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芳磊に伴われている劉信は渋い顔をしている。おそらく、来るなと止めても聞かなかったのだろう。
「父上!」
「おっさんが直々に迎えに来たのか?」
憎まれ口を叩く李翔を無視して、芳磊は話を進める。
「しばらく青藍と白蘭をこの屋敷で預かってくれないだろうか?」
「ですが、父上。二人が後宮を抜け出したことが知られると……」
誰に知られるとは彩姫は出さなかったが、芳磊は察しているだろう。
「余が二人を連れてきたと言えば、体裁は整うであろう?」
それはそれで問題だが、二人で抜け出してきたことがバレるよりはマシかもしれない。
「……そうかもしれませんね」
「劉信。青藍と白蘭に菓子を持ってきたのだ。すまないが、別室で二人に食べさせてやってくれないか?」
劉信は芳磊に拱手する。
「畏まりまして。皇子、公主、まいりましょう。ここには美味しいお茶を淹れる者がいるのです。きっとお気に召されますよ」
美味しいお茶を淹れる者とは張俊のことだ。彼の淹れる茶は確かに美味い。
菓子を引き合いに出して、青藍と白蘭を連れ出したということは何か内密の話があるのだ。
「いやあ。張俊が淹れるお茶は本当に美味しいね」
湯呑みから漂う香りを楽しみながら、芳磊は一口お茶を飲む。
「父上。お茶を飲みにいらっしゃったわけではないでしょう?」
「ふふふ。彩姫は察しがいいね。だから余は子の中で其方が一番気に入っているのだ」
あらためて居住まいを正したところで芳磊が本題を切り出す。
「愁が毒を盛られた」
「えっ!? 愁様が。容態はどうなのですか? まさか……」
「いや。幸い命に別状はない」
「良かった」
彩姫はほっと息を吐く。
「ちょっと待て。いろいろと話が見えないんだが……。おっさん、最初から説明してくれないか?」
会話についていけない李翔は途中で話に割り込む。
「李翔は察しが悪いね。だから余は臣の中でお前が一番可愛いのだ」
「何でだよ!?」
「バカな子ほど可愛いというだろう?」
芳磊にとって一番の基準は、自分の子供は「お気に入り」で臣は「可愛い」らしい。
「まあいい。おバカな李翔にも分かるように、最初から話そう。愁昭儀は余の側室で青藍と白蘭の義母だ。
それは剣術指南を命じた時に話したね?」
「ああ。青藍……皇子の実母の妹だったか?」
青藍と白蘭の実母は麗と言い、四夫人の位の一つである淑妃だった。貴妃に次ぐ位なのだが、芳磊には皇后と貴妃がいないので呉氏の次に高位の妃だったのだ。
麗と愁は東大陸の果てにある緋和国の出身だ。
緋和国は東大陸の一国と称しているが、国土が大陸と繋がっていない。島国なのだ。
島国で小さな国ではあるが資源が豊富なため、東大陸の国々と国交を結んでいる。
そこに目を付けた紫桜国は緋和国を属国にしようと企む。
緋和国は好戦的な紫桜国から国土を守るために白蓮皇国と同盟を結んだのだが、同盟の証として、自国の王女を二人芳磊の下に嫁がせたのだ。
その王女二人が麗と愁だった。
後宮の主だった呉氏は遠く離れた地から嫁してきた麗と愁姉妹を気の毒に思い、自分の妹のように二人を可愛がった。二人もまた呉氏を姉のように慕っていたのだ。
そうして、先に芳磊の寵を受けたのは麗だった。
まもなく、子供を授かったのだが、生まれた時に周りの態度が冷ややかなものとなる。
生まれた子供は男と女の双子だったからだ。
白蓮皇国では双子は不吉な存在とされている。
