5-3
大露へと出発する日がやってきた。
その日は愁昭儀を連れた芳磊が李翔の屋敷へ早朝から突入してきたのだ。
「父上。何ですか? その格好は?」
芳磊は頭から足の先まである外套を着ていて怪しさ満点だ。
「旅の行商人に見えるであろう?」
「見えねえよ! 待て! おっさんも行く気か?」
嫌な予感がして李翔が尋ねると、芳磊は満面の笑みを浮かべる。
「三人連れて行くのだ。馬が三頭必要だろう?」
彩姫は愁、李翔は青藍と白蘭を馬に同乗させて行くつもりでいたのだ。
確かに二頭で行くよりは馬の負担が少なくてすむ。
「だからと言っておっさんが行くことはないだろう。大体、政務はどうするんだ?」
「劉信に任せてきたから大丈夫だ。名目上、余は視察に行ったことにしてあるしな」
手回しのいいことだ。
「劉信が苦労するところが目に浮かぶようだ」
少し劉信を気の毒に思う李翔であった。
「彩ちゃん、久しぶり! 青藍と白蘭を預かってくれてありがとう」
芳磊の後ろから飛び出してきた小柄な女性が彩姫に飛びつく。
「愁様。毒を盛られたと聞きましたが、もうお加減はいいのですか?」
「大丈夫よ」
どうやら彼女が愁昭儀のようだ。小柄で少し癖のある黒髪をサイドで結んでいる。
大きな黒い瞳をした可愛らしい女性は少女のような容貌で、小動物を思わせた。
「彩ちゃん?」
「愁は気に入った人間をちゃん付けで呼ぶのだよ」
愁は李翔に目を留めると微笑む。
「そちらが彩ちゃんの旦那様ね。青藍と白蘭がお世話になりました。そして、今回は護衛を引き受けてくださって感謝します」
頭を下げる愁を見て李翔は、普通に話すこともできるのかと失礼なことを思う。
「蔡李翔と申します。不自由をかける旅になるかと思いますが、よろしくお願いします」
「李翔? では翔ちゃんと呼ばせていただきますね」
「はあ」
どうやら、愁は李翔のことも気に入ったらしい。早速ちゃん付けだ。
「おっさんの周りの人間は変わったヤツが多いよな」
「その中にはお前も含まれているのかな?」
否定したいところだが、李翔は自分が『変わり者将軍』と呼ばれていることを知っているので、芳磊の問いには答えなかった。
「彩ちゃん、その格好素敵ね。とても凛々しいわ」
彩姫は男装をしている。長旅でしかも馬に乗るのに女性の格好では動きが取りづらいからだ。
「ありがとうございます。愁様もこちらに着替えをしてください。少々、肌触りが悪いのですが」
馬に乗りやすいように男性用の襦褲と袍を渡す。
「分かったわ。一度男装をしてみたかったのよ」
愁は嬉しそうに服を受け取ると、奥の居室へ着替えに行った。
「父上!」
張俊に連れられて青藍と白蘭が芳磊に駆け寄ってくる。
「青藍。白蘭」
「父上、ごめんなさい。私だけでも父上の下に残ろうと思ったのですが、白蘭を一人にはできません」
「いいのだ、青藍。愁と白蘭を頼むぞ」
「はい。父上」
涙ぐんでいる青藍と白蘭を芳磊は抱きしめる。
「おっさんは彩姫以外の子供には関心がないかと思っていたんだが、違うんだな」
柄にもなくもらい泣きしそうになっている李翔だ。
「父上は子煩悩ですよ」
一番気に入っているのは彩姫だと言っている芳磊だが、他の子供たちも平等に可愛がっていることを彩姫は知っている。
昨日のうちに旅支度は整えてある。
「張俊、一週間ほど留守にするが、家のことはよろしく頼む」
李翔は迅雷に青藍を乗せて自らも騎乗すると、張俊に声をかける。
「分かりましたが、いい加減、使用人を増やしてください。そもそも奥方様に雑事をやらせるのは間違っていますよ」
張俊は憎まれ口を叩くが、心配しているのだ。
「……分かった。帰ったら募集をする」
愁は芳磊の馬に、白蘭は彩姫の馬に騎乗する。
「白耀。先導をお願いね」
彩姫の手甲に乗っている白耀は心得たというように上空に舞い上がる。
「李翔の軍に鷹を操る将がいるという報告を受けていたが、よく仕込んだものだ」
芳磊は自在に白耀を操る彩姫を見て感心している。
「白耀は優秀な伝令だぞ。偵察もこなす賢い鷹だ。戦で何度も助けられたものだ」
「そうか。それならば彩姫に贈った甲斐があるというものだ」
満足そうに芳磊は頷く。
「白耀はおっさんの贈り物なのか?」
「彩姫が十歳の誕生に鷹が欲しいと言うから、私が自ら鷹の巣に雛を取りに行ったのだよ」
芳磊は切り立った断崖で鷹の巣を見つけたのだ。親が留守の間にこっそり巣を覗くと、一羽だけ白い羽毛に包まれた雛がいた。物珍しさでその雛を選んだ。それが白耀だった。
「……親バカだな」
「娘の願いは叶えてやりたいではないか」
彩姫は芳磊の一番初めの子供だ。可愛いのは分かる。
だからと言って、自ら鷹の巣に雛を取りに行く親はいないだろう。
「いいなあ。私も鷹が欲しい」
自由に大空を飛ぶ白耀を見て、青藍が呟く。
「緋和国にも鷹はいるわ、青藍」
「本当ですか? 義母上。よし! 緋和国に渡ったら鷹の巣を見つけに行くぞ」
早速、青藍は目標ができたようだ。
「……青藍。鷹の巣を探す時はその道の達人を連れて行けよ」
母は違っても、青藍は彩姫と血が繋がっていると李翔は納得した。
「李翔。山岳ルートで行くのか?」
「ああ。正規ルートは街道だ。奇襲を受けると身を隠しづらい」
極秘裏に行動していたとはいえ、間者はどこに潜んでいるか分からない。
朱石燕や朱徳妃の耳に入っていれば、彼は必ず襲ってくる。
ないにこしたことはないが、どこで奇襲を受けるか分かったものではないのだ。
山岳ルートはところどころ難所はあるが、馬で通れないことはない。
それに山岳ルートは李翔の軍の演習地で庭のようなものなのだ。
平坦な正規ルートよりも険しい山岳ルートを選んだ理由の一つはそこだった。
「彩姫とお前に任せるよ。よろしく頼む」
次第に馬足を速め、一行は山岳ルートに向かって走った。




