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"マジめんど"な奴が一番うっぜーとこは、自分が"マジめんど"だと意識できないとこだ!03
一連のやり取りを終え、店を出ようとした海唯をクラマーが呼び止め、「そこの小僧も連れてきな」と少年を指さした。
その少年は、先ほどの騒がしさとはまったく違い、膝を抱えて顔を埋めていた。
それを聞いた海唯は、明らかに面倒そうな顔を浮かべて「え~」と返した。
するとクラマーはニヤニヤとした不細工な顔で語り始めた。「一ついいことを教えてやるよ~今の小僧は何も聞こえない、魔法も使えない真っ暗な空間にいるんじゃぞ~」
しかし海唯はまったく気にする様子もなく、「…ふん、んじゃまたな~」と、すでに店のドアを開けていた。
「待たんかー!!」叫びながら、クラマーは肥満な手で槍を飛ばし、それがドアを貫通した。
「ワオ!お前、本っ当!!……」と口にしかけた海唯だったが、クラマーが遮った。
「よく考えておくれよ、ガキんちょ!」今度は意外と真面目な顔でそう言った。
その目線から何かを悟った海唯は、静かに尋ねた。「クラマーお前、こいつが誰か知ってるよな?」
クラマーはふっと笑い、「ふっ!汝の役に立つじゃよ」と答えた。
「たぬきババアー」目を細めて呟いた海唯は、少年に手を差し伸べた。
その手が少年に近づいた瞬間、ペンキが剥がれるように、透明で少し黒い光を放つ破片がボロボロと落ちていった。それらは地面に落ちる前に消えた。海唯には、少年がただ隅に一人で座っているようにしか見えなかった。当然、そのガラスのような破片が出てくる理由も知らなかった。
それは術者以外には存在すら気づけない高等魔法の結界だったが、海唯はあっさりとそれを解いた。その様子を見たクラマーは、さらに強い興味を示した。
「お前、何やって……」と言いかけ、海唯が少年の手を引っ張ってその顔を見た瞬間、言葉を飲み込んだ。
そこにあったのは、暗闇に閉じ込められ、光が今にも消えかけている少年の表情だった。
海唯には見覚えがある──爆弾を持たされた子供や、金持ちの集団に放り込まれた子供の顔。そのわずかな光が消えたとき、人は自我を失い、“個”としての存在を失うのだ。
『その様子じゃ、トラウマだな~。まぁー苦しみは比べられないとは分かるが、このくらいで消されかけるんじゃ、私何回死んだかよ~』内心で呟き、海唯は少年を結界から引き出した。
そして「もう、大丈夫だよ、光はもう消えさせない」と、少し呆れたような表情を見せつつも少年を抱きしめ、耳元で優しく囁いた。
「……あ…ぅ……」少年はまともに言葉も出せず、海唯にしがみついて、張りつめていた心の糸が切れたようにそのまま眠ってしまった。
『はい、忠犬ゲット~人間の心は実に脆いんだよな~』と海唯は内心で思い、ニヤリと笑った。闇の中で何かにしがみつき、それを神格化するのはよくあることだ。これは宗教の起源の一つだと、海唯はそう考えていた。
「結界解けたらどっか行きな、今日は閉店日なんじゃよ」カウンターの後ろで何かを作りながら、クラマーは虫を払うように手を振った。
「はいはい~」と返しつつ、海唯は少年を台車に乗せ、クラマーの店を出た。
「お!起きた?大丈夫だった?」ベッドの隣の椅子に座って、海唯が爽やかな笑顔で少年に声をかけた。
そのとき宿屋の女将、ティーナが「顔はまだ悪いわ、もう少し寝て頂戴」と言いながら、少年の額のタオルを取り、温水に浸した新しいものに交換した。さすが子持ちの女将だけあって、手際が良い。
「……あ、ありがとうございます……もう大丈夫です、お手数をかけてすみませんでした」少年はタオルを持って起き上がった。
「お!そう?じゃ、一緒に来て~」海唯は答え、顔色はまだ悪かったが、本人が大丈夫と言ったため、その手を引いた。
人を思う気持ちがないわけではないが、育った環境と痛みを感じない体質のせいで、海唯のやり方は常に強引になる──それもまた海唯自身の持論であった。
「は!?ちょっ……待……」状況が把握できていない少年は、そのまま引っ張られていった。
