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"マジめんど"な奴が一番うっぜーとこは、自分が"マジめんど"だと意識できないとこだ!02
「クソガキじゃー!!」皺だらけで獰猛な顔をした年寄りが、突然怒鳴りながら槍を振り下ろしてきた。
それに対し、海唯は本能的に危険を察知し、片手で見事に白刃取りを決めた。「わーっ、何なんだよ、この糞ババアー!」
「誰が糞ババアじゃー!!」年寄りは怒りをあらわにし、唾が飛ぶほどの勢いで醜くて大きな顔を海唯の目前に近づけた。
「さっさと槍を離せよ!」そう言って海唯は片手で槍の向きを変え、頭突きで年寄りに反撃した。
「いったー!年寄りに何をしとるークソガキじゃー!」額を押さえて痛がる年寄りは、蔓の上でごろごろと転がった。
「どこが年寄りだよ!寝てた相手にいきなり斬りかかってくるな、糞ババアー!」海唯は槍を持ったまま年寄りを指さして怒鳴った。
「わしの領域エリアを破って勝手に入ってくんな!クソガキー!」年寄りは口汚く罵り、歯がないせいか唾を撒き散らしていた。
「領域とエリアは同じ意味だっつーの!薬を買いに来ただけだっての!」ムカついてきた海唯はもう一度年寄りに詰め寄った。
それを聞いた年寄りは、何やら企んでいるような不気味な笑顔でじろじろと海唯を見つめた。急に静まり返った空気が、さらに気味悪さを際立たせた。
「……おい、聞いてんのか?宿の人に聞いたけど、ここ薬売ってるんだろ?」海唯もまた年寄りの仕草を観察した。
「あの娘か?今日は休業じゃけど、まぁいい、下に降りなガキんちょ」そう言って年寄りはライラック色のローブをポンポンと払い、階段を下っていった。
『何なんだこのババア……』海唯はそう思いながら、植物でできた階段を下って後を追った。
物が散乱して雑然とした室内には、窓も照明もないのに、不思議と明るさが満ちていた。床から天井まで、植物が好き勝手に伸びており、棚には整然と並べられた青い液体の瓶が異質なまでに几帳面に置かれていた。
海唯の視線を奪ったのは、宙に浮かぶ大きな丸いガラス瓶だった。瓶の中には、萌黄色の霧がゆっくりと漂っていた。
「触るでない。また汝に消されてはたまらん」と、老婆が鋭く海唯に警告を発した。
「なあ、ババア。ここって本当に薬売ってるのか?ヤバイやつじゃないよな?ちゃんと怪我を治せるやつだろ?」海唯が口を尖らせて尋ねた。
「誰が糞ババアじゃーっ!」
……案の定、ふたりの会話は振り出しに戻った。
「いや、先の、糞はつけてないよな!?ほら、わかったって!悪かったよ!槍しまえよ!」と海唯は、また唐突に攻撃されかけたため、先に謝ることでその場を収めようとした。
「クラマー・クヴェットシエ様とお呼び!」と老婆がふんぞり返って名乗る。
「は?聞いてなかった。何だって?」海唯は室内を落ち着きなく見回した。
ほぼ全世界を旅してきた彼女にとっても、この部屋にある物は、知識や経験では説明がつかないものばかりだった。海唯は内心で戸惑っていた。『テンイジン?転移人?……異世界?まさか、そんなことは……』
そのとき、店の入り口付近から大きな声が響いた。
「クラマー・クヴェットシエ様、ここから出していただけないでしょうかー?」
さきほど見た少年の声だった。彼は店内の一角に立ち、まるで何も見えないかのように、パントマイムのような動きで周囲に向かって叫び続けていた。
海唯は少年を指差して言った。「なあ、クラマー。あいつ何してんだ?黙らせてくれない?」
クラマーは楽しげに目を細め、海唯をまじまじと見た。「ほう~その顔で、あれが見えるのかい?声まで聞こえるとは……」
「は?何言ってんの?あいつ無視した方がいい系?」と、海唯はさらに困惑した。
「それより、これを飲みな!」クラマーは透明感のある紫色の液体が入った小瓶を差し出した。先ほど王宮の医務室で見た瓶と同じ形だったが、中の液体の色が異なっていた。それゆえに、海唯には薬というより、色付きの液体にしか見えなかった。