男だけ残して女は殺すべきだという周りの意見を突っぱねて、麗淑妃は双子を育てることにしたのだ。
呉氏と愁の助けもあって、双子はすくすくと成長をした。
ところが双子が六歳の時に麗淑妃は亡くなってしまったのだ。
明らかに不審な死だった。
それまで元気だった麗淑妃は、ある朝突然冷たくなっていたのだ。
何らかの毒が使われたと彩姫は疑っている。そして、麗淑妃を殺した張本人は朱徳妃ではないかとも……。
「凛麗を冷宮に封じた時、愁が双子の世話を申し出てくれたんだ。姉の忘れ形見をそれは可愛がってくれてね」
不吉な双子と周りから蔑まれている青藍と白蘭の盾になって守ってくれているのだ。
「ところが今朝、愁は朝餉の席で突然苦しみだした。急いで宮廷医を呼んだのと、毒が入った粥を少量しか口にしていなかったのが幸いして、愁は助かったのだ」
芳磊の話を聞いているうちに彩姫はふつふつと怒りが湧いてくるのを必死で抑えた。
芳磊の口ぶりだと愁は朝餉を芳磊とともにしていたのだ。
皇帝がともにいるというのに、毒を盛った人間に怒りを覚えた。
「もしかすると、本当はおっさんが狙われたんじゃないのか?」
「それはないな。余は粥が嫌いなのだ」
芳磊が粥が嫌いだということを知っている人間が粥にだけ毒を入れたのであれば、狙いは愁昭儀だ。
「……許せない」
「彩姫?」
桌子の上に置いた拳をぶるぶると震わせている彩姫を気遣うように、李翔は己の手を彩姫の拳に重ねる。
「父上が……皇帝がともに摂る食事の中に毒を盛るなど正気の沙汰ではありません! 見境がなくなったのか、あの女狐が!」
「落ち着け、彩姫。おっさんは無事だったんだ」
「李翔様。そういう問題ではありません! 誤って父上が粥を口にする可能性だってあったのですよ!」
李翔は激昂する彩姫を見るのは初めてだった。
戦場で黄彩だった時もこんなに感情を出すことはなかったからだ。
ふっと芳磊が笑う。
「彩姫のそういうところは凛麗に似たのだね。優しい娘に育ってくれて余は嬉しいよ」
「父上……」
「それにしても……」
芳磊は彩姫の手に重ねられた李翔の手をにやにやと見ている。
「随分と仲睦まじいようで何よりだ」
芳磊にからかわれて李翔は慌てて手を引っこめた。
「二人は軍にいた頃から想い合っていたのかな?」
「父上! 知っていたのですか!? 私が軍に在籍していたことを……」
名を変え身分を偽って軍に在籍していたというのに、芳磊は彩姫が李翔の軍にいたことも知っていた。
「皇帝の情報網を甘く見てはいけない」
チチチと芳磊は人差し指を振る。
「その情報網とは自分自身じゃないよな?」
この皇帝ならやりかねないと李翔は疑いの眼差しを向ける。
「そこまで余は暇ではないよ。彩姫まで何かな? そのような目をして」
李翔は横目で隣の彩姫を見ると、ジト目をしている。
(それは疑いたくなるよな)
狐狸精ではないかと疑われている芳磊のことだ。実は妙な仙術が使えても不思議ではない。
「其方たちの活躍は聞いているよ。そこで本題なのだが……」
皇帝の顔になった芳磊を見て、緊張する李翔と彩姫だ。
「愁を緋和国に帰そうと思う。愁は青藍と白蘭も連れて行きたいと言っているので、これを承諾した」
「よろしい……のですか? 青藍は唯一の皇子なのですよ」
愁昭儀は麗淑妃が亡くなった後、故郷へ帰りたがっていたのを彩姫は知っている。
『姉を故郷の地で眠らせてあげたいのです』
そう言っていた。
「皇子はそのうち余の妃の誰かが生んでくれるだろう。それに皇位に就くのは、別に皇子でなくとも良いのだ。たとえば彩姫。其方が皇太子となっても構わないのだよ」
