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傭兵聖女  作者: 崎ノ夜
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第26シナリオ 寝よ、夢の中にはなんにもある。01

第26シナリオ 寝よ、夢の中にはなんにもある。01


 力とは、何だろう?


 強い人には、いろんな種類がある。


 毎日、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られ、上司にパワハラされても黙って耐え、クライアントにセクハラされても受け流し、先輩の尻拭いに奔走しながらも、自分の仕事をきっちりこなす人。


 そういう人は、強い。


 学校で毎日、小さな嫌がらせを受け、先生も見て見ぬふり。家でも何も言えず、唯一注目されるのは成績だけ。それでも毎朝、早起きして学校を通い、勉強に励む人。


 そういう人も、強い。


 大切な人を亡くし、ふとした瞬間に涙がこぼれ、気づけばその人の分の食事を作ってしまう。そんな喪失感を抱えながらも、きちんとご飯を食べて、眠って、日々を送っている人。


 そういう人だって、強い。


 でも、それは「力のある人」とは言わない。


 本物の「力」は、たった一つだ。


 暴力。


 暴力は、すべてを壊す。どんなに「強い」人でも、暴力の前では何もできず、壊される。


 命も、意志も――痛みの前では、あまりにも脆い。取るに足らないほどに。


 では、生まれつき自分の痛みも、人の痛みも感じない人は、「暴力を超えた存在」と言えるのだろうか?

 

 では、生まれたときから理不尽な暴力にさらされ、それでもなお生き延びた者は、それを、「力がある」と言えるのだろうか?






 天井には煌びやかなシャンデリア、棚には磨かれた宝石が並び、テーブルの上には帝国でも最高級とされる菓子が山のように積まれていた。部屋中、甘ったるい香りと光沢のある贅沢品で溢れている。


 だが、その中心に座る少女の顔には、まるで何一つ価値がないかのような退屈な表情が浮かんでいた。


「こんなの、もう飽きたわ」ピアチェ・ジュディアンは退屈そうに言い放ち、手にしていた水晶の置物を床に叩きつけた。


 音もなく砕けたそれに、周囲の侍女たちは誰も声を上げない。悲鳴も咎める声も、ここには存在しない。命じることも必要なく、片づけに動いた。


 彼女は飴細工のように繊細なケーキを一口も食べず、指で押し潰し、そのまま近くにいた侍女のスカートに投げつけた。


「甘い、甘すぎたわ!ダイエット中で言ったはずよ」そう言い、ピアチェは庭へ向かおうと立ち上げた。


 そして、侍女たちは、命じられるよりも先に彼女の行く道を開き、誰一人、声を発することなく、ただ瞳を伏せ、まるで神の啓示に応じる巫女のように。


 ピアチェに従うという行為それ自体が、祈りであり、儀式であった。彼女たちにとって“神裔エルディス”は、敬愛と畏怖を同時に捧げる存在だった。


 一方、車を整備している運転士は、対照的に口笛を吹きながらエンジンをかけた。「また面白いことやってるな、ピアチェさま」と冗談まじりに笑いかける。


 車に寄りかかり、プリマベラはただ静かに彼女を見つめる。「もうすぐ忙しくなるから、好きにやらせろ」


 彼にとってピアチェは、主君でも神でもなく、ただの気まぐれな遊びの延長だった。


 毎年、女神ミネルディアが降臨したとされる月、人々はそれを「神悦の月」と呼び、一か月にわたる神悦祭を執り行う。


 第一週は、ジュディアン帝国。剣舞の踊りを捧げ、女神の武勇を称える。


 第二週は、プーセル公国。白銀の糸で絹の川を紡ぎ、女神の高潔を讃える。


 第三週は、アデレード王国。浄化の歌を奏で、女神の安らかな眠りを祈る。


 そして、第四週。すべての人間の国は静寂を守る。それは、女神が再び深き眠りに就くための“沈黙の週”であり、神悦祭の終着点でもある。


 この一月を通して、神裔エルディスであるピアチェには重要な使命が課せられる。


 女神ミネルディアの声を聴き、人間の国々と他種族の均衡を保つための“対話”を執り行う。


 それが、神悦祭の根幹であり、彼女の宿命だった。


 アデレード王国に滞在している間、ピアチェの「一緒に遊べる子が欲しい」というたった一言で、使徒(アポーストラ)は王国の貴族家に接触し、その少年たちにクスリを与え、大使館に定期的に“遊びに来させる”取り計らいをした。


