第13シナリオ 三回言われても分からない奴には体で教えてやろう 01
第13シナリオ 三回言われても分からない奴には体で教えてやろう 01
真紅の龍は威風堂々と空高く舞い上がり、雲を一掃せんばかりに翼を羽ばたかせる。その鱗は月光を反射し、まるで燃え盛る炎のように輝いていた。
だが次の瞬間、龍はもがくように身をよじり、急激にバランスを崩した。空気を切り裂く羽ばたきの残響が夜空に残る中、叩き落とされた龍は一直線に墜落し、石畳の道に巨大な窪みを作り出した。
街の秩序を取り戻そうと奔走していた第二騎士団と、驚愕のあまり腰を抜かした人々――彼らの視線は、その一点に釘付けとなった。
龍の背から歩み出たその人物は、夜の帳を背景にしてもなお、埋もれることのない圧倒的な存在感を放っていた。
黒髪をなびかせた海唯は、手にナイフを握り、瞳に狂気的な闇の光を宿して龍に対峙していた。その眼には標的である龍以外、何も映っていない。
風に揺れる黒いコートは、彼女の動きと共鳴しているかのようだった。
身軽な動きで龍の猛攻をかわし、その隙を突いて斬りかかる。鋭い刃が龍の鱗に弾かれるたび、きらめく火花が夜の闇に散った。彼女は無意識に魔法を纏っては霧散させていて、そのせいで攻撃の手応えを掴みきれず、苦戦を強いられているようにも見えた。
龍は怒りに燃え、尾を振りかぶって地面を叩きつけるが、海唯は巧みな跳躍でそれをかわし、再び刃を突き立てる。無自覚に発動している聖魔法の影響で、身体能力は常軌を逸したレベルにまで跳ね上がっていた。しかし、狂気に思考を侵食されている海唯は、自身の肉体の変異に気づくことさえない。ただひたすらに身体を酷使し、聖魔法が無理やりそれに追随している状態だった。
激しい攻防の余波で、周囲の建物は次々と崩壊していく。石片や木材が飛び散り、街の景観は一変した。人々は驚愕と恐怖に顔を引きつらせ、安全な場所を求めて逃げ惑う。
「団長!? あいつ一人で龍と戦わせるつもりですか!」 広場の戦場へ割って入ろうとしたカファロを、リヒルが制した。 「全員、市民の避難誘導に専念しろ!」 リヒルはそう命じると、契約魔獣をすべて召喚し、負傷者の捜索に当たらせた。
「ダーテオ団長!」
「いいか、絶対にあそこへ近づくな!」
それは第二騎士団の実力不足を案じての言葉ではない。龍と戦った経験がない部下への配慮でもない。
海唯の戦い方が、あまりに人とかけ離れていたからだ。
リヒルが「真の脅威」と見なしたのは、龍ではなく海唯だった。安易に介入すれば、リヒル自身でさえ二体の化け物を同時に止める自信はない。ならば、互いに潰し合わせるしかない。
「カファロ、あれを真似しようなどと思うな。はっきり言って、お前には無理だ」
それでもカファロが制止を振り切って駆け出そうとしたため、リヒルは苦笑しながら剣を抜き、背後から切りかかった。
「っ……!?」
剣から腕へと伝わる重い衝撃。本気で殺す気のない一撃だったからこそ、カファロは間一髪で受け止めることができたが、剣を握る手は激しく震えていた。
「次は殺すつもりで、左脇から右肩へ斬り上げる。避けずに反撃できたら、俺はもう止めない」 前触れもなく、リヒルは抜刀術でカファロの胸元へ斬り込んだ。
結果、カファロは無意識にその刃を避けてしまった。
「よく見ろ、カファロ」 リヒルは剣を収めると、カファロの頭を押さえつけて戦場の方を向かせた。 「当たる直前で本気か陽動かを見極め、受けるか躱すかを判断する。避けるなら最小限の動きで、受けるならカウンターを狙いやすい位置で。さらにその一撃で仕留められるか、無理なら次の行動に支障のない体勢を整える……。あの子は相手の動きだけでなく、風向き、煙に覆われた足場、その場のすべてを武器に変えている」
街中に轟音が響き渡り、空気が震える。
海唯は一切息を切らすことなく、狂気じみた笑みを浮かべて立ち向かっていた。対する龍も容赦ない魔法攻撃で応戦していたが、本能的な恐怖を感じ取ったのか、動きは次第に鈍くなり、反撃の威力も弱まっていく。
「さっき俺が言った『殺意ある攻撃を避けずに反撃する』には、三つの瞬間的な判断力と反応力が必要だ」 戦場で弟子に教えを説くなど、リヒルにとっても初めての異常な状況だった。
だが、そうしていられるほど、海唯が龍を圧倒している。それどころか、海唯がこちらに龍を近づけさせないよう戦域を固定している気さえして、リヒルは剣の柄を握り直した。
