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はなびしそう

作者: イツカカナエ

初の投稿作品になります。拙い文章ですが、読んでいただけるとありがたいです。

プロローグ


ワタシは目を覚ました。目を覚ますことができた。

ワタシは、驚いた。ワタシは、二度と目をさまさせないと知っていからだ。

なぜ目をあけられたのだろう。なぜ、ワタシ起き上がることができるのだろう。

なぜ、ワタシは息を吸うことができるのだろう。

今のワタシは、疑問と謎で頭が一杯だった。

この場所は、休日に彼とよく来た別荘の中だ。

どうして、ワタシはここにいるのだろうか。

ワタシは、自分の足を見る。両足が存在しているのか確認した。

ワタシは、人のようだ。

別荘の中を歩いた。全ての部屋を周ったが、彼の姿はない。ここにいるのはワタシだけ。

ふと、木製の机の上に置いてある、青いに日記が目についた。

ワタシはそれを手にし、中を開いた。


〇月〇日

『とうとう花を見つけた。長かった。ようやく報われる』


この日記は彼が書いたのだろうか。ページを進める。


×月×日

『理論を確立できない。この方法ではダメなのか。神はなぜ、邪魔をする』


ワタシは読み続ける。彼が何をしようとしていたのか。それを知るためにページをめくった。しかし、ページを進めるごとに、ワタシの手は重くなる。それは、一種の恐れだった。彼の思いが、ワタシの心を突き刺していく。


△月△日

『これが、私の全ての成果だ。後は時に任せよう。どんな結果であれ、この命に意味はあった。私はもう、ここへは戻れない。せめて、彼女の笑顔を見たい』


最後のページを前にして、ワタシは瞼を強く閉じた。鼓動は高鳴り、息が苦しくなる。ワタシは、予感した。同時に、その予感があたらぬように神へと願った。


『望まない。彼もワタシも』



1.連行 


「このままじゃ、厳しいな」

「厳しいですか?」

「ああ、この判定ではなー」

「そう、ですかね……」

 職員室にて、教師と生徒が進路相談をおこなっていた。教師は渋い顔で、模試の結果を見る。第一志望校欄判定は『F』と記載されている。

 教師は難しい顔で顎をなでる。一方生徒の方は、訝しげな顔で教師を見守る。

「大野よ、第二志望の高校はないのか?」

「ここ以外はないです。考えてもいません」

「そうはいっても、いまのレベルだとだいぶ難しいぞ。毎日勉強漬けじゃないと……」

「それはつまり、頑張ればなんとかなる。無謀ではないってことですよね?」

「まあ、そういう意味にもなるが……」

 大塚担任との話は難航した。担任側はレベルのあった高校に行ったほうがいいよう進めるも、生徒側の大野は意思を曲げない。

 担任は困ったように、薄くなった頭部を撫でまわしていた。説得を続けるも大野が譲歩することがないため、折り合いつかず。次回模試の結果までで、再度進路相談を行うことで幕を引くことになった。

「失礼しました」

 職員室をでるなり、大野はため息を吐いた。頑張れば、志望の高校にいけるはず。なのに、担任はひとつ下のランクの高校に行かせようと進めてくる。どうにも納得できなかった。

 腕組に不満顔で廊下を歩いていると背後から、

「カズミー」

 自分の下の名を呼ぶ女性の声。背後を振り向くと、幼馴染の水原ハルカが、手を上げて近寄ってきた。

「なんだよ、ハルカ」

「ちょっと、頼みたいことがあるの」

 お願いとばかりに、両手を合わせ、片目にウインクを見せてくる。幼馴染という、常に近くにいた経験上、これ面倒なことになりそうだと予感した。

「悪いがムリ」

「返答早すぎよ。まだ何も言ってないでしょ」

「今日の俺は機嫌がすこぶる悪い。だからパスだ」

「機嫌が悪い? なにか悩みごとでもあるの?」

「ああ、そうだ」

「なら、ちょうどいいわ。わたしと一緒にきなさい!」

「何処に?」

「占い屋さんよ。商店街に良く当たる占い屋さんがあるって、友達から聞いたの」

「占い屋? そういう所は、一人で行った方がいいんじゃないのか?」

「わたし一人だと、不安なの。だから、ねぇ?」

「友達といけばいいだろう」

「同性じゃだめなの。いいから一緒に来て! ついでに、あんたの悩みも聞いてもらいなさい」

グイグイと腕を引っ張るハルカ。対抗して、大野は足を踏みとどめるも、ズルズルと引きずられていく。

 力では、この女には勝てない。抵抗虚しく、大野はハルカに連行された。



 ワラワラ商店街の街道。数年前で営業していた店の大半が、シャッターで閉まり切っていた。いまでは、ガラガラ商店街と言う名が相応しいかもしれない。

「この辺に、占い屋なんてあったか?」

 何度か商店街には来たことあるが、占い屋など目にしたことはない。

「ほら、昔なんかよくわからないアンティークの店あったでしょ。あそこを店舗替えしたみたいなのよ」

「ああ、あそこか」

 思い出すかぎり、照明が暗い場所で横幅の狭い店だった気がする。とにかくよく分からん物ばかり置いてあった。特に、店員のおばあちゃんは、不気味で強く印象に残っている。

「ここね!」

 二人は小さな建物の前で立ち止まる。以前あったアンティークの店構えは変わらず、カラーリングも黒いままだ。店の外に立てかけられた黒板には、外国語らしき文字が白チョークで書かれている。

「なんて読む?」

「占い屋じゃないの。とりあえず、入ってみましょう。カズミ、あんたが先頭よ」

 先に入りなさいと、ハルカに背中を押される。彼女にとっては、軽く押しつもりなのだろうが、押された当人は前に転びそうになるほど強く突き飛ばされた。

 相変わらずの乱暴者だ。心内に文句を述べるも、先頭に立ち店の扉を押した。

 薄暗い室内。入ってすぐに、強いハーブ系の匂いを感じる。両脇に手をあてながら、細い道を通り抜ける。抜けた先、広がりのある部屋と出た。

 部屋の真ん中には、黒色のクロスがけの円卓が置かれていた。

「なんか、いかにもって感じね」

 後ろからついてくるハルカは、興味津々とばかりに、目を輝かせていた。

「店主はいないのか?」

 円卓には椅子が置いてある。しかし、肝心の店主がいない。休憩でもしているのか。

「ねぇ、これで呼へばいいんじゃない?」

 ハルカは卓上の呼び出しベルを見つけると、ボッチの上を押した。

ベル音が響き渡る。

「はーい」

 部屋の奥から、女性の声が聴こえた。部屋と部屋を遮る、黒色の垂れ幕が脇に離れると、店主らしき人が現われた。

「いらっしゃい」

 背が高く、スラリとした容姿。ミステリー風の薄くヒラヒラとした黒艶の服装。額には小さな宝石が装飾されたヘッドドレスをつけ、胸元に紫色の煌めく宝石が施されたネックレスが垂れ下がっている。それは、頭に思い描がかれていた、占い師の姿そのものだった。

「どうぞ、座って」

 占い師に手招かれ、対面するように席へ座った。

「さて、どのようなご用件でしょうか?」

 占い師は、両手を組み屈託のない笑みを見せる。

「はい、わたしからお願いします!」

 ハルカは大きく手を上げた。

「その……いま付き合っている彼氏と、この先もうまくやっていけるのか、占ってもらいたいです!」

「なんだ、占いたい内容って、彼氏についてかよ」

「悪いかしら?」

ハルカは大野を睨みつける。

「いや、別に悪いとは……ん?」

大野は首を傾げた。

「最近、彼氏と別れたって言ってなかったか?」

「それは、前の彼氏。その後すぐに新しい彼氏ができたの。心がブルーのわたしを、白馬にのった王子様のように手を差し伸べてきてくれたの。もう、これは運命。結婚までいけるわ! ねぇ、そう思うでしょ?」

「どうだか」

「なに、無理だっていうの?」

「いや、そう言ってるわけじゃ……」

 火花が飛び散る中、テーブルが小さく揺れた。占い師はコホンと小さく咳をならすと、ハルカの視線は、占い師へと移る。机を揺らしたのは彼女だろう。助かった。

「失礼。お嬢様、恋愛に関して占いたい。それで、よろしいかしら?」

「はい、そうです!」

「では、この水晶玉に利き手をのせてください」

 卓上には野球ボール程度の大きさをした水晶玉が置かれている。ハルカは水晶玉の上に右手を乗せる。見計らって占い師は腕を伸ばした。ハルカの甲の上に手を乗せ、小さな声で、呪文らしき言葉を呟きだした。

「彼氏の年齢は十五才、部活は球技関係、身長は、百七十センチ前後かしら?」

 占い師の第一声に、ハルカは「ウソッ!」と驚いた。

「あっ、当たってる!」

「フフッ、本物の占い師ならこれ位できて当然です。水晶を通してあなたの記憶を見たの」

 ハルカはすごいと感動の声をあげた。一方、大野はうさんくさいと、冷めた目で見ていた。当たり障りのない答えをだしてやれば、だいだい当たっているものだ。人を信じさせるための常套手段だと。

