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少し長めです。
型通りの婚礼が終わると、夫婦は房室へこもり床入りとなる。
婚礼の間、赤いベールに包まれたままの花嫁の顔を見ることがなかった李翔は、柄にもなく緊張をしていた。
彩姫公主が噂通りの美人であればいいが、そうでなかった場合はどう扱おうかという余計な心配をしていたら、何故か緊張してしまったのである。
(まあ、あのおっさんの娘だから醜女ということはないだろうが……)
芳磊は整った顔立ちをしているし、呉氏は『絶世の美女』だという噂だ。その二人の娘なのだから、どう転んでも見られる顔であることは確かだ。
李翔はごくりと唾を飲み込むと、臥牀に座った彩姫公主が被ったベールに手をかける。
鬼が出るか蛇が出るか?
一気に己の妻となった花嫁のベールを上げる。
次の瞬間、「あっ!」と叫び声が出そうになった李翔はすんでのところで飲み込む。
ベールから現れた彩姫公主の顔は自分が知っている顔だったからだ。
「黄彩……か?」
化粧を施されてはいるが、その顔は己の副将であった黄彩と瓜二つだった。
彩姫公主は李翔の質問には答えず、口の端を上げてにっと微笑む。
妖艶な笑みに李翔はぞくりと背が粟立つ。
自分は狐狸精に騙されているのではないか、と思った。
次の言葉を発そうとした瞬間、房室の扉が開け放たれ、黒い影が白刃を閃かせる。
「暗殺者か!?」
大将軍である李翔の屋敷に暗殺者が忍び込むことは、しばしばあることだった。
李翔は忍ばせていた短刀を抜き対峙するが、暗殺者は李翔ではなく、彩姫公主へ襲いかかろうとする。
彩姫公主を背に庇うと、李翔は暗殺者と太刀を交わせた。
なかなかの手練れだが、李翔の敵ではない。
分が悪いと見たのか、暗殺者は窓から院子へ逃げた。
だが、風を切る音がしたかと思うと、次の瞬間、暗殺者は倒れる。
「ぐっ!」
背を矢で射られたのだ。
驚いて振り返った李翔の後ろには弓を構えた彩姫公主の姿があった。
さらに上空から甲高い声がすると、白い影が彩姫公主の肩に舞い降りる。
「白耀? では、やはり黄彩なのか!?」
優れた弓矢の腕前、白い鷹。
李翔は確信した。
彩姫公主と黄彩は同一人物だと……。
暗殺者の身柄は駆けつけた劉信によって、刑部へ引き渡された。
背を射られているが、急所は外されている。
生け捕りにするために、彩姫公主は敢えて急所を外したのだ。
これから暗殺者は刑部に尋問されることになる。誰に雇われたのか、目的は何かが明らかになるはずだ。
「黄彩。なぜ女装を……いや。彩姫公主。なぜ男装をしてまで軍にいた……のですか?」
李翔は混乱しており、どう質問したものか考えあぐねている。
彩姫はくすくすと笑い出す。
「慣れない敬語を使わなくともいいのですよ、将軍。いつもどおりお話ください」
「そうか」
照れ隠しにポリポリと頭を掻く李翔だ。
「それで、黄彩。お前は男なのか? 女なのか?」
ぷっと彩姫は吹き出す。
「なぜ笑う?」
「最初に質問することがそれですか? 将軍らしいですね」
淑やかな公主の笑い方ではなく、軍にいた時のようにあけすけに笑う彩姫に李翔はなぜかほっとする。
「結局、どちらなんだ?」
「女です。公主なのですから」
彩姫は黒曜石のような大きな瞳から涙を零す。笑いすぎて涙が出たらしい。
「それはそうだな」
もしも男であれば、彩姫は皇帝の長子だから皇太子になっているはずだ。こんな所にはいない。
「しかし、なぜ性も名も偽って軍籍にいたのだ? 公主は後宮から出られないはずではないのか?」
