5-1
ある日、劉信が難しい顔をして李翔の屋敷を訪ねてきた。
「どうしたんだ? 劉信。腹でも壊したか」
苦虫でも噛み潰したような顔をした親友の顔を見て、李翔がそう問いかける。
「それは大変ですね。腹痛に効く生薬をお持ちしましょうか?」
「ああ、いや。彩姫殿。それには及びません」
生薬を取りに行こうとした彩姫を劉信は呼び止める。
「本当に大丈夫ですか? 物凄く苦いですけれど腹痛によく効くのですよ」
それを聞いてますます飲みたくないと思った劉信だ。
「腹痛ではありませんので、心配には及びません」
「じゃあ、どうしたんだよ? ひどい顔をしているぞ、お前」
「いや。今そこで女性にこれを渡されたのだ」
劉信が懐から取り出したのは一通の書状『果たし状』と書かれていた。
「アッハハハハハ。それは災難だったな」
「……全くだ」
多くの女性から恋文をもらったことがある劉信だが、果たし状をもらったのは初めてだった。
「それでへこんでいたのか? まあ上がれ! 酒でもどうだ?」
愉快そうな李翔に少し腹が立った劉信だが、素直に酒の誘いを受けた。
「今日は李翔様に教えていただいた月餅を作ったのです。よろしければ召し上がってください」
酒とつまみを運んできた彩姫が差し出したのは、丸くて平たい形の菓子だった。
「これは美味そうですね。いただきましょう」
「うん! 美味いな。腕を上げたな、彩姫。ん? これは栗か?」
一口かぶりついた李翔が褒めてくれるので、彩姫は頬を染めた。
「はい。今日市場でおまけしていただきました」
ほのぼのとした夫婦のやり取りを、劉信は月餅をモグモグと食べながら聞いている。
「すっかり奥方ぶりが板に付いてきましたね」
「そうでしょうか?」
さらに恥ずかしそうにもじもじとする彩姫の新妻ぶりが眩しい。
「人の妻をからかうなよ。お前も早く嫁をもらえ」
自分もつい最近までは独身だったのを棚に上げている李翔に劉信は苦笑する。
女性にもてる劉信だが、未だに独身なのだ。
丞相夫人の座を狙っている女性の間で組織された『劉信親衛隊』なるものがあるらしい。
抜け駆けをしないという鉄則があるので、それは劉信が独身である原因の一つだ。
「うるさい!」
「それはそうと、果たし状を渡してきたのはどんな女だ」
「頭巾を目深に被っていたので、顔は分からなかった」
桌子の上に置かれた果たし状を見ると、下に『卍』という記号が付いていた。
果たし状を見た彩姫は「あっ!」と声を上げる。
「どうした? 彩姫」
「この果たし状を書いた者が誰なのか分かりました」
劉信と李翔は同時に彩姫の方へ顔を向ける。
「誰ですか?」
「玲寧です」
「何!? あの孔雀姫か! 劉信、お前何をしでかしたんだ?」
李翔の中で玲寧は孔雀という認識になったようだ。
「玲寧公主ですか? まるで接点がないのですが……」
劉信は玲寧に会ったことがない。
もしかして、劉信の預かり知らぬところで玲寧の恨みを買うようなことをしたのだろうか?
それとも玲寧も『劉信親衛隊』に入っているのだろうか?
いろいろな憶測が三人の中で飛び交う。
「それにしても、よく分かりましたね」
「玲寧は秘密の書状を書く時にその記号を使うのです。尤も知っているのは私たち兄弟だけですが」
「秘密の書状ですか? では中身は果たし状ではないのですか?」
「可能性はありますね。中身を開いてみてはどうでしょうか?」
果たし状の可能性もあるということだ。
劉信は公的文書を扱うよりも緊張しながら、書状を開く。
しばらく目で文章を追っていた劉信の眉が寄ってくる。
「どうなんだ? 果たし合いの内容なのか?」
「……いや。これは大変なものだぞ」
読み終えた書状を桌子の上に置く。
李翔と彩姫も書状に目を通す。
「これは!?」
「本物なのか?」
「ええ。本物ですよ。この文字は間違いなく朱石燕のものです」
にやりと劉信が笑う。
「しかし、孔雀姫はどうやってこれを手に入れたんだ?」
「分からないが、玲寧公主がこれを私に託したということは、石燕の悪事を暴いてほしいということではないだろうか?」
「玲寧が自分の伯父を……。はっ! このことを石燕が知ったら、玲寧が危ないのではないですか!?」
彩姫は玲寧の身を案じる。
「石燕にとって玲寧公主は姪です。今すぐどうこうはしないでしょう」
「そうだといいのですが……」
劉信はふっと目元を緩める。
「これで朱石燕を追い込めますよ、彩姫殿。あの花押の人物が誰かも判明しました」
「本当ですか!? 何者なのですか?」
やっと朱石燕と朱徳妃の罪を暴くことができると思うと、彩姫の気持ちは高揚してきた。
「かなりの大物ですよ」
劉信から花押の人物の名を聞いた彩姫と李翔は、ごくりと唾を飲み込んだ。