「では、今後の関係を占いましょう」

 占い師は、目をつぶる。再び、小声で呪文呟きだした。ハルカはその姿を真剣に見守る。 隣の大野は、早く終らないかと足をブラつかせた。

 占い師はゆっくりと瞼をあけた。結果がでたのだろう。ハルカの瞳を一度見ては、視線を降ろした。

「見えました」

「どっ、どうでした?」

 ハルカは腰を浮かせ、前のめりに占い師を見る。早く教えて欲しいとばかりに。

「見えます。彼氏が学校を出て、道を歩いています」

 占い師はゆるりと瞼を閉じる。

「彼氏の隣には女性がいます。互いに、笑う姿が見えます……」

 占い師の声がわずかに低くなる。その変化にハルカは両手を組む。

「その彼氏の隣にいるのは、わたし、ですよね?」

 占い師は即答せず、間をあけてから首を左右に振った。

「残念ながらお嬢様ではありません。別の女性です」

 ハルカは、卓の上を強く叩いた。気が気ではないのは分からんでもないが、力は加減しろ。壊れるぞ。

「わたし、じゃない? 別の女子生徒? えっ? わたしじゃないの?」

 ハルカの周囲に粗々しい空気が漂い始める。こりゃ、うまく事を納めないとまずいぞ。

「ハルカ落ち着け。もう少し、きちんと説明を聞いたほうがいい。身内とか親戚とかの可能性もあるぞ」

「そっ、そうね……あの、占い師さん、その女性はもしかして妹さんとか血縁のある方とかですか?」

「いいえ。身内の方ではないようです」

 プチリと嫌な音が聞こえた。これは、まずい。非常に、まずい。大野は警戒し、隣人から椅子を離した。

「……もう、いいです。短刀直入言ってもらえますか?」

 ハルカの顔は笑っている。ただそれは表面上だけだろう。その面の奥は鬼の形相になっているだろう。

「よろしいのですか?」

「ええ、ぜひ」

「わかりました。答えは、お嬢様のご想像通りです」

 きた。噴火するぞ。大野は、怒りの火山弾を回避すべく席を立ちあがりハルカかの元から退避する。

「どこいくの、カズミ?」

 ハルカは大野を呼び止める。

「まだ、説明は終わってないじゃない。席にもどりなさいよ」

「あ、はい」

 怒りのあまり椅子を振り回すものではないかと思っていたが、まだ爆発していなかった。

「わたしはもう大人なの。駄々をこねた子供みたいなことはしないよ」

「そっ、そうか」

「それで、占い師さん。その光景は何時起きるの?」

 ハルカの手はフルフルと震えている。平常心を保っているように見えるが、仕草からして平常ではない。かなりギリギリの線で踏みとどまっている感じだ。

「近い未来……いえ、いま、まさに始まろうとしてるわ」

 ドンっと卓上が大きく揺れだした。ハルカは卓上を左手で叩きつけ、勢いよく椅子を跳ね除けた。

「占い師さん。ありがとうございました。急用ができたので帰ります」

 ハルカはぺこりと一礼し、手提げ鞄を持って背中を向けた。

「ちょっと、片づけてくるね!」

 顔は見えぬが、どんな表情をしているのかは見当がつく。ハルカは早足に店の出口へと引き返す。

「おい、勘定だしてないぞ!」

 大野の呼び止める声は届かず、扉の開閉音だけが聞こえた。

 あの様子じゃ、彼氏は死んだな。店に一人残された大野は、倒れた椅子を直し、ポッケから財布を取り出した。

「すんません。料金は立て替えます」

「別にいいのよ。後で払ってもらえるように伝えてくれれば」

「そういうのは、よくないと思うんで。いくらですか?」

「悪いわね。お代は、三千円になります」

 以外に高いな。占いの相場は分からんが結構な値段だ。

 大野は千円札を三枚とりだし、占い師へと手渡した。

「じゃあ、これで失礼します」

「あら、あなたは占っていかないの?」

「いや、ただの付き添いなんで。それに、お金ないですし」

 大野は鞄に手をかけ、席を立つ。

「お兄さん、待ちなさい」

「はい?」

「わざわざ付き添ってあげたのに、手ぶらで帰るのは、かわいそうだわ。お客さんもいないし、特別サービス。無料で占ってあげる」

 占い師は、席に座るように促した。

「無料って、本当に?」

 占った後、料金オプションとかなんかで、お金を請求しくるのではないのか。すぐに食いつくのは悪手。大野は慎重になっていた。

「ふふっ、占った後でお金の請求なんてしないわ。約束してあげる」

 心を読んだ? 占い師はクスリと笑い漏らした。

 占いは、あまり信じる達ではないのだが、この占い師はどこか普通ではない気がする。一見の価値はあるかもしれない。

「なら、お言葉に甘えて」

「承りました。では、何を占いましょうか?」

「とりあえず、進路が成就するか見てもらえますか」

「進路? 志望校への合否を知りたいのかしら?」

「そうっす」

「わかりました。では、右手を、デーブルの上にだして、手の平を見せてくれる」

 大野は右手をテーブルの前にだす。続いて、占い師も自らの手を取り出し、大野の手の平に重ね張り合わせた。

「水晶玉は使わないんですか?」

「問題ないわ。あっても、なくても、占いの結果に影響はないの。一種の雰囲気作り。演出みたいなものよ」

 そんな、ぶっちゃけた話をしてよいものか。不信な雲が漂い始める。

「期待できない。そう思った?」

 図星。大野は動揺を催し、唇をつぼませた。

「読心術でも、できるんですか?」

「もちろん。占い師にとって必須スキルですもの。自慢じゃないけど観察眼もあるわよ」

 人を見抜くのに自信がある。それなら、探偵とか刑事とかの、そっち系の仕事の方が向いているのではないか。

「さて、占いを始めましょう。まず目を閉じて」

 言われたとおりに瞼を閉じる。

「次に呼吸をとめて、私がいいと言うまで息を吐かないで」

 大野は大きく息を吸い、息を止める。その間に呪文を唱える声が聞こえてきた。

「……」

 長い。異様に長い。まだ結果がでないのだろうか。占い師の声が聞こえなくなってから、随分と時間が経っている。息苦しさは増大、限界がきたところで大野は息を吐いた。

 ぜえぜえと、息を吸い込む。心臓はバクバクと鳴り響いている。呼吸を整えながら、占い師を見ると、両手を握り難しそうな顔で視線を落としていた。

「あの、結果は?」

 大野が呼びかける。占い師は、ハットとした様子で顔を上げた。

「あら、ごめんさない。うん、結果はでたわ。でたけど……」

「でたけど、なんですか?」

「どういえばいいのかしら。伝えていいものか悩んでるの」

「よろしくない結果だと?」

「そうね。最終的にはそうなるわ。問題は、それはあなたが占ってもらいたい結果ではないの」

「どういうことですか?」

「未来が迷走している。見えたり見えなかったり。すぐ先の未来でさえ、あったり、なかったり。受験結果まで見えない」

「つまり合否は分からないと?」

「合否はね。ただ、あなたの今後の人生は見えるわ」

 受験の結果がいつの間にか人生に置き換わっているのは、どういこうだろうか。もしかして、お茶を濁すための方便なのだろうか。

「私の信条としては占いの結果は必ず答える。でも、お客が拒否するならば口にださない。あなたは、どっちがいいかしら?」

 答えるか。答えないか。それは、客に対していい答えが見つからなかったゆえの逃げではないか。当然、

「答えてください。人生でもいいですから」

「そう、わかったわ」

 占い師は、真剣な眼差しで言った。

「あなたには、死がつきまとっている」

「……死?」

「具体的に言えば、死の種が芽を出し始めている。今日か明日か明後日……近いうちに花を咲かすわ」

「花が咲いたら?」

「この世とお別れ。死ぬってことよ」

「死ぬ……てっ、それは絶対起きる訳じゃないですよね?」

「いいえ、私の占いは絶対よ。間違いなく起きるわ」

「つまり、受験の結果が見えないのは、俺がその前に死ぬからと?」

「そう。だけど、安心しなさい。死を回避する方法はあるわ。すごく簡単な方法がね」

 なんだろう。テレビ見たことがあるぞ。内容は『詐欺師に騙されるな』だったか? たしか、悪徳霊媒師が相手方不安を煽らせてインチキな除霊グッズを売りつけていた。もしかして、この占い師も俺を騙そうとしているではないか。

 不安がこみ上げる中、大野は黙って占い師の説明を待った。

「男女の付き合いをしなさい」

「……えっ?」

「だから、付き合うのよ。男の子が女の子に告白して、オッケーの返事をもらった後のことをするの」

「付き合いって、いつ?」

「今すぐにでも。死を回避したければね」

 すぐにとは簡単に言ってくれる。相手がいないのに、どうしろというのだ。

「そりゃ、無理ですよ」

「どうして?」

「相手がいないからですよ」

「それは、安心していいわよ。あなたの相手はもう決まっているから」

 占い師は片腕を上げ、人差し指を突き出す。大野は指先の方向に沿って、後ろを振り向いた。

 誰もいない。大野は前へと振り向きなおすと、

「ここに、いるでしょ。私よ」

 占い師は、自身の顔を指さしていた。

「はい?」

「ほら、早く告白しなさい。お付き合いしてくださいって」

「いやいや、ちょっと待ってください!」

「何を待つのかしら?」

「どうして、そうなるのかって聞いてるんですよ!」

「聞くもなにも、そういう運命なんだから、仕方がないわ。ちなみに、私は即返答するタイプよ。オッケーってね」

「……」

 なんなんだ、この人は?  占い師の棒弱無人な発言に、大野は唖然としてしまう。

「どうしたの、固まっちゃって?  もしかして、心打ちに好きな人がいて告白をためらってるの?」

 好きな人はいない。本当だ。なぜならば、大野いまだに初恋の経験がないからだ。

「違います」

「じゃあ、将来が心配ってことかしら。もし、結婚したら苦労をかけさせてしまうとか。それなら、安心して。こうみえても、結構稼ぎがあるの。結婚しても生活資金は私が出すし、ヒモでも十分養ってあげられるわ」

 冗談で言っているようには聞こえず、グイグイと攻めてくる姿勢が怖い。これは、逃げたほうがいいかもしれない。

「俺は、まだ結婚できる歳じゃないので……」

 大野は足先を出口へと向ける。

「これから用事あるので、すみません。帰ります!」

その場から離れようとした。しかし、

「待ちなさい」

 占い師に腕を掴まれる。逃げられない。

「明日、土曜日デートにしましょう。そこで相性を確かめるの。待ち合わせは、泉駅。集合時間は午前九時に。いいかしら?」

 こっちは、お付き合いの返答はしていない。なのに、なぜか勝手デートの約束決めつけるのか。ますます、怖い。

「それと、鐘の音が聞こえたら立ちとまりなさい。絶対にね」

 占い師の握る手が強くなったと思えば、

「あなたに幸運を」と言い残し、すぐに手を解放した。

大野は、逃げるように出口へと走った。



「一体なんなんだ!」

 大野は胸に手をあて、息を整える。

 自分は死ぬ運命にある。かつ、回避するには占い師と付き合わなければならない。もう、めちゃくちゃだ。

 あの店には、もう寄るべきではない。一方的なデートの約束など知らん。

「……帰ろう」

 大野は憤りを治め、自宅へと舵を切る。

 人通りの少ない商店街。点々と街灯が光を照らしだす。

 いまは何時だ? 街灯の天辺に飾られた、大きな時計を見上げる。時計は丁度長針が一回りを終え、夕方の五時を指し示した。

 カラン、カランと鐘の音が商店街へと広がる。

 ふと、占い師の忠告がよみがえる。

『鐘の音が聞こえたら立ち止まれ』

 大野は無意識に足を止め、あたりを見渡す。特に問題はない。

 どうして、真にうけてしまったのだろう。大野は、苦笑を漏らした。顔を正面に戻し、足を踏みだす。

 足元。地面に映る人影を大きな影が飲み込む。大野はとっさに足を止めた。

一瞬の出来事。電球が飾られた看板が、大野の鼻先かすめながら落ちてきた。

 タイル下に落ちた衝撃で看板の破片が飛び散る。大野は反射的に顔を庇った。

「痛って!」

 露出した手に、小さなガラス破片が突き刺ささる。ジワリと血が浮かびタラタラと流れる。

 近くの店の人たちが、大きな音を聞きつけ集まってきた。丁度、看板が落ちてくるのを見ていた文具店おばさんが、真っ先に大野へと駆け寄る。

「あんちゃん、大丈夫かい!」

「えっ、ああ、なんとか」

「ケガしてるじゃない。手当しないと」

「これ位、平気ですよ」

「いやいや、バイ菌入ったら大変でしょ。そこで待ってなさい」

 文房具屋のおばさんは、店へ引っ込む。ものの数分後、救急箱を手に店から戻ってきた。

「はい、腕だして!」

 アルコール液を含ませたガーゼで、傷口を拭いてもらう。

「絆創膏を貼って、よし。大きなケガじゃなくて良かったね。もう少し前にいたら、頭にぶつかってたよ。いや、本当に運がいいよ」

 運がよかった。たしかに、運が良かった。もし、あそこで、立ち止まってなかったら、打ちどころによっては最悪の結果が待っていたかもしれない。

「偶然か……」

 大野は後ろへ振り返る。占い屋のある方へと見つめ、唾を飲んだ。



 駅の待合室にて、大野は腕時計を見る。

「あと一分」

 大野は待っていた。勝手に約束を押し付けた当人を。

 最初こそはデートに行く気はなかった。しかし、看板落下事件以降、不安がこみ上るばかりで、夜の眠りにもつけず。本当に死がおとずれるのではないのかと、気が気ではなかった。

「おまたせ!」

 トンと軽く背中を叩かれた。振り向くと、そこには、笑みを浮かばせた占い師がいた。

「時間通りよね? もしかして、少し遅れたかしら?」

「……時間ぴったりですよ」

「ホント! さすが私ね」

 占い師はフレンドリー気味に、肩を何度も叩いてくる。占い屋にいた時とは、隋分雰囲気が違うな。

 服装もそうだ。店のミステリアスな格好とは違い、赤色のリブニットの上着に、下は黒色のスキニーパンツ。ぱっと見れば、スタイリストモデル雑誌の表紙を飾れそうなほど、似合っている。

「さて、いきましょう」

 占い師は、大野の手をいきなり握りだす。そして、そのまま改札口へと引っ張りだした。

 大野はもつれる足取りで、

「あの、乗る前にどこへ行くのか教えてくださいよ!」

「場所は、もう決まってるわ。楽しいところよ」

「楽しいところ?」

「着いたら、わかるわ。ほらほら、しっかり歩いて」

 長く伸びた黒髪からは、甘い香りが流れてくる。一瞬、意識がもってかれそうになった。女性の髪は、こんなにいい匂いがするものだろうか。

 いかん、いかん。大野は頭を左右に振り払い意識を呼び戻す。それよりも、占い師の異様に高いテンションと、イケイケな性格はまずい。なぜなら、大野が苦手とするタイプだからだ。

 今日は絶対疲れる。そう予感をつのらせながら、電車の改札口を通った。

 

 

大野は占い師と手を握って、遊園地の入場ゲートへ通った。

 従業員は、にこやかにチケットを拝見しては見送っている。この人の視点から見たら、自分たちはどう見えるのだろうか。歳の差を考えると仲の良い姉と弟に見られてもおかしくはない。カップルとは程遠いだろう。不安感じながらチケットを見せる。

「はい、どうぞ前へお進みください」

呼び止められる様子は一切ない。すんなりと抜けられた。

「チェックしてましたか?」

 大野の質問に対して占い師は鼻歌で返した。この反応は嘘をついたな!

