0.5 中篇
屍体がしゃべるな!私ホラーに興味ないから 中
アキレスは、仲間たちが到着するより前から、誰かが傍にいるような気配を感じていた。そして手に握った魔法石を強く握りしめる。
「誰かって、誰のことだ?」とウルバニが尋ねる。
「分からない、思い出せない……でも、確実に“いた”んだ」とアキレスは答える。
「そいつが、お前を治したって言いたいのか?」
「……そう思ってる」と彼は小さく頷いた。
ウルバニは言った。「まあ、落ち着け。傷は治ったとはいえ、今はちゃんと休めよ」
病み上がりの混乱は珍しいことではない。失われた手足が再生するという奇跡を前にして、アキレスの混乱を責める気にはなれなかった。
「早くしないと……逃げられる気がするんだ」
「落ち着け。『逃げられる』ってどういう意味だ?追うにしても、相手の特徴は分かってるのか?」衝動的に声を荒げるアキレスの姿に、ウルバニは驚いた。彼がここまで取り乱すのは珍しい。
確かに、目の前で奇跡としか言えない出来事が起きたのなら、それを知りたいと思うのは自然なことだ。だが、病み上がりのアキレスよりも、ウルバニ自身が冷静さを失ってはならない。
アキレスは喉に何かが詰まったように、ウルバニの問いに答えられなかった。
「この王宮の中にいるなら、治療師か薬師のはずだろ?まして第二騎士団の団長を治した人物だ。お礼をもらえる立場なのに、なぜ逃げる必要がある?」そう問いながらも、ウルバニ自身、その「誰か」が本当に“人間”だったのか、確信はなかった。それでも今は、アキレスを落ち着かせることが先決だった。
アキレスは黙ったままだ。
「はいはい、もう少し寝てな……」
その時、医療室の扉が賑やかに開かれた。
「アキレス団長!無事でよかったです!」「団長!大丈夫でした!?」「よかった、アキレス団長!」「アキレス団長ー!生きててよかったです!」「団長、俺、団長が生きてるの信じてたんですよー!」「アキレス団長ー!!」
アキレスは、狭い医療室に溢れかえる団員たちを見渡し、ウルバニに淡々と視線を向けて言った。
「これじゃ、眠れないだろう……」
その視線を感じ取ったウルバニは苦笑しながら言った。「ははっ、そんな助けを求める目で見られてもな。本当に愛されてるな、アキレス団長」
「そんな目してない……」
「じゃあ、俺はロビーにいる怪我人を見てくるよ」
「ああ、頼む」
団員たちが泣いたり笑ったりして騒ぐ中、奇跡だの神の加護だのと勝手に議論が始まっていた。
するとアキレスが、不意に誰かの言葉に反応した。
「おい、そこのお前。今、何て言った?」突如として問われた団員は、鼻水を垂らしながらびくりと身を震わせた。
「え?……無事でよかったです……」
「その前だ」
「……聖女様のご加護のおかげで……?」
「……その次だ」
「えーと……黒い髪がとても綺麗だと……?」
その言葉を聞いた瞬間、アキレスの瞳が見開かれた。
『それだ!黒髪……!意識がぼんやりしていたが、確かに、黒い髪だった!』
王宮内の廊下を、少女が優雅に歩いていた。まるで散歩でもしているかのような足取りで、巧みに衛兵や騎士たちの視線をかわしながら、王宮の構造を観察していた。
『……さっき“テ、ン、ィ、ジ、ン”って言ってなかった?付き物って、私のことだよね?ムカつく~!』そう心中で呟きながら、少女はすれ違う仕女たちに会釈を返す。その仕女たちは頭を下げつつ、耳を真っ赤に染めていた。
「ねね、見ました?♡」
「うんうんうん!♡」
「「イケメンですわ~♡」」
『やっぱり私の顔は、この国でも通用するらしい~♪ さすが私~♪』と少女は、得意気な様子で自分の“商品的価値”を確信していた。
「アキレス・ザックウェーバー様以外にも、あんなカッコイイ方がいらっしゃるなんて♡」
「でも、先ほどの方はまたタイプが違いますわ~。綺麗な美青年といった感じで♡」
「そうそう!細身でスラッとしてて、最高ですわ~♡」
『へぇ、アキレスって言った?知らない奴だけど、まぁ私の方が肌が綺麗って言ってくれたし、今回は許す!はい、次いってみよ~♪』
少女は嬉しそうに歩を緩めた。
「でも筋肉のラインが見えるのは、ザックウェーバー様の方が……♡」
「うんうん!」
『いや、賛同すんなよ!筋肉ならこっちだって……まぁ、ちょっとくらいは!細マッチョも悪くないし、私は女の子だし!』そう思いながら、彼女は自分の腹をそっと撫でる。