「やだ」と、海唯は即答した。
「なんじゃと!?クソガキが!これは高級ポーションじゃぞ!?路地裏で野垂れ死にたくなければ、さっさと飲め!」とクラマーは怒り、瓶を海唯の頬に押しつけた拍子に、液体が少しこぼれた。
「いーやーだ」またも海唯はあっさり拒否した。
クラマーはあっさり諦め、瓶の中の液体をじろじろ観察していたが、やがて色が紫から青に変化したことを確認し、そのまま一気に飲み干した。
「何も起こらん!何も起こらんのじゃ!やっぱりな!逸材じゃよ!大発見じゃよ!」と満面の笑みで空の瓶を掲げ、クラマーは奥の部屋に飛び込んだ。そして、たんすや箱をひっくり返して何かを探す物音が響いてきた。
その様子を見た海唯は「はー……」と溜息をついた。跳ね回るクラマーの姿に、彼女の中で“この場を早く離れたい”という気持ちが強まっていった。
「汝!こっちへ入れ!」暖簾の向こうからクラマーが顔を出して呼んだ。
海唯はクラマーを無視して、店のドアに手をかけて出ようとした瞬間、クラマーは冷たく告げた。
「左腕は骨折。脇腹に刀傷。背中と肩に金属片が埋まっておる。失血や感染で死にたいのなら、どうぞそのまま出ていけ」
その言葉に海唯は立ち止まり、渋々中へ戻った。
「まず金属片を取るぞ。汝には痛み止めも効かぬから、暴れるでない」クラマーはピンク色の液体を彼女の背中にかけてみたが、やはり効果はなく、ピンセットで直接金属を引き抜いた。
「痛み止めなんかいらねぇから、さっさとやれ」服を脱がされ、パンツ一枚の姿になった海唯は、不機嫌な顔で治療を受けていた。
「文句の多いガキじゃ……はい、左腕出しな」そう言ってクラマーは、ドロドロとした黒褐色の薬を海唯の背中に塗り、丁寧に包帯を巻いた。
治療が終わり、海唯はいやいや起き上がった。その視線を感じたクラマーは、彼女の心臓に刻まれた烙印を見ても何も言わず、ただほんのわずかに視線を逸らした――それは優しさか、それとも単に目を背けたかっただけなのか。
「……だから、服よこせよ……」海唯がぼそりと呟いた。
「ふっ、貧乳だからって拗ねるじゃないよ、ませガキが」
「糞ババア!」
「誰が糞ババアじゃーっ!!」
……そして、再びすべては振り出しに戻った。
「よし、これで終わりじゃ」クラマーは少女の左腕を固定し、脇腹の傷にも背中に塗ってあったどろどろの薬を塗り直してから、包帯を巻いてやった。
海唯は、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべていたが、小さく「どうも」とだけ礼を述べた。
「これを着な。衛兵の服のままじゃ目立つじゃろ。その髪も隠しときな」クラマーはマント付きの服を手渡すと、奥の部屋から姿を現した。
海唯はその服に着替え、暖簾をくぐって店の方へと足を向ける。その途中、先ほど騒いでいた少年が静かになっているのを横目で確認した。
「で、何がほしいんだ?何をさせる気だ?」
そう問いかける海唯に、クラマーは手を振ってソファを指さした。
「あら、話が早いね~賢いガキは嫌いじゃないよ。さ、そこに座りな」クラマーの口調は相変わらず軽いが、その目には確かな興味が宿っていた。
クラマーが呪文を唱える。「彼岸の鎖よ!其の物を縛り付け!」
その言葉とともに、床やソファから鎖が現れ、海唯へと伸びる。だが、彼女に触れた瞬間、鎖はすべて光の粒となって弾けて消えてしまった。
「……何やってんの?」海唯は水を飲みながら、まるでバカを見るような目つきで問いかけた。
次にクラマーは別の呪文を唱えた。「水の精霊よ!かの者を捉え!」
空中に現れた水の槍が、高速で海唯に向かって飛んでくる。しかしそれも彼女に触れた途端、光の粒となって消え去った。
『なるほど、やっぱりか。たぶん魔法が効かない体質……もしくは、魔法そのものを消す能力……』