 園内に入ると、サンサンと日が照らす広場へと着いた。

「はしゃぎ声。絶叫。満面な笑顔。やっぱり、遊園地はいいわー」

 占い師は、決め悩む子供の用に、数あるアトラクションに目移りさせている。

「ウォーミングアップに、あれから乗りましょう!」

 占い師が指す方向を見る。この遊園地内で、もっとも高く上空に、レールが引かれたジェットコースターがあった。

それを見た途端、大野は胃が締め付けられる。

「俺、絶叫系は苦手で……もっと緩いアトラクションから乗りません?」

「スリルが無いと面白くないでしょ? それに何事もトライよ。慣れちゃえば、きっと楽しめるようになるわ」

 可否の回答を待たずして、占い師は大野の腕を引っ張り出した。いやいやと、嘆く大野の声を無視して。



「気持ち悪い……」

 園内のベンチにて、仕事疲れで、電車で寝ている会社員のように、大野は姿勢を崩し座っていた。

 なぜ絶叫系ばかりをチョイスする。大野はひどい酔いに襲われていた。

「はい、飲み物。気分はどう?」

「あまり……」

 飲み物が入った紙コップを占い師から受け取る。

「絶叫系はダメって言えば、乗らなかったのに。男を見せたくて我慢してたの?」

 断じて違う。だいだいジェットコースター系に乗る前から、何度も無理だと言っていた。しかし、占い師は子供並みに、はしゃいでいるせいで耳へ届かず。気持ち悪くなるまで乗せ続けられてしまった。

 最悪な日だ。大野は飲み物を一口飲み、息を吐いた。

「そういえば、私たち、まだ名前を乗ってなかったわよね?」

「ああ、そうでしたね……」

「丁度いいわ。自己紹介しましょう。私の名前は、真賀ハルミよ」

「俺は――」

 名を教えようとすると、

「大野カズミ君でしょ?」

 占い師は、大野のフルネームを言い当てた。

「俺の名前……誰からか聞いたんですか?」

「いいえ。でも、私は知ってる」

「どうやって……」

「占いよ。占いであなたの名を知ったの」

「マジ?」

 占い師は、黙って頷く。

「家族構成も分かったりして……」

「ええ、もちろん。ただ、準備が必要なのね」

「準備? 占い衣装とか道具とかですか?」

「物は必要ないわ。この場で、できるわ。まず、私と手を繋いで欲しいの」

 占い師は握手を求めるように手を伸ばす。

「相手に触れないと見えないの」

 それだけで、分かるものなのか。懐疑に思うも、大人しく占い師の手を握った。

「次に、心の中で家族の顔を思い浮かべてちょうだい。それと、私に心を開いてもいいとイメージして」

 目をつぶり、頭の中で家族の顔を思い浮かべる。するとすぐに、占い師は答えた。

 家族の人数。兄弟の数。そして家族全員の歳もズバリと的中させた。

「当たってる……」

 彼女の占いは、偶然だと決めつけない方がいいかもしれない。恐いくらい的中している。

 大野は、占いの真偽を確認しようと尋ねた。

「近日中に、俺は死ぬって言ってましたよね。それは、本当に起きると?」

「昨日も言ったけど、間違いなく死は訪れるわ」

淡々と答えられた。もう少し、ためらう感じで言ってもらいたい。すごく不安だ。

「俺は、どう死ぬんですか?」

「さあ、そこまではわからないわ。不慮の事故か、自殺か、他殺か。どれかには、当てはまるかもしれないけど。でも、私と付き合っているかぎりは、生き続けられるわ。心配なんてしなくいいのよ」

「俺は、まだ付き合うとは言ってないですけど」

「えっ? てっきりオッケーだと思っていたわ。ここで、一緒にデートをしているわけだし」

「それは、しょうがなく……死が迫る期間は無期限に続くんですか?」

「さあ、明日か明後日か、一年後に消えるかもしれないわ。もしかしたら、寿命がくるまであり続けるかも」

「俺の死って、寿命が迎える時ってオチじゃないですよね?」

 占い師は、ふっと笑いを漏らした。ツボに入ったのか、腹を抑え、ケラケラと笑い続ける。

「ごめんなさい。つい、笑いの波が、あははっ!」

「笑いごとじゃないですよ!」

「フフ、そうよね。あなたにとっては大問題よね。一応、メドはあるわ」

「いつですか!」

「期限じゃないわ。ある条件を満たすこと。願いを叶える必要があるの」

「願い? 誰の?」

「私の願いよ。叶えられるのなら、不本意な死は消せるはずよ」

「……嘘じゃない?」

「ええ。神に誓ってね」

「なら、教えてください! どんな願いなのか」

「残念だけど、教えられないわ」

占い師は左右に頭を振った。

「どうしてですか!」

 大野は食い下がる。

「というよりも、教えたくないの。私の願いは簡単には叶えられない。期待させておいて、難題と知ったら、心が折れてしまうかもしれないわ」

「それでも構いません。できるか、できないか以前に、知らないままの方が嫌です!」

 いつになく、強気だった。死を免れるために藁を掴む思いがあったからだろう。大野の姿勢に占い師は目を瞬たかせ、再び笑いを漏らした。

「俺は真剣ですよ……」

「ごめんなさい。だって、ね? あなた、面白いから」

 大野は強く歯を噛んだ。ムキになって、感情を表にだすべきではなかった。とたんに、恥ずかしさがこみあげる。

「うん、決めた! その熱意に免じてヒントだけ教えてあげる」

「ヒント?」

「少しずつ、夢を達成させるためのヒントよ。一回しか言わないから、しっかり聴いてね」

 占い師は顔を屈め、大野耳元でそっと囁いた。


『私を助けなさい』


「助ける?」

「そう。助ける行為が、条件を満たすことに繋がるの。私が困っている時に、助けてくれればいいのよ」

全てにおいて助けないとダメなのだろうか。それでとあまりにも範囲が広すぎる。 

「絞るなら、自然かつ自主的に。意図的なものはノーカウントよ」

 助ける行動の違いによってポイントにならないのか。こうも、条件があると、助すけるべきなのか。躊躇してしまう気がしてならない。それに加えて、自然で自主的ではないとダメだと言うのは、疑問である。

「神様がそう決めてしまったの。実証不可な、天命とか運命ってやつ」

「運命だって、ときほぐせば、各々の出来事の重なりで起きるはずです。理屈や理論で説明できると思いますけど?」

「筋書きは、かならずあると?」

「理由はあるはずです」

「石橋を叩いて歩くタイプね。うん、たぶん理由はあると思うわ。でも、教えくれないのよ」

「教えてくれない? 誰が?」

「私の頭の中に語りかけてくる天使か悪魔がね。答えは教えても、プロセスは説明してくれないのよ」

「冗談じゃ――」

「ないわよ。大マジ」

 天使か悪魔のどっちらだかは知らないが、占い師を通してお告げをしているらしい。そのお告げを占い師は予知として答えている。しかし、答えの道筋は知らせてくれないため、聞きたいのであれば、もう直接にあって聞くしかないそうだ。会う手段はないが。

「幻聴とかでは? もしくは、耳が悪いとか」

「私の耳は正常よ。頭もね」

「いつから聞こえ始めたんですか。その声ってやつは」

「よく覚えてはないけど、二十歳前だったかしら。いきなり声が聞こえてきたのよ」

「よく平然でいられますね」

 普通なら、正気を保ってはられないだろう。もし、自分だったら頭がおかしなったのだと、パニックに陥っている。

「馴れってやつよ。怖いのは最初だけ。それにお告げのおかげで、天職にありつけたわけだし」

 ポジティブ思考がうらやましい。ある意味では、その声が占い師にしか聞こえないのは、幸いともいうべきだろうか。

「死を回避したければ、付き合いをしろ。何でこんなチョイスを選ぶかね」

 あれ? 何か引っかかる。大野は、眉間をシワ寄せた。

占ってもらった時は、色々ややこしい状況で特に考えはしてなかった。いまは違う。思考の余裕がある。占いの結果を思い出すと、可笑しな点がある。

「ねぇ、眉間にシワが寄ってるわよ。考え事?」

「一つ、聞いてもいいですか?」

「なに? 愛の告白かしら?」

 占い師の頬に両手を当てて、キャッと恥ずかしいそぶりを見せる。大野はそれを無視して問いを投じた。

「どうして、俺と付き合おうとしたのか。理由を教えてください」

 死を回避するには占い師と付き合うこと。それは、大野が取るべき行動である。占い師を恋人とするのは大野がすべき行動であって、占い師は拒否してもかまわないはず。断る権利はある。しかし実際は、逆。占い師から付き合いたいと言ってきた。

「それはね、あなたに一目ぼれしたからよ」

 占い師は片目ウインクをとばす。

 わざとらしい。大野は怪訝な顔で、

「嘘ですよね?」

「フフッ、さてどうかしら?」 

「お告げのせいですよね。俺が真賀さんにとって、何かしらのアクションを起こす存在だから。たぶん、願いに関係している……」

占い師の反応は素直だった。目をぱちくりさせ、少しばかり驚くような顔を見せて、

「正解よ。半分はね」

「半分?」

「もう半分は私からの善意。死を見過すのは好きじゃないわ」

 占い師は横髪をかき上げる。

「利用しているみたいで、感じ悪いかしら? でも、私は、互いに運命を重ねられるパートナーでありたいと思っているわ。本気でね」

「そこまで深い関係じゃなくても、いいと思いますけど?」

「私は歓迎するわ。だって、あなたのこと好ですもの。私を助けてくれたしね」

「助けた覚えはないですよ」

「あるわよ。あなたは逃げなかった。願いを叶えてみせるとね」

 それは、俺自身が死にたくないからだ。こっちだって、見方を変えれば、占い師を利用しているのと同じことだ。それは良いのか、悪いのか。わからない。

「互いに利用することは悪いことじゃないわ。互いに損得を共有する。一方だけが損得する訳ではないしね」

「中々割り切れないですよ。失礼ですけど、俺には好きな気持ちはないです。今日デートに来たのは、恐かったから……それでも付き合いたいと思いますか?」

「素直で結構よ。問題なし。それにね、好きじゃないなら。好きになってくれるように努力するだけよ」

「随分と前向きですね」

「それはそうでしょ。互いに不幸になるよりも幸せでいたいじゃない」

 ふいに見せた占いの笑顔に、嘘偽りは見えなかった。むしろ。自身に満ち溢れた表情だった。

「でも、現状は苦手だと感じてるのよね」

 ニッ、と白い歯を見せる占い師に、大野は口元がピクピクとひきつる。

「私はそうそう怒らないわ。だから、直接言って構わないのよ。本音が言えるのは親密な証。やめて欲しいことがあるなら、言葉にださないとダメよ」

 黙っていても、どうせ見抜かれる。人の心を読まれるのは、いい気分ではない。だったら、言ってしまえ!

