30-02
挑発と挑情は紙一重 02
王都のレークラ区と、教会本部の大聖堂がそびえるリニチオ区。その二つの区画にまたがる場所に、第二騎士団の本部はあった。
王室と教廷を結ぶ要衝であり、中立を象徴する立地でもある。
そして、アキレスが騎士団の給料で買い上げた庭付きの一軒家も、ここにあった。
「これは団長さまがくれた、ジュディアン帝国大使館の職員資料から、事件に関わる人物をふるいにかけた“表向き”の資料だ」大げさな衣装をまとった少年が、分厚い袋を会議卓の上にドサリと放り投げる。
さらに彼は一枚のカードを袋の上に投げ落とす。「そしてこれが“裏”の資料だ」口角を吊り上げ、曖昧な笑みを浮かべた。
海唯は片眉を上げる。「動きが早いな~」カードを手に取り、最上段から最下段までざっと目を走らせる。「……“裏”の資料って、性癖関係ってこと?」
「おや、不満かい?」少年は惜しむように小さく嘆息する。「第七王女付きの運転士の女装癖とか、ジュディアン大使館の侍女と王国教会の使徒が路地裏で逢瀬を重ねてる件とか、興味があると思ったんだがね」
あれは実に見ものだった。
「人のプライベートをついでのように掘り返すな、ディオ・マノディ」アキレスは不機嫌に鼻を鳴らす。「言われた仕事だけきっちりやれ」
「もちろん!団長さまのもとで衣食住に恵まれてるんだから、感謝してるさ」
ディオ・マノディは肩をすくめ、悪びれもせず笑う。「だからこそ、こうして仕事を遂行してるんだろ?」
「お前……やるじゃないか」海唯はカードをアキレスに手渡し、ディオ・マノディの腕を評価する。「さすがは下水に巣食う鼠だな」
そのカードには一人の資料だけ書いてあった。
「やめてくれよ。俺は鼠なんて大嫌いなんだ」
ディオ・マノディは大げさに顔をしかめた後、再び口元を吊り上げる。
「ちなみに“表向き”の資料だが――三十人のうち、二十九人はプリマベラ・ジュディアンに殴られた経験あり、二十二人は王国の教会から賄賂を受け取った前歴あり。六人は失踪中。二十五歳以下の女性職員の三分の二は服を盗まれる被害に遭ってた」
「そんなこと知ってどうなるんだよ!」ストロが苛立ちを隠さず声を荒げた。
それは、彼の仕事の成果を海唯にボロクソに言われたのに、ディオ・マノディの持ち帰った情報は褒められたからだろう。
ディオ・マノディは肩をすくめる。「もうストロさんは俺のボスじゃないんだぜ?怒鳴られても怖くない~」
そう言いながら、彼は“表向き”の資料を開き、一冊の綴じ紙から六枚の個人ファイルを抜き出して机に並べる。
六人の共通点は――「女性」であり、なおかつ「お下がり」だった。
「お下がり?」アキレスが首を傾げる。その語を聞いたことがないらしい。
「これは、元住人のストロさんから説明したほうが分かりやすいと思いますよ」殴りたくなるような顔つきで、ディオ・マノディはそう言った。
ストロは彼を睨みつけたあと、渋々説明する。
「ジュディアン帝国は国民の八割が魔法を使える国だ。そして魔法の才能は女性のほうが高い。だから女性の地位は自然と高くなる。だが、残りの二割の中にいる女――つまり、“魔法を使えない女性”は、普通の男より立場が危うい。……下賤民って呼ばれてる」
「そうです!」ディオ・マノディは親指を立て、続きを補った。「人ってのはなぁ、ときに強制的に“見たくもない”もんを見せられる。俺だって本当は見たくなかったよ――」
「もったいぶるな、早く言え!」ストロが苛立ちを隠さず急かす。
「やっぱり、この階級のある世界は……人が人を食う時代になっちまったんだなぁ」
あれはまさしく悪夢だった。夜中に一人で便所へ行きたくないレベルの怖さだった。ディオ・マノディは感慨深げにうなずいたそのとき、海唯が勝手に割り込んだ。
「そして、そいつは食った人の姿になった……とか?」適当に言った。そして、当たった。
「!?……おや?さすが、理解力バツグンだな!そうっす。その野郎は部屋で女装に着替えたあと、女を食い始めて……それからその女の姿に化けたんだよ」
