10-04
片足は第 1 象限でy=-x^2+16x+5の形で、片足は第 4 象限で y=-2x^2+1の形をしてる04
蒔花閣の最上階。
香ばしい煙がゆるゆると青空へ散っていく中、風鈴の音を嗜みながら、スピリトは朝の歓楽街の静けさを、つまらなさそうに眺めていた。
ふと、この街の風景とは相容れない姿が視界に入り込み、スピリトは思わず「ふぁは」と笑った。
初めて魔水晶越しにあの黒い姿を見たとき、息が詰まった。
とうに諦めたはずの執着は、喉から手が出るほどに蘇り、理性など構いなく強引に心を襲ってきた。
来訪者は入口で呼び止められても不快な顔一つせず、仰ぎ見るようにして、スピリトへ笑顔を向けた。まるで、そうすれば通れると分かっているかのように。
スピリトは仕方なさそうに笑い、通せと命じるように手を振った。
「ふー……」キセルの灰を灰皿に落とし、勝手に自分の酒を注いでいる海唯を見やりながら、スピリトは言った。「昨日の今日で小生のところに訪れるとは。その件ですね、海唯さん」
「話が早いのは助かる。リリ・ハンナの中にいるのは誰だ? そいつは今どこにいる?」海唯は杯を鼻元で嗅いだだけで一口も飲まず、スピリトの方へ投げつけた。
とても人に物を尋ねる態度には見えない。
そうされると分かっていたかのように、スピリトはにこにこと首を傾け、投げられた杯をかわす。「……あれー? 中の人? 小生、怖い話は苦手なんですけど~」
下階から、割れる音と驚いた声が届いた。
「……はぁー。クスリ、仕込む必要あった?」海唯は大きくため息をつき、額を撫でる。心底、スピリトと話すのが疲れると思った。
「ふふふ~。先に既成事実を作ったほうが手っ取り早いと思わなくもないかね~。それで、何のことです?」
「リリ・ハンナから子供を買ったのはお前だろう?……『体、返さない』ってどういう意味だ?リリ・ハンナの中にいるのは誰だ?なぜ『娘がいる』と記録した?」
訊問にしては口調が気楽すぎる。
雑談にしては、火薬臭い空気が漂っていた。
スピリトが答えるかどうか、海唯には分からない。
素直に答えても、茶化して知らぬ顔をしても、どちらもスピリト“らしい”。
ならば、はっきり聞くのが得策だ。
何年も前の取引を突然突きつけられても、スピリトは驚く素振り一つ見せず、香煙を吐く。「一つ、お聞きしたいことがありましてね、海唯さん」彼女の問いには答えず、逆に問いを投げた。
「どうぞ」
「どこまで、受け入れるんですか?」
「?」
「誰に傷つけられても、何をされても、何度奪われても……怒らない、悲しまない、取り戻そうとしない――」
スピリトは話しながら海唯に歩み寄り、出処の知れない情緒を抑えた声で、述べるように問いかけた。
「――それって、つまり……」
そこまでで、スピリトの言葉は止まった。
暴走しかけているのを察し、飲み込んだのだろう。
煙を吹きかけられた人の反応は、本来なら咳き込み、顔を背け、手で払うものだ。
それは理屈以前の、本能的な反応と言える。
だが――。
スピリトは、煙を受けながらゆっくりと目を細め、静かに座している海唯を、じっと見つめていた。
窓は開いているが、真夏の昼前には澱んだ、生ぬるい空気だけが残り、風の流れはほとんど感じられない。香煙が鼻腔に燻る中、唇が何か甘いものに覆われた。
「!?」海唯が目を開けると、スピリトの顔が間近にあった。
煙で目を閉じてから開くまで、ほんのわずかな時間しか経っていないはずなのに、スピリトはすでに侵略的に海唯を押さえ込み、息をする暇すら与えていなかった。
海唯の両手は頭の上で固定され、足はスピリトの膝に押さえつけられている。動けないと分かっているから、無駄に暴れはしない。息が苦しいと分かっているから、無意味に喘ぐ声も上げない。
ただ、狩る瞬間を待つ肉食獣の目で、スピリトの赤い瞳を見つめていた。
重なった唇の間で血が唾に混じり、海唯の口角に沿って流れ落ちる。
彼女はスピリトの唇を噛んだ。
少々野蛮で気に食わないやり方だから、できればしたくなかったが、仕方がない。
「?!」――なのに、海唯はもう一度意外に思った。
口角が裂けても離す気はなく、後ろに引く素振りすらない。スピリトはさらに暴力的になり、相手の息を丸ごと攫う勢いで攻めてきた。
予想と違う反応だが、まあよくあることだ、と海唯は思いながら、口の中に入り込んできた柔らかな侵略者を噛みちぎった。
「いっ!!!」ようやく離れたスピリトは、痛そうに口元を手で覆う。
血はスピリトの指の隙間から零れ落ちていく。
続いて、激しい咳の音が響いた。「ゴエッ、ゴホッ、ゴホッ……! ゴホゴホッ、ゲホ、ゴエッ……!」
血に染まったカーペットの上で、苦しそうにしゃがみ込むスピリトを見て、海唯は口に残った残骸を「ぺっ」と吐き出した。