「ティーナさん~ありがとうね~」海唯は宿屋のオーナーであるティーナに手を振りながら、少年を連れて宿から飛び出した。
「ふふ、戯れる美少年二人、かわいい~」ティーナは微笑ましい表情で部屋を片付けていた。
「おい!……おい!どこ行くんだ?それに、貴様は平気だったのか?先ほど倒れかけてたぞ」少年は歩きながら海唯に問いかけた。
『あらら、状態戻ったのに手を払ってない~』そう思いつつ、海唯は「はは、それよりさーお前、名前は?ちょっと見せたい物があるんだけど~」と笑いながら隣を走る少年に尋ねた。
「クレイン……いや、人の話を聞けよ!」
「そっかそっか~クレイン、いいとこ連れてきてやるよ~」
「はあー!?おい!ちょっと待て、この森はっ……待て!わー!」
「わっ!なんだよ、急に止まって?」クレインに手を引かれて立ち止まった海唯は、森の入口で立ち尽くしていた。彼女は微妙な表情のクレインをじっと見つめる。
木の葉の影を映した彼女の瞳に、ほんの一瞬だけ金の光が掠めた。
「……貴様、どうやって……」戸惑いながらクレインは手を森のほうへ差し出すが、何も遮るものはない。彼は一歩を踏み出し、何事もなく森に入る。
「ん~何やってんの?」
「ほら~走れよ。俺に見せたいものがあるんだろ!」今度はクレインが海唯を促した。
クレインにとって、それは初めての感覚だった。海唯には不思議な抵抗感がなく、むしろ何年もそのように走り続けてきたかのように、風景がどんどん後方へと流れていく感覚に少しワクワクしていた。
市街を通り過ぎると、周囲の人々が遠ざかっていく。教会に許された者以外立ち入り禁止とされた森には結界が張られていた。これまで規則に縛られ、不自由を感じていたクレインだったが、その不快感がこの瞬間、すべて吹き飛んでいくように彼は走った。そして、森の中を駆け抜けた。
木陰にあぐらをかきながら、海唯はクラマーからもらった薬草で作った栄養剤を飲んでいる。
「じゃんじゃん~閉じ込めるトラウマには開放空間を!なんてね~……ん~味はまあまあだな……」
「この国に連れて来られたわりに、道には……知り尽くしたな!」息を切らして項垂れるクレインが、何事もなかったかのようにくつろいでいる海唯を見て、妙に闘争心を燃やした。
「ん?いやいや~下じゃなくて、前、前見ろよ~」
「んあ?」クレインが顔を上げると、そこは街を一望できる大きな岩の上だった。
鐘の塔を中心に放射状に広がる建物。そして、その秩序が徐々に乱れ、岩の向こうには遠くに大きく美しい王宮が見えていた。
太陽の光が豊かに街を照らし、空は薄雲に彩られた高く青い空。言葉にできないほどの美しい景色が広がっていた。
岩はそれほど高くないが、街の喧騒は届かない。ざわざわと木の梢が揺れ、葉が風に触れてガサガサと音を立て、まるで音楽のように響いていた。先日の大雨の名残の雫が光を反射して輝いている。
「少し気持ちが晴れた?」海唯がそう尋ねると、彼女はクレインの目から恐怖の色がこの瞬間だけ完全に消えたことを見逃さなかった。『ワンちゃんの警戒心を下げ、見事にゲットだぜ~』
だが、クレインは何も答えなかった。目の前の光景に心が震えていた。いつ以来だろう、こんなに楽しく走ったのは。誰かと一緒に笑ったのは。あの出来事以来、自分から誰かの手を取ることなどなかった。何より、自分を育てたこの国、この街が、こんなにも静かで美しいものだと今まで知らなかった。
「……うん、凄く綺麗だ……あと、俺は別に凹んでないから!でも……ありがとう……」クレインはその景色から目を離せなかった。光の下で立つ彼の顔は、無邪気な子供のように輝き、その目はその景色を瞳の奥に焼き付けるように見つめていた。
「ははは、そうかよ」木に寄りかかって座る海唯もその視線に目をやりながら、内心では『お偉いさんがいるところを先に鎮圧するのが一番手っ取り早いよな~。ってかこの国、逆光の位置の真正面が王宮って、頭大丈夫~?スナイパーライフルだけで戦争終わるパターンだぞ~』などと呑気に考えていた。
「チョロ~」思わず口元が緩み、小さくつぶやく。
「何か言った?」
「いや、別に」
