7-1
朱徳妃は玉座になぜ彩姫がいるのか、理解できなかった。
「主上。何故彩姫殿が玉座にいるのですか? すでに公主ではないというのに……」
「黙れ、朱徳妃。余が呼んだのだ。異論は許さぬ」
御簾の向こうにはすでに重臣たちが揃っているので、芳磊は声を抑えているが、それでも重圧感がある。
「良いではありませんの、母上。姉上が元公主であっても、父上が許されたのですから」
「……玲寧」
玉座には玲寧公主も呼ばれていた。
通常、公主が公の場に姿を現すことはない。降嫁をする時ですらベールを被るので、顔は見えないのだ。
だが、今日は彩姫も玲寧も顔を隠していない。
玉座には皇帝の椅子と皇后の椅子がある。
皇帝の椅子には当然芳磊が座り、その横に彩姫が立つ。
そして皇后の椅子には朱徳妃が座っている。本来、皇后以外は座れないのだが、後宮の最高位にいるのをいいことに、その座に腰かけていることがしばしば見られた。
朱徳妃の横には玲寧が立っている。
玲寧は今日も鮮やかな薄紅色の襦裙を纏っている。結い上げた髪には金歩揺と薔薇が飾られていた。李翔が見れば「孔雀姫」と言うことだろう。
(あれは玲寧の武装なのですけれどね)
心の中で彩姫は呟く。
やがて御簾が上がったので、彩姫は背筋を伸ばす。
重臣たちが一斉に叩頭する。その中には李翔の姿もあった。
「皇帝陛下。万歳。万歳。万々歳」
「皆の者。頭を上げよ」
皇帝の合図で重臣たちが一斉に頭を上げる。
「呉皇貴妃! なぜここに!?」
声を上げたのは朱石燕だった。
「石燕殿。控えられよ。あの方は彩姫公主であらせられる」
窘めたのは丞相である劉信だ。
「……申し訳ございませぬ」
石燕が見間違えたのも無理はない。
彩姫は正装すると呉氏にそっくりなのだ。
「しかし、彩姫公主は蔡李翔殿に降嫁されたのではないか? 臣下に降嫁された公主が何故玉座に?」
なおも言い募る石燕を制したのは芳磊だった。
「余が呼び寄せたのだ。異論は許さぬ。石燕」
皇帝の威圧に石燕は言葉に詰まり、跪礼をする。
「本日は朝議の前に朝廷の掃除をせねばならぬ、劉信!」
「はっ!」
皇帝から「掃除」と言われ、本当に掃除をするのかと多くの重臣たちが首を傾げている。
李翔だけは下を向いて、ひっそりと笑っていた。肩が震えているが、末席にいる大将軍を気に留める者はいない。
尤も彩姫だけはその様を玉座から眺めていたのだが……。
劉信が恭しく盆に乗った一枚の書状を玉座へ差し出す。
立ち上がった芳磊は書状を手にして読み始める。
曰く。
白蓮皇国の機密情報を紫桜国に渡す褒賞として、紫桜国の丞相にせよ。
さすれば紫桜国の国王を廃し、王位に就ける手助けをしよう。
まずは約束として我が国の公主玲寧を嫁す。
と言った内容を芳磊はすらすらと読み上げていった。
そして、書状を重臣たちの前に掲げる。
「これは朱石燕の文字だと思われるが、皆はどう見るか?」
「確かに石燕殿の文字です」
最初に声を上げたのは彩姫の祖父である呉浩潤だ。
「でっち上げだ! 主上、今一度ご考察を!」
石燕は芳磊に拱手をする。
玉座では玲寧が口をへの字に曲げていた。
「わたくし、紫桜国へ売り渡されるところだったのね。母上はご存じだったの?」
「売り渡すなど……其方の幸せを考えてのことでしょう」
「敵国に嫁ぐことが?」
冷ややかに返されて朱徳妃は黙する。
「玲寧。事実だとしても、きっと父上がお許しにならなかったでしょう」
おそらく、石燕が強硬手段に出ようとしても、芳磊は全力で止めただろう。
「……そうね。姉上」
玉座の下では石燕が必死に弁明を続ける。
「まだ、白を切るのか。石燕。其方の取引相手とやらは紫桜国の王弟か?」
ビクリと石燕の肩が震える。
「図星か。残念だったな。紫桜国の国王は弟の企みに気づいて断罪したそうだぞ」
くくくと芳磊は含み笑いをする。
人の神経を逆なでするのが上手いのだ。
「今朝、早馬でこれが紫桜国から届いたぞ。其方宛だ」
劉信から受け取った包みを芳磊は石燕に投げつける。
中から飛び出したのは、王弟に宛てた石燕の書状だった。
それを見た石燕はブルブルと震えだす。
「あの……ブタめ。書状は処分しろと言ったのに……」
「向こうのブタ……王弟は其方ほど用心深くないようだな。それとも余程信用されていなかったのではないか?」
「最早、これまで!」
石燕は素早く芳磊を拘束すると、懐に隠し持っていた短刀を芳磊の首筋に当てる。
「皇帝を失いたくなくば、道を開けよ!」
重臣たちが道を開ける中、一人だけ石燕の前に立ち塞がっている者がいた。




