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傭兵聖女  作者: 崎ノ夜
144/159

29-02

 俺の兄ちゃんがこんなに可愛いわけがない 02


 あの攻撃は、明らかに彼女を殺すためのものだった。


 少女はとっさにクレインを押し避け、自身も後方へ跳んで距離を取ったが、首の右側には浅くない切り傷が残った。


 もし攻撃の直前、石が砕けるようなかすかな音がなければ、首は落ちていたかもしれない。


 痛みに構っている余裕はない。少女は双小刀を抜き、波のように押し寄せる攻撃を捌きながら、反撃の隙を探る。


 その瞬間、自分の首を裂こうとしたものが「爪」だったことに気づく。


 “コルフ”の両腕と脚には龍鱗が浮かび、まるで龍の四肢のように変貌していた。黒く尖ったその爪は、少女の小刀にも引けを取らない硬度を持っている。


 いや、それ以上かもしれない。


 ……魔力が、刀に通らない!


 異変にすぐ気づき、少女は戦い方を切り替える。


「なるほど、お前だったか? 双子だから傍に居てもおかしくないね」表面上は余裕のある口調だったが、防戦だけで精一杯だ。


「ハッ、今さら気づいたのか?遅ぇな」“コルフ“は嫌悪に満ちた笑みを浮かべながら、間断なく攻撃を続けた。


「いやいや、ずっと前から気づいてたさー」少女は言い返す。口喧嘩すら手を抜かない性分だ。


「フィデルテイの傍に居るには、彼の双子の兄弟になったほうが一番だろう? 加えて、第一王子さまだし、出入り放題で、何しても怪しまれないよな! それに、私を見た瞬間、あの目、嫌悪、だったもんね? “あの遊び”が好きなわけだ」


 彼女はそう言ってはいるが、実際のところ、目の前の事実──探している奴が“コルフ”の姿に化けていたということだけを根拠にした、――ただのデタラメに過ぎなかった。


「どうだ! 聖魔法使いの魔因子は手に入れた?」少女はわざとのように、”コルフ”を刺激した。


「相変わらず状況が悪くなると口数が増えるな!」怒号とともに、“コルフ”の攻撃がさらに激しさを増す。まるで呼吸など不要と言わんばかりに、速度と重さを兼ね備えた連撃が少女を追い詰めていく。


 少女の服は裂け、あちこちに赤い痕が滲む。


 それでも、顔色ひとつ変えず、彼女は言葉を続けた。まるで劣勢に気づいていないかのように。


「ああ、そういえば。てめー、魔王の暗殺を命じられてたんだっけ?使い捨て要員だったくせに。命だけは助けてやった私って、ある意味“恩人”だと思わない?礼はいらないけどさ、ちょっとくらい話しをしようか!」言葉を交わしながらも、少女は“コルフ”の体に刻んだ切り傷が再生するタイミングを見極めていた。