 少年たちの体調が、周りに気づきにくい程度で、日に日に蝕まれていったことなど、ピアチェの知るところではない。


「もっと綺麗な宝石が欲しい。誰でも持ってないようなやつがいいわ」


 その気まぐれな言葉にも、使徒(アポーストラ)は王国に存在する希少鉱石をすべて調べ上げ、買い占め、届いた宝石はピアチェの足元にまで積まれた。


 けれど、ピアチェはそれでも足りない。


「外で遊びたいの。街とか、海とか、雪の上でもいいわ!」と、ピアチェがそう口にした時だけは、決まって同じ返事が返ってくる。


「そんなところより、新しく調達したアクセサリーを見てみませんか?ピアチェ様」と、このように、運転士は必ず強引にも話題を変える。


「なんでよ……!」今回も、いつものように、ピアチェがソファの上に置いてあった宝石箱を蹴り飛ばした。


 中身が空中で散らばり、まるで雨のように床へ落ちる。カラン、カランと硬質な音が静かな部屋に響く。


 彼女は膨れた顔で床に足を打ちつけ、小さな子どもがダダをこねるように叫んだ。


「退屈!こんなの、つまらない!」


「では、教会のお庭へ花見に行きます?一緒に」プリマベラはパッと、本をしまい、うるさいガキを黙らせようとしている口調で話をかけた。


 そしたら、ピアチェは嬉しそうについてきた。


 帝国第七王女にして、神の血を引くと讃えられる“神裔エルディス”。その存在は、民衆にとっては希望であり、上層にとっては支配の象徴であり、


 プリマベラ・ジュディアンにとっては――ただの“退屈しのぎ”だった。


 ピアチェは常に純白のドレスをまとい、ザクロのような鮮やかな赤髪を風に揺らす姿は、まさに神話から抜け出たかのように神々しく。


 だが、その歩みには自らの意志がない。何を食べ、何を望み、何を信じるのか。すべて他人の手によって整えられ、提供され、強制された「選択肢」だけを従順に受け入れてきた。