「そこまで言うなら正直にいいます。もう少しテンション落としてください。対応に疲れます!」

「あら、そんなにテンション高かったかしら?」

「いままで会った人の中でもトップですよ」

「これでも、結構セーブしてたつもりだけどね。楽しむとき楽しむのが私の信条なの。悪いけど、すぐに善処はできないわ。性格を治すのは時間が掛かるから」

 占い師は、飲み物を一口飲みこむ。

「もっとも、環境が変われば性格も早く変えられるとも聞くわね。例えば、おてんばな娘さんも結婚したらおしとやかになるとか、ねっ!」

 大野は頭の中で想像した。占い師が結婚した場合どうなるのかと。現段階では、まったくもって静かになるイメージが見えない。

「嫌なイメージをした?」

「……」

 即座の返答は、疑を招く。大野は少し待って、

「なんのことですか?」

「うん? 違ったかしら?」

 占い師はベンチから立ち上がり、背を伸ばした。

「まあ、いいわ。顔色も良くなったみたいだし、アトラクション乗り場にもどりましょうか。絶叫コースター全制覇するわよ!」

「はいっ?」

 コースター系は無理だと分かっていての発言なのか。それが原因で休んでいた状況なのに、なぜまた乗らせようとするのか、訳が分からない。相手に配慮する気持ちはないのか!

「慣れよ。慣れ。アレルギー持ちで、少しずつアレルギーの食品を食べ続ければ抵抗つくでしょ。それと一緒よ」

 全部のコースターを乗ろうとしている時点で、一度に大量のアレルギー物を摂取しようとしていると同じてはないか。トラウマになって二度と乗れなくなる危険性しかない。

「とにかくトライよ。確率は半々」

 占い師は大野の腕を掴み引っ張りだそうとする。

「だったら、占ってくださいよ。吉か凶なのか!」

「吉よ。たぶんね」

 本当に占ったのか? その後、何度も安否を尋ねるも、「大丈夫」の一点張り。力押しで引きずられながら、泣く泣く絶叫系へと乗り回さる大野であった。



 大野はうつろな目で、地平線へ沈む太陽を眺めた。

「たいしたことなかったでしょう? これでもう十分慣れたはずよ。次に遊園地にきたときは、おもいっきり楽しめるわね」

 対面に座る彼女は、意気揚々に答えた。華奢な体なのにもかかわらず、とれだけ体力が残っているのだろう。

「ねぇ、さっきから何を見ているの?」

「……夕日ですよ」

「夕日? ロマンチックなのね」

大野に合わせるように占い師も窓の外を眺める。

「仕事で外に出る時がほとんどないから、こうしてゆっくり見るのは、久しぶりね。綺麗だわ……今日はありがとね。あなたのおかげで、良い休暇になったわ」

「それは……よかったですね」

 自分はまったく楽しくない。むしろ、恐怖によるストレスと疲労が増えた。明日は絶対安静だ。

「勉強できねぇな……」

 徒労のせいか思わす声に出てしまった。占い師は徒労の声を耳にすると、興味ありげに、大野方へと顔向けた。

「勉強できない? そういえば、志望校の合否が知りたかったのよね?」

 本来なら、合否を知りたかった。しかし、生死不確定で先が見えず判らずじまいで終わっている。

「もう一度、この場で占ってみる? 私がいるかぎり、死はないはずよ。先の未来が見えるかもしれないわ」

 占い師は手を差しむける。手を重ねれば占いが始まる。ほぼ確実に当たるお告げ。大野は手を合わせようとするも、途中で思い直したように、手を引っ込めた。

「いや、いいっす。俺きっと受かるんで」

「自身があるのね。合格できそうなの?」

「今はまだ。でも、最後に挽回すればどうにかなります」

「根拠は?」

「ないです。ないですけど、大丈夫な気がするんですよね」

 占い師は、顔を背け長い髪をかき上げた。

「じゃあ、もし落ちた場合はどうするの? 他の志望校はあるのかしら?」

「第一志望校以外は考えてないです。ダメだったら、適当な職でも探しますよ」

「随分思い切るわね。どうして、その学校にこだわるのかしら?」

「待ってる人がいるんですよ。二個上の先輩で、卒業の時同じ高校に来て欲しいって」

「年上の先輩ね……部活動に入部して欲しいってところかしら?」

「違います。俺は何の部活もやってませんし、入る気もないです」

「じゃあ、どんな理由なの?」

「ただ、会いたいと」

「会いたいだけ? 学校でなくても、休日とか時間を探せば会えると思うけど?」

「先輩の家、門限とかあって、色々と厳しくて。休日も稽古の予定がびっしりで会う暇はないし、男子が家を跨ぐのはお断りですしね。送り迎えは車、会えて話せるのは学校だけですよ」

「難しい事情ね。その先輩は女性かしら?」

「はい」

「ふーん、女の子か……容姿はどう? 顔をかわいいの? 美人さん? 性格は?」

 占い師は首を伸ばし大野に迫る。問い詰められる様な体勢に、大野は顎を引いた。

「気になりますか?」

「うん。とっても気になるわ。特に女性だと」

「容姿とか性格とかは、俺の口からは、答えたくはないです。本人に悪いですし」

「それは残念。じゃあ、これだけは教えて。あなたは、その先輩のことが好きなのかしら?」

 好きなのか。好きと嫌いといえば、好きな方になるだろう。

「尊敬しているから好きって意味で?」

「意味合い的には、それですね。憧れての好きですから」

「そう。なら安心ね。ありがとう」

 占い師は満悦な笑みで頷き、顔を引っ込めた。

「そうだ、志望校に落ちたら、職に就こうと考えているのよね。当てはあるの?」

「ないです。落ちてから考えます」

「あと先考えてないのね。無計画とも言えるけど、さっぱりとした良い性格ともとれるわ。うん、あなたの性格ならできそうね。どう、私の所で働かない?」

「えっ? それは占い師になれと?」

 はっきり言おう、それは無理だ。心理を見抜く技術もなければ、相手を納得させるような会話力も説得力もない。どう考えても、占い師に向いていない。

「違うわ。占い師じゃなくて、兼業している方を勧めたいの」

「兼業?」

「そうよ。さて、問題。一体なんの仕事でしょうか? 答えてみて」

 大野は目を細めた。他人の仕事について大して気にすることはないのだが、この占い師に関しては別だ。世間的に知られていないような仕事をしているのかもしれん。非常に気になる。

「情報屋とかですか? ドラマとかでよく見る内容なので」

「んー、違うわね。でも、だいぶ近いわ。ヒントはね、情報を集めて問題を解決するのが目的よ」

「刑事? いや、副業できないか」

「おしい。ほら、その相方的な存在がいるでしょう?」

「もしかして、探偵?」

「正解! ご褒美に、ホッペにキスしてあげようか?」

「辞退します……それはいいとして、本当に探偵を?」

「本当よ」

 一日の大半は、探偵の仕事をしているらしく、週に二日短い営業時間で占い師の仕事をしているとのこと。

「お告げで、バンバン解決。解けない謎は無いですね」

「そうだったら、いいわね。名探偵なんて呼ばれたかも。残念だけど、お告げはそれほど万能じゃないわ」

 お告げ。言い換えては予知なのだか、それには制限があるらしい。まず相手の手に触れていることが必須の条件であること。さらに、予知の範囲は手に触れた相手が見たいと強く願う未来と過去の記憶までしか分からないとのこと。

「ほとんど物探しが多いからね。見つけられたか結果は分かっても、何処で見つかるかは知りようがないのよ。だから、巷にいる探偵さん同様に、地道に捜索をしているわ」

「なんか、中途半端ですよね。先の答えが見えるだけでも、すごいですけど」

「それ位でいいのよ。全てを知ったら面白くない。完成されたパズルを見るより、繋ぎ合わせの作業の方が楽しいでしょ」

「捉え方は人それぞれだとは思いますけど……探偵の稼ぎはいいんですか?」

「依頼内容によるわ。下から上までピンキリ。占いの仕事よりは稼ぎはいいわね」

「それなら、探偵の仕事一本化でいいのでは? わざわざ二つも仕事をする必要はないと思いますよ。負担も大きくなりますし」

「表は占い師。でも、裏では探偵もしている。そっちの方が、ほら、なんとなく恰好いいでしょ?」

「格好いいのかな?」

「それともう一つ、私の趣味に通じているのも理由ね。人間観察が好きなのよ。私の占いで、喜んだり、笑ったり。たまに、悪い結果で怒ったり、泣いたりするけど、色々な人の感情を間近で鑑賞できる。これほど、人を見れる仕事はないの。それに心理を読む訓練にもなるし、生を感じられる。ゾクゾクするの」

「俺はあまり、共感できないですね」

「あなたには趣味はないのかしら?」

「俺は……」

無い。それが答えだろう。小さい時から、これといって熱中するものもなかった。何かにハマる時も一時期はあるが、熱はすぐに冷めた。色々と、幅を広げるも浅い所で終わる。結局、趣味が無いのではなく、趣味が無くなってしまったのだ。

占い師は大野を見て、クスリと笑った。

「趣味が無いなら、私と同じように人間観察でもしてみなさい。あなたは少し人に関心を向けるべき。その人の思いを読み取ることができれば、人を救える力にだってなれるわ」

また人の心を読んだ。

「……考えときます。採用条件はありますか?」

「研修を受けてもらうわ。最初はバイト員として従事してもらうわね。まあ、助手ってところかしら。ある程度の期間と、適正がオッケーなら、いつでも探偵員として雇ってあげるわ。いつでもね。強要はしないけど」

 探偵。興味はないと言えば嘘になる。独自による捜査。情報をつたって謎やら事件を解く。

昔憧れていた時期があったのは事実だ。

「脈はありそね」

 聴こえているなら聴いてほしい。人の心を読むのは、やめてくれ。大野は目で訴える。

「じゃあ、決まりね。全は急げ。明日からバイトをしてもらいましょうか?」

「ちょっと、まだやるとは言ってないですよ! てか、バイトは受験終わってからじゃないんですか?」

「バイトによる実践経験は早めにやってもらわないと適正判断ができないの。それに、頭は柔らかいうちに使わないと順応力も下がる。鉄は熱いうちに打たないとだめ。興味があるうちに始めないと、どんどんモチベーションは下がって、やる気持ちがなくなってしまうわ」

 理屈はなんとなく分かる。しかし、バイトと受験を掛け持ちは無謀だ。合格から遠ざかるのは目に見えている。

「俺は受験に集中したいんです! バイトと並行は無理ですよ!」

「大丈夫よ。探偵の仕事は頭を使うでしょ。つまり、受験勉強にも相乗効果があるのよ」

「そう、うまくいきます?」

「あなたなら、うまくいく。私が保証するわ!」

 占い師は大野の両手を握ると、顔と顔の距離を縮めた。

 断りづらい状況。占い師の瞳は、逃げる大野の目を逃さなかった。


2.ギャップ 


「ここか?」

 渋い顔で、携帯画面状のマップアプリを確認する。

 昨日の遊園地の帰り、占い師に明日の日曜日に家へ来るように言われた。渡された電話番号と住所の書かれたメモ用紙を頼りに、携帯アプリの地図ルート案内検索を使い自宅から徒歩で向かうと、小さな一軒屋へ着いた。

