22-04
誰かのことを好きになるのも嫌いになるのも簡単だ 04
「では、ローゼの番だね。リヒル坊…ゴホン。第三騎士団団長のリヒル・ダーテオが療養中のため、ローゼはそちらの副団長から報告書を受け取り、代わりに報告するわ」
ローゼは紫色の印が付いた紙を取り出し、報告を始めた。
「まず、第一騎士団の報告からだわ。クレインさまは確かにスパヴァデリアという魔人と契約した。双黒の海唯が言った通り、血盟契約だわ。その魔人は契約違反により魔力の大半を失ったが、まだ生存している。そのため、魔人にはもう危険性がないと判断し、現在、第一騎士団が強制背約を行っている」
「結んだのは血盟契約だろう?」国王がそう尋ねた。
「はい。主従契約以外の強制背約は前例がないし、血盟契約の条件から見れば、その魔人が死ねば、クレインさまも亡くなる可能性もある」国王が言葉にしなくても、その懸念を察して、ローゼは返答した。
「可能性でもダメだ」国王はローゼが提出した報告書を持ち上げ、指で軽く叩いた。
「陛下、お言葉だが。これまで魔人と契約した者は、一年以上生きられた例がないんだわ。魔人の魔力を用いた契約魔法に耐えられないのが原因だわ。しかし、クレインさまは未だに生きている」
クレインが魔人と契約したのは、ストロをジュディアン帝国から連れ戻す際だったと報告書に記されている。無言のまま報告書を見つめる国王だったが、内心では動揺を必死に抑えていた。
「さらに、調査の術がないため報告書には記載されていないが、クレインさまが失踪した四年間、『遺失物』にいたらしい」
遺失物。その単語がローゼの口から発せられた瞬間、会議室には異様な空気が漂い始めた。
「《ネーフェの目録》。第4節、《遺失物の管理者》」魔痕調査局の局長が呟くように言葉を漏らした。
「……第一騎士団の報告は以上だわ」
資料を机に置き、もう一枚の紙を手に取ると、ローゼは報告を続けた。
「それでは、第三騎士団の報告に入るね。ここ数日だけで、王都に住む十数名の若い青年が失踪したという報告が上がっている。調査の結果、それらの事件は、先日ご来訪されたジュディアン帝国第七王女、ピアチェ・ジュディアンに関係していると見られる。以上」
「……ジュディアン帝国の奴らに関わると、いつも厄介事しか起きないな。はあー、高潔会議の席位を増やすわけにはいかないから、教会派の貴族が席に入れるよう、こちらは手配するよぉー。はあー、さすがの『女神ミネルディアの狂信国』だな」魔政院の院長はため息をつきながらそう述べた。
「『この会議室だけでの発言』ということにしておこう」魔政院の院長の不用意な言葉遣いに、国王は威圧的な目線を向け、警告した。
「っ!……はい、申し訳ございません。寛大なご処置に感謝いたします」普段は緩い口調で話す魔政院の院長も、国王の視線を受けて、慎重に言葉を選ぶようになった。
「それでは、第二騎士団の報告をさせていただきます」アキレスはそう述べると、この場にいる全員の視線が国王とローゼの前に置かれた金色の印がある分厚い報告書に集中し、疑問の表情を浮かべた。
第二騎士団が持ち帰った魔人に関する報告書は、通常、国王と第一騎士団の団長にのみ提出されるため、それ自体は珍しいことではない。しかし、今回のように分厚い報告書になるのは初めてのことであり、誰もが由々しき事態であることを薄々察していた。
「複雑な部分だけ、言葉で説明させていただきます」
アキレスは静かに言葉を選びながら続けた。
「現在、捕獲した薄水とスパヴァデリア、どちらも王属魔人であることが判明しました。スパヴァデリアについてはまだ調査中ですが、これまでの遠征で持ち帰った下位魔人の残骸の分析結果、そして薄水の魔因子分析の結果を比較したところ……」
一度、深く息を吸い、慎重に次の言葉を紡ぐ。
「拡散鍊だと思われる成分が検出されました。すなわち、魔力を分け与えることができます」
