第1.5シナリオ 知らない人を付いて行くなって教えるが、知ってる人も付いて行かないでって教えたほうがいい。01
第1.5シナリオ 知らない人を付いて行くなって教えるが、知ってる人も付いて行かないでって教えたほうがいい。01
もう十分だ。最初のうちは多少なりとも面白く感じたことも、今となってはうんざりするだけ。そもそも海唯にとって、これは最初から“厄介ごと”以外の何ものでもなかったのだから。
それも、青年の声が響いたせいで、彼女の笑い仮面が綻びを見せたからだろう。
宿屋に到着した海唯は、迷わず部屋へ上がり、椅子を引いて跨って、尋ねた。「聖女召喚とは?」
「っは、っは……勝手に入っていいのかよ?」きょろきょろしながらも、クレインは海唯の指示に従い、部屋のドアを閉めた。
「ついでに、なんで”付き物”を守りたいのかってのも興味あるよね」
そう尋ねた海唯はニコリと笑いながら部屋の鍵を見せてきた。どうやら、金は支払ったと言いたいのだろう。その金も、以前のチンピラから巻き上げた財布に入っていたものだった。
「その前に、オーナーさんにポーションもらってくる……」
その瞬間、『ガシャーン』という音が響いた。
机に置かれていたガラスコップがクレインの横を通り過ぎ、壁にぶつかって割れたのだ。海唯の思惑通り、ドアノブに手を掛けていたクレインは動きを止め、振り返って海唯を見た。
普通なら、理由も分からず笑顔のままガラスコップを投げる人物に対して「イカレている」と判断し、距離を取るのが自然な反応だった。ましてや、数分前まで笑い合っていた相手の突然の暴力行動に、クレインが恐怖を覚えるのも当然のことだった。
それでも逃げられないようにするのが、海唯の「力」だった。
「人の話、聞けよ」
その表情は、かつて東雲薫を脅した時と同じものだった。海唯は、人間の欲望と恐怖をよく理解しており、それ故に合理的に人の行動を操る術に長けていた。今もまさに、その力が発揮されていた。
森でクレインが勝手に話したことも、海唯の誘導の結果に他ならなかった。
正直で素直なクレインのような人物であれば、操るのはなおさら容易だ。盗賊に囚われるような心に深く刻まれるような体験をした者を従順にするには、三つの条件が必要――閉鎖空間、明確な上下関係、そして神経に障る音。
今、その三つがすべて揃っていた。
海唯は、人の心の闇を抉り出して消すことも、覆うことも、植え付けることも、そして思い出させることもできた。
そして、頭が忘れても身体は忘れないことも知っていた。その証拠に、クレインはドアノブを握ったまま、その場に立ち尽くしていたのだ。
「教えて」海唯は穏やかな声でそう言って、微笑みかけた。
「……《101日も続いた太陽の日に、神は号泣する。敬虔に祈るがいい、聖女は異界から白光の中で姿を現す。暦の最後の日に、世界を貪る穢は核を奪いに枷を破壊する。聖女に願うがいい、透明な光で彷徨う者を呼び返す。始まりの日に、人を救う聖女は欠片を隠蔽する。真実に目を逸らすがいい、滅ぶのは一人で収める》……」
クレインは海唯の前に立ち、震える声を押し殺すように裾を強く握りしめていた。だがその身体は小刻みに震え続け、目は前髪に隠れたまま、海唯を直視することができなかった。
条件は完全に満たされていた。
海唯の一挙手一投足、二人の距離、この狭い部屋に漂う重苦しい空気――それらすべてがクレインの五感を刺激し、あの日の恐怖を無意識のうちに呼び覚ましていた。
クレインの神経は警鐘を鳴らしていた。「逆らうな」と。
だが、クレインは気づいていなかった。その状況、その恐怖を自ら引き寄せたのが、自分自身であることに。トラウマに支配された彼に、そんな余裕はなかった。
海唯は静かにクレインの言葉を待っていた。
「……召喚の儀に二人が現れたから、もう一人は魔力があるとは限らない……ない可能性の方が高い……だから、“滅ぶの一人”に選ばれるだろう……」
クレインの声は震え、胸の鼓動が激しく打ち鳴らされていた。それでも海唯は何も言わず、ただ座ってクレインの反応を見守っていた。催促も制止もなく、ただ静かに。
少年の手が、迷いながらもゆっくりと海唯へ伸びていった。海唯はそれに気づいていたが、やはり何もしない。静寂が張り詰め、今にも崩れそうな緊張が二人を包み込んでいた。