「おばあちゃん家に似てるな」

 お盆の日に、毎年家族揃って祖母の家に行っている。家の風貌は古く、目の前の家も同じような建築構造をしている。

 家の前で立ち往生していると玄関の戸が開いた。

「いらっしゃい。時間通りね」

 占い師が満面の笑みで出迎える。

「さあ、入って」

 占い師の手招きに呼ばれ、大野は玄関口を跨いだ。

 外履きを脱ぎ、室内用のスリッパに履き替える。古い家特有の匂いが鼻を刺激した。

「中は狭いから、足元気を付けてね」

 占い師の背中を追う。通路は肩幅ギリギリの余裕しかなく、非常に窮屈だ。窓もなく家の中は薄暗い。

 部屋の中はどうなっているのだろ。中の様子からして、二人でギリギリ入れる大きさしかないのではないか。

「ここが客間よ」

 占い師は立ち止まり、目の前の襖を引いた。

「……ええ?」

 予想は大きく外れる。部屋は、そう、広かった。宴会場並みの大きさはあるだろうか。狭い通路から広い部屋のギャップ差に驚くしかない。

 占い師曰く、建築上の問題で、玄関前は狭くなっているが、奥に進めば実際は広くなる凸型の敷地になっているとのこと。

「狭い部屋で、ゴメンね。お茶を用意するわ」

 部屋の真ん中に物寂しく置いてある卓袱台へと歩く。目についた座布団へと腰を下ろし、部屋の周りを見渡す。掛け軸や、壺が置いてあるだけで家電製品的な物は一切見当たらない。部屋の広さと相まって物寂しく落ち着かない。

 占い師は盆に湯呑を乗せ戻ってきた。

「はい、お茶よ。熱から気をつけてね、ダーリン」

「だっ、ダーリン?」

 思わず、苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

「フフッ、一回行ってみたかったの」

占い師は、口をニヤつかさせていた。

「お菓子もどう?」

 袋包の大福と饅頭に煎餅。チョイスがお年寄り向けの菓子ばかりだ。

「全部頂き物なの。好きなだけ食べて」

「は、はあ……それより、バイトの説明してもらえません?」

「やる気があるのはいいことだわ。でも、休んでからにしましょう。すぐに手をかけられ仕事でもないし。ほら、お茶でも飲んで、リラックス!」

 勧められて、大野はお茶を啜った。占い師はニコニコした顔で大野を見ている。幼い息子の食事姿をほほえましく見守る母親のように。

「あの、じっと見つめられると、飲みにくいです」

「フフッ、ごめんなさい。職業柄で、ついつい人を観察しちゃうの」

「見られている側はとしては、すごく気になりますよ」

「普段は、相手が気にならないギリギリのラインで観察してるの。でも、あなたは特別。じっくり見ていたいのよ」

 占い師の艶っぽい瞳に、大野は目を離す。これは、精神に良くない。というより、占い師との距離が近くないか。なぜ、近づく。

環境を変えるべく、大野は別な話題へと切りかえす。

「敷地広いですよね。何人住みですか?」

「一人よ。私だけ」

「両親は?」

「いないわ。随分前に他界してるから」

「そう、ですか……すんません」

「別に謝らなくてもいいわよ。一人でも寂しくないもの。この家はね、元々祖父の家なの。祖父が亡くなった後、引き取り手がいなくて取り壊しになるのを、私が引き取ったのよ。ここは、静かで暮らしやすいわよ。周りに民家もないし、ここで何が起きようとも、誰も駆けつけない……ねっ!」

「えっ?」

 大野はピクリと体を震わせる。占い師が大野の手の甲を艶めかしく摩りだしてきた。

「大きな声をしても、だれにも迷惑はかからない。当然、誰も助けもこないわ」

 クスクスと妖艶な笑いをもらす占い師に、大野は瞼を強く閉じる。

「俺は風紀を守る人間です。そろそろ仕事内容教えてくださいよ!」

「我慢強いのね。いつでも、押し倒していいのよ?」

「その話が続くなら帰りますよ」

「ふてくれ顔も可愛いわね。はいはい、そう怒らないで。キチンと説明するから」

 占い師は卓袱台の下から、黒いファイルを引っ張りだす。

「さーて、初めてのお仕事はどれがいいかしらねー」

 鼻歌まじりに、ファイルを開き、依頼内容と表記された書類をめくる。

「ねぇ、これはどうかしら?」

 占い師は、めくる手を止め、ページの依頼内容を指さした。

 依頼内容。夫が別の女性と○○している疑いがあり、身辺調査を願いたし。

「この〇〇は……不倫ですか?」

「そう、不倫よ」

「どうやって調査を?」

「ターゲットを尾行するのよ。見つからないように、丸一日追い続けるの」

「丸一日も? 初めてやるには難しい気がします。正直キツイですよ」

「だったら、これはどう?」

 依頼内容。家での娘の行方の調査。家出して約三年経過中。

「……」

 行方不明関係は警察に任せるべきではないのか。と思うが、必ずしも警察が力をいれて捜索するとはかぎらない。だからこそ探偵に頼んだケースなのかもしれない。しかし、あくまでバイト。任せられるレベルは限度がある。

「難易度が上がってますよ。下げてくれませんか?」

「もう、イヤイヤばかり言うのね」

 占い師は、パラパラと依頼書を流していく。

「あっ、もう一つあったわ!」

「だから、人探しは無理ですよ」

「大丈夫、探すのは人じゃないから」

 依頼内容。飼い犬のターちゃん行方不明。備考、一週間経過、とても心配。

「ペット探しの依頼も結構あるの。依頼主の家はここからから近いわね。ペットの探索範囲を大幅絞れるから、難しくは無いわ。どう、これならできそうでしょ?」

 大野は依頼書を拝借し、内容確認。占い師の説明通りだ。

 これなら、できそうな気がする。一瞬意気込むも依頼期限に目が移すと、

「期限、今日までじゃないですか!」

「そうよ。今日中に探せないと、報酬は無しになっちゃうの」

 占い師は、パンと大野の肩に手を下した。

「だから、頑張って探してきてね。私のために」



 日は暮れ、空にぽつぽつと星が輝きだす。占い屋の家の前に、フラフラと左右に揺らす、大野の姿があった。

 疲れ切った顔で玄関の戸を開けよう手を伸ばした。すると、見計らったかのように戸が勝手に開いた。

「おかえりなさい。首尾はどうだった?」

待っていたとばかりに、占い師が出迎える。

 どこかに監視カメラでも取り付けているのか。こうも何度もタイミングよく開くのは中々あるものではない。占い師特有の予知能力的占いで、察知しているのか。なぜ、帰ってくるタイミングが分かる。不思議に思うも疲労で聞く気にはなれなかった。

 大野はジーパンの脇ポッケから、よれよれの茶封筒を取り出した。

「なんとか、見つけましたよ。これ報酬です」

 占い師は封筒を受け取り、その場で封を切った。封筒の中からは、お札が顔をだす。

「初日から依頼達成できなんてすごいわね。どうやって探しだしの?」

「ペットが行方不明になった場合、二キロ範囲内に可能性が高いって、検索サイトに載ってたんですよ。それで、同じように範囲を絞って探索と周辺に住む人達に聞き込みをしたんです」

「いい考えね。でも、一軒一軒聴き込みしてたら、大変じゃない?」

「犬を捜しの内容が書かれた張り紙が飼い主の周辺近くにありました。だから、それより外の範囲に絞りました。張り紙のある範囲の近くに住む人なら、連絡ぐらいはしてくれると思いますからね」

「なるほど。それで、ワンちゃん何処にいたのかしら?」

「えーと、最近県外から引っ越してきた人の家にいましたよ。お腹を空かせていたそうなので、を保護したそうです」

「その家の屋根に太陽パネルがあったかしら?」

「ありましたよ」

「家の人は、若い夫婦じゃない?」

「……そうですけど」

鼻高に笑っているのは、なんでたろう。そして、なぜ保護した家の状況を詳しく知っているのか。だいだい予想はつく。

「俺が探す前から、知ってた?」

「ええ、前からね」

「前って……知っておきながら、俺に依頼を受けさせたってことですか!」

「そうよ」

即答された。すまない、俺も男だ。納得できない以上、一つ言わせてもらいたい。なんで、俺にやらせたのかと。

わざわざ、現地に行って歩き回って、聞きこんで、手かがりを探して。居場所が分かっているなら、こんな徒労はしなくてすんだはずだ。

「そう怒らないで。探偵の仕事をするのには、ある程度経験をつまなければならないの。だから、あえて探してもらったの。それに、現時点であなたがどの位の力量があるのかを見極める、テストでもあったの。結果は、素質ありよ」

 占い師の弁明は、理解できなくはない。しかし、期限ギリギリともあって、プレッシャーかけながら必死に探していた自分がアホらしく感じてならない。

「それも経験よ。期限ぎりぎりで依頼をこなせないといけないときもあるわ。それにね、期日が近い日に依頼を達成すると、報酬が依頼前より良くなる場合があるの。一生懸命にやってくれた、てね。ほら、現に今日の報酬は一万円も多かったわ」

「なんか、都合良く話しを繋いでいるような気がしますけど……」

「無理にでも、納得してちょうだい。悪意は決してないわ。今日の仕事がきっと後々役に立つわ。はい、今日のバイト代よ」

 占い師は茶封筒全額残したまま、大野に返した。

「差し引かなくていいんですか?」

「初仕事だし、給料は奮発してあげる」

 丸々もらうのは少し気がひける。しかし、変に断りをいれると話がもつれそうな予感がする。大野は礼を言い、封筒を受け取った。

「それで、どうかしら? バイトは続けられそう?」

 続けられるか。その答えは……はっきりと言えなかった。ただ一つ分かるのは、受験勉強に役に立つ点はないということだろう。頭はヘトヘト状態、机に向かう気力は無くなっている。どう考えても、デメリットしかない。

「返答は後でいいわ。頭を休めてから、じっくり考えなさい」

 占い師から、お茶入りのペットボトルと菓子の袋詰めを、お土産として手渡された。

「決まったら、メールでも直接でもいいから教えてね」

 小さく手を振り見送る占い師を背に、よれよれの足取りで帰路へ進む。

 道中、夜空に浮かぶ半月を見上げる。

 占い師の前では言えなかった思い。心に隠していた言葉を月に伝える。

 自らの力で依頼をこなせたことによる高揚感。ドキドキした。少し……楽しいと思った。




3.依頼


「はい、これ」

 机上で頬杖している大野の元に、ハルカがお札を突き出した。

「なんだ、この金?」

「占いの代金でしょ。建て替えしたって、メールで送ってきたじゃない」

「そうだったか?」

立替えた代金のことなど、すっかり忘れていた。臨時収入とバイトの忙しさに、脳内メモリから削除されてしまったのだろう。

「あんたさ、どこか調子悪いの? いつもなら、早く金返せって、うるさいくらい催促するじゃない」

「誇張しすぎだ。考えごとで頭が一杯だったんだよ」

「珍しいわね。いつものノー天気そうなのに」

「失礼な奴だな。俺だって色々考えるんだ!」

「あっ、そう。それで、あんたはどうだったの? 占いの結果」

「あん? ああ、まあまあだよ……」

「実は、占いの結果が悪くて気にしているとか?」

「……」

「へー、あんたでも気にするのね。嘘くさいって言ってたクセに。まあ、あそこの占い屋さんは、当たるっていうし、不安になるのも分かるわ」

「お前は……どうなんだよ。彼氏と破局したんだろう。落ち込んでないのか?」

「最初はね。でも、ふっきれちゃったわ。彼氏は高校で好きな時につくればいいし。今は、参考書が恋人よ」

 切り替えの早い性格で、うらやましい。こういう性格なら、ストレスもなく、気ままに生きていけるのだろう。きっと。

「そうそう。ゴーテルウィークだけどさ、講習会に参加しない?」

「講習会? どこの?」

「塾よ。あんたの壊滅的英語の点数を赤から黒に色替えた」

「おい、語弊があるぞ。ギリギリ黒だったはずだ」

「似たようなものよ。それで、学校の帰り道にね、偶然塾の先生に会ったのよ。そしたら、ぜひ講習会に参加してねって。あんたの分も寄こしてきたわよ」

「俺、あそこの先生苦手なんだよな。こう、体を異様に密着してくるしさ」

「スキンシップは大事。フレンドリーが信条の先生だもん、仕方がないでしょ。わたしは、好きだけどね。他の受講生も好きだっていう人も多いし。苦手にしてるの、あんただけじゃない?」

