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彩姫公主が蔡李翔の下に降嫁する日――。
泰極殿にて重臣たちが並ぶ中、彩姫は皇帝である父親に挨拶をするべく、玉座へと向かって歩いていく。
重臣たちの中には祖父である呉浩潤の姿も見える。
一瞬だけ顔を合わせると、彩姫は浩潤へ目礼をした。すると、浩潤も目礼で返してくれる。
住み慣れた皇宮を離れて辛い時には訪ねてきなさいと先日彩姫の下へ浩潤から書簡が届いたのだ。彩姫は祖父の気遣いをありがたく思った。
幼い頃はこっそり後宮を抜け出して、よく祖父の仕事場へ遊びに行ったものだ。
仕事の邪魔をされて怒るどころか浩潤は孫娘の来訪を喜んでくれた。
しかし、呉氏が罪を犯して廃妃になった時から、浩潤とは距離をおいている。
浩潤は三公の大尉だ。迷惑をかけるわけにはいかない。
白蓮皇国の法では、罪を犯したとしてもそれはあくまで本人の罪であり、身内までは及ばないとされている。
だが、呉氏は冤罪だ。
母親を冤罪に陥れた張本人は今皇帝の隣で微笑んでいる。
(朱徳妃。笑っていられるのも今のうちだけだ)
彩姫は心の中で毒づく。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
玉座の前で叩頭礼をして、よく通る玲瓏な声で皇帝に挨拶を述べる。
「ただいまより蔡家へ降嫁いたします。今日まで慈しみくださり、感謝いたします」
「彩姫。余のそばに来るがよい」
芳磊が手招きをするので彩姫は躊躇いがちに立ち上がると、玉座の父親の下へ歩み寄る。
朱徳妃が一瞬、彩姫を睨むが気づかないふりをする。
芳磊のそばまで来ると、彩姫は今度は跪礼をした。
顔を上げた彩姫の頭に手を乗せると、芳磊は微笑む。その微笑みには娘への慈しみが溢れていた。
「蔡李翔は良い若者だ。きっと其方を幸せにしてくれるであろう」
「……はい。父上」
芳磊は頷くと、彩姫の手をとって玉座から立ち上がる。
「彩姫公主に『芳蘭彩姫公主』の名を与える!」
「おお!」と重臣たちから驚愕の声が上がった。
皇帝の字である『芳磊』の一字『芳』を公主に与えたのである。
それは特別を意味することであった。
「ご出立!」
彩姫公主が降嫁していくのを、皇帝芳磊はいつまでも見続けていた。
蔡李翔の屋敷は早朝から慌ただしかった。
今日、彩姫公主が主の下に降嫁してくるからだ。
だが、公主を迎えるべき当の李翔は昨日劉信と明け方まで酒を酌み交わしていた。
そして深酒が祟ったのか、未だに起床する気配がない。
いつまでも起きない李翔に痺れをきらした家人が、主人を叩き起こしに居室へと飛び込んできた。
「李翔様! いつまで寝ていらっしゃるのですか! まもなく公主が参られるのです。早くお支度をなさってください!」
「張俊。大声を出すな。頭に響く」
痛む頭を押さえながら、李翔は渋々臥牀から身を起こす。
「自業自得です。大体、今日は自分の婚礼だというのに明け方まで酒を飲むなど信じられません」
昨日、屋敷に帰り劉信と酒盛りを始めたのだが、最初は乗り気ではなかった李翔も酒が入るにつれて饒舌となっていったのだ。
話は尽きることがなく、気がついたら夜が明けていたというわけである。
少し仮眠をとっていたところを張俊に叩き起こされた李翔は不機嫌だ。
「それで、公主が到着したのか?」
気怠そうな主人に張俊は口をへの字に曲げる。
「まだですが……花嫁を門前で出迎えるのが花婿の役目ですよ。そのいかにも寝起きですというような顔を冷水で洗ったら、手早く婚礼衣装に着替えてください」
張俊は李翔の婚礼衣装を衣桁に掛ける。
鳳凰が金糸で刺繍された赤い長袍を見て、李翔は顔を顰めた。
「そんな派手な服を着て婚礼を上げるのか?」
「白蓮皇国では赤は福を招き、禍を退けると言われておりますので……」
張俊は何を今さらというような顔をしている。
今年二十二歳のこの青年は、とある事情から李翔が直接雇い入れたのだ。
草原の民である李翔の屋敷に勤めようとする使用人はなかなかいない。募集をしても見つからないのだ。
よく働く青年だが、李翔に対して遠慮というものがなく、口が悪い。
だが、李翔は主従の礼儀をあまり気にしないので、特に注意をすることはなかった。
「諦めて婚礼の支度をするのだな」
桌子に突っ伏して居眠りをしていた劉信が、いつの間にか起きていてにやにやと笑っている。
李翔は自分は二日酔いで頭痛に悩まされているというのに、妙にすっきりとしていてにやけ顔の親友を張り飛ばしてやりたいと思った。
「何だ。劉信。まだいたのか?」
「当たり前だ。私はこれからお前の婚礼を見届けねばならぬ」
劉信は皇帝から李翔と彩姫公主の婚礼を見届けてくるよう、命を受けているのだ。
「そういえば劉信様にお屋敷の方からこれを渡すよう仰せつかっておりました」
張俊は包みを劉信に渡す。
「何だ? その包みは?」
「私の礼服だ」
昨夜、劉信は李翔の屋敷で泊まり込むつもりだったので、屋敷へ使いを出していたのだ。
李翔は親友の用意周到さに半ば呆れてため息を吐くと、のそのそと婚礼の支度を始めたのだった。