「話すから……手の怪我を……」と、クレインは怯えながら海唯の手に触れた。その瞬間、海唯は珍しく、一瞬だけ視線を彷徨わせた。
「……ぶははは!何それ、りゃはははは!なんで、にゃはははははは!怖がってたんだろう?わははははは~~~」
海唯の突然の爆笑にクレインは動きを固めたが、逃げる隙は与えられなかった。椅子が倒れると同時に、海唯はクレインのうなじを掴み、自分の方へと引き寄せた。『ッコ』と、二人の額がぶつかった。
「痛ッ!」と声を上げたクレインが目を開けると、そこには“元に戻った”海唯の姿があった。どこか、安心したような表情を浮かべていた。
「ごめんね、怯えてるからついついイジメちゃった~私の怪我の心配してるの?」
額を触れ合わせたまま、ニコニコと笑う海唯は、冷たい手でクレインのうなじを撫でた。ひんやりとした感触と共に、海唯は再び穏やかな笑顔に戻っていた。倒れた椅子の影からカーテンが舞い、その隙間から光が差し込んでいた。クレインの震えは、徐々に和らいでいった。
「は、はあー!当たり前だろ!助けてくれた奴が自分のせいで怪我してるんだから!心配っていうか、人として当然だろ!それに!怯えてなんかない!」
「はいはい~ありがとうね~」
「オーナーさんにポーションもらってくるー!」ゲラゲラと笑う海唯から素早く距離を取り、クレインは真っ赤な額で部屋を飛び出していった。
『素直なのか?拗ねてるのか?面白い奴だな~』海唯は思いながら、一人になった部屋で椅子を戻し、机に足を掛けた。
「助けてくれたから、怖くないか……いつまで保てるのかな……」彼女はぽつりと呟いた。
海唯はその隙に、自身の怪我の状態を確認した。出血は止まっていたが、クラマーの薬草の効果については、まだ分からなかった。
『それにしても、“あれ”は何なんだ?森に入った時は特に何もなかったのに、森に入ったのが“人”だとすぐに分かったし、こっちに向かっていたのも……それに、クレインの言ったあの預言みたいな話?神が泣く?穢れ?真実?“滅ぶのは一人”って、《カラマーゾフの兄弟》かよ……すべての幸せと引き換えに、無実の人を犠牲にする……実に合理的だな……』
そう思いを巡らせていた海唯だったが、突如頭を抱えて叫んだ。
「ヴぁぁー!もういい!やめた!考えるより探るだ!」
「わっ!何!?」両手に食べ物を抱えたクレインがドアの前に立っていた。彼は、すっかり元通りの様子だった。
「や~なんでもない!っていうか、女将さんからたくさんもらったな~」
「若者はたくさん食べてねって、ティーナさんが」クレインはそう言いながら、海唯の足をどかして食べ物を置いた。
「は~い」海唯は気のない返事をしたが、食べるつもりはなかった。
「ほら、ポーション。あ、ピンクのやつは外傷用な。ちゃんと傷口にかけろよ」
「外傷用?」
「ん~そうか、他の国にはないか。アデレード王国は魔法が最も発展した国ってことは知ってるよな!ポーションの質も生産量も世界一なんだよ!で、そのポーションは効果で色分けされてるんだ。最高級の紫から始まって、赤、黄色、緑、青、そしてピンク。ピンクは外傷用ってわけだ。ちなみに、紫と赤はアデレード王国でしか作れないんだ!だから、周辺の大国とも平和条約が結べたんだぞ!」
ベッドの上に立ったクレインは、さらにテンションを上げながら話し続けた。
「昔は大国に占領されて国が解体寸前だったけど、“黒髪の力”のおかげで今では魔法大国として栄えてるんだ。“黒髪の力”っていうのは、黒い髪を持つ人間は魔力が極めて高いとされて、どの国でも重要視されてる。でも、その数は一億人に一人って言われるくらい希少なんだぞ!でも、我がアデレード王国には11人もいるんだ!そしてな、お前――いや、海唯は黒髪と黒目を持つ、たった一人の存在!前にも言った通り、この国では不自由なく過ごせるはずなんだ。話を戻すと、召喚の儀も成功して、聖女様も現れた今なら、この世界を“穢れ”から守れるし、海唯の力を加えれば、犠牲なしで済むと思うんだ!」
『でも、確かクラマーは紫のポーションを持って“高級”って言ってたような……まあ、クレインのこのテンションだし』そう思っていたが、海唯はクレインの言葉から嘘を感じない。
海唯はそんなテンションの高いクレインの足を引っ張り、彼をベッドで後ろに引き倒した。
