6-2
軍の休憩スポットと言っても、木で組み立てた簡素な山小屋だ。
だが、獣がうろつく危険な山中で野営をするよりも安全ではある。
病み上がりである愁の疲労が激しいので、今日はこの場所で夜を明かすことにした。
彩姫と李翔は火をおこすため、薪を拾いに来ている。
「父上だけで大丈夫でしょうか?」
休憩スポットに残った芳磊たちのことが気がかりで彩姫はぼそりと呟く。
「大丈夫だ。おっさんはああ見えて結構腕が立つからな」
彩姫は芳磊が剣を振るっているのを見たことがない。
かなり強いと母から聞いたことがあるが、どれほどの腕前かは知らないのだ。
「将軍は父上の腕前を知っているのですか?」
ぷっと李翔が吹き出すので、彩姫は訝し気な顔をする。
「何かおかしいですか?」
「すまない、彩姫。お前、この山に入ってから俺のことを将軍と呼んでいるだろう? 黄彩といるようで何だか懐かしくてな」
「あっ!」
長年沁みついた軍人としての癖はなかなか抜けない。
李翔と婚礼を上げてからは意識して名前を呼ぶよう心掛けていたが、男装をすると軍人であった頃の自分に戻ってしまうのだ。
「すみません。李翔様」
「いや、いい。そうだな。俺も男装の時は黄彩と呼ぼうか?」
「……ご随意に」
拗ねてしまった様が可愛くて、李翔は彩姫を抱き寄せる。
「……李翔様」
さあと風が吹き、枯れ葉がカサカサと音を立てる。
ごく自然に互いの唇は重なっていた。
その瞬間だけ時が止まる。
だが、ピィと白耀の甲高い声が響くと、再び時が動き出す。
「何だ?」
「どうした! 白耀」
後ろでパキリと枝を踏む音がする。
李翔と彩姫は同時に抜刀する。
「随分と見せつけてくれるじゃないですか? 李翔将軍」
見知った顔が現れ李翔はほっと息を吐く。
「楊か?」
頬に傷のある強面の男は李翔を見てにやりと笑う。
「楊さん!」
「よう! 黄彩。って! あんたら今口づけしてたよな? もしかして将軍。女にモテないからって衆道に走ったのか!?」
「アホ! 黄彩は女で今は俺の妻なんだ!」
かいつまんで李翔は黄彩と結婚した経緯を話す。
楊は元李翔の軍に所属していた男で、退役してこの山で山賊稼業をやっている。
といっても、旅の行商人は狙わず、金持ちや貴族ばかりを狙っていた。
「はあ。何か事情があると思っていたが、そういうことか。しかし、マジで女だったとはね。お前、軽々と将軍の矛を担いでいただろう」
楊は李翔の軍に配属された直後、黄彩を女だと思い、夜這いをかけて吹っ飛ばされたことがあるのだ。
「私は力持ちなのです、楊さん」
むんと力こぶを作る彩姫を見て、楊は苦笑する。
「まあ、とりあえずおめでとうございます。どうです? 今から俺の根城に来ませんか? 酒でも酌み交わそうじゃありませんか?」
「そうしたいのは山々だが、山小屋に連れを待たせているんだ」
「へえ。警護の任務ですか? 山小屋? うおお! やべえ!」
楊が頭を抱えて叫びだすので、李翔と彩姫は眉を顰める。
「どうした?」
「俺の手下がそちらへ行ってます!」
山小屋に駆けつけると、すでに楊の手下は山小屋の片隅に縄でぐるぐる巻きにされていた。
「おや。お帰り。ちょっとお客様のお相手をしていたのだよ」
芳磊が手をパンパンと払っている。誰が楊の手下をぐるぐる巻きにしたのか明らかだった。
「父上がおもてなしをしたのですか?」
「まあね」
芳磊の腕前が確かというのは本当のようだ。彩姫は四人が無事だったことにほっとした。
「黄彩の父親? 待て。黄彩は彩姫公主なんだろう? ということは主上!? 皇帝かよぉぉぉぉぉ!」
楊はこんなところに皇帝がいるという事実に混乱したようだ。
「おお。楊がご乱心だ。気持ちは分かるがな」
「分かるのですか?」
「俺もおっさんと初めて会った時に楊と同じ反応をしたからな」
バツが悪そうな李翔に芳磊がケラケラと笑っている。
「そういえば、初めて李翔を拾った時、お前は青藍と同じ年くらいだったかな? あれは余が国境に視察に行った時のことだな」
「おっさん黙れ!」
馴れ初めを話そうとする芳磊を李翔が止める。
「何故だ? 少なくとも彩姫は知る権利があるぞ」
「彩姫には俺から話すからいいんだよ」
ぷいと李翔はそっぽを向いてしまった。
李翔がこの国に来たことと関係があるのだろう。
「あ~あ。冷たい夫だね。彩姫」
「いいえ、父上。李翔様がいずれ話してくださるまで、私は待ちます」
李翔から語られるまで彩姫はいつまででも待つつもりだ。たとえ何年経とうとも……。
その夜、詫びを兼ねて楊たちが自分たちの食料を山小屋まで持ってきてくれたのだ。
その中には酒もあったので、酒好きの李翔と芳磊は大喜びした。
今は彩姫が仕留めた鹿を捌いて、外でちょっとした宴会が繰り広げられている。
彩姫は焼いた鹿肉を楊のところへ持っていく。
「どうぞ、楊さん」
「黄彩、すまねえ。いや、彩姫公主」
「やめてください。私はもう公主ではありません」
慌てて言い直す楊をやんわりと彩姫は窘める。
「じゃあ、蔡夫人か?」
「それもちょっと……照れます」
楊は鹿肉にかぶりつくと、ふっと笑う。
「世の中、どう転ぶか分からねえな。将軍と黄彩が夫婦になるとはな」
楊は大露の商家の息子だった。稼業を継ぐからと軍を退役したのだが、次に会った時、この山で山賊をしていたのだ。
事情を聞くと、大露にある商家は潰れてしまい、家族と使用人を連れてこの山で山賊を始めたという。
李翔は人を殺さないことと山の管理をすることを条件に山賊稼業を黙認した。
だが、彼らは時々、旅の行商人の警護などもやっているらしい。
彩姫はふと出かける間際の張俊の言葉を思い出して、楊に提案してみることにした。
「楊さんさえよければ、李翔様の屋敷に来ませんか? うちは人手不足なので、家事や屋敷の警備を請け負ってくれると助かります」
李翔が草原の民であることを理由に使用人を募集しても、なかなか見つからないと聞いた。
李翔のことを理解している楊が来てくれればと思ったのだ。
「それは……ありがたいが。皆にも相談しねえと。少し考えさせてくれ」
「はい」
色よい返事を期待していると、李翔がこちらにやってきた。
「彩姫。ちょっといいか?」
「……はい」
「将軍。こんなところで交わりは控えろよ」
楊が野次を飛ばしてくるので、李翔は楊の頭に拳骨を落とした。
「ぶっ飛ばすぞ、この野郎!」
意味を理解した彩姫は顔が赤くなった。