「ご冗談を……」
「いや。冗談ではない。余の子の中で其方は一番素質を持っている」
白蓮皇国は女性の皇位継承を認めている。前例があるからだ。
実際、芳磊は彩姫が成人した暁には皇太子位を与えるつもりでいたのだが、母親の呉氏が冷宮送りになったおかげでそれは叶わなかった。
「皇位には興味がありません。それに私は李翔様に嫁ぎましたので、蔡夫人として生きていきたいと思っています」
「そう言うと思ったよ。余は彩姫の生き方を応援する。娘の幸せを邪魔する気はない」
「それはどうかな?」と李翔は突っ込みそうになるのを堪えた。
芳磊の目は彩姫を後継にすることを諦めていないと語っている。
「だけど、愁昭儀を故郷に帰して大丈夫なのか? 同盟の証として嫁いできたんだろう?」
「緋和国の国王には書状を書くから大丈夫だよ。それに同盟の証として王女を寄越せと余は要求した覚えはない。まあ、おかげで麗と愁に会えたから、感謝しなければいけないがな」
懐かしそうに目を細める芳磊を彩姫は眺める。
「よく寵姫を手放す気になったな」
「愁は好きだが寵姫ではないよ。余は愁にまだ手をつけていないからね」
「「えっ!?」」と李翔と彩姫の声が重なる。
「でも父上。愁様のところに通っていたのでは?」
「朝まで楽しく話をしているだけだよ。愁は明るくてね。話題が尽きないから、一緒にいて楽しいのだ」
愁昭儀は快活な美人だ。
朝まで一緒にいて平気なのだろうか? と彩姫はまたもや芳磊をジト目で見る。
「本当だよ。それに余が女性として愛しているのは、凛麗と麗だけだ」
その中に朱徳妃が入っていないことに彩姫は安心した。
「愁が回復したらこちらに連れてくる。それまで青藍と白蘭をこちらで預かってほしいのだよ」
青藍と白蘭を預かるのは構わないが、何故愁が回復したらこの屋敷に連れてくるのだろうか?
李翔と彩姫は芳磊の考えることが読めずに頭に疑問符を浮かべる。
「愁と子供たちは極秘に緋和国へ帰すつもりだ。そこで三人を大露の港まで送ってほしいのだ。我が国最強の大将軍とその副将であれば、安心して三人の護衛を任せられる」
「何ぃぃぃぃぃ!!!!!」
世間話のように軽く護衛を命じる芳磊に李翔は素っ頓狂な声を出す。
「静かにしないか、李翔。全く声が大きくて困るね」
芳磊はしぃと口に手を当てる。
「いやいやいや。おかしいだろう。極秘に帰すにしてもそれなりに腕の立つ兵はいくらでもいるだろう? 何で俺たちに頼むんだ?」
「しかし、この国で一番強いのは誰だという問いに皆口を揃えて李翔だと言うぞ。変わり者の大将軍を御せる黄彩という少年も凄いともな」
芳磊が言う皆とは李翔が統率している軍の連中だろう。
「なるほど。少数精鋭ということですね」
「おっさんに丸め込まれるな! 彩姫!」
うんと頷いている彩姫を李翔は窘める。
「ですが、李翔様。父上の案は良いと思います。下手に徒党を組むよりは小人数で動いた方がいいです」
「さすがは我が娘だ。軍師の役目までしてくれるなど、李翔は優秀な副将を持っているね」
うんうんと満足そうに頷いている芳磊を殴りたい衝動に李翔は駆られる。
しかし、優秀な副将と言う言葉には共感できるので、ぐっと堪える。
「大露までは三日くらいの道程ですし、白耀に先導してもらえば、ある程度安全に進めると思います」
白耀は危険を察知すればすぐに知らせてくれる。
先の戦では、白耀のおかげで敵の待ち伏せを何度も回避できた。
「そうか。白耀か。意外と何とかなるかもしれないな」
李翔もまんまと芳磊に丸め込まれた。