李翔は手巾を彩姫に手渡す。ちなみに李翔の物ではない。彩姫の手巾だ。
「後宮から出られないということはありません。父上は寛容ですから」
皇帝の妃嬪や公主は後宮から出てこられないイメージがあるのだが、実は必ずしもそうではない。
皇帝の許可を得て、護衛をしっかりつけるなど誓約はいろいろあるが、皇宮から出ることは可能だ。
現に彩姫の母の呉氏は廃妃になる前は生家に宿下がりしていたし、朱徳妃もたまに生家に里帰りしている。
「まあ、あのおっさんは人のことは言えないよな。よく一人で市井をフラフラしていることがあるからな」
芳磊は皇太子の頃から度々市井に出ている。放浪癖があるのだ。
市井をふらついていたら、呉氏と出会えたのだから、芳磊にしてみれば運命の出会いだったわけである。
「おっさん……ですか?」
「ああ、いや。主上だな」
慌てて言い直す李翔がおかしくて、彩姫はまた笑い出す。
父親は李翔と同じくらいの年と言ってもとおる見かけだ。まさかのおっさん呼ばわりも彩姫にはおかしかった。
「お前、そんなに笑い上戸だったか?」
「軍にいた頃はなるべく抑えていましたから」
黄彩は普段から物静かだったが、実は笑い上戸を隠すためだったのかと李翔は妙に納得した。
「私の母が廃妃であることはご存じですね?」
笑うのをやめた彩姫が急に真顔になったので、李翔は思わず居住まいを正す。
「ああ。元は皇貴妃の呉氏がお前の母親だったな」
「はい。母が冷宮送りになった時、私は十四歳でした」
呉氏とともに冷宮で暮らしていた彩姫は成人するのを待った。
冷宮の予算は低く、決して楽な暮らしではなかったが、母と莉英と三人で慎ましく暮らしていたのだ。
たまに芳磊も訪れてきて平和な毎日だった。
だが、彩姫は成人したら、果たしたい目的があったのだ。それには公主という身分は邪魔だった。
「十六歳になった時に私は公主の地位を返上して市井に出たいと父上に奏上しました。しかし、父上は認めてくださらなかった。『公主という地位がお前を守ってくれるから』と……」
白蓮皇国の成人年齢は十六歳だ。
十六歳になれば、職に就くことができる。
仕方がなく、彩姫は身分を偽って男装し、軍へ入隊した。
黄彩という名は、母方の祖母の姓である黄家の家名と自分の名である彩姫から付けたものだ。
軍に身を置くのは、目的のために武を磨くことと情報を集めるために最適だった。
「そこまでして果たしたい目的とは何なのだ?」
それまで黙って彩姫の話を聞いていた李翔が口を挟む。
「母上の無実を証明することです」
「どのような罪を犯したのか、詳しいことを俺は知らんが、呉氏は冤罪ということか?」
一年の大半を戦場で駆け回っている李翔は世情に疎い。
呉氏のことも劉信に聞いて知ったくらいだ。
彩姫は頷くと、唇を引き結ぶ。
「母上は陥れられたのです。朱徳妃とその兄である朱石燕に……」
朱石燕は三公の首座である司徒だ。
朱徳妃の兄で朱家の現当主である。
「後宮の妃はともかく、何故朱石燕が呉氏を陥れる必要がある?」
後宮内のいざこざで妃同士が争うのはよくあることだ。
しかし、妃の争いになぜ外廷の重臣が絡んでくるのか、李翔には理解できない。
「呉家と朱家は政敵だ。外廷でも内廷でもそれは変わらない」
突然、二人の話に割り込んできた人物がいた。劉信だ。
「劉信!?」
「お前はそういったことに疎いからな。もう少し勉強するべきだ」
劉信は彩姫に跪礼をすると、勝手知ったる何とやらといった調子で椅子を持ってきて桌子につく。
「劉信? 丞相の高劉信殿ですか?」
