側に腰を下ろした。
朝の風が、庭の草を優しく撫でていた。
いまやこの宿には、人間もエルフも、獣人も、時にはドラゴンさえもが泊まりにくる。
けれどその始まりは、意外にも些細なきっかけだった。
⸻
昔の話だ。
ティザナが“戦い”から身を引いたあと、
とある峠の古い一軒家に、誰に知られるでもなく住み着いた。
結界術の仕事を細々と請けながら、町外れで静かに暮らすつもりだった。
だがある日、雨の中でひとり、震える旅人の子どもを見つけた。
声をかけても、怯えて動かない。
近づこうとすれば、逃げようとした。
ティザナは一歩下がり、手元にある術具でそっと結界を張った。
地面に描いたのは、「四方囲いの反転式」。
“自分の周囲”ではなく、相手の半径に合わせて空間を保護する小さな結界だった。
中に雨風は通さず、温もりだけがそこに残る。
そのとき、ティザナはつぶやいた。
「誰かを閉め出す結界より、
迎え入れる囲いの方が、ずっと難しいのさ」
それが、風見亭の原型だった。
⸻
結界師時代の知識を使って作ったこの宿には
特別な術式が張られている。
「ここに張ってあるのは、壁じゃない。……そうだね、呼び鈴みたいなもんさ。入ってきてほしいものを“招き入れる”ための囲いなんだよ」
大きな庭。人の気配がありながら、どこか自然に近い空気。
そして時折、やってくる——
ドラゴン、精霊、狼族の戦士、世界の果てから迷い込んだ旅人たち。
ティザナは、誰かが扉を叩くたびにこう言うのが常だった。
「うちはね、境目の宿さ。あっちからこっちに来たいって思ったら、だいたい通れるようになってる」
⸻
そして今。
まにまにたち旅の一行を見送った縁側で
ティザナはひとりお茶を啜っている。
かつての仲間たちの姿を思い出しながら。
ペンダントのことも、結界の震えも
今でもたまに夢に見る。
でも——
彼女はその全てを背負って、
この場所に“囲い”を張ったのだ。
誰かが今日も、迷って扉を叩くだろう。
その時、ティザナは静かに立ち上がり、こう言う。
「おかえり——ここが君の“内側”になるといいね」
そう言って開けるその扉こそが、
彼女が生涯をかけて張った、最大の結界だった。