0.5 下篇
屍体がしゃべるな!私ホラーに興味ないから 下
どこを走っても城の出口が見つからず、少女は完全に迷子になっていた。
「離して!こっち来ないで!」
「ですが……聖女様……」
「出てけー!」
「……聖女様……」
「人の言葉が分からないの!?あっちいけー!」
「お、落ち着いてください聖女様……」
「近づくなって言ってましたよね!」そう叫びながら、聖女と呼ばれるお嬢様は手近な物を次々と投げ始めた。
「すぐ出ますので、すみませんでした!」飛んできた物を必死で避けながら、仕女たちは慌てて部屋を後にした。
『あらら、すっごい混乱してるねあの子~……あ、半分私のせいか!』心の中でそう呟きながら、仕女たちが去ったのを見計らって、黒服の少女はひっそりと部屋に忍び込んだ。
「わー何それ!?私への待遇の改善を要求するー!」
部屋に入った少女の目に飛び込んできたのは、心落ち着くライトミルク色の壁に、ピンクブルーのダブルキングサイズのベッド。掃き出し窓からは暖かな陽光が差し込み、ヨーロッパ風の寝椅子やふかふかのカーペットがその豪華さを際立たせていた。
「わー何それ!?何それ!?私が目覚めたのは地下牢だったんだぞ!?薄汚い地下牢だったんだぞ!?文句を言う筋合いなんてないだろ!?よし、ここで抗議だ!待遇改善しろー!」
そう叫びながら、少女はカーペットの上に膝をつき、寝椅子をバンバン叩いた。
するとふと顔を上げ、ベッドの端で膝を抱えて体を小さく丸めたお嬢様を見やった。
「……ここ、つっこむところだろ?お前が黙ってたら、私ただのバカじゃない?」
無言のままのお嬢様は、ダブルキングサイズのベッドと比べて余計に小さく、そしてとても弱々しく見えた。
「まあまあ~そんなに怯えるなって~さっきまで仕女に怒鳴って物投げてたんだろ?」
その言葉にお嬢様はビクリと震え、少女から視線を逸らした。まるで肉食獣の前に放り出された小動物のようだった。
「ハハ、そんなに怯えなくても殺しはしないさー。こっちだって人を殺すのは趣味じゃないし。てか正確に言えば、お前を死なせたら困るし~」そう言いながら、少女は寝椅子に寝転び、ふかふかの座り心地を楽しんでいた。
お嬢様は沈黙を続けた。
「……はあ~何、悲劇のヒロイン気取ってんの?途中で割り込んだチンピラどもはともかく、お前のボディーガードとイタリア警察は、お前のせいで死んだんだぜ?分かってんの?おい、加害者~!……あー、そうだよな、あいつらは勝手に死んだんだよな?ああ~私たち、お嬢さまのためなら命を捧げます~!ハハハ、でも残念だな~お金持ちのお嬢さんの記憶にも残ってない命だったみたいだ~。それでまた、こんなふうにたくさんの人に守られてさ。いい人生だよな~お嬢さま!」
少女は大げさな身振りで演技を交え、死者の代弁者のようにお嬢様を責め立てたが、それはどこか嘘くさく、安っぽい芝居にしか聞こえなかった。
「もういいでしょ!だまりなさい!はー!はー!」お嬢様はついに口を開き、激しく息をつきながら叫んだ。
それに対して黒服の少女はただニッコリと笑い、静かに彼女を見つめていた。
「黙って聞いて、何勝手なこと言ってるの!?目の前で、たくさんの人が血を流して死んでいくのよ!?怖くないわけないでしょ!加害者だって?分かってるよ!みんな私を庇って撃たれたんだから!でも、そう言うなら、あなたも同じでしょ!?薬を飲ませたのはあなたでしょ!?私は……私は、あなたみたいに人が死ぬのが平気な人間じゃない!怖いよ!すごく怖かった!血まみれの顔で助けを求められても、何もできなかったの!怖くて動けなかったの!拉致されて、目隠しされて、薬を飲まされて……どこに連れて行かれるの?何をされるの?……全部が怖いのよ!」
お嬢様はその言葉の中に、自身の無力さ、弱さ、そして死者への罪悪感を込めていた。怒りと恐怖を混ぜた感情を、一気に少女にぶつけていた。
しかし、すべてを受け止めた少女は、変わらぬ静かな笑みを浮かべたまま、落ち着いた声でこう言った。
「少し気持ちが良くなった?では、そちらも落ち着いたようだし、話を始めようか!」と、少女が両手を合わせて仕切り直した。
「……あなた、一体何が目的なの?」と、お嬢様はまた怯えながら尋ねた。
「おおっ!!まずはそれだ!ところで、なぜ日本語が話せるんだ!?まじでどうなってんのかな~。あの白い光に包まれた瞬間から、日本語を喋り始めたよな~。うーん、資料には日本生まれで育ちはイタリアってあったけど~日本語が分かるはずないよな。どうしてなんだ?東雲薫お嬢さんっ!」
「な、なんで……名前を?」
「おいおい~質問に質問で返すなよ。お前なら分かるだろ?あいつらが『聖女様!聖女様!』って連呼してたのに、説明一切なしってどういうこと?」
お嬢様は沈黙したままだった。
「また黙るのか?さっきの勢いはどこに行ったんだよ~あっ、この寝椅子、本当に気持ちいいな~。よしっ、質問を変えよう。暖かいお家に帰りたいか?」少女は笑いながら体を伸ばし、尋ねた。
「帰れますか!?」その言葉に反応し、お嬢様は前のめりになって大きな声を出した。
「もちろんだとも、東雲お嬢さん。まずはここがどこかを教えてくれれば、連れて帰れるよ」
「アデレード王国……」お嬢様は困惑したような口調でそう答えた。
