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傭兵聖女  作者: 崎ノ夜
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序章 下篇

序章 最後まで笑っていられるのは私だ! 下


 むか〜し、昔。

 この世界には、さまざまな種族が生きていた。


 生き物たちは自然から恩恵を受け取る。それが“魔力”である。光や空気、水と同じように、魔力は生命を保つためのエネルギーの一つであり、それを欠けば生き物は弱体化し、いずれ死を迎える。


 しかし、自然は平等に与えてくれるわけではない。ただそこにいるだけだ。


 たっだの一人が魔力を独占してしまうこともあった。

 逆に、何も得られなくて、呆然と最後を迎える者たちもいた。


 この不均衡は争いを生んだ。

 個人の争いから始まり、集落へ、国々へ、そしてついには種族同士の戦争へと発展していった。


 精霊たちは、この“自然の無作為”を悪と見なした。


 通常の生に必要以上の魔力を奪い合うだけの戦争──。

 精霊たちはそれを何より嫌った。

 だが、精霊が魔法を司るように、自然は魔力を司っている。

 お互いを代わりになることはない。


「なんとかしないと!」


「そうだよね。弱い者が死ぬなんて、かわいそう」


「種族ごとに半分消えちゃえば、残った者は生きられるよ!」


「そうね! 生態系の存続がいちばん大事だもの!」


 こうして精霊たちは、“魔法”を各種族の“王”へ授けることにした。


 王たちは他者から魔力を吸い取る力──

 すなわち“異質魔法”と呼ばれる力の始まりであった。


 しかし──。


「あれ? でもおかしいよ」


「ん〜、同族に刃を向けるみたいな行動だから、耐えられないんだよね」


「わかるわ〜! 優しいね!」


「王同士、思いやりがあるんだね〜! 優しいね!」


 精霊は常に一定の数を保っている。誰かが死ねば、誰かが新たに生を与えられ、その逆もまた同じ。個体よりも全体を優先する思考から、精霊が取る行動は常に“世界にとっての善”にしかならない。