彼女は激しい咳と吐き気に襲われながらも耐え切って、大きく息を吸い込む。「スー……ハー……大丈夫。舌を噛んで自殺、ってのは嘘だ。クソ痛いだけで、死なないよ」平常の呼吸を取り戻した海唯は、気楽な調子で苦しそうなスピリトに声をかけた。
「……ふふ。海唯さんは、まったく容赦しないですね~」スピリトの発音はっきりとしていた。笑顔も余裕だった。
先ほどまでの苦しみが冗談のように見えるほど、スピリトは平然としている。口元を覆っていた手を離し、「てへぺろ」と悪戯っぽく舌を出して笑った。
「……」今回も海唯は顔には出さないが、内心では驚いていた。
吐き出した残骸はまだカーペットに残っており、血の跡もわずかに広がっている。
スピリトの口元と手の血、噛んだときのあの気持ち悪い感触――どれも本物だった。だが、スピリトの今の余裕もまた、本物だ。
「聖魔法ではありませんよ」海唯が問うより先に、スピリトは答えた。
「……リリ・ハンナも同じか?」
「ふふふ~。クレイン・ハーディスは違いますかね~」
「方法? それとも、主体?」
「主体ですかね」
それを聞いた瞬間、海唯は振り返る間もなく飛び出そうとした。
だが、手首をスピリトに掴まれる。
掴んだ本人も驚いたような顔をしていて、海唯はその反応に一瞬戸惑った。
「……さっきの」スピリトは軽く眉をひそめて、続いた。「隙があれば、いつでも襲いますよ」
「ふぁっ。表情と台詞、合ってないけど~? いいよ、いつでもどうぞ」海唯は掴まれた手を逆に引き、スピリトを引き寄せる。
再び、その黒瞳に自分の顔が映る距離で、スピリトは思い知らされた。
この程度は、海唯にとっては駄々をこねる子供の悪戯に過ぎず、何でもない。
そしていつの間にか、スピリトの喉元に当てられた剣先。まるで、いつでも殺せると言わんばかりの、凍りついた瞳。
「あれだけは勘弁してほしいですね~。本当に痛いので」スピリトは苦笑した。
海唯は片眉を上げた。「そう?」
「ええ~。強烈に」
スピリトが手を離すと同時に、海唯もナイフを収め、蒔花閣を後にした。
彼女が去ってからしばらくして、蒔花閣の下男がドアをノックする音が響いた。「ファシノ様。第二騎士団団長のアキレス・ザックウェーバー様がお尋ねに参りました」
「帰らせて~」凄く嫌そうな声で言いながらスピリトは膝を抱いて、先ほど海唯が座っていた椅子に籠っている。
「で、ですが、ザックウェーバー様が……え?!ま、待ってください!」
ドアの外からざわついてて、焦っている声が段々近づき、5人くらいの下男がアキレスの進行を妨げながらも徒労だった。
「氷より生まれし結界の力」
沈着な声が喉から空気を振動する。
静穏の歩幅を踏み、弧線で自然に揺れる手でさえ空間を切り裂くと錯覚させる。圧倒的存在感。
一歩一歩、木の床に残るのは冷気に焼かれる魔力残滓。
「凍てつく縛りを我に宿し」
芸妓達も階段や廊下のところで頭を出しアキレスを止めるのに助力しようが、アキレスに見向きすらされずに全無視された。
「牢獄を築け」
部屋をノックして通報しに来た下男も、最後の防衛線として何の役にも果たせず、スピリトの部屋のドアが大きく開けられた。
「……ようこそ蒔花閣へ、騎士団長さま。郁郁たる煙に身を委ね、素朴な喜びを追い求めるだけの俗なる世界を忘れ、儚う美しい夢の中に浸りましょう」長い指で招いて、スピリトはキセルを持って白い輪を吹きながらそう言った。
誘い言葉に相反し、甘い声が悪魔の囁きのように無数な煙で出来た遊女がアキレスを周り付き、一斉に短剣で刺す。
でも、煙の短剣がアキレスに触れた途端消す去り、空気に入り込むよう消えてた。
「氷縛結界、現れよ」
詠唱の最後の一声が時間まで氷止め、冷徹な氷晶が一瞬でこの部屋を囲めた。
鳥の鳴き声、風の音、外のあらゆる音が遮断され、今、この部屋は完全なる牢獄だ。
「王宮の地下牢、広場、玉座の間、聖女東雲様の部屋、カンザキラ、薄水太夫を閉じ篭める部屋、シナ・クーバが収監される魔獄、リリ・ハンナの病室」
罪名を並び呼ぶように、一つ一つ、沈んでいく声。アキレスはカーペットの血跡を気付き、冷風の霧をスピリトの足元で蔓延させた。
「スピリト・ファシノ。何か弁解があるなら聞こう。俺はあまり気が長くないが」
そんなアキレスを見てもスピリトは余裕そうで足を組み、微笑みながらキセルを吸い始めた。
「せっかちな男は嫌われますよ~騎士団長さま」
片足は第 1 象限でy=-x^2+16x+5の形で、片足は第 4 象限で y=-2x^2+1の形をしてる 完
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