「高身長でかっこよくて、家柄もよくて、剣術も魔法も強い、第二騎士団の団長様!♡」
「その凛とした顔、時に見せる優しさ、そして……」
「危機の際には逞しい身体で……」
「「庇ってくれた時の後ろ姿!♡」」
『おいおい、そこから私の話は消えたのか!?結局“団長”って響きかよ!金か!?やっぱり金なのか!?』我に返った少女は、「このままだとただの変態だ!」と自己ツッコミを入れ、壁の陰から離れた。
そして、ふと立ち止まる。
『お?なんか懐かしい匂いがするな~』
その先にあったのは大きな門。両脇には二人の衛兵が立っている。彼らの着ている軍服は重くて鈍重そうだ。それに比べて少女の着ている衛兵服は、上下の軽装で佩剣のみ。全く別物だった。
軍服の階級までは分からないが、正規軍であれば階級表示はどこでも共通して分かりやすい。
『ヒヒヒ……こいつの出番だ~。お前の“階級”、試してみようじゃないか』そう思い、少女は手の中の何かを弄びながら、ワクワクしていた。
「おい!そこの者、何をしている!この持ち場の見張りはもう必要ない。すぐにロビーへ向かえ!第二騎士団が遠征から戻った。負傷者が多く、人手が足りていない。早く行け!」
厳しい口調で命じた少女は、先ほど廊下で見かけた偉そうな人物の態度を真似て、衛兵たちの反応を伺っていた。
「「近衛長!?」」衛兵たちは驚いた様子で、心臓の前に右拳を構え、肘を直角に曲げ、腕を胴体と並行に保った状態で敬礼をした。
「す、すみません!しかし、交代要員が来るまでここを離れるなとの命令を受けておりまして……」
『この国の敬礼はこうなのか。本来なら、正体が露見するリスクを避けて、ただ背筋を伸ばして立っているべきだった。ふふ、実にビシッと立っている。このバッジに書かれているのが“近衛長”ということか。悪くない』
そんなふうに内心でほくそ笑みながらも、少女は悪知恵が功を奏したことに満足し、再び尊大な口調で言い放った。
「おや?お前たちの隊長にはもう話を通してあるぞ?まだ伝わっていなかったのか?」
すると衛兵の一人が恐縮した様子で答えた。「申し訳ございません。第一騎士団団長、ローゼ様からの直々のご命令でして……」
『また団長か……まったく、邪魔な存在だ』と内心で毒づきながらも、少女は表情を崩さず、「そうか。無理を言って悪かったな」と冷静に返した。
「「いえ!とんでもありません!」」
「それなら中に入らせてもらおう。ローゼ様の命令で、例のテンィジンの武器を検査するよう命じられている。この命令も、まさか届いていないなどということはないだろう?」
少女が試すようにわずかに殺気を放つと、衛兵たちは肩をすくめ、互いに視線を交わして唾をのみ込んだ。
「い、いえ、届いてはおりませんが……」
返答した衛兵の手は震えており、少女にはその動揺がはっきりと見て取れた。
『へえ、見た目に反して意外と肝が据わっているじゃないか』と、わずかに感心しつつも、冷静に状況を見極めていた。
「ローゼ様のご命令であれば、遅らせるわけには参りません!」
「どうぞ、お入りください!」
「感謝する」
少女は礼を述べつつも、内心では単純な連中だと嘲笑していた。
衛兵の一人が鍵で門を開けると、少女はその場を静かに歩いているように見えた。だが、次の瞬間、二人の衛兵が同時に地面へ崩れ落ちた。
それは、実に巧妙な手際だった。門が開くまでの間に、一人の衛兵を気づかれぬよう気絶させ、その身体が倒れぬよう支えた。そして門が開いた瞬間、鍵を持つもう一人の衛兵を背後から一撃で仕留めたのだ。結果として、二人の衛兵は同時に崩れ落ちた。
その後、少女は片手で二人の身体を中に引きずろうとしたが、びくともしないその重さに苛立ちを隠せず、思わず蹴りを入れた。
「はあっ、はあっ、重い……ああ、重すぎる!……よいしょ、やっとか……疲れた……」
息を荒げながら、二人の衛兵を部屋の隅に寝かせた。
「おお、やはりここか……武器倉庫!この懐かしい鉄の匂い、そしてわずかに混じる血の匂い……ああ!?愛刀マントラック2、そして愛銃ベレッタM3032!こんな所にいたのか……心配させやがって……おお~、よぢよぢよぢ~」
少女は懐かしそうにナイフと銃を手に取り、丁寧にそれらを拭った後、再び太ももに隠した。
「長居は無用。ここからさっさと脱出するとしよう」
武器倉庫に並ぶ武器の数々を一通り見回した後、少女はその場を後にした。立ち去る際には、衛兵から借りた鍵で門にしっかりと施錠するのも忘れなかった。