7-2
李翔だ。
「そこを退け! 薄汚い草原の民が!」
「三流の悪党みたいなマネをするなよ、朱石燕。痛い目を見るぜ」
「何を言うか! 皇帝の命は今私が握っているのだぞ」
ふっと朱石燕は小バカにした笑いを浮かべる。
「そうなのか? おっさん」
「李翔。お前には忠誠心の欠片もないのかな?」
拘束されながらも、芳磊はため息を吐く。
「誰も余を助けてくれないのであれば、自分でやるしかないのだよ!」
石燕の体が宙に浮く。
「うわっ!」
ダン! と床に叩きつけられた石燕は気を失う。
「石燕を捕縛せよ!」
駆けつけた衛兵が石燕を引きずっていく。
「あ~あ。まだ証拠はいくつかあったのにな。バカ殿に美味しいところを持っていかれた」
ぼそりと呟いたのは劉信だった。張り切って証拠をいくつも集めたのに、芳磊が上手く石燕を逆上させて自白させてしまったのだ。
「ああ。兄上」
朱徳妃は兄を捕縛されてその場にくずおれてしまった。
「……朱徳妃」
彩姫はくずおれた朱徳妃の下に行き、手を差し伸べたが払い退けられてしまった。
「触るでない! 憎い女の娘! わたくしの方があの女より先に後宮に入内したというのに、あの女が主上を独り占めして! 悔しい! お前も生まれる前に始末してやれば良かった! お前の弟のようにね!」
パン! と高い音が響き渡る。彩姫が朱徳妃の頬を叩いたのだ。
「貴女が母上に堕胎薬を無理やり飲ませた後、母上がどれだけ苦しんだと思っている。弟は真実父上の子であったというのに……」
「はっ! あの女が不義密通を犯した子など生ませるわけにはいかぬであろう」
かっと彩姫の頭に血が上る。髪の簪を抜き、朱徳妃を殺そうと思ったが――。
「呉氏は不義密通など犯していないわ。母上がでっち上げたことよ」
「玲寧! 何を言うのです!」
玲寧の声で彩姫は正気を取り戻す。
「わたくし聞いてしまったの。偽の恋文を呉氏のところに隠してこいと侍女に命じているのを。その侍女は翌日、後宮の池で溺死体で発見されたけれどね」
「何ですって?」
侍女は消すことができたが、まさか自分の娘がその話を聞いており、この場で暴露すると思っていなかった朱徳妃は顔を青くする。
「ごめんなさい! 父上! 彩姫姉上! わたくしがその時に証言をしていれば、呉氏は冤罪を被せられることはなかったわ」
玲寧は泣き崩れてしまう。彩姫は玲寧に駆け寄り、抱きしめる。
「いいのよ、玲寧。あの時、貴女はまだ子供だったのだから。それに怖かったのでしょう? 侍女のように自分も殺されてしまうのではないかと」
「姉上! ごめんなさい! ごめんなさい!」
子供のように泣く玲寧を彩姫はただ優しく抱きしめる。
「父上! 玲寧にどうか寛大なお心をお示しください。石燕の悪事が暴けたのは玲寧のおかげでもあるのですから!」
「姉上? 気づかれたのですか? あの果たし状だけで?」
「当たり前よ。私たちは姉妹ではないの」
玲寧は巧みな書写で書き写した石燕の書状を仔空に渡し、本物の書状を劉信に託したのだ。
見事に紫桜国の王弟は騙された。何せ狂いのない書写だったのだから。
「彩姫、分かっているのだよ。玲寧、よく勇気を出してくれたね。そして、其方から母を奪ってしまうことを許してくれ。その分、父が大切にするから」
「父上……」
「朱徳妃を捕えよ」
芳磊が衛兵に捕縛を命じた直後、朱徳妃は髪から簪を引き抜く。そして、彩姫に襲いかかる。
「死んでおしまい! 憎い女の娘!」
彩姫は玲寧を背に庇う。
「姉上!」
だが、朱徳妃の手を掴む者がいた。
「李翔様!」
朱徳妃が簪を振り下ろす前に李翔が手を掴んだのだ。
「兄妹揃って、三流の悪党みたいなことをするんじゃない」
きっと朱徳妃は李翔を睨みつける。
「この……草原の民ごときが……」
「生憎、俺は十四歳からこの国の人間になったんだ」
李翔は簪を朱徳妃から取り上げると、衛兵に引き渡す。
「彩姫、孔雀姫。無事か?」
「孔雀姫ってわたくしのこと?」
むっとした顔をする玲寧を彩姫はまあまあと宥める。
「李翔様。助けていただきありがとうございます」
「まあ。妻を助けるのは夫の役目だからな」
照れくさそうに李翔は頬をポリポリと掻く。
「二人とも立てるか?」
「はい」
「貴方なんかに心配されなくても、わたくし立てるわ」
憎まれ口を叩いているが、彩姫には玲寧が李翔にお礼を言っているように聞こえた。
「玲寧、おいで」
「父上!」
広げられた芳磊の腕の中に玲寧は飛び込んでいく。
「玲寧の証言のおかげで呉氏の冤罪を晴らすことができた」
ここで芳磊は一旦言葉を切ると、次にとんでもないことを言い出した。
「呉氏を皇后に迎え、後宮は解体する! 以降は側室を持たぬ。現在、後宮にいる側室たちは実家に帰すが、子供たちは余が引き取る。これは勅命である! 以上だ」
朝廷がざわつき始める。
「バカ殿が……。勝手に伝家の宝刀を出しやがって」
劉信が毒づく。
伝家の宝刀とは勅命のことである。
皇帝の勅命は覆すことができない。
「ハハハ……。おっさんらしい」
芳磊は決して口に出さなかったが、彩姫とは違う方法で石燕を断罪して呉氏の冤罪を晴らすつもりでいたのだ。
「父上に出し抜かれた気分です」
「腐っても皇帝だからな。さあ、家に帰ろう、彩姫」
「はい。李翔様」