その瞬間、会議室の空気が凍りついた。国王への報告であったはずが、そこにいる誰もが言葉を失った。
「……おい、あの薄水という魔人は、確か長い間、青楼の太夫をしていたようだな……」魔政院の院長が蒼白な顔で言った。彼の視線はテーブルに釘付けになり、まるで何かを見ないようにしているかのようだった。
「一体、どれだけの……」内政院の院長もまた、言葉の続きを飲み込み、蒼白な顔のまま震える指先で爪をいじる。
その飲み込まれた言葉の続きを想像するだけで、人は絶望に飲み込まれる。『一体、どれだけの人と接触したのか……もし、その全員に魔人の魔力が注がれていたとしたら、計り知れない混乱が訪れる』
「王属魔人は人の言葉を使い、人の姿に化け、人に魔力を分けることができます。……ということですか?」騎士紋章局の副長が静かに問いかけた。状況を整理しようと努めながらも、彼女の声にはどこか動揺が滲んでいる。
「はい。しかし、現状、王属魔人を区別する方法は二つしかありません」アキレスが国王を見つめ、重々しく続ける。「穢を使う現場を目撃するか、人の姿に変わる瞬間を捉えるか、それ以外に判別の手段はありません」
魔人および魔法事件を調査する第二騎士団。その団長、アキレス・ザックウェーバーは鋭い眼差しのまま、国王に向かってそう報告した。
「匂いで分かるだろう?君なら」国王は低く、淡々と問いかけた。
アキレスは微かに目を伏せ、わずかに息を吐く。「……人の姿に変わるのは、魔法ではないようです」そう答えた彼の声には、どこか無力感が滲んでいた。
「……これは、魔法紋か?」ローゼは報告書のひとページを指さした。
そのページには手書きの『荊棘に纏われたギア』の絵が描かれている。
「焼印です」と、アキレスは答えた。
国王以外の者たちは二人の話に見当もつかなかったが、話に割り込む空気でもなかった。
その返事を聞き、国王は深刻な口調で話した。「……魔王の体に?」
「はい。その焼印について、……
人がいなくて、空き部屋のような部屋に、薄水は柔らかなカーベッドで横たわり、あくびをしていた。ゆっくりと開く瞼とともに、羽のように舞う睫毛。
「あらあ、スパヴァデリアが見つかりましたなぁ~」そう言いながら、甘い声で笑った薄水は軽やかに身を起こした。
「外のお騎士さま~、ひとつお願い申し上げまする」
囚われの身とは思えない余裕のある微笑みを浮かべながら、ノックをした薄水はその言葉を残し、体が無数の蝶々となり、消えた。
『あなたさまなら、一目でお分かりになりましょう?魔王さまが自ら焼き付けた焼印は、あなたをいつまでも待ち続ける示しでありんす』
……と、まるで誰かへのメッセージのようですが、それを言い残した薄水は消えました」
一番肝心な部分を意図的に隠したアキレスは、内心のざわめきを飲み込みながら第二騎士団の報告を終えた。その声は冷静を装っていたが、微かに揺れる瞳は何かを恐れているようだった。だが、その真意に気づく者はいなかった。
彼以外のこの場にいる全員が心の中でため息をついた。第二騎士団の報告はいつもそうだ。魔人に関する謎は広がる一方で、知れば知るほど、人間が魔人についての知識が圧倒的に足りていないという事実を突きつけられる。
しかし、少なくとも、「知らないところはどこかが分かった」ということが、少しの慰めにはなった。
金と紅に彩られた広間には、目も眩むような豪奢さが広がっている。壁には絢爛なタペストリーが掛けられ、天井には無数の燭台が吊るされ、柔らかな光が満ちている。
長大な宴席には、山のように盛られた果実、香ばしく焼き上げられた肉、そして絹のように滑らかな甘味が所狭しと並んでいる。桃の実を片手にした者たちが笑い、奏でられる琴や笛の音楽でさらに人々の理性を奪っていく。
人々の中心に座しているのは、玉座に鎮座する若き王女、ピアチェ・ジュディアン。
王女の姿は、金糸で刺繍されたピンクのドレスに包まれ、肌は宝石のように輝いている。彼女の唇は年齢とは相応しくない紅で、桜ん坊のように艶やかだった。