 どんな相手にも善意を向ける。それは見返りを求めるからではない。ただ“絶対善”という、単純で無垢な衝動に従っているだけだ。


 ゆえに、どの種族を相手にしても、精霊は疑うことを知らない。


 魂に刻まれた善性が揺らぐことはなく、他の力によって消されることもない。それは、滅びのない存在にだけ許された、傲慢で純粋な善意だった。


 やがて、種族戦争はさらに悪化し、より非道なものへと変質していく。


「あれ? 魔王が海族を絶滅させたわ」


「あれ? 英雄王が角族を絶滅させたわ」


「あれ? なんでこうなったの?」


 時が経つにつれ、いつの間にか世界に生き残ったのは五つの種族だけになった。

 他族を滅ぼし、自然から魔力を勝ち取れたのは──

【人族】【魔族】【妖精族】【龍族】【不死族】。


 五族の均衡が保たれたことで戦争は一時的に緩和したが、憎しみの種はすでに全ての心にまかれていた。


 始まりは“生き残るため”だったとしても、続きは“復讐のため”になる。それは精霊にはない概念だったため、事態は収まらなかった。


 戦争は続き、力を持つ“王”たちは、何かに取り憑かれたように殺戮をやめなかった。


「はっ! 分かったわ! 魔法を平等に与えるべきだったのよ!」


「平等に与えたじゃない? 王たちは種族内の均衡を保つべきだったのよ!」


「違うわよ! “皆” にだよ!」


「「「!?」」」


「でも、自然は魔力を平等に与えていないわよ?」


「そうそう! 魔力が足りない者に魔法を与えたら、すぐ死んじゃうわ!」


「じゃあ、魔力が足りている者にだけ、平等に与えればいいわ〜。“皆” に!」


 こうして、人間でも、魔でも、妖精でも、龍でも、不死でも、“自分の身を守る”ための手段が平等に与えられた。


 だが、それでも争いが止まることはなく、精霊は考えた。


 やはり──差別を持たず、誰にでも優しく、争いを嫌い、そして“永遠に揺らがない王”が必要だ、と。


 こうして後に“王座戦争”と呼ばれる、五族の戦争が始まった。


「あれ? 血の匂いが止まらないよ?」


「あれ? 死体が海を埋めたよ?」


「あれ? 不死が消えたわよ?」


 光の粒が戦場を漂い、ざわめく。

 それでも精霊たちは、魔法の呼び声に対し、一つ残らず平等に応じていた。


「家族が待ってるから、戦うんだね。優しいね」


「誰かを助けたい気持ちは善意だよ」


「種族のために? 崇高な精神だね」


 死体で出来た大地を踏み、血で染まった空気を吸いながら、精霊たちは戦場で響く数多の声に戸惑っていた。


 魔法に応じれば、笑う者もいれば、泣く者もいる。怒りに震える者もいれば、無心にただ殺す者もいる。


「善意の王は?」


「優しい王は?」


「不殺の王は?」


「「「王座に登って!」」」


 多くの者は、王座に登った瞬間に落雷めいた光を浴び、魂ごと消えた。王座で滅ぶ魂は増えるばかりで、どんな魔法を与えても精霊の望む者は現れない。


 どうして他人の命を奪おうとする発想が生まれるのか?

 どうして自分が殺されそうになると、相手を殺そうとするのか?

 皆、同じ種族なのに。


 どうして他族を殺し、自分の領地を広げようとするのか?

 身に余る魔力が危険だというのに、どうして他族が魔力を得る行為を阻むのか?

 皆、自然の恩恵を受けて生きているのに。


 悪意を知らず、悪意に触れることなく、誰からも危害を受けない精霊には、その思考は理解できなかった。


 それでも、広がるばかりの戦争を見て、精霊はひとつだけ悟った。


「守るために魔法を使ったんだよね、優しい」


「痛みを与えないようにしたんだよね、優しい」


「最愛の者を助けようとしただけだよね、優しい」


 やがて、一人の半妖の少女が王座に登り、千年続く戦争に終止符を打った。


 英雄王は怒りをあらわにし、

 魔王は面白がって嘲笑し、

 龍王は倦み果てて帰隠し、

 不死王は沈黙のまま傍観した。


 精霊は、崇高なる魂を持つ半妖の少女を姫として迎え入れた。


 戦争が終わり、人間族の数は五族の中で最も多く生き残った。

 魔族は、魔王なしに自然から魔力を受け取れないようになった。

 龍族は、龍王を初めに仮眠状態に落ちいた。

 不死族は、姿形を消した。


 精霊が用意した王座に座った半妖の少女は、妖精たちによって妖精王として担ぎ上げられ、絶望に染まった瞳で精霊に訴えた。


「私は半妖として、この王座を得ました。……聖なる魔法を授けてくれた精霊よ。私こそ、あなた方が求める“不殺の王”。ならば命じます。“聖女”の名を押し付けられた者たちの魂と引き換えに、私の中で凝り固まった憎しみの時間を──どうか、抹消してください」