「相手の攻撃が致命傷になるかを見極め、ダメージを最小限に抑える姿勢をとりつつ……その攻撃の中で敵の弱点を見出し、有利な位置で反撃に転じる……ということですか?」 飛んできた瓦礫や龍の魔法を弾き飛ばしながら、カファロが答える。
リヒルの説明を受け、彼はようやく自分が止められた理由を理解した。今あの中に入れば、邪魔にしかならない。だが、海唯を見ていると、どこか説明しきれない違和感があった。
「ああ、概ね正解だ。だが、それを完璧にこなせる人間など基本的にはいない」 リヒルは海唯の動きを注視し、手に力を込める。これほど完璧な戦闘を、彼はかつて見たことがなかった。
龍は最期の力を振り絞り、尾を大きく振るって海唯を大空へと弾き飛ばした。 蒸し暑い風が顔を打ち、海唯は逆さまの姿勢で落下していく。
彼女の視界には、戦いの爪痕によって荒廃していく市街地がはっきりと映っていた。耳には、人々の泣き声と助けを求める叫びが流れていく。
「今回は、試しだ」 先ほどまでの高笑いが嘘のように、波風ひとつ立たない無機質な表情で、海唯はそう呟いた。 彼女は落下の加速度に身体の捻りを加え、渾身の力でナイフを龍の眉間に突き立てた。
「あの子の場合は、一つだけ決定的に違う。お前が反射的に避けたように、普通の人間は攻撃の際、無意識に『自分を守る』ものだ」
「……あいつ、自分に向かってくる爪が、見えていないようです」 カファロは、先ほど感じた違和感の正体に気づいた。
ダメージを抑える姿勢などではない。受けると判断した攻撃に対しては、まるで存在しないかのように真っ直ぐ突っ込んでいく。瞬きひとつせず、防衛本能すら放棄した戦い方。そんなものが、捨てようと思って捨てられるものなのか。カファロの心に、いつしか畏怖に近い敬意が芽生えていた。
「はっきり言って、俺にも無理だ。やろうと思っても身体が勝手に拒絶する。だからこそ、あの子にしかできない」
龍は天を仰いで咆哮し、炎のような鱗は徐々にその輝きを失っていった。凄まじい衝撃と共に龍の頭が地に落ち、周囲の地面を激しく揺らす。 ナイフを引き抜き、付着した血を払っても、海唯は武器を収めようとはしなかった。
「あの子がまだ興奮状態なら、俺たちが抑えるぞ」 決着がついた瞬間、リヒルは戦闘態勢に切り替え、前へと踏み出した。
「はい!」 カファロもその後に続く。
先ほどの戦いで、彼は「海唯は味方ではない」と確信していた。動けなくなった市民を盾にするような者を、仲間とは呼べない。何より、盾にされた人々を助けることができなかった彼自身への悔しさが、カファロを突き動かしていた。
敵意を示せば即座に斬る覚悟で近づいた二人だったが、同時に足を止め、剣から手を離した。
「…………」リヒルは困惑した。
先ほどまでの狂戦士が嘘のように、彼女はただ静かに、王宮を見つめて立ち尽くしていたからだ。
「!?」 カファロは驚愕した。彼よりも細い腕、若く見える容姿。残忍なだけの奴だと思っていた。
だが、盾にされていた人々の中には、腕を切り落とすことで瓦礫から救い出された者もいた。その下で泣いていた赤ん坊も、無傷で助け出されている。 犠牲も出たが、救われた命もある。
海唯は悪人なのか、それとも善人なのか。カファロにはもう、判別がつかなかった。
海唯は無表情のまま、目の前に横たわる巨体を見つめていた。龍は静寂に包まれ、赤い鱗から完全に光が消え去る。 傍らに立つ二人に視線を向けたが、戦う意思がないと見るや、彼女は再び王宮の方へと顔を上げた。
「……勝手に……道連れにするな」
半壊したテラスの側で倒れている東雲を見かけて、海唯は彼女の方を向き、ナイフを握りしめたまま、激しく鼓動する自らの胸にそっと手を押し当てた。
リヒルとカファロには、その言葉の真意も、その仕草の意味も、知る由はなかった。
***
再び真っ白な光が引き、強烈な輝きに奪われていた視界が戻る。
そこには、もう何度目かも分からない、あのコスプレじみた格好のバカ面があった。 今や誰の記憶にも残っていない「先の戦い」で負った傷が、海唯の体で無残に裂ける。ナイフを突き立てようとしていた姿勢から、崩れ落ちるように東雲を抱きしめる姿勢へと変わった。
――あの龍が現れた時、そばに居さえすれば、なんとかなるんじゃないか?