それから二人は景色を眺めながら様々な話を交わした。この国のこと、なぜ黒髪の者が必要とされるのか、暗い場所が苦手な理由など──そうした会話の中で、海唯は、クレインが意外にもひねくれていない、真っ直ぐな性格に育った少年であることを知った。
その代わり、海唯も時折、旅先での出来事を話に織り交ぜていた。ただし、その話のどこまでが事実で、どこまでが作り話なのか、クレインには見当がつかなかったし、気づくこともできなかった。
「ひゃははは、面白いだろ?そんな国もあるさー。あ、そういえば、ここにも似たような話があるんじゃない?街でちょっと騒がれてた“聖女様”って、なんか知らない?」と尋ねた海唯は、そろそろクレインという名の“犬”が使えるかどうかを試そうとしていた。
「……先に聞かせてもらう。なぜ貴様は衛兵の制服を着ていた?それに、この森の結界をどうやって解いた?」とクレインは問いかけた。
「……お前、変なところで勘がいいな~」海唯は笑いながらゆっくりと立ち上がった。
「今日は“聖女様の召喚の儀”が行われる日だ。預言によれば、黒目黒髪の聖女が異界より降臨し、神に授けられた知恵と自然に溶け込む魔法でこの国を救うという」
「へい~そうなんだ~神に授けた知恵ってエグいね~」
「……だが、“二人が来た”。そして、その“もう一人”が聖女様を傷つけ、牢に閉じ込めた上で、衛兵を倒して王宮から逃走したという噂がある。潜在的な危険因子として追われているらしい」
「へい~そうなんだ~。聖女様でも結構簡単に傷付けられるんだね」
「前にも言ったように、この小国が他国の侵略を防げているのは、貴様のような黒髪の者を集めているからだ。多少強引な手段を取ることもあるが、黒髪の者には優遇された条件が提示されるとも聞いた」
「で、何が言いたいのかな~?」と、左手の具合を確かめていた海唯の右手がゆっくりとナイフの方へ伸びていた。
「貴様は森の多層結界を容易く解除できる力を持っている。この国のために、その力を貸してくれないか?もし協力してくれるなら、不自由のない生活を保障できる」
「は?」海唯は真面目な顔で語られたその提案に、一瞬耳を疑った。
「衛兵の制服を着ていたなら、一度は国からの条件を受け入れたということだろう?けれど街にいた時、衛兵ではないと言った。何か嫌なことでもあって、辞めたいと思ったのか?」
「え?い、いや?」
「無理に話せとは言わない。ただ、俺に力を貸してほしいんだ」
「はぁ?」
状況を理解できないことは、海唯にとっては珍しい経験だった。
クレインがあまりにも真剣な表情で語るので、海唯は内心『……マジで何言ってんの?話ずれてない?意味わかんないんだけど?文脈合ってないよ~クレインくん~“聖女様”の話してるんだけど!』とツッコミを入れていた。
「召喚の儀によってこの世界に転移された“もう一人”の捜索に協力してくれないか?」
『あ、話戻った』と感じた海唯は、流れに乗って聞いた。「召喚の儀って?“聖女様”と関係ある?」
「“もう一人”は儀式に巻き込まれただけで、聖女様を傷つけたのは何かの誤解だと思うんだ」
『いや、戻ってないな』と心の中で呟いた海唯は、呆れた顔で笑い、「ふむふむ、じゃあ見つかったらどうする?その“付き物”も魔力が強いんでしょ?捕まえて利用する気かい?」と皮肉っぽく尋ねた。
「違う。守りたいんだ!」
逆光の中に立つクレインの顔は、なぜか悲しげで寂しげに見えた。だが、太陽の光を浴びながら真っ直ぐに向き合ってきたその言葉は、奇麗事とは思えなかった。
「ふん~、話くらいなら聞いてやってもいいかな」そう言って海唯は、残りの栄養剤を一気に飲み干し、ニヤリと笑った。
「本当か!?」
「その代わり、“聖女様”や“召喚の儀”については全部吐いてもらうからな」
「おう!分かった!」感情の変化が激しいクレインは、今度は疑いも知らぬ明るい笑顔を見せた。
その笑顔を見て、海唯は内心で『うわー、こいつ!チョロいのか、鋭いのか、どっちなんだよ、ったく!』と苦笑した。
「じゃ、まず場所を変えようか」そう言って海唯は岩からクレインを突き落とし、自分も飛び降りた。