好きだと言う奴の大半は男子生徒だろう。あの密着行為は、思春期の男子には刺激が強すぎる。それが人気の訳だが。

「苦手は仕方がないとしても、教え方は上手でしょ。特にあんたは、積極的に指導して、もらえたじゃない」

「そうだけどよ……」

 どうする。参加すべきなのか。そう迷っていると、机上に置いた携帯が震えだす。

「誰だ?」

 携帯を開く。画面には、一通のメールか届いている。送信者は占い師だ。

 メール内容、


『面白い依頼あり。興味あれば占い屋に立ち寄って♡』


「誰からメール?」

ハルカが携帯画面をのぞき込もうとする。大野は慌てて携帯を隠した。

「ダチからだ」

「ダチ? あんたに友達いた?」

「いるわ! 失礼な」

「あんたが友達と呼べるのは……もしかして、ヨシヒコ?」

「そうだ。時間あったら会いたいとよ」

「へぇー、そうなの。ねぇ、わたしも一緒に行ってもいい?」

「なんでだよ?」

「久しぶりに顔みたくなったの。ヨシヒコの電話番号を抹消してから、ずっと連絡とれなかったし、いい機会だわ」

「二人だけで話したいそうだ。だから、お前は来るな。だいだい、前々に別れた彼氏に会いに行かないだろう。普通?」

「わたしは平気よ。別れても、関係は完全に切るつもりはないわ。時間も経ってるしね」

「お前は平気でも、相手は会いたくないもしれないだろう。とにかく、来ちゃダメだ」

 ハルカはむくれた顔で、

「ケチ!」と言い放ち、自分の席へと戻った。昔の友達からのメール偽る作戦は、どうにか成功した。ヨシヒコには悪いが、よかった。

「面倒くさい奴だ。それにしても」

 右手には講習会の申込書。左手には、バイト参加の勧誘メール。

 どうするべきか。大野は左右にうろうろと目を泳がす。休憩時間の鐘なるまで悩むも、決着つかず。大きなため息を漏らした。

 ワラワラ商店の街道にて、

どうして足を運んじまったのかな。

行くと決めたわけではない。しかし、行かずにはいられないと心が訴える。故に、占い屋の店の前まで来てしまった。

 引き返しても問題はないのが、内容だけは聞いておきたい。無理そうなら、断ればいい。

大野は、首を鳴らしながら店へ入った。

「いらっしゃい。どうぞ席へ」

 黒装束にまとう占い師が出迎える。営業モードなのか、慎ましい様子で席へと案内させれた。

「さて、今日はどんな要件でしょうか?」

「要件を聞きに来たのは、俺ですけど」

「そうでしたね。これは失礼」

「それと、その畏まった感じもやめてください。いつもの態度で接してくださいよ」

「ごめんなさい。この格好だと気が引き締まるのよ。ほら、いつもグータラしてる人でも、スーツを着るとビシッと真面目な性格になるって言うし。私もそれなのよ」

「そういう人はいますけど……じゃあ、できる範囲でいいんで、普通の話をしてください」

「ええ、できるかぎりやってみるわ」

占い師はコホンと咳を鳴らした。

「それで、デートのお誘いは受けてくれるのかしら?」

うん。平常モードの彼女だ。まず言っとくが、デートの誘いは初耳だ。

「冗談よ。そう、睨まないで」

占い師は一枚の依頼書を卓の中央へと滑らせた。大野は、手に取り内容を読み取る。真っ先に最優先依頼と押された赤文字のスタンプに目がいく。

重要な依頼なのか。大野は内容をじっくりと確認する。依頼主の名は大沢健吾氏。

開かずの金庫を開けてもいたいとの内容で、期限はゴールデンウィークの最終日までとなっている。

「鍵開けの専門職に頼んだほうがいいような気がしますけど?」

「そう思うわよね。だけど依頼主は探偵に依頼をしてきた。どうしてだと思う?」

 考えられるのは、鍵の専門屋で開けられない金庫だということだろうか。現代では電子ロック付きの金庫など特殊な金庫も多いと聞くし。

「正規の方法じゃないと、開くのは難しい金庫とか?」

「その線が大きいわね」

「つまり、鍵のありか。もしくはパスワードを探して欲しいと?」

「恐らくね。どう、面白そうじゃない?」

「謎ときが好きな人ならいいですけど、俺は不得意ですよ。クロスワードだって、苦手なんですから」

「得意、不得意とかは関係ないわ。大切なのは突拍子な思いつきと、感性の高さよ」

「本当ですか?」

「私が言うのだから、間違いないわ。それに、この依頼はね、成功失敗なしに前金が貰えるの。経験値稼ぎにはいい仕事よ?」

 確かに、悪くはない話だ。失敗しようがお金が貰えるし、探偵としての実践を体験もできる。依頼の達成具合によっては、自信が付くかもしれない。

 しかし、受験という文字が頭をよぎり、意欲をそぎ落とす。

「やってもいい気はします。けど、ちょっと無理ですね」

「どうして?」

「実はゴールデンウィーク中、塾の講習会に行こうと思ってまして。それで、依頼日が重なってなければ、バイトをしてもいいかなと」

「浮かない顔は、それが原因だったの……そう、わかったわ」

 理解してくれたのだろうか。さすがに、相手の事情は優先すべきと、考慮する気持ちは、占い師にもあるのだろう。そう思っていたのだか、

「だったら、連休中は私の家に泊りなさい。私が勉強を教えてあげるわ!」

「へっ?」

「昼はアルバイト。夜は勉強にシフトすればいいのよ。これなら、問題ないでしょ?」

「問題は解決してないような……てか、そもそも勉強教えられるんですか?」

「ノープログレム。そこらの塾講師よりも教え方は上手よ。一時間もかけてようやく理解させるところを、私なら約半分の時間で理解させられるわ」

「講師経験でも? それとも家庭教師とか?」

「ないよわ。そんなもの」

 経験も無いのに、その自信はどこから出てくるのだ。鼻高にしているのは不思議でしょうがない。

「年の功よ。人生の経験値が段違いなの。とういうわけで、連休前までに着替えと勉強道具を用意しとくこと。いいわね?」

またしても、押し切られる形で計画が立てられた。本人の意思を聞くことは一切なく、否定の言葉をだすと押し込められる。大野は改めて苦手な人だと認識した。

本当になんなんだ、この人は。



 連休初日。大野は、着替えと参考書が詰まれただバック背負い玄関をでる。玄関の外に立てかけた自転車のカゴへと短くシュートし、ハンドルを握る。軽快な足払いでスタンドを蹴り、サドルへと股かけ、足裏でペダルを踏んだ。

 昨晩、占い師から自転車で来るようにと、メールで通達されていた。歩きだと疲れるだろうと、心配してくれたのだろう。久しく置物に置いてあった自転車を引っ張り出し、ギヤの油をさしと、タイヤの空気入れを前日に終えていた。

「こりゃ、自転車で正解だな」

 占い師宅までの道のりは下り坂が多く、漕ぐ必要が無いため楽だ。

「帰りは地獄だけど」

 帰路を考えると、息荒く苦しそうな顔で坂を登って行く姿が目に浮かぶ。そう思うと参考書は、もう少し減らすべきだったろうと後悔するも、いまさら戻る気にはなれない。流れに逆らうのには相応の力が必要なのだから。

 郵便局が見えた先で、ブレーキをかけ徐々にスピード落とす。ハンドルを時計回りにゆっくりと、左角を曲がった。

「あとは、直線」

 ペダルを踏みこむ。スピードを上げていくと、前方から軽トラック向かってきた。

「うぉっ!」

 軽トラックは大野の肩スレスレをよこぎりだす。あからさまに歩道に寄りすぎだ。

大野はムリやりに避けたため、体がふらつき転倒しかける。大野は、ブレーキをかけ両足で、地面を強く踏んだ。

「危ねぇ……」

 後ろを振り返る。軽トラックは蛇行運転を繰り返しており、反対車線を平気で侵入している。大野は注意呼びかける用に腕をあげ抗議のポーズを見せるも、軽トラックは止まることはなく、右側の角へ曲り去る。

「あの野郎……」

 大野は腹をたてながら、再度ペダルに足かける。自転車を前進する間、ぶつぶつと文句を吐き続けた。



 占い師の家に近づく。玄関の外に占い師が待っていた。

 占い師の横隣の位置で自転車を停止させる。

「おはよう。ちゃんと自転車で来たわね」

 占い師は偉いぞと、子を褒める親のように大野の頭を撫でてきた。

「やめてください」

 大野は嫌がるように手を払いのける。

「あら、なんだかご立腹の様子ね。何かあったの?」

「ここに来る途中に、車に当てられそうになったんですよ」

「そうだったの! ケガはしてない?」

「ギリギリで避けました。無傷ですよ」

「そう、良かったわ。何かあったら大変ですもの」

「心配かけてすみません。それより、その恰好は?」

 レディースツーツを身にまとう占い師。普段を見ている姿から比べると幾分か真面目に見える。

「これから、依頼人と会うのよ。正装じゃないと失礼でしょ?」

「普段の格好でも問題なような気がしますけど」

「ダメダメ。恰好の良し悪しで、信頼できるのか、信頼できないのか大きく左右されるのよ」

「そうなんですか?」

「人は中身が大事っていうけど、第一印象は外見で判断されるの。初めて会う人に 良く思われたいなら服装と身だしなみは、バッチリ決めとかないとね」

 確かにと思うところはある。ただ、占い師に関しては、普段着であっても、悪い気にはならないだろう。なぜなら、美人だからだ。

「それを言われると、俺はこの格好でいのかな?」

「あなたは大丈夫よ。依頼を受けるのは、私だから。迷惑行為さえしなければ問題ないわ」

「なら、いいですけど。今回は真賀さんの仕事ぶりを見てればいいんですかね?」

「タダ働きはさせないわよ。ちゃんと出番は用意しているからね」

 占い師は意気揚々に肩を叩いてくる。相変わらずテンションが高い人だ。

 今日は絶対に疲れるだろう。これは、予想ではなく予言だ。



 大野達はタクシー乗車し、依頼主の元へ向かっていた。

「依頼主の家までは遠いんですか?」

「それなりにね。歩きで七、八分くらいかしら」

「近い! タクシーいらなくないですか?」

「私は体力がないの。それに、汗もかきたくないしね。まあ、坂道じゃなかったら考えたかもね。ああ、残念ね」

占い師はわざとらしく肩を落とした。絶対に思ってないな、これ。

 大野は脇のサイドガラスを眺める。

 タクシーは緩い坂道を登る。流れる景色から建物が徐々に消えていく。代わりに、木々が多くなっていた。

「見えたわ。あそこよ」

 隣に座る占い師が指で大野の肩を突いた。反対側のサイドガラスに振り向く。外の景色を見ると、木々よりも高くそびえた屋敷が建っている。

「あれが個人の家だと……」

 数分後、タクシーは目的地へと着いた。

「はい、到着です。運賃は―――」

 占い師が料金を払い領収書を貰らっている間、大野は先に車外に出ていた。周りは、深い緑の木々が立ち並び、山側の立地という利点から町全体が見渡せる。

「デカい」

 古い西洋風の屋敷に、大野は口を開け感嘆していた。

 こんな大きな屋敷に住む依頼主は、きっと金持ちなんだろう。家が大きいほど、資産も多いはず。それが、イコールとして成り立つとは限らないが、そう思えてならなかった。

「はい、お待たせ。話しでは聞いていたけど、本当に大きな屋敷ね。私も一度はこんな家に住んでみたいわ」

 占い師の家も一般的家に比べれば、十分大きいとツッコミをしたい。ただ本人は家に住み続けているゆえに、広さの感覚が鈍くなっているのかもしれない。隣の芝生は青く見えるというし。

