2-03
人を刺さる時まず、金属にアレルギーがあるかを聞くべきだ!03
「クレイン、クレイン、クレイン……」
痩せてはいるが美しい精緻な顔立ちの女性が、汗で額を濡らし、ふらつきながらその名を繰り返す。汚れを気にせず床に崩れ落ち、目の前の少年を強く抱きしめた。
「母上……!?」
クレインの記憶は、怪異森林でアキレスに助けられた場面で止まっていた。魔人と遭遇した記憶もない。世間にとっては4年が経過していたが、彼にとっては、つい昨日の出来事のようだった。
「……はあー、ウザ……」
わざとらしく呟いたのは、海唯だった。“母親が子の帰還に涙する”という茶番に見えるやり取りに、辟易していた。
「母上、落ち着いてください。俺は、ここにいます」
クレインはやさしく母の手を取り、自らの頬にそっと触れさせた。
「クレイン……よかった。本当に……お母さん、すごく心配してたのよ……」
「大丈夫です、母上。俺は無事です」
その口調と仕草から、クレインは母を慰めることに慣れていると見て取れた。同じようなやり取りが何度か繰り返され、彼は母の髪をやさしく撫で続けていた。
まるで4年前と同じ――いや、むしろ悪化していた。
奪われた4年間の重みが、母の変わり果てた姿となってクレインに突き刺さる。
「……母上、何もされていなかったですよね……」
問いかける声は穏やかだったが、彼の胸には確かな痛みが残った。
弱々しく、かつての気品を失った母の姿が、彼に家族にもまた代償を払わせた事実を突きつける。
海唯はその表情を見て、納得したように頷いた。大切な人が傍にいるからこそ、人は子供のように“正義”を語れる。守るべきものがあるからこそ、残酷さに無自覚でいられる――それが、彼の「優しさ」なのだと。
だからこそ、彼女は興味を抱いた。もしかすると、この男こそが“飼い主”が求める「光」を導く鍵なのかもしれない。
「王家の恥になるような振る舞いはお控えください」
角の曲がり角から現れたのは、コルフ・ハーディス。いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべつつ、地に座り込む女性にそう告げた。
「あ、兄上……!? 母上、立てますか?手をどうぞ」
クレインはすぐに、後を追ってきた侍女に母を部屋へ戻すよう指示した。
「コルフ……ごめんなさい、私はただ……」
クレインが「母上」と呼んだその女性は、怯えるようにか細く言った。元よりおどおどしていた彼女の態度は、4年間でさらに悪化していた。
「……名を呼ばれるような間柄ではないはずでしょう」
相変わらずの笑顔だが、その言葉には冷たさが混じっていた。
「兄上、そんなにきつく当たらなくてもいいじゃないですか」
「生きていてよかったな、クレイン。ついでに……“臭い黒犬”まで連れ戻すとは。お手柄だ」
そう言いながら、コルフは海唯の方を一切見ようともしなかった。
「おや〜? 王子様、朝食後の歯磨きサボった? ペットキス持ってこようか?」
海唯はクレインを脇へ押しやると、コルフに鼻をつまんで挑発した。
「“臭い黒犬”と言っただけで、まさか自分から答えるとは」
「へえ? ここには“王子様”が二人いるのに、自分だと認めたってことか」
互いに笑顔を浮かべながらも、剣呑な空気が漂う。
クレインはその空気を感じ取って、慌てて海唯を引っ張った。
「あーはいはい! 魔法科はこっちですよ! 兄上、失礼します!」
「……お前、嫌われてるな」
「……兄さんは、本当は優しい人なんだ……昔は……」
「ふーん、ま、私には関係ねーけど。で、あのオッサン、来歴も不明な奴をよく城に入れたな〜」
実際、監視目的だろうと海唯は思っていた。
「我が国は、人材を大事にするんだ!」
誇らしげに胸を張るクレイン。
「……はは、狸オッサン」
小さく呟いた海唯がふと表情を変える。
「……あ、そういやさ」
「ん?」
「貴様の名前、聞いてなかったな」
その瞬間、海唯はまた笑い出した。
「ははっ、お前ほんっと面白いな〜。ってか、さっきから付きまとってるけど、誰だよお前?」
突如、彼女の動きが止まり、ナイフに手をかけた。
「? 誰も……あっ、カファロさん? いつから……?」
ようやくクレインが気づく。というより、カファロが姿を現したのだ。
「クレイン王子、御同行願います」
第三騎士団副団長・カファロ・ヒースは、広場から海唯をずっと見ていた。王座の間に入る許可がなかった彼は、門の外で待ち続けていたのだ。
敵意は感じないが、海唯はうんざりしていた。
「その代わり、ひと勝負――いや、三本勝負してくれ」
カファロは真剣な面持ちで、ふざけたように言った。
「は? 嫌だよ。誰だよお前? てか、話の流れおかしくね?」
「広場での戦い、見せてもらった。すごかった。三本勝負してくれ」
無表情で繰り返される同じ言葉。
「うっざー、この国、話聞かねぇやつばっかかよ」
広場で出会ったことすら忘れていた海唯。興味のない相手は記憶にも残さない――彼女にとっては当然の態度だった。
カファロは勝手に付き添い、勝手に好敵手と認め、勝負を挑んでいるのだ。
「どうやって魔力を消した? その動きのコツは? 系統は? 何種使える?」