「ハッ、冗談はその可笑しい白髪だけにしろ!ここじゃ聖魔の力は使えねぇ!人間風情が、龍に勝てると思うな!」


「あれ? “半龍”だろ?」少女の皮肉めいた言葉が、半龍少年の怒りに火をつけた。


「うるせぇ!!!何度も何度も邪魔しやがって!」その叫びは、人の喉から出したとは思えなくて、まるで龍の咆哮のような響きだ。


 地面が砕け、彼が矢のような速さで再び襲いかかる。


 少女は一歩も退かず、足を滑らせるように体をずらし、すれ違いざまに小刀を閃かせた。


 半龍少年が化けた皮膚の下には、鋼のような龍鱗が張り巡らされていた。双小刀はかすり傷を与えたが、すぐにその傷は塞がっていく。


「……っち、ずるいな」


「はははは、ずるい?人族がそんなことを言う資格はない!」半龍少年は喉の奥で笑い、片腕を振るった。鋭く伸びたその爪はもはや武器であり、斬撃と同時に大気を裂いた。


 少女は咄嗟に身を沈める。肩先をかすめた風圧が地面をえぐり、背後の岩を粉々に砕いた。飛び散った破片がクレインの顔をかすめる。


「わっ……!」


「あとで感謝してやるから、今は下がってろ!」少女の声は短く鋭かった。


「え、俺様はなんかした?!ってか、コルフ兄ちゃんは戻に戻れる?!」クレインは頭を抱えながら後退する。しかし、半龍少年が振るった爪が退路を崩し、出口を塞いだ。


 少女は小刀を逆手に構え、再び前に出る。左手で地を叩き、跳ね上がった土埃の中から閃光のような一撃。狙いは半龍少年の顎下。


 だが、龍の反射神経はそれを見切っていた。


「おっせーよ!」振り返りざま、彼は尻尾のようにしなった脚を叩きつける。


 少女は地面を転がって回避し、直後、砕けた岩石の破片を半龍少年に投げた。


 一つが目の縁を裂き、一つが頬と耳に突き刺さる。


 だが、彼は顔をわずかに歪めただけで、止まる気配はなかった。「効かねえよ、それぐらいじゃ……」


「どうかな」少女は静かに答える。その目は冷たく、それでいて確信に満ちていた。次の一手が、この均衡を破る。そんな目だった。


 彼女は一切の迷いなく、手にしていた片方の刀を投げつけた。


 まだ半龍の少年が「刀すらまともに扱えないのか? それとも目が見えないのか?」と嘲っている最中――


 その背後、岩壁から不気味なひび割れ音が響いた。


 最初は遠くで鳴る爆竹のような細い音だったが、すぐにその衝突音は天洞全体を揺るがす轟音へと変わった。


 刀が突き刺さった箇所から、まるで伝染するように岩壁に裂け目が走り、大小の岩が次々に頭上から崩れ落ちてくる。


 それなのに、天井に開いていたはずの天口が、まるで日蝕のように暗く覆われていった。


 その混乱の中、少女は半龍の視線から身を隠し、クレインの手を引いて洞窟の外へと向かう。


「ま、待て!コルフ兄は!?おい!」クレインは引っ張られながらも振り返り、コルフを見つめた。「コルフ兄ちゃんは?!」


「アレはもうお前の兄ちゃんじゃない!黙って走れ!」少女は振り返らずに叫び、落ちてくる岩をかわしながら走る。


「乗っ取られただけだ!身体を奪われただけだ!」クレインは必死に叫び、少女の足を止めた。「だから俺は“源ノ池”を探してたんだ!コルフ兄ちゃんの中にいる“何か”を追い出すために!」


 クレインは今になって、ようやくその口を緩めた。


 それを聞き、少女は一瞬だけ足を止めた。今までのクレインの行動に納得したのだ。


「お前がそれに気づいた日には、もう“兄ちゃん”は食われてた」彼女は落ち着いた口調で静かに告げる。


 クレインは言葉を失い、悲しげな顔でその場に立ち尽くす。


「アレは半龍。自力で人型になれないから、人を喰らって形を奪う」


「は?……何言って……」クレインは信じられるはずがなかった。


 まだ助けられると思っていた。


 方法を探し続けて、ようやく見つけたと思った。


 その矢先に、数日前に現れたばかりの少女に「無理だ、諦めろ」と突きつけられても、すぐには受け入れられない。


 だが、少女にはその気持ちは理解できなかった。


 今まで自分の意思で誰かを救いたいと思ったことなど一度もない。だから彼女にとって、今のクレインは駄々をこねる子どもにしか見えなかった。


「喰われたんだよ。もう、骨の一本すら残っちゃいないんだ。殺されたくないならさっさと走れ!」少女はクレインの頭上に落ちかけた岩を叩き落とし、再び彼の手首を掴もうとする。


 だが、クレインはその手を振り払い、“コルフ”のほうへ走っていった。「コルフ兄ちゃん!!!」


「はあ?!」


 少女には理解不能だ。


 その時、崩れ続ける岩の中から、ひとつの銀色の影が現れ、少女をすり抜けてクレインへ走り出した。


 彼はクレインを掴み、容赦なく一発殴ると、背中に担ぎ上げて駆け出した。


 アキレスだ。


 どうしてここに? どうして、ここまでついてきた?