海唯は一瞬そんな考えが頭をよぎる。……だからこそ、初めて見せるような東雲の反応に、彼女は戸惑った。
『パーン』
乾いた音と共に、東雲の背後から滑り落ちるようにして、海唯はその場に倒れ伏した。
......
ボタボタと、瞼に零れ落ちた雫が目尻を伝って流れていく。薄暗い光がゆらゆらと揺れ、瞼を閉じていても眩暈を感じるほどだ。 背中から伝わる僅かな湿気と、脇腹から滲み出る血。じわじわと全身の服が濡れていく感触がひどく不快だ。加えて、肩にのしかかる凄まじい倦怠感。海唯は、もはや目を開けることすら億劫に感じ始めていた。だが――。
「っ!」海唯は弾かれたように跳ね起きたが、すぐに力尽きたようにパタリと倒れ込んだ。
「その体の傷で、よく今まで生き残れましたね。内臓がぐちゃぐちゃになってもあのような動きができるとは……君、本当に人族なんですか?」スピリトは医務室で、何度か凄まじい聖魔法の奔流を感じ取っていた。そして、龍と戦う海唯の姿を見て、すべてを理解した。
彼女の聖魔法は、彼女自身を癒やすことができない。これまで、その無茶苦茶な戦いぶりを支えていたのは、おそらく彼女の体内に宿る「理屈では説明できない何か」のおかげなのだろう。
「お前……何をした?」喉が焼けるような、掠れた声。海唯は顔だけをスピリトに向け、そう絞り出した。
体があまりに重い。まるで何重もの鎖で縛られているかのような、あの忌々しくも懐かしい感覚だ。首輪を締め付けられるような苦しさに、吸い込んだ空気が肺まで届かない。
「小生は何もしていません」スピリトは椅子に腰かけ、己の腕をさすっていた。「何もできなかった、と言うべきですかね」
開放されたままの檻の近くには、僅かに血の痕跡が残っている。 海唯の傍らには、畳まれたタオルと一杯の綺麗な水。そして、空になった小瓶が何本か転がっていた。
海唯にはポーションが効かない。それどころか、意識が混濁し迷走状態にある彼女には、近づくことさえままならなかった。スピリトの腕にある浅い切り傷は、手当てをしようと檻に入った際、急に跳ね起きた海唯につけられたものだ。
焦点の定まらない瞳、荒い呼吸。それはまるで、追い詰められた手負いの魔獣そのものだった。
「起きたと思った瞬間に意識を飛ばして、また倒れて……。少なくとも三回は繰り返しましたよ! 本っ当、何なんですか君は」
「は……? 何を言ってんの?」
「はあ……こんな人族、初めて会いましたよ。いや、重ねて聞きますが、本当に人族なのでしょうか?」
「二回聞くな」壁に体を擦りつけるようにして、海唯は無理やり上半身を起こした。冷たい石壁に、生々しい血の跡が残る。まだ視界がぼやけているのか、彼女は目を擦り、頭を振った。
さらに襲いかかる強烈な倦怠感に耐えかね、海唯は再び目を閉じたまま、スピリトに問いかけた。「外、暗くなった……? 月、出た?」
「いいえ」
「……そっか」答えを聞き、海唯はまだ間に合うと自分を奮い立たせた。
ふらつきながらも立ち上がろうとするが、スピリトの次の一言が彼女を引き止めた。
「もう、その必要はありませんよ」
「……は?」




