3 愛しい人(ロレンス視点)
偵察で潜入していた夜会で人攫いに狙われていた所を助けたその令嬢は、ずっと思っていた兄のような幼馴染にふられて、ヤケを起こしてここへ来た、と言っていた。そして、そんな自分を馬鹿だと自嘲気味に笑って言っていた。その笑顔はとても悲しげで、まるで自分を見ているようで苦しかった。
「アンドレ、様……どうして……」
薬が入っているとは知らず、人攫いから渡されたドリンクをうっかり飲んでしまいそのまま眠った令嬢が、苦しげにそう呟く。きっとふられた相手の夢を見ているんだろう。目尻に涙が流れ落ちる。眉を顰めながら、ロレンスは指でそっと涙を拭った。
朝起きたら、騎士団へ連れて行って保護しよう。令嬢をかくまった部屋にベッドが一つしかなかったため、令嬢の隣で仕方なく眠ったロレンスは、朝起きて令嬢がいなくなっていることに驚く。
果たして、ちゃんと帰れたのだろうか。もしも運悪く人攫いと鉢合わせでもしていたら、そう思うといてもたってもいられず、聞き込みをするが、行方不明になった令嬢はいないようだった。
おそらく無事に帰れたのだろう。ロレンスはホッと胸を撫で下ろす。今は失恋の傷が癒えないかもしれない、でも、いつか誰かと幸せになれるといい、そう願ってロレンスはいつものように仕事へ向かった。
その令嬢と、まさか任務先の社交パーティー会場で再会するとは思わなかった。しかも、自分の幼馴染でありずっと慕ってきたアリスの相手であるアンドレという男の幼馴染だと言う。そのアンドレという男はつまり、令嬢がふられたと言っていた張本人だ。
(まさか、こんなところで出会うなんて)
アンドレに不安げに寄り添うアリスを見て胸が痛むが、何よりもその二人と対峙しているエレノアと呼ばれたその令嬢のことが気になって仕方がない。だが、エレノアのことを気にしている自分へ畳み掛けるように、アリスから衝撃の一言を言い渡される。
「本当に私たちはなんでもないんです。ロレンスお兄様、お兄様からもアンドレ様に言ってください。私たちはただの幼馴染だって、ロレンスお兄様も、私のことを妹としか思っていないって」
頭を鈍器で殴られたような気分だった。そして世界が一瞬にして止まったような、何も聞こえない、何も動かない、そんな風に思えた。
(他に思い人がいると教えられた時点で、わかっているつもりだった。でも、はっきり面と向かって言われることが、こんなに辛いなんて)
固まっていると、近くにいたエレノアがはっきりとした口調で言う。
「お二人とも、いい加減にしていただけますか?この状況で何か思い出しません?先日、アンドレお兄様が私に言ったことと同じですよね。兄か妹かの違いなだけで、あの状況と全く同じです。それで、お二人はそうやって私たちを当て馬にして満足ですか?そうやって私たちの心をズタズタにして、お二人は絆を深めあって幸せですか?幸せですよね、幸せでいてくれないと困ります。だって私たちの心はこんなにも悲鳴をあげているんですもの」
エレノアの言葉を、アンドレもアリスも、唖然として聞いている。
「もうお二人には付き合いきれません。お二人の当て馬でいることには疲れました。勝手に幸せになってください。私も、ロレンス様も、お二人の知らないところで勝手に幸せになりますから!」
エレノアに腕を引かれ、ロレンスはその場を後にする。立ち去る寸前に見えたアリスとアンドレの顔は、二人とも蒼白で両目を大きく見開いていた。
(この御令嬢も、同じようなことをあの男に言われたのか)
自分の腕を掴みながら少し前を足速に歩いているエレノアを見ながら、ロレンスは胸が切り裂かれるような痛みを感じていた。一体、彼女はアリスの言葉を聞いてどう思ったのだろう。きっと、自分があの男に言われたことを思い出してまた胸を痛めたに違いない。切り裂かれるような痛みを、エレノアは二度も味わったのだ。
エレノアが立ち止まり、ロレンスを見て悲しげに微笑む。そんなに辛そうな顔をしないでほしい。ロレンスがあの場にいなくてもいいように、ロレンスの腕を引いて連れ出してくれたこの令嬢のことを思うと胸が張り裂けそうになる。
いつの間にか、ロレンスはエレノアを抱きしめていた。悲しくて辛くて、もしかしたら泣いていたかもしれない。腕の中の小さいその体も、少し震えて泣いているように思えた。
近くにあるガゼボに座り、二人で話をしていると、ふわりと風が吹いて花びらが舞った。それに驚いたエレノアの横顔を見て、ロレンスは純粋に綺麗だ、と思った。
エレノアの髪についた花びらをそっと取ると、エレノアの肩が小さく揺れて、エレノアが俯く。
(可愛らしいな)
まるで自分に触れられて照れているように見える。きっとそんなはずは無い、でも、そうであったなら嬉しいのにとロレンスは思った。
(嬉しい?どうして?……俺は、エレノア嬢のことが気になっているのか)
トクトク、と心臓が速く鳴っている。アリスにふられてあれだけショックを受けたというのに、こんなにもすぐに目の前の令嬢を気にしている。なんて浅はかで軽い男なんだろうか。
「エレノア嬢、こんな時にこんなことを言うのは間違ってるのかもしれない。でも、俺は今君のことがすごく気になっている」
ロレンスの言葉に驚いてエレノアがロレンスを見上げる。
(ああ、本当に綺麗で可愛らしいな。今、彼女の瞳には俺だけが映ってる)
ロレンスは嬉しそうにエレノアの髪の毛を優しく撫でて、そっと耳にかけた。
「君が嫌じゃなければ、たまにこうして二人で会えないかな。当て馬同士、仲良くなれると思うんだ」
「それは、当て馬同士傷を舐め合おうということですか?」
「もしかしたら、始めのうちはそうなってしまうかも知れない。でも、俺はそれだけで済ますつもりはないよ。それでは終わらない、そんな気がしてる。それくらい、君のことが気になってしまっている」
そっと思いを伝えると、エレノアは驚いた顔でロレンスを見上げる。上目遣いのその顔は月明かりに照らされてとても綺麗で、堪らなかった。
「ふられてすぐに他の女にいくなんて、軽い男だと思ってる?」
自嘲気味にそう言うと、エレノアは目を見開いてから首を振る。
「……いえ、私も、ロレンス様にとても惹かれています。軽い女だと思いますか?」
エレノアの返事を聞いて、ロレンスの胸はさらに高鳴った。
「……思わないよ。むしろ嬉しい」
そっとエレノアの頬を撫でると、エレノアは恥ずかしげに瞳を揺らす。顔を近づけて鼻先が触れると、エレノアはそっと瞳を閉じた。それを見てロレンスは胸が熱くなり、嬉しくて微笑んでしまう。そして、静かに優しくエレノアへ口付けた。
その後、二人は仲を深めあい、いつしか恋人同士になる。そして、アンドレとアリスよりも先に結婚し、ロレンスは元々いた場所から遠く離れた別の領地に大きな屋敷を構えた。
『私も、ロレンス様も、お二人の知らないところで勝手に幸せになりますから!』
あの日エレノアが宣言した通り、アンドレとアリスの知らない場所で、エレノアとロレンスは末永く幸せに暮らしたのだった。
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