「だ・か・ら! ウッゼーって! 自分の尻尾と遊んでろ!」
顔をぐいぐい近づけてくるカファロを、海唯は手で押し返す。
「?」
どうやら皮肉も通じないらしい。
「はあー、とりあえず魔法科に行こう! クレイン、案内」
「あ、うん」
「分かった」
「いや、お前に言ってない」
それでもカファロは当然のようについてきた。
外から見れば、年の近い三人が仲良く戯れているようにも見える。クレインはそんな二人に囲まれ、ひそかに楽しんでいた。
なお、海唯の折れた左腕には、未だ誰も気づいていなかった。
――東棟・魔法科・第1課・研究組
「ここだ。俺は先に、陛下からの命状を渡してくる」
「あいよ〜」
軽く返事しつつ、海唯は小声で悪態をついた。
(やっぱ文字がゴチャゴチャして読めん! 言葉は通じるのに、文字はインストールされないんかい召喚魔法〜。はあー、図書館あるか後で訊くか)
ふと視界にカファロの顔が入り――
「お前は、どっか消えてくんね?」
ハエを払うように手を振る。
「勝負」
『ブファッ』
海唯がドアを開けた瞬間、とんでもない悪臭が襲いかかった。
部屋の中では、角の生えた虎のような魔物が暴れていた。どうやら、その吐息が原因らしい。
「うっ、無理! ティグレマってこんな臭かったっけ!?」「あー! 魔石がー!」「ギャー来ないでー!」
研究員たちは逃げ惑いながら、なすすべもなく混乱していた。
海唯は平然と魔物へと歩み寄り、言った。
「おいおい〜、サーカスの間違いじゃねーの?」
「ガァーッ!」
魔物は威嚇するように牙を剥いた。
「君、何してるんだ!? 危ないから……って、え?」
魔法をかけていた男は目を見張った。
海唯が魔獣にかけられていた聖魔法を“無効化”したのだ。
「ふーん、腐った肉の匂いじゃん」
そう呟くと、魔獣の耳をぐいと引っ張り、目を合わせた。
「……お、あった! これか〜よしよし」
海唯は口の中に手を突っ込み、奥歯に挟まった巨大な針を抜き取った。
魔獣は静かになり、重い呼吸をしながら足元に横たわると、ふっと消えた。
「針草!? まさか、それが刺さって……」
「針か草か、どっちよ?」
笑って、彼女は針状の草を渡した
「改めて感謝します。私は魔法科主任のウルバニ・カストロノヴォと申します。先ほどは身の粗末な姿をお見せし、申し訳ありませんでした」
ウルバニ主任は自分の両手を揉みながらそう言った。海唯は首をかしげて尋ねる。
「で、何してるんだ?」
「どうやって魔法を消しましたのか、魔法の系統はいくつ使えますのか、興味があるのです」
どこかで聞いたような質問に、海唯は適当に「ああ、知らない」と返し、隣にいる男に目を向けた。
「……ところで、お前は誰だ?」
「第三騎士団副団長のカファロ・ヒースです。よろしく」
勝手に主任室に入り、座っていたカファロ副団長が再び自己紹介した。
「いや、出てけよ。お前には用はない」
そう言ったが、海唯は覚える気はなかった。
「おお、さすがティグレマと真っ向勝負できる人ですね。副団長に対して『お前』呼ばわりとは……。君!すぐポーションを持ってきて!」
ウルバニは海唯の手を揉んで魔力量を計ろうとしたが、すべて弾かれてしまった。仕方なく聖魔法の「検知」を発動すると、全身に多くの傷が検知された。
「いやいや、待て待て……お前は出てけ!」
海唯は慌ててウルバニを掴み、カファロを放り出した。
こうして部屋には二人きりになった。
「で、なんで知ってるんだ?」
ニコニコしながらも殺気を放つ海唯に、ウルバニは答えた。
クラマーの時は血が服に滲んでいたが、ウルバニはただ手を揉んでいるだけで袖もまくっておらず、傷は見えなかった。それでも怪我を知られたことに動じないのは、普通に暮らす者だけに許された権利だ。裏世界では「殺せ」と言っているようなものだが。
「あ、申し訳ありません!本人の同意もなく好奇心だけで『検知』を使ったのは魔法治療師として失格です。本当に申し訳ありません!」
ウルバニの言葉に、彼が殺気を持たないタイプだと理解した海唯は、頭の中で整理した。
『つまりあの「検知」で知ったのか……クラマーが言ってた「三角の目」の効果と似てるな。魔法や身体の状態が分かるってやつか』
「魔法治療師って、魔法で治す人?」
「そうです。怪我や病気の時、ポーションを塗ったり飲んだりするのが一般的ですが、魔力量が低すぎたり暴走したりした時、その魔力の乱れを一定に整えるのが魔法治療師の仕事です」
「検知で何か分かった?」
「君の魔法状態と身体が混乱しています。体中を流れる魔力が何かに縛られたように暴走し続けている。そのせいか、先ほど自分の魔力を君に流してみましたが、弾かれました。身体の状態も最悪なのはその影響でしょう」
「おお、魔法治療師すげえな!名前はウルバニだっけ?怪我は治せるのか?」
嬉しそうな顔で海唯は「こいつ使える!」と思った。
「ええ、ですから今、試しにポーションを……」
「ところでさ、内臓の軽傷は紫3本くらいで、骨折は折れ方にもよるけどキレイに折れたら紫1本くらい、これ合ってる?」
「……そうですが……」
「で、ポーション以外で怪我を治す方法はある?」