「運転士……女装……下賤民……」海唯はぶつぶつと呟きながら、脳裏でいくつかの点を繋ぎ合わせていた。夢だと思っていた出来事が甦り、ひとつの完全な地図として形を成す。
クレインが魔人と契約した件を解決してから、彼女は幾度も“前の”出来事を夢に見てきた。最初にその夢を見たのは、病院を出た後。ジュディアン帝国の車に轢かれ、“眠っていた”あの時だ。
その日の出来事を思い返しても、夢のきっかけはどこにも見つからない。いや――ありすぎて、結局は「ない」のと同じだった。
しかも夢に現れるのは“前の”出来事だけではない。“今の”展開が、不思議なほどにあの時の節目と重なり、しかも回避できない。まるで抗えぬ力に引き寄せられているかのように。
抗えぬ力――それは彼女を再び、この魔法世界へと引き戻した。
魔法世界か……。元の世界だってさほど良い場所でもない。……でも、どちらにしても――もう、あの三人はいない。
そう思った瞬間、海唯から濃密な殺意がにじみ出た。
刹那、場にいた三人は同時に身を震わせ、一斉に彼女へと視線を向ける。とりわけディオ・マノディの反応は大げさで、まるで鼠のように壁際へと身を縮め、手はすでにドアノブを握っていた。もしそのドアが外開きなら、とっくに逃げ出していたに違いない。
しかし海唯は誰を見ているわけでもなく、机上の資料に視線を落としたままだった。
耳や鼻や目といった感覚で察しているのではない。それはまるで動物が第六感で天敵を感じ取るような――死線を潜り抜けた者だけ持っている警鐘で、生死の境を渡り歩いてきた者にだけ届ける信号だった。
この場にいる全員が、そのような身の危険を感知できる第六感を持っている。
「ああ、わりぃわりぃ」海唯は顔を上げ、いつもの完璧な笑みを浮かべた。「要するに、その運転士はもう逃げようとしてるんだろうな」
彼女の頭の中には、これまで集めた情報から組み上げた関係図がある。――あの二人、運転士とプリマベラは、本来ただ一部の目的が重なっただけの協力関係だ。運転士がほんの少し、彼を手助けしたに過ぎない。
「要するに?」アキレスが淡々と返す。先ほどの情報だけでは、そう結論づける理由が思いつかない。説明が足りない、と彼は感じていた。
「あの人を殴るのが趣味のサド野郎の処置でも考えてろ」海唯は机上の茶杯をつかみ取り、彼の口元にぐいと押しつけた。
アキレスが杯の中身を飲み干す間に、海唯はストロとディオ・マノディへ明確な指示を下す。
「これをサド野郎の部屋に隠してこい」
机に並べられた数本のポーション。水のような透明の色。
できれば海唯は大使館にも空瓶を置いておきたかったが――あそこの物はすでに第三騎士団に回収され、リスト化されて調査中だろう。惜しいところだった。
「りょ、了解っす……」ディオ・マノディは震える声で、無理やり笑みを作る。
「これは何だ?」ストロが口を開く。
「人を生き返らせる薬だよ」海唯はにこやかに答える。
「そんな薬、本当にあるのか?」水を飲み干したアキレスが驚きに目を見開く。
「ない。あるわけがないだろ?」海唯はバカを見る目で、三人を順に見やった。どうやら、他の二人もアキレスと同じ疑問を抱いたようだ。
「これはサド野郎にしか“使えない”薬なんだよ」
三人は顔を見合わせ、揃って疑問の表情を浮かべる。
「まあー、あとで分かるさ」海唯の笑みは不気味なほど輝き、三人の背筋をぞくりと震わせた。
証拠がないなら、作ればいい。彼女はあの傲慢で無知なサド野郎を使って、“運転士”を炙り出すつもりだった。
話が終わると、ディオ・マノディは逃げ出すように屋敷を後にした。
ストロも立ち去ろうとしたとき、不意に海唯に呼び止められた。「おい、不良くん」
何となく、それは自分を呼んでいるのだとわかったストロは振り向かえた。「俺、そう呼ばれてんだ?」と、不機嫌な態度は変わらない。
「カスってのは、ただ昔の私の口癖だ。気にするな」
「……はっ!気にしてねーけどな!だが、今月分の家賃でチャラにする」その言葉で、ストロの不機嫌はあっという間に吹き飛んだ。