その周りには、奉仕する者たちがひざまずき、杯を注ぎ、薄い布をまとった踊り手が舞台の中心で艶やかな舞を披露している。
シルクが空中で飄々と舞うように、黒い髪がなびく。伸ばした腕の延長のように舞う白い包帯。繊細な体に見えて、力強さを感じさせる踊り。音楽に合わせて歌声が口ずさむ。
その演出は、官能的で、異様な調和を与えていた。
歓声と惰性が混ざり合う宴の中で、裂けた肉から垂れる肉汁、滝のように流れ落ちる甘い酒。
人々は互いに杯を交わし、目と目で欲望を語り合う。宴席のあちこちで熱気が渦巻き、食欲と性欲が一体となった混沌が広がっている。
果実の果汁が肌に滴り、誰かがそれを舌先でぬぐう。衣の胸元が緩み、笑い声とともに秘密めいた囁きが交わされる。
「ふふふ、気に入ったわ!わたくしの花婿候補にしてあげるわ!」ピアチェは拍手をしながら、自分の前に伏せている踊り手の顎を扇子で持ち上げた。「名乗れ、醜い黒き獣よ」
「海唯と申します。光栄です」海唯は、傲慢な目で自分を見ているピアチェを見返し、甘ったれた微笑みを浮かべて答えた。
「っふ!今日から君は『ビスティア』だわ」そう言ったピアチェは、その柔らかい手で海唯の髪を掴み、無理に引き上げた。「獣の意味よ、喜びなさい」
王女の声は、意図的に幼い感じを抑えているように聞こえた。
「はい~、光栄で~す」
海唯の返事に満足したピアチェは、手を離し、「下がっていいわ」と命じた。
舞台から降りた海唯は宴にいる若い男性たちを見回した。そして、明らかに場違いで、まるでこの場に迷い込んだ子羊のように隅っこで丸くなっている人物に歩み寄った。
しかし、海唯が話しかける前に、その男性が先に問いかけた。「海唯さんは、こういう趣味をお持ちの方ですか?頼むから、アキレスを悪い遊びに連れて行かないでくださいよ」
「ふっ!ふあははっははは~!見覚えのある奴が居るな~とは思ったが、ウルバニじゃないか!お前は本当に色んなトラブルに巻き込まれるタイプだね~、ふあはははは~」
「うっ……」海唯の言葉でまた一段と顔色が悪くなったウルバニは、自分にその自覚があるため、何も言い返せなかった。
しばらく笑った後、海唯は先程の質問に答えた。「でね~、先の質問についてだけど~、前半は、私は脂肪よりも筋肉のほうが好みだからね~」
そう言いながら、海唯はウルバニの滑らかでふくよかな頬と体を見て、その顎にくっついているポヨンポヨンの脂肪を揉みながら、また笑い出した。「それで~、後半について~、私は本人の意思を尊重するよ~」
「……そうですか。……あと、あまり舞台のほうへ近づかないほうがいいですよ」
「え~?なんで~?」へらへらとした顔で、海唯は頭を傾げてそう尋ねた。
「その周りにいる植物は迷迷草と言います。その香りを吸いすぎると、思考がおかしくなります」
「その周り」の後の言葉を海唯は床に倒れたままで聞いた。それは先ほどの踊りで傷口が裂けたせいでもあり、迷迷草を吸いすぎてハイテンションを保っているせいでもあった。
簡単に言えば、脳が逝かれていたのだ。
「それを、……早く…言って欲しかった…かな~……」
「すみません、言うチャンスを見つけられなくて……」申し訳なさそうに言ったウルバニは、海唯がくしゃみをしたので、自分の上着を羽織らせた。
しかし、伸ばされた手を払い、海唯は座り上げて、頭を重そうにゆらゆらさせながら、既読したにも関わらず意味不明な返事をし始めた。「おいおい~、私は人妻に興味ないよ~」
「私は男です。それに、私はエルバさん一筋ですよ」ウルバニはくしゃみを連発する海唯を見て、ため息をつきながらそう返事し、再び上着を渡した。
「へ~、人の捨て物を拾う趣味もないんで~」そう言いながら、海唯は使用人から酒瓶を奪い、ふらふら歩きながら宴の席を外した。
誰かのことを好きになるのも嫌いになるのも簡単だ 完