 少女が気づかないはずがない。


 気付けない理由があるとすれば、ただ一つ。――敵意がなかったからだ。


 あれほど自分を憎んでいたはずなのに、微塵も敵意を感じなかった。そんなことが本当にあるのか? 彼女がそう思いながらも、今は考えている余裕すらなかった。


 アキレスはそのまま、ギリギリでクレインを洞窟の外へと投げ出す。


 少女も彼を推し出すつもりだった。だが、間に合わない。


 背中で推していた手を反転させて彼の服を掴み、後方へと引き戻す。


 二人は同時に後ろへ座り倒れた。


 ちょうどその瞬間、一つの巨大な岩がアキレスの足元に落下し、靴の先端をかすめながら、最後の開け口を完全に塞いだ。


 洞窟は密閉され、わずかな陽光すら届かなくなった。


 今、闇の中で唯一の光は、“源ノ池”の透明な輝きだけだった。水面に淡く反射するその幽光が、かろうじて周囲を照らしていた。


『……くそ、運が悪いな……』少女は、自分の腕の中で座り込むアキレスを見下ろしながら、虚ろな目で思った。


 崩落は徐々に収まり、砂や小石だけがぱらぱらと落ち続けている。


 少女は身をかがめ、アキレスの耳元で小声で囁く「湖の向こうに洞窟がある。そこへ走って」


 体から重みが離れた瞬間、少女は再び岩壁を刀で叩き、わざと音を立てて半龍の注意を引いた。


「よう〜、どうだった? この骸骨、見覚えでもあるの?混血」彼女はそう言いながら、刀の先で岩を引っかく。鋭く、神経を逆撫でするような嫌な音が響いた。


「人間風情が!」それは、半龍少年が二度目に吐いた言葉だった。だが今度は、その表情には明らかな屈辱と怒りの色が滲んでいた。


 龍骨天洞りゅうこつてんどう――その名の通り、龍の骸骨で形作られた自然の奇景だ。


 岩と思われていた壁の正体は、巨大な龍の骨だった。先ほどの崩落で、骨に絡みついていた蔦が断ち切られ、付着していた土や岩が落ちていく。


 露わになったのは、灰がかった白い骨。


 だが、外の光が差し込まなくなったのは、骸骨の表面を覆っていた龍鱗が、まるで骨と一体化していたかのように密着していたためだった。


 それを背景にし、湖の青白い幽光に照らされた半龍少年の顔は不気味な顔色になった。


「お前だって、半分は人間だろう?」


 少女の挑発はこれ以上のない成功を得た。


 半龍少年は自我を失うほどの怒りに、思考を占拠された。


 青白い光が、湖面から洞窟の天井へと淡く反射していた。水音すら息を潜める空間で、ただ一つ響いたのは、少年の荒い呼吸と、少女がわざと刀で岩を叩く音。


「――ッ!」


 半龍の少年が、地を砕く勢いで突進し、爪が石を裂く。牙を剥いた口から漏れる唸りは、もはや人のものではなかった。


 少女はその突進を見切り、紙一重で体をひねってかわす。風が彼女の髪をなびかせ、すぐ隣の岩壁に深く爪が突き刺さった。


「クッ……!」


 返す小刀。少女の刀がきらりと閃く。


 だが、半龍少年の鱗に傷つけずに小刀は弾かれた。その隙に、龍の脚へと変わった少年の足が振るわれる。岩を砕くほどの踵落としが、少女の頭上をかすめ、地面をえぐった。


 水飛沫が舞う。


 少女はそのまま湖畔の縁に後退し、足元を滑らせながらも構えを崩さない。

 彼女の目だけは、冷静に彼の動きを追っていた。


「アアアァァアアァァ……!!」


 半龍少年が吠える。鋭い爪が、斜めから少女の首を狙って飛ぶ。


 次の瞬間、少女の体は重力に逆らうように後ろへ跳ね、湖の水面すれすれに落下する。


 その直前、彼女は地を蹴るふりをして足元の岩を弾き飛ばしていた。岩は弧を描き、半龍少年の視界をかすめる。


 本能でそれを腕で払いのけた、その一瞬。


「ちょいと落ち着けや!カス!」少女の声とともに、彼女の小刀が、龍化した足首の内側、鱗の綻びを裂いた。


 半龍少年がよろめいた瞬間、彼の足元の石が水圧で砕け、バランスを崩す。


 そして、落ちた。


 ずぶりと、湖の中へ。


 青白い光が、水中に引きずられる彼の輪郭をぼやかす。なおも足掻こうとするが、少女は一瞬たりともためらずに、両手で彼の頭を中へ押さえ込む。


 源ノ池と交えていた湖の水はすぐさま彼を噛み付くように、押し寄せてきた。


 彼は体中の魔力も力もどんどん吸い込まれて、やがて、水面でバタバタ叩く両手も止まり、冷たい水音だけが、洞窟に響いた。




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