「……は?もう一回言って?」
「アデレード王国」
「……冗談言ってる余裕あるのか!?ふざけんなよ!こっちはさっきまで地下牢で脱出ゲームやって、バカ面のコスプレ野郎と芝居してたんだぞ!イライラが限界なんだよ!」少女は椅子から飛び降り、彼女の襟を掴んで警告するように言った。
「ひゃっ!わ、私だって知らないよ!さっきの人たちがそう言ってたから!」
「じゃあ、知ってること全部話せ!」怒りが爆発したように少女が叫んだ。
お嬢様は、今度は目を逸らさずにまっすぐ少女を見て、静かに言った。「……あなたの目的は?」
「へぇ、もう怖くなくなったのか?」少女は自分の手を軽く触ったお嬢様を見た。震えてはいたが、お嬢様はその手を離す気はないようだった。
「はあ、わかったよ」ため息をついて、少女はお嬢様の手を放した。彼女の前にあぐらをかいて座ると、ベッドがふわりと揺れた。
「東雲薫。ミラノ工科大学2年、20歳。ステファノ&シノノメ企業の令嬢。家族企業は武器商売にも幅広く手を出し、アメリカ政府やイタリア政府と契約を結ぶ一方で、マフィアやテロリストにも内密に武器を流している」
そう言うと、驚いた表情を浮かべるお嬢様を見て、少女は満足そうに話を続けた。
「その件がアメリカ政府にバレて、イタリア政府とマフィアの裏戦争が勃発。その隙を突いて彼女を拉致し、ステファノ&シノノメ企業との専属契約という名の買取――つまり、彼女の祖父を脅迫したってわけだ。愛されてるな~お嬢さんは」
その話が理解しきれず、複雑な表情を浮かべる彼女を見て、少女は再びニヤリと笑った。
「さらに、その事実はイタリア政府にもバレて、彼女を守るために警察が動員された。そして、アメリカ政府は事態の収拾を図るため、我々Snow World傭兵団を雇った。ついでに、彼女の身の安全も守ってやるってな。以上!」
「Snow World傭兵団……?」彼女は信じられないという表情で少女を見つめた。
「そう。けっこう有名なはずだぞ」少女は体を揺らしながら、楽しそうに答えた。
「でも、あなた……私と同じくらいの歳に見える……」彼女がよく見ると、少女の服の下から血がにじんでいるのが見えた。あの細い体で戦場を駆け回っている姿は想像し難かった。
「はは、ようこそ現実世界へ。……あ、でもそれはお前の現実世界じゃないか~」少女はそう言い、彼女をこちらの世界に引き込むつもりはないことを示した。
「って、勝手に話を終わらせるな!お前の番だ、言え!」突然何かを思い出したように、少女は話を強引に戻した。
「ここはアデレード王国です」
「うん、それはさっきも聞いた」
「ここで聖女になってほしいって言われました……」
「うん、それで?」
「……あの人たちを突き放して……この部屋に飛び込みました……」
「……はあ!?それだけ!?ふざけんなよマジで~」と、少女はため息をつき、ベッドに伏せた後、仰向けに転がった。
「ごめんなさい……」
「あー、だから私の目的を訊くんだな。本当に自分を守るためかって……」少女はそう言うと、突然ナイフを彼女に向けた。
「うっ!……私を殺したら困るでしょう……」ナイフが近づくにつれ、お嬢様は恐怖に震えながら必死で抵抗した。
「あいにく、私はまだ若いからな~17歳だし~勢いで人を殺しちゃうこともあるかもな~」少女の鋭い目は、相手の心を見透かすようだった。
「……人を殺すのが趣味じゃないって……」それは彼女の最後の抵抗だった。震えすぎて、これ以上声が出なかった。
「……お前、賢いな!悪い、私を騙そうとしてると思ったよ。本当にそれだけしか知らないんだな」少女は笑いながらナイフをしまい、ベッドから降りた。
お嬢様をベッドに残したまま、少女は部屋を見回し、椅子をナイフで分解し始めた。
「な、何してるの?」
「ん?ああ、この長さと太さがちょうど良くてな」少女は木製の椅子を分解し、木の棒を腕と比較していた。
「え?」
「お前、見ない方がいいぞ~」そう言って包帯を外すと、紫に腫れた腕が現れた。袖をまくると、直視できないほどの切り傷や火傷が露わになった。
「!!」お嬢様は思わず息を呑んだ。『大丈夫ですか』の一言すら出てこなかった。
「ん?ははは、だから見ない方がいいって~。ま、私、痛覚ないからこの程度平気だ!」変わっていくお嬢様の表情を見て、少女はおかしそうに笑った。
腕を固定し直した少女が掃き出し窓を開けたところで、お嬢様に呼び止められた。
「どこに行くのですか?」
「情報収集は街中って決まってるんだ~すぐ迎えに来るよ、姫様~」と言って飛び降りようとしたそのとき、お嬢様に手を掴まれた。
少女は困惑した表情でお嬢様を見つめた。
「あなたは私の名前を知っているのに、私はあなたの名前を知らない」
勇気を振り絞って、お嬢様は少女の名前を尋ねた。
「FoxOne……じゃなくて、海唯」少女はお嬢様の目を見ながら、なぜか自然とその名を口にしてしまった。
「カ、イ?」
「……ああ、『海』の中で『唯一』生き残れた人。だから、海唯。……うわっ、そんな真面目な話、らしくないな。じゃ、またな~」と言って、少女――海唯は一瞬で姿を消し、太陽の下で笑顔を輝かせた。
彼女は慌ててベランダに出て下を見下ろすと、すでに海唯は城から出ていた。
第0.5シナリオ 屍体がしゃべるな!私ホラーに興味ないから 完