海唯はそう直感的に悟りながら、心の中で『SF映画のキャラみたいだなー。面白いからいいけど』と軽く思っていた。彼女はふかふかのソファに座ったまま、まるで観客のような表情でクラマーを見つめる。
クラマーはますます楽しげに呪文を唱え続ける。「炎の精霊よ!かの者を焼き尽くせ!」「風の精霊よ!」「土の賢者よ!」「氷の女王よ!」
次々と発動される魔法は、すべて触れた瞬間にかき消された。それでもクラマーの顔から笑みが消えることはなかった。
初めのうちは、いきなり襲いかかってきた魔法に少し身を強張らせた海唯だったが、それが自分にまったくの無害であると分かると、やがてその驚きは退屈に変わっていった。
『このババア、いつまでやってんだよ……』
海唯が内心でそう思っていた矢先、腹がぐうっと鳴り始めた。彼女は退屈そうな顔でクラマーに向かって言った。
「おい、もう終わったか?腹減ってんだけど。なんか点滴とか栄養剤とか、そういうのないの?」
魔法が科学の代わりに発展したこの世界は、おそらく自分のいた世界とはまったく異なる――海唯には、そう理解するしかなかった。
『魔法の世界で、魔法に拒絶されるとか、どんだけ皮肉なんだよ。あの船の上じゃペット扱い、ほかの奴には化け物扱い……じゃあ、ここでは何になるんだ?ああ、そうか、「お付き物」ってやつか。ハハ、ついに「生き物」すら外されたよ。笑えるな、マジで……』
自分を嘲笑うようにそう思いながらも、彼女が魔法の世界にいながら動揺せずにいられるのは、どちらの世界にとっても自分が“必要とされていない”存在であることを、はっきりと自覚していたからだった。
「はーはー!やっぱり!汝は逸材じゃ!はーはー!とりあえず、あれを食べな!」呪文を連発して疲れたクラマーが、息を切らしながら海唯の隣に座り、カウンターに置いてあったパニーニか、潰れたパンケーキのようなものを指さした。
海唯は呆れたようにクラマーを見つめながら言った。「まー点滴がないのは分かった。でもさ、栄養剤とかあるだろ?その……食わなくても栄養が摂れる液体のやつ、ないわけ?」
「食事を拒むとは、変なガキじゃのう!わしは色々試したいんじゃ、ごちゃごちゃ言わずにさっさと食え!」
「やだ!」水をブクブク泡立てながら、海唯はまるで子供のようにダダをこねていた。
「これが汝にやらせたいことじゃ!わしのモルモットになれ!」疲れのせいか、クラマーはあっさりと核心を告げた。
「モルモットなら別にいいけど、それだけは絶対やだ!」そう叫びながら、海唯はナイフをクラマーの首筋に押し当て、クラマーの首には細い赤い線が一筋、ゆっくりと刻まれていった。
「待て、待て!落ち着きなされ!これはどうじゃ?エールべと呼ばれる薬草を練って作った飲料じゃ。この店の特製で、他では手に入らん!汝の言う“栄養剤”と似た効果があると思うぞ!」
魔法が効かない海唯に対して、反撃も防御もできないクラマーはあっさりと折れた。
「……草?」
「とにかく、ナイフを下ろしてくれんか!はー……汝には魔法を無効化する能力があるようじゃ。それで、わしは色々と試してみたかったんじゃよ」クラマーはようやく少し大人しくなった。
海唯は目を細め、にやりと笑いながら言った。「つまり、さっきの怪我の手当ても、本当に治るかどうかは分からないってこと?」
「ギクッ……」
「ぶはっ、ははは!ギクって、本当に言う奴いたんだな!ははは……まぁいいや、分かった。取引成立だ。お前がその“栄養剤”くれるなら、モルモットになってやるよ」そう言って、海唯はようやくナイフを引っ込めた。
「はいよ、はいよ!取引成立じゃよ!」
「ただし、その“エールべ”ってやつが効くかどうかは分からないから、まずは一週間分だけくれ。なーに、安心しろ。私を信じていいぞ~♪」
そうして、海唯は、クラマーから栄養剤を受け取り、爽やかな笑みを浮かべた。
「ひっひっひ!それは一番信用できん奴が言うセリフじゃが……まぁ、いいじゃろ!」
「ひゃはは!クラマーとはうまくやれそうだな~」
「わしも、そう思うておるよ~」