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彩姫はもくもくと朝餉を食べている李翔をじっと眺める。
視線に気づいた李翔は朝餉を食べる手を止めて首を傾げた。
「どうした?」
「いえ。味はどうですか?」
「美味いぞ。特にこの羹は絶品だな。魚介の出汁がよく出ている」
李翔は彩姫が作った料理を食べるのは初めてではない。
張俊から彩姫が朝餉の支度をしたことを聞いても、特に驚きはしなかった。
戦場で何度も彩姫の料理を味わったことがあるのだ。
もっとも、ろくな食材がなかったので、しっかりとした料理を味わうという点では今朝が初めてである。
「それは……良かったです」
ほんのりと頬を染める彩姫が可愛らしいので、李翔はつい見惚れてしまった。
戦場ではいつもこうして黄彩と対峙していたのだが、それは黄彩を男だからと思っていたからだ。
まさか、実は女性で自分の花嫁になるとは露ほども考えたことがなかった。
李翔はコホンと咳払いをすると、一旦箸を置く。
「彩姫。今日は少し出かけないか?」
「ですが、言祝ぎにいらっしゃる方のお相手をしなければいけません」
「俺の所へ祝いに来る客なんかいないから大丈夫だ」
嘘ではなかった。
現に婚礼の時でさえ、言祝ぎに訪れたのは、劉信と彩姫の母方の祖父母だけであった。
「そんなことはないよ。ここにいる」
食堂にひょっこりと顔を出した者がいた。
庶民のような袍を着ているが、彩姫も李翔もよく知る人物である。
「おっさん! 何しているんだ!?」
「何って? 愛娘に言祝ぎをしにきたのだよ」
やあやあと暢気そうに手を振る人物は彩姫の父。皇帝劉芳磊その人であった。
「父上。供の一人も連れずに……大丈夫なのですか?」
時々、芳磊が誰にも内緒で市井に出ていることは知っていたが、彩姫は実際に現場を見ると不安になる。
皇帝である以上、暗殺の危険性が高いからだ。
先日、紫桜国との戦が終わり、平和が戻ったばかりである。
戦に勝利したとはいえ、どこに敵国の暗殺者が潜んでいるのか分からないのだ。
「大丈夫だよ。このとおり変装をしているからね。凛麗がコーディネートをしてくれたのだ」
なるほど。呉氏が見立てただけあって、民がよく着る麻の生地に色合いも地味だ。一見すると一介の庶民に見えないこともない。あくまで服装だけの話だが……。
「こ、こぉで……何だって? 何だ? それは……」
李翔は初めて聞く言葉に混乱しているようだ。
「西大陸の言葉で服装を整えることらしいです」
一昨日、彩姫も呉氏から聞いて、初めて知った言葉だった。
「ほお。西大陸では難しい言葉を使うんだな。じゃなくてだな! 彩姫の言うとおりだ。皇帝が供の一人も連れずにひょこひょこと皇宮を抜け出すんじゃねえよ。おっさんを狙っているやつはごまんといるんだぞ!」
「暗殺者が五万もいるわけがないであろう? そんなにいたら、今頃余は死んでいるぞ」
あははと可笑しそうに笑う芳磊を見て、李翔の額に青筋が浮かぶ。
「そういう意味じゃねえよ! おい! 張俊。麻縄を持ってこい!」
「いけません、李翔様。主上を絞め殺したら、一族郎党極刑を免れません。娶ったばかりの奥方様を殺す気ですか? それに片棒を担いだ咎で俺も死罪です。俺はまだ死にたくありません」
皇宮でこんなやり取りをしていたら、それだけで重罪となる。彩姫は苦笑した。
「張俊の言うとおりだ。李翔。其方のような野獣に愛娘を託したのだ。幸せにしてもらわないと困る。大体! 余は可愛い彩姫を嫁にやりたくなかったのだ。だが、他の公主たちは其方のところに嫁ぐのを泣いて嫌がったからな。嫌がらなかったのは彩姫と白蘭くらいだ」
「じゃあ、戦の褒賞で公主を俺のところに降嫁させなきゃいいだろうが! 政略の駒にさせられる公主たちが気の毒だ」
李翔の言い分は正論だが、公主たちはそういうものだと割り切っている。
いずれ政略のために使われることは百も承知だ。
それが皇族に生まれた宿命なので仕方がない。
それでも、李翔の下に降嫁するのは嫌だと、他の公主たちは泣いて嫌がったのだから、相当なものだろう。
彩姫ともう一人の公主以外は自分のところに嫁ぐのを嫌がっていたと聞いて、少しショックを受けた李翔であった。
「彩姫。不自由はないか? 嫌になったら、いつでも父の下に帰ってきてもいいのだぞ」
「人の話を聞け!」
いつの間にか彩姫の隣に座り、李翔を無視してにこやかに話しかけている芳磊だ。
「やはり絞め殺すか」と呟き、殺気を芳磊に向ける李翔である。
 