 半妖の少女は、悲しみの瞳で自分を囲む者を見回し、

 憎悪の色を宿して彼女を睨みつける人間たちを見渡し、

 最後に星々が瞬く夜空へと視線を上げて、静かに願った。


 天地をつなぐ真白な光が少女を中心に世界へと奔り、光が消えたとき、景色は一変した。


 新緑の大地、碧空を映す大海。まるで最初から世界には五つの種族だけが存在していたかのように──

 不平等に自然の恩恵を受け、平等に精霊の祝福を受けて。


 全ての色を混ぜ合わせた“黒”の半妖の少女。

 それこそが、後に“聖魔法”と呼ばれる力の始まりであった。


 世界の均衡が戻った。


 精霊に愛され、魔法の才に恵まれた妖精たちは西の大森林を領域とし、今も妖精王座を守り続けている。


『……なんで私なの……死にたくない……たすけ……』


 その半妖の少女が最後に零した本音は、もう──

 いや、最初から誰ひとり耳を傾けてはいなかった。彼女がどれほど声を張り上げても、彼女を王座に押し付けた人間族は憎悪の顔で背を向いた。


 その悪夢の残滓を断ち切るように、廊下から慌ただしい足音が響いた。


 スピリトは音に弾かれたように薄く目を開ける。視界に映るのは木装の天井。紺色の長い髪は冷や汗で頬に貼りつき、胸はまだ浅く上下していた。


 ──時がどれほど過ぎようと忘れられない。

 脳裏に焼きついた、悪夢のような月光。


 始まりの聖女は、人間と妖精のあいだに生まれた孤児であり、戦乱のただ中でただ一人、王座に認められた存在だった。


 そして彼女は、スピリトにとって唯一無二の“友”だった。


 彼女が命を落としたときの年は、あまりにも幼い。妖精は千年も生きる種族。たとえ半妖であろうと、その年齢は妖精にとって赤子も同然だった。


 部屋の外で足を止めた者は、むやみに扉を開けようとも、ノックしようともしない。ただ、不安を振り払うように両手の指を擦り合わせている。


 その音が鬱陶しくなったのだろう。スピリトはかすかに息を吐き、長く伸びる声で言った。「……なんの用ですか?」


 許しを得たと判断したのか、男はようやく口を開いた。「楼主さま……また、遊女が消えました」


 スピリトはどうでもいいというように小さく笑い、キセルの端を「カッ」と窓枠にあてた。「……清々しいほどの夜空ですね」


 星の一つもない夜空には、手を伸ばせば触れられそうな満月が懸かっていた。


 月は三つある。


 一つは最も大きく、冷たい白光を放つ。

 その隣に寄り添うもう一つは、白光にかき消されるように淡く輝く。

 最後の一つは夜に溶け込んだかのように黒い──だが、見ようとすれば確かにそこにある。地上の光に染まった空よりもなお深い黒をしているからだ。


 窓から落ちた焦げた煙草の灰は風にさらわれ、歓声と喧噪に耳を塞がれた街から、ゆるやかに逃げていった。


 ゆらり、ゆらり──。

 灰の滓が涼しい風を汚しながらも、流れに乗って運ばれていく。王都地上の喧囂などどこ吹く風とばかりに、灰は地面と並行する小さな穴口をすり抜け、さらにその奥の狭い檻の隙間をくぐって、地下牢へと落ちた。


 牢の中には、ゴミのようにボロボロになった団子虫のような塊がうずくまっている。


 よく見れば、それは──ひとりの人間だった。


 その服は元から黒なのか。それとも、汚れが積み重なった結果、黒く染まっただけなのか。


 ほとんど夜風に散って消えた煙草の灰が、黒影の鼻先にふわりと落ちた。

 その瞬間、霊光を宿した双眸がかっと見開かれる。


 黒影は、かすかに動く鼻先でカビ臭い空気を確かめた。冷たい床に頬をぴたりと押しつけ、その湿り気と冷たさには、もう完全に馴染んでいる。


 そして──誰にも気づかれないほど僅かに口角を上げた。


 それは、頭の内側であの囁きがよみがえったからだ。まるで耳元に吹き込まれたかのように鮮明に。


『檻の外側と内側──その差は、心臓の音がこの世を響く時点で決められた』


 その言葉は、彼女にとって“目覚まし時計”のようなものだった。だから彼女はどんな状況であっても、笑っていられる。


 意識はとっくに戻っていたが、もう一度瞼を閉じて、両耳を澄ませて後ろから聞こえる退屈そうな声を聞き取った。


 男二人の声に加え、左上からは微かに足音と人の話し声が聞こえる。つまり、檻の外に出たとしても、上へと続く出口にはまだ衛兵がいることが分かった。


 情報を集め終えたら、彼女はこれくらいなら余裕だと判断し、身を起こそうとした。しかし、背後で手錠をかけられた両手のせいで思うようには動けなかった。


 それでも邪悪な笑みを浮かべ、この甘い拘束を嘲笑った。


 ゆっくりとこっそり身を起こし、囚われの身でありながらも獲物を狩るような鋭い瞳で、檻の外で机を囲みトランプをしている二人の衛兵を見つめた。


 指を動かし、手首をねじると「ガラッ!」と手枷にじんわりとした振動が伝わる。そこで彼女はようやく左腕の骨が折れていたことを思い出した。


 汚れが目立ちにくい黒い服には、微かに赤く染みた跡があり、「Snow World」と真っ白な文字がその汚れに穢されているのが見て取れた。


 そして、彼女の口から甘くハチミツのような声が響いた。性別を判別できないその声は言った。


「はいは~い、こっち見て~」


 光に照らされ揺れ動く黒影の如く、彼女は続けてからかうように言う。


「……ん?黙ってろって?まあまあまあまあ~、そんなつれないこと言わないでよ~、お兄ちゃんたち~。ほら!」と、揺れる手錠がカラカラと綺麗な金属音を鳴らす。


「大怪我してる人に手錠なんて、大袈裟だと思わない?だからさ~、少しは話に付き合ってよ!」その揺れる光に照らされた顔には、場違いな笑顔が浮かんでいた。


 衛兵の話を遮りながら、彼女は軽い調子で続けた。


「あれ?関係ないって?え~、だって~私、つまんないから死んじゃうかもよ~。それにさ、目覚めたら地下牢にいた人の気持ちも考えてよ~。やだ~、怖いよ~」




序章 最後まで笑っていられるのは私だ! 完

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