彩姫は劉信と顔を合わせたことはない。だが、名は知っていた。芳磊からよく聞かされたのだ。若いが優秀な丞相のおかげで楽ができると。
「左様でございます。公主。いや。李翔の妻になられたのだから、蔡夫人とお呼びするべきか?」
「……彩姫で構いません」
「ああ、そうか。黄彩は俺の嫁になったのだから、蔡彩姫になるのか! でも、なんかゴロが悪くないか?」
李翔に『俺の嫁』と言われた彩姫は気恥ずかしくなり、赤くなった顔を隠すように俯いてしまった。
「お前な……」
唐変木な李翔に劉信は頭を抱えてしまった。
「何だ? どうかしたのか?」
李翔だけが首を傾げていた。
「ところで偶然、李翔との会話を立ち聞いたのですが、彩姫殿は母君を陥れた朱徳妃と朱石燕の罪をどう暴かれるおつもりですか?」
劉信の問いかけに彩姫はどう答えたものかと考えあぐねていた。
彩姫は軍に所属している間、石燕について密かに探っていたのだが、これといって有益な情報がなかったのである。
三公の首座を長年務めているだけあって、石燕はなかなかの曲者のようだ。
四年前、呉氏を陥れたことを詰め寄ったとしても、しらを切られるだけなのは目に見えている。
逡巡している彩姫を眺めていた劉信はふっと微笑む。
「この件については今宵はこれまでにしましょう。私はそろそろお暇をさせていただきます」
唐突に話を切り上げた劉信を訝し気に見ながら、李翔は眉を跳ね上げる。
「何だ。もう帰るのか? 話をしながら酒盛りを始めるとでも言いだすかと思ったのにな」
「生憎、私はせっかくの初夜を邪魔する気はない」
にやりと意地悪な笑みを浮かべる劉信に、李翔と彩姫は同時に顔を赤く染めた。
今夜は二人の婚礼であったのに、床入りを暗殺者に邪魔されてしまったのだ。
初夜をやり直せと劉信は言外に告げた。
そして、ひらひらと手を振ると、房室をそそくさと出ていってしまった。
急に気まずい雰囲気になる。
しばらくその場を沈黙が支配したが、やがておもむろに李翔が口を開く。
「夜も更けてきたことだし……そろそろ休むか?」
「は……はい」
彩姫は覚悟を決める。
嫁ぐ前に心の準備はしてきた。
母である呉氏にある程度の知識は教え込まれている。
誰かの妻になるということは、そういうことがつきものなのだ。
だが、次に李翔から発せられた言葉は意外なものだった。
「俺は隣の居室で寝るから、彩姫はここで休むといい」
「えっ?」
「いや。正直皇帝の公主、しかも愛娘を嫁に迎えるなんて重荷でしかなかったんだけどな。その公主が黄彩……彩姫でほっとしているんだ。だが、少し戸惑っている。黄彩が実は女でしかも公主だったなんてな。俺は戦場の黄彩しか知らない。だから彩姫としての其方をもっと知りたい。お互いに親交を深めることができたら、本当の夫婦になりたいと思っている」
劉信が今この場にいたら、「ヘタレ!」ということだろう。
しかし、縁あって夫婦となったのだから、李翔は彩姫を大切にしたいと思っていた。
「そう……ですか」
せっかく覚悟を決めた彩姫だったが、李翔の言うことにも一理あるので、素直に従うことにした。
「あっ! そういうことに及ばなかったと言っても、彩姫を邪険には扱わないぞ。草原の民は伴侶を大切にするんだ」
慌てて取り繕おうとする李翔に彩姫はくすりと微笑む。
「はい。それではおやすみなさいませ、旦那様」
花が綻ぶような笑みに李翔の心臓が跳ねる。
「あ、ああ。おやすみ。今日は疲れただろうから、ゆっくり休め」
そう言うと、扉に向かう。
扉が閉まる寸前。
「将軍が相手だから、父上の申し出をお受けしたのに」と彩姫が呟くのが、李翔の耳に入ったかは分からない。