 それすら気づかずに、どんどんわがままを増している彼女は今でも、神裔エルディスとして完璧に振る舞い、神座の檻の中で輝き続ける。


「哀れだな」とプリマベラは思う。


 だがその“哀れさ”こそが、面白い。


 彼はいつも静かに、離れた場所からピアチェを見つめていた。その瞳に情などない。ただ、冷たい愉悦と残酷な好奇心が燃えている。


 神の子と言われている神裔でも、たった少しの“暴力”で崩れ落ちるのか?その瞬間を、プリマベラは心から楽しみにしていた。


 楽しみに待っていた。そして、時が来た……


 そろそろ、飽きてきた。


 今日、プリマベラはもっと、面白い子を見つけた。


「な、何なんですか! あなた……近づかないで!」蒼白い午後の光の下で、エルバは毅然と立っていた。頬には、プリマベラに殴られた痕がまだ生々しく残っている。


 それでも、彼女の瞳は濁っていなかった。弱さも、怯えも、そこにはなかった。


「おいおい、ご機嫌斜めだな?」プリマベラは面倒くさそうに肩をすくめる。「それより、貴族のお嬢様が下僕の服を着るとは。いい趣味だな」


 エルバはもう相手にしたくなかった。ノービレ家の執事にウルバニを迎えに行かせると、無言で馬車に乗り込んだ。


 だがプリマベラは諦めない。ドアの隣に立ち、窓越しに話しかけてくる。


「その男はお前の何だ?やけに庇うじゃねえか?それとも、ただ聖魔法が欲しいだけか?」


 その声は甘く絡みつきながらも、刃のように鋭い。緋色の唇がわずかに歪み、獣のような好奇心に満ちた目でエルバを舐めるように見つめる。


「なあ、何で怖くない?お前も痛みを感じないのか?」


 エルバは何も答えなかった。ただ、スカートの裾に隠した手を、ぎゅっと握りしめる。拳は小さく震えていた。


 プリマベラはココッ、ココッとしつこく窓を叩く。御者が止めようとしても、彼はまるで聞こえていないかのように無視し、そのまま拳で御者の顔を殴りつけた。


「なっ!?何を――!」エルバは驚いて馬車から飛び降り、御者に駆け寄った。


 そのとき、プリマベラの指先が、エルバの髪に軽く絡む。「俺から逃げれると思ってるのか?」


「――俺の女を触るな」低く、よく通る声が空気を断ち切った。


 その声とともに、プリマベラの手が弾かれる。ウルバニが現れた瞬間、周囲の空気が一変した。


 その目に、容赦はなかった。迷いなくエルバの傍に立ち、肩を引き寄せる。


 だが、プリマベラは怯まない。むしろ、楽しそうだ。


「ああ、そういうこと?こういうデブが好みか」ウルバニを見下すように品定めし、ふてぶてしく彼の腹の肉をつかんで言った。「なあ、この女、俺にちょうだい?」


 その目は、まるで人間ではない“なにか”を見ているような色をしていた。


 ウルバニは無言のままその手を振り払い、エルバの腰を抱き寄せて馬車に乗る。


「っふ。意外と力あるじゃん」プリマベラは気にした様子もなく、ふっと鼻で笑う。「おい、困ったら俺のとこに来いよ」


 エルバは何も言わない。ただまっすぐに、プリマベラを睨み返したまま、馬車はその場を離れた。


 しかし、プリマベラにとって、その視線は逆効果だった。


 それは、彼の好奇心に、さらに火をつけるだけだった。


「……ああ、欲しいな」


 遠ざかる馬車を見つめながら、プリマベラはぽつりと呟いた。


「へぇ、“欲しい”と思うものがあるんだな?」運転士は、まるで珍しいものでも見るような目つきで尋ねた。


「ひでぇ怪我だな」プリマベラは冷やかすように言いながら、治療を受けたばかりの運転士の腕を一瞥した。


「あのクソ野郎、不死の“身体”に何か細工してやがった」運転士は苦々しく顔をしかめた。


「証拠は?」


 プリマベラはそう問いながら、二人は騎士団の慌ただしい動きを眺めていた。海唯による大使館での惨劇のせいで、王国第三騎士団が慌ただしく出入りしている。


「大丈夫、“身体”はほとんど燃えちまった。あの黒獣ベヒモスのおかげで、ちょうどいいバラ肉になったよ」


「あ〜あ、つまんねぇなぁ」プリマベラは立ち昇る火の名残を見上げながら、心底残念そうに呟いた。


「それより神官三人の屍体は、王国の連中が持ってった。調査対象って名目だが……どうする?ピアチェはまだ不機嫌だぞ?」


「うーん、そのまま黒獣ベヒモスのせいに押し付けてもいいんだけど……」プリマベラは、エルバと会話していたあの黒髪を思い出し、何やら悪巧みを思いついた様子だ。


黒獣ベヒモスは貴族の少年たちに『金貨三枚』なんて叫んでたからな。教会の連中がやった事はバレるかも」


「ああ、バレてても構わねぇよ」


「プリマベラ!プリマベラはどこ!?早く呼んできなさいっ!」馬車の中からピアチェの怒鳴り声が聞こえ、物が叩きつけられる音が続いた。


 だがプリマベラは微動だにせず、目を細めて言った。「神悦祭で“派手にやる”ほうが、面白そうだな」


「……ピアチェ様がお呼びだぞ?」


「もう、ご機嫌取りも飽きてきた」


「おいおい、今まで一度でも機嫌取ったことあったか?」運転士は派手に白目をむいて言った。


「周りの連中が“いい顔”で擦り寄ってくるときは、逆に無愛想な方が気に入られるもんさ」プリマベラはまるで子供相手と遊んでいるように、適当に答えた。


「はは、ピアチェ様は可哀想だな。あの力があれば、どこにでも不自由なく生きていけそうなのに」そう言いながら、運転士は薄く笑った。


「『どうせどこにいても利用されるんだから、わがままが通る場所の方がマシ』って思ってるさ……いや?思わせてるんだ。ほんっと、きしょうい制度を作ったな……我らの女帝陛下よ」プリマベラも、騒がしい馬車を振り返って笑った。


「プリマベラ“さま”のことを言ってるつもりだけどな。いとこ、なんだろ?」


「いとこ?違うな。つまらねぇ“おもちゃ”だ」


 そう言い捨てて、プリマベラはようやくピアチェの呼びに応じて歩き出した。





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