「まあ、別にいいけどな」海唯は金に頓着しない。お金の出処は合法かどうかはともかく、何箇所の宿代はすでに半年分前払いしている。
それに加えて、貴族坊っちゃんから巻き上げた金貨九枚で、人生の二十年分の努力は省けるのだから。
二人きりになると、アキレスは海唯を二階の書斎へと案内した。棚から「極秘」と印された資料袋を取り出し、中の一枚を海唯に見せる。
「どう?見覚えは?」
「ああ、病院で私を殺そうとした奴だな」
その答えぶりに、アキレスは再確認した。彼女は自分を殺そうとする相手がいても、少しも気にしていない。たとえその人が本当に目の前に現れたとしても、彼女は特に揺れ動くことはなかった。
腕に自信があるからか。それとも死を厭わぬからか。
「そいつらは教会の私兵――使徒。暗殺計画に関わった全員が、今朝、地下水路で死体で見つかった」彼はそう告げた。
今朝。神悦祭りの当日。そしてこの袋こそが、その暗殺計画だった。
「うっわ~」海唯はコメディでも聞いたような顔で尋ねる。「穢れ?それとも魔人絡み?」
第二騎士団の管轄。アキレスが持っているとはそいうことだろう。
「魔王が殺した」アキレスは袋を結界の張られた棚に戻し、答えた。
「わう~」海唯はようやく興味を見せ、机の上にひょいと腰を下ろす。「なんでわかった?」
「なんでそんなに気にする?」アキレスは質問を返す。
「私の知ってる魔王――オルデイネ・ウ・ノウフォは、そんな簡単に王座を譲る奴じゃない」海唯はニヤリと笑った。
「『聖魔の力は消されない。魔王より』。そう、奴らの血で地下水路の壁に書かれていた」アキレスは答えつつ問い返す。「オルデイネ・ウ・ノウフォは四年前に封印された。……お前は、どうして彼を知っている?」
「誰が封印した?」今度は海唯が返す。
「当時の第二騎士団副長、コンスタンス・ローゼ。その時の団長はリヒル・ダーテオだ」アキレスは正直に答える。
「私が魔人だから」海唯は微笑み、挑発するように言った。「って言ったらどうする?」
「ここで監禁する」アキレスは一歩近づき、表情を崩さぬまま即答した。「……って、言ったら、どうする?」
「ひゃはっ!」海唯は吹き出した。「お前、本ッ当、細かいとこ気にして、妙なとこに鋭いな」
彼女は十七歳だと自称している。そして、オルデイネと初めて会ったのは十四歳の時だとも。
だが、前代魔王――オルデイネ・ウ・ノウフォは、彼女が十三歳のときに封印されたはず。
つまり、この状況は海唯が何を答えても、おそらく嘘になる。なら……
「私、親がいないんだ。誕生日も知らない」海唯はあっさりそう言った。
……なら、アキレスが基準としている尺を壊せばいいんだ。基準を壊せば、相手は追えない。
「……ずるい」アキレスはそう漏らすしかなかった。
それは、海唯が「一つの質問に一つの答えを返す」というルールを破ったからだ。彼女がそう答えてしまえば、アキレスはもう問いを追い求めることができなくなる。だからこその「ずるい」だった。
「約束するよ。私はお前に危害を加えない」海唯は小指を差し出す。
そして、彼が理由を問う前に海唯は不敵に笑って、答えた。
「お前を怒らせるのは、面白いからだよ~。アキレス」
それからの話は、実に単純だった。
ジュディアン帝国第七王女にして神裔、ピアチェ・ジュディアンが“自分の力”だと信じ込んでいた“死者蘇生”の奇跡は、すべてプリマベラによる偽造にすぎなかった。ピアチェはただ、巧みに欺かれていただけなのだ。
それを思い知らせる手段も、また単純だった。
帝国大使館の職員には、もともとプリマベラに個人的な怨恨を抱く者がいた。わずかな保証を与えば、王国教会の使徒との逢瀬の最中に、仕事への愚痴をこぼすふりをして情報を漏らす。
そして、帝国神官に反感を抱く王国教会の神職員は、あえてそれを聞き取らせるように帝国神官たちを揶揄する。
そうして流れた噂は、やがてピアチェの信者たちの耳へと届く。