「依頼主はどっかの資産家でしたっけ?」

「インテリアデザイナーの会社を経営している会長だったかしら。日本ではあまり知られていないけど、海外だと有名らしいわね」

 そんなすごい人とこれから会うのか。そう思うと緊張の波が襲ってくる。

「ガチガチになっていると、脳の回転が鈍るわよ。もっとリラックスなさい」

「すぐには、無理ですよ。俺は経験が浅いんですから。真賀さんは緊張しないんですか?」

「これっぽっちも。富裕層の人とは何度も依頼を受けてるし、トラブルもほとんどないから平気よ。もっとも、裏の方だとトラブルが……これは言わなくていいか。とにかく、当たって砕けろの精神で行けばいいのよ」

「砕けちゃダメでしょ……」

 エンジョイ気分の占い師の後ろを大野は重い足取りでついていく。少し歩くと、横縦に長い鉄柵が待ち構えていた。占い師は鉄柵の脇に進み、カメラ付きのインターホンを押した。

『どちらさまでしょうか?』

「探偵の真賀です。依頼の件で参りました」

『ご足労掛けます。ただいま、お伺います』

 屋敷の無効から白髪の男性がでてきた。足早に鉄柵の前に駆け寄り、柵の施錠を解いた。

「お初にお目にかかります。真賀ハルミと申します。大沢健吾様でしょうか?」

「はい。ようこそいらっしゃいました。どうそ、中へお入りください」

 大野と占い師は挨拶を返し、柵の内と入る。青く茂った芝生の庭を通り、白色の玄関扉で立ち止まった。

 家もデカけりゃ、扉も必然的に大きくなるのか。仰ぐように見ていると、大沢氏が両扉を引いた。

「外履きのままで結構です。どうぞ、おあがりください」

 館へと踏み入れる。まず出迎えたのは広々としたエントランスホールだった。次に目を引いたのは、金身持ちステータスとも言うべき幅広の赤色カーペットが敷かれ階段だ。天井には西洋風の天使達の絵が描かれている。

 大野は、唖然とその光景に見とれる。これが上流階級の家なのかと。片方、占い師は、あまり驚く様子は無く、眠いのか瞳に涙を浮かべていた。

 大沢氏に案内され、階段を上がる。二階に着き、学校の廊下幅はあろう通路を進む。横脇にいくつもの扉があった。大野たちは通路奥の客間の部屋へと案内された。

「どうぞ、くつろいでください。ただいま、お茶を持ってまいります」

 大沢氏がドアを閉めた後、二人は部屋の内観を見渡した。

 フカフカのソファーに、クリアガラスでできたテーブル。壁際の大きな窓ガラスが張ってあり、遠くの建物を見渡せる。高級そうな骨董品や絵も多く並べられている。上級階層の住まいを目にして、自分の家との差に大野は悲観した。

「結構言い値のする骨董品ばかりね。あの壺なんか、何百万クラスはするわよ」

「詳しいですね」

「詳しいというよりは物知りなだけよ。探偵は色々な知識を頭に詰めなければならないのよ。知識の量がそのまま武器になるわ」

 占い師は人差し指を立てて、大野に指した。

「多趣味でありなさい。浅くてもいい。色々なことを学び、知り、行動しなさい。さすれば汝を助ける鍵となろう」

「誰かの格言ですか?」

「いいえ、私が思い付いた言葉よ。経験則から学んだ上の言葉だからね。先人の知恵とでも言ってもいいわ。探偵屋になりたいなら、ぜひ実践してみてね」

 それはもう女性雑誌の表紙を飾れるほど絵になるポーズだった。大野は思わず見とれてしまう。

「ん? 何か言いたげな顔ね?」

「モデルでもやってけそうですね。スタイルもいいし」

「あら、そんな私の体を見ちゃだめよ。でも、キ・レ・イって言ってくれたら、いくらでも見せてあげる。どう?」

 どうも、こうもない。変な事言わなければよかった。さっさと、話を切り上げよう。

「そういえば、今回の依頼の報酬料金っていくら貰えるんですか?」

「前金で、諭吉さんが百枚。依頼成功でプラス百枚。合計二百万円ね」

「そんなに!」

「驚く程のお金じゃないわよ。私レベルだとのこれ位は普通よ」

それを普通だと言い切るのがすごい。もっと言えば、これほどの大金をだす依頼主もすごいのだろう。それほど、占い師の評判と信頼が高いとでもいうのだろうか?

「……それでも、責任重大ですよ。前金もありますし」

「そんな、複雑に考えなくていいのよ。リラックス、リラックス。意識し過ぎは視野が狭くなるわよ」

 緊張感も責任感も微塵に感じないとでもいうのか。だとしたら、占い師の度胸には敬服する。特殊な仕事を請け負える人は、一般人とは少しずれた性格でないとやっていけないのかもしれない。

 ドアからノック音が鳴る。大沢氏がキャスター付きのキッチンワゴンを引いて戻ってきた。

ワゴンの上には白磁のティーカップとティーポットがあり、ポットの注ぎ口からは紅茶の香りが部屋にたちこめる。

「海外の友人から頂いた茶葉です。中々流通しない貴重な葉だそうでして、お口に合うとよろしいですが」

 カチャカチャと音を立て、クリアガラスのテーブルにティーカップが置かれる。薄い赤茶色の紅茶から上品かつフルーティな香りが鼻孔をくすぐった。

「とうぞ、お召し上がりください」

 大野は、カップを口づけ、一口含む。ワインのティスティングのようにじっくりと舌で味わった。

旨い。自分の味覚がきちんと理解できる舌であるかは分からないが、時たま飲むティーパックの紅茶よりは間違いなく味も香りも格段に上だ。

 占い師は短く啜り、カップを置いた。味の良さを褒めつつ、紅茶の産地や、種類に、品質を尋ねた。大沢氏は嬉しそうに紅茶の説明をする。占い師は相槌を打ちながら、談笑を続ける。

 話に区切りがつくころ、占い師は長話になっていることをさりげなく大沢氏に促した。大野は、二人の会話に飽きだしており、ようやく終わりかと、手で欠伸を隠した。

「まず、依頼内容再確認となります。変更、または間違いはないでしょうか?」

「はい。基本的に、依頼書の内容に書かれていた通りです」

「了解しました。次に数点質問があります。お答え願えますか?」

「プライベートに関係しないものであれば、かまいません」

「ありがとうございます。まず、開かずの金庫と言うことでしだか、鍵開けの専門業者などに依頼は、したのでしょうか?」

「ええ。最初は業者の方に頼みました。ですが、珍しい施錠だそうで。解除するのは難しいと断られました」

「なるほど。物理的に金庫開けることはお考えになられました?」

「もちろん。それもある業者に頼みはしましたが……」

 途端に、大沢氏の顔が沈み、両手をそわそわと握りしめていた。

「なんと言ったらいいでしょうか……あの金庫は呪われているんです」

「呪われている?」

「はい。現実に考えればバカバカしいと思うかもしれません。呪いなどそんなものは存在しないと。しかし――」

「そうとしか思えない……ご安心してください。私が依頼を請け負ったもので曰くつきと呼ばれる案件はありましたので。金庫について詳しく教えていただけませんか?」

「それなら、幸いです。話が判る方でよかった。詳細は現場に行って、お話しします」

 大沢氏は、素早くソファーを立ち上がる。大野達も席を立ち、再び大沢氏の案内についた。

 呪われている。通路を進む途中、以前占い師に言われたことを思い出した。死が訪れると告げられて一週間は経つだろうか。二日、三日後は死ぬかもしれないと恐怖に怯えていた。しかし、ここ最近そう思わなくなっていた。いや、忘れていたのだろう。約束もしてないデートや、半ば強引にバイトなど、思い返す暇はなかったのだ。火の元の原因でもあり、火を消す水にもなっている占い師の行動に、大野は良いと悪いとも取れない複雑な心情を抱いた。

 一階に降りたのち、本館とは別にもう一軒、客用の宿として建てられた別館へと移動した。

本館とは違い、一階のみの敷地で、縦長の構造している。通路の脇には四つの部屋が並んでいる。通路の一番奥へ進むと、壁にはめこまれた白銀の金庫があった。

「これが、例の?」

「はい。鍵穴の見ていただけますか?」

 占い師は屈みながら鍵穴をのぞく。

「十字型の鍵穴になっていまして、鍵屋に頼んでも技術的に無理だと……」

「私も初めて見ます。鍵穴の前部分に金属部分が赤く付着していますね」

 よくよく観察すると、金庫の所々に赤色の液が散っている。

「それは金庫を壊そうとした作業者の血です」

 工具を使用して金庫を壊そうとしていたところ、突然工具が破損。折れた工具の先が飛び、作業者の腕に突き刺さったとのこと。

「一度なら、ただの不注意による事故だと思いました。しかし、それが何度も起きてまして……」

「曰くつきですか。金庫の鍵の所存はお知りならないんですよね?」

「残念ながら。ただ、この館のどこかに鍵はあるらしいのです」

 大沢氏は、懐から白袋を取り出した。折り畳まれた一枚の用紙を抜き取ると、その場で広げた。

「こちらは、祖父の大沢タカマサ氏が亡くなる以前に書かれた遺書になります。見てください」

「拝借します」

 占い師は遺書を受け取ると、自身の肩大野肩へと寄せ合わせてきた。

「なんです?」

「一緒に見ましょう」


『鍵のありかを探すもの、四季を探し、雪解けを見よ。その先四季に思いを辿り鐘の音を追え。さすれば、この世へ呼び鈴になろう』


 短い一行文。どことなく、謎めいた文章に思える。

「どう思う?」

「鍵のありかを探すは、そのままの意味ですかね。深読みですけど、ここに書いてある鍵はその金庫を用なのかは断定できないですよね。 別な鍵だったとしたら、骨折り損ですよ」

「そうね。大沢さん、この遺書に書かれている鍵は、そちらの金庫を開けるための鍵と考えていいのでしょうか?」

「この金庫は祖父が保管していたものです。祖父が亡くなる直前に、鍵のありかは遺書にあると呟いていた担当医師が言っておりました。絶対とは言い切れませんが、間違いないかと」