「だから、何か行動する前に一言くらい言えよ!」クレインはふんわりとベッドの柔らかさに包まれながらも、文句を言った。
「お前、足怪我してるだろ」そう言って、海唯はピンク色のポーションをクレインの足にかけた。
枝に引っかかれた傷口にそれが触れた瞬間、目に見える速さで傷が治り、三十秒も経たずに完治した。
「……すげえ……」
「あ、ありがと……って違う!お前のほうが必要だっただろ!血が流れてたんだぞ!」
「お前がテンションマックスになってるとき、もうかけたんだよ。これは残りだ」そう言ったが、嘘ではなかった。
海唯は実際、自分の手のひらの傷にもかけた。しかしピンク色だったポーションは手に触れた瞬間、赤く変化し、そして色が薄くなっていき、最終的にはただの水になった。『クラマーのときは紫から青になったけど、今回はピンクから赤、そして水か……。効果がないのは同じかもしれないけど』
「まぁ、それより、だいたい話は分かったよ。今までの話をまとめると、この国は王権と教権の分立で、仲良しってわけじゃないけど一応協力関係。そして、“穢れ”が世界的に広がってるから、聖女を召喚して皆を救おうってことで、国と教会が力を合わせて召喚の儀を行った。成功したけど、間違って“おまけの奴”が出てきて、そいつを“滅ぶの一人”にしようって話だろ?」
海唯はクレインに渡された食物を断り、代わりに栄養剤を飲んでいた。
「まあ、大体合ってるけど……皮肉っぽいな」クレインはもくもくと食べながら返した。
「でも、なんでそいつを守ろうとする?義務なんてないだろ?」
「あの“もう一人”を犠牲にする義務もないだろう?」
「一人を犠牲にすれば世界が救えるんだぞ?」
「まったく関係のない異界から来た人間を?」
「その安っぽい正義感で、世界が滅んでもいいのか?」
「犠牲なく全員を救えるとは言わない。でも、自分の世界は自分で救うんだ」
「その“付き物”が大量殺人をしても、心が何の動揺もしない奴だったら?」
クレインはそれまで即答していたが、今の問いだけは返答に詰まった。
「誰も救えない」と言われても、「安っぽい正義感」と言われても、彼の信じる道を変えるつもりはなかったし、これまでもそうしてきた。無関係な誰かを犠牲にすることはできない。「自分の世界は自分で救う」という言葉も、偽りではなかった。
だが、海唯のあの問いだけには即座に答えられなかった。そして、そういう存在なら……と一瞬でも思った自分自身を、クレインは嫌な奴だと思ってしまった。
無理もない。クレインはまだ知らなかったのだ。正義とは相対的なものだということを。そして、正義が常に存在するとは限らないということを。
「まあ、そんな真剣な顔すんなよ。守るっていうなら、根拠あるんだろ?方法は?」クレインの深刻な表情を見るのが面倒に感じた海唯は、わざと話を変えた。
それは、今ここでクレインを困らせても意味がないし、時間の無駄だった。
「あ、うん。預言にはこう書いてあった。《人を救う聖女は欠片を隠蔽する。真実に目を逸らすがいい、滅ぶのは一人で収める》って。つまり、聖女が隠した“欠片”を見つければいいし、真実からも目を逸らさなければいいってことだと思う」
「ん~そんな直訳でいいのか?預言って」
「そうだけど、“隠蔽する”って言ってるなら、何かを隠してるのは間違いないと思う」
「預言はそれだけ?」
「いや、これが第一節で、第二節は《その目で闇に潜み、穢は喜ぶだろう。その髪で境を千切り、王は受け入れるだろう。異界から舞い降りた聖女は神に授けた知恵を持って、秩序を齎す。白い世界から迷い込んだ聖女は自然界に溶け込む力を持って、一つになる》だ」
「意味わかんないな……“穢が喜ぶ”ってマズいだろ」
「預言書自体がバラバラで損傷もひどくて、解読に時間がかかってるらしい。今は第三節くらいまでしか判読できてないってさ」
「うわ~、よくそれで召喚の儀ができたな!……まあ、それだけ時間がなかったってことか。で、第三節は?」
「……解読中らしい……」
「うわ!ほんとによくそれで召喚の儀ができたな!」
海唯の皮肉に、クレインは返す言葉もなく、もぐもぐと食べ物を口に押し込んだ。「……つまり、その……俺に力を貸してくれないか?」