「そうですか。とりあえずは、この金庫だとして、仮定しておきましょう。その他に、何かある?」

「その後の文は、何かの手掛かりですかね。最後の一文は金庫の中身かな?」

「この世に二つとない物があると聞いております。具体的にどういう物なのかは、不明ですが。それで、どうでしょう。依頼は受けていただけますか?」

「ええ、大変興味が湧いてきます。お受けいたします」

「それは、良かった。よろしくお願いします」

大沢氏は、握手を求めてきた。

占い師は応じて、握手を引き受ける。営業スマイルで、

「できるかぎり調査させて頂きます。ちなみに、鍵の形状はご存知になりませんか?」

占い師の質問に、大沢氏は視線を上げた。

「……申し訳ない。形も知らないのです。お役にたてず、すみません」

「いえ、状況を確認したかっただけなので、お気になさらずに」

「滞在できる期間までに、どうにかお願いいたします。それ以降は、いつ帰れるかは分かりませんので」

「それはもちろん。全力でとりかかります。私と――」

 大野の背中を占い師の手が滑り通る。占い師の腕に押されて、大野は一歩前に出た。

「彼がね!」



 占い師は屋敷内を見たいと、大沢氏に頼み、案内させてもらっている。祖父、祖母が使用していた部屋。客間の部屋。書斎室に、縦長いテーブルが置かれた食事部屋と一通り見回った。

 大野は、部屋の多さに圧巻されるも、人が全くいないことに気付いた。

 気になって大沢氏に尋ねると、屋敷には大沢さんしか住んでいないとのこと。昔は使用人が数人いたらしいのだか、館の持ち主であった祖父である大沢タカマサ氏が亡くなって以降、皆辞めてしまったのだと説明された。

 各部屋の案内を終え別館へと戻ると、

「では、何かありましたら、わたくしの部屋までお呼びください」

 大沢氏は自分の部屋にいると告げて大野達と別れた。

大野と占い師は再び金庫の前へと立つ。

「呪われた金庫か」

 大野は金庫をまじまじと見る。見た目は、どこにでもありそう金庫にしかみえない。

「ん?]

 メッキの光沢で見逃していたのか、光が反射しない位置に視界を移動させると金庫の表面に文字らしきものが刻まれていた。

「何かみつけた?」

 大野の顔の横隣に、占い師の顔が並ぶ。

「うわっ!」

大野は、頭を上下に揺らした。

「どうしたの?」

「びっくりさせないでください!」

「別に、驚かせたつもりはないわ。あなたが奇妙な動きをするから、何か発見したのか気になったのよ」

「変な動きはしてないですよ。あの、ここ見てください」

 大野は人差し指で、文字が刻まれ箇所をなぞる。

「文字かしら? よく、見つけたわね」

「目はいいほうなんで。英語じゃないよな?」

幾何学的文字。どこの国の文字なのかは、見当がつかない。古代文字のように見えるな。しかし、どこかで似たような気もする。それも、何度か。つい最近にも。

「非をおこなう者に罪を」

「読めるんですか、この文字?」

「ええ、私には馴染み深い文字だから。なるほど、そういうことね」

 占い師は、鼻で笑いを漏らした。何かヒントでも掴んだのだろうか。俺にはさっぱりだ。

「そうだ、真賀さん。一つ気になることが……」

「何かしら?」

「さっき、大沢さんと握手しましたよね。あの時、鍵の形状についても尋ねていた。あれって、占ってませんでした? 結果を知るために」

「あら、バレた?」

「やっぱり。それで、結果は?」

「大沢さんは、鍵を見ることはないわ」

「ええっ! それじゃ、依頼は失敗したってことですか?」

「大沢さんだけ、鍵を発見できなかった可能性はあるわ。私たちの誰が金庫だけ開けて、鍵を失くしてしまったとか、すでに他の誰によって持ち出されているとか、色々と考えられるし、失敗したとは一概には決めつけられないわ」

占い師は両肩を小さく回し、

「結果はどうあれ前金分は、お仕事はしましょう。それじゃあ、私疲れたので休憩ね。外の空気を吸ってきてもいいかしら?」

「はやっ! まだ調査をしてないじゃないですか」

「最近、依頼が多くて忙しかったの。疲れが溜まって体がダルイのよ。だから、お願い」

 占い師は両手を合わせ、ウインクをぶつけてきた。そのしぐさは否定の言葉を封殺する。ダメだとは言わせない。

まっ、まあ、占い師は社会人でもあるし、学生とは違い休む暇はそうそう無い。学業と仕事では責任と疲れの度合は別物だ。それは考慮すべきだろう。

「わかりました。休んでください」

「ありがとう! 気遣いができるのは、いい男の証拠よ!」

「おだてても何も手出来ませんよ。でも、休む前に指示はください。その間に調査しときますから」

「うん、ここの通路にある四つの部屋を全て見てくれる」

「全部? さっき案内してもらった時に中は確認しましたよね?」

「今度はじっくり観察して欲しいの。じゃあ、よろしく」

 占い師は鼻歌をまじえ、現場を離れていった。大野は、意図が分からず頭をかいた。

 全く自由な人だな。しかし、愚痴っても仕方が無い。言われた通りにすべきだろう。

 通路沿いにある部屋は全部で四部屋。各部屋を確認するも、部屋におかれた家具の配置等はほとんど変わらず。窓の位置も、振り子付きの時計の位置も一緒だ。ただ、変わっているとしたら、壁に立てかけられた絵の違いだろう。各部屋に、バラ、ひまわりに、コスモスの絵が飾られている。金庫の場所から一番近い部屋にも花の絵があるが、この花の知識がないため名前はわからなかった。

「どう進捗は?」

 部屋を出る同時に、占い師が戻ってきた。丁度良いとばかりに、部屋の調査した結果を報告した。

「特に変わった点はないのね」

「部屋の内装はほとんど一緒でした。違いがあるのは、部屋に飾られている絵だけですね。バラとひまわりに、コスモス。この部屋の花の名前は知識不足です」

「ふーん。見てみようかしら?」

 占い師を連れて再度部屋に入った。

「これはビオラよ」

「ビオラ?」

「冬から春かけて咲く花ね。ちなみに、花言葉は誠実、信頼、愛よ」

「よっく知ってますね。さすが物知り」

「だてに歳はとってないもの。博学なのは当然よ」

「歳って……まだ若いでしょ?」

「若い? ええ、そうね。そうだったわ」

 なんだろう。不倫調査の時にも感じたのだが、占い師の反応は大人しい。やはり、歳をきかれるのは、嫌なのか。

占い師はどこか遠い目で絵を見ていた。

大人でも、女性だ。次からは話題として挙げぬよう注意した方がいいかもしれん。

 大野は、占い師の顔をこっそりと覗く。どう見ても、二十歳辺りだよな。

「目が忙しいわね。 私の顔に何かついてる?」

「あっ、あー、そうです! なんかあるな、と思って。どうやら、見間違いみたいです。目が疲れてるのかな?」

 疲れてはいないのだが、ごまかすように両目を擦った。

「顔を見せなさい」

 占い師は両手で大野の顔を鷲掴み、目元の下を親指で軽く伸ばした。

「目は充血してないわね。傷もないし、疲労で血行が悪くなってるのかしら?」

 近い! 息がかかるほど、占い師の顔が接近している。甘い魅惑の香りが鼻を刺激し、全身の力が抜けていく。

「お仕事中、失礼いたします」

 廊下から大沢氏が、声をかけてきた。

 占い師は大野の顔から両手を放し、真面目な表情で対応する。

「お取込み中でしたか?」

「いいえ。何かありました?」

「申し訳ないのですが、私用がはいりまして。急ですが、これから外出しなければならないのです」

「事情があるのでしたら、仕方がありません。私達も、この辺で切り上げます」

「すみません。こちらの都合で支障をきたしてしまって」

「依頼人の都合が優先ですから。問題ありません」

「お手数をおかけします。また明日、よろしくお願いします」

 大沢氏とその場で別れ、大野達は玄関口へと向かった。

「あら、いけない」

 占い師は肩掛けの、バックの中をあさりだす。

「お手洗いに化粧セット忘れてきたわ。悪いけど、先に外で行っててもらえる?」

「はい……タクシー呼んどきます?」

「ええ、お願い」

 その後、占い師が外に出てくるまで、十分程待つこととなった。占い師曰く、屋敷内で迷ってしまったらしい。迷子になっていた所を、外へ出かけようとしていた大沢氏が見つけ、一緒に玄関から出てきた。

「あまりにも広くて、ご迷惑おかけしました」

「いえいえ。一度回ったくらいでは覚えるのは難しいですから。お気をつけてお帰りください」

 大沢氏に見送られながら、大野と占い師は迎えのタクシーへと乗車した。運転手に行先を伝え、タクシーが発進したところで、大野は隣に座る占い師へ質問した。

「迷たって、嘘じゃないですか?」

 占い師は少し待ってから、

「さあ、どうたったかしら」

 はぐらかすようなニコリ顔で答えた。

「お手洗いを出て戻ってくる途中にね、何処からか匂いがしたの」

「匂い?」

「そう、心をときめきかす匂いがね」

 匂いの流れを追うと、書斎室に行きついた。匂いの発生元を探ろうと中に入ったところ、気になるタイトルの本があったそうで、ついつい手が伸びてしまい遅くなった。と、占い師は弁明した。

「勝手に読むのは、まずくないですか?」

「調査の一環だし、いいでしょ。見られてもプライバシーに関わる本でもなかったし、問題ないわ」

 問題ないと思うのは占い師だけだろう。許可なく見られた本の大沢氏は迷惑しているかもしれない。この件は大沢氏には黙って置くべきだな。それが、もめごとにならずに済む最善の方法だ。

「どんな本に目を引かれたんですか?」

「不老不死への探求だったかしら。内容はタイトル名通りの感じね」

 うん、あまり興味は惹かれない。エセ科学的なとんでも系の本に関しては、背表紙のタイトルを見ただけで、スルーしているだろう。

 占い師は小さな欠伸をかいた。

「少し寝るわね。家に着いたら起こして」

 トンと、占い師は頭を右に傾ける。そのまま大野の肩にもたれかけた。

「ちょっ、窓側で寝てください!」

 すでに占い師は眠ってしまったようで、大野声は届かなかった。

「なんて早いんだ。……まったく、この人は」

 起こすか? いや、家まで、そう時間はかからない。すぐに着く。我慢しよう。

大野は、占い師の寝顔を一瞥し外の夕日へと視線を移した。

「なんで、ドキドキしてるんだ……俺?」



4.集中できない

 

「そう、そこ。挿入して……いいわよ」

「あの、いいっすか?」

「なに? 入れる理由が分からないの?」

「その、少し離れてください。密着しすぎです!」

「どうして? 近づかないと声が聞こえないでしょ? 我慢しなさい」

「すごく、気になるんですよ!」

 大野の訴えに、占い師は顔をニヤつかせた。

「何が気になるの? 詳しく教えなさい」

「なっ……」

 この人、ワザとイジワルしているな。この流れはまずい。大野は声を詰まらせる。

「ねぇ、ど・こ・か・し・ら?」

「ああ、もう頼みます! 少しでも離れてください!」

「そんなにムキにならないでよ。もう、ウブなんだから」

 占い師の家へと戻ってきた後、休む暇もなく受験勉強をさせられた。夕食を食べた後だと眠気で集中できなくなるため、すぐ机に向かうべきだと言われた。おかげさまで、腹の虫を我慢しながら占い師の教授を受けている。

「はいそこを代入して割れば、答えがでるわよ」

「ああ、なるほど」

勉強が始まる前、指導経験の無い占い師が教えてもらっても、理解はできないと期待はしていなかった。しかし、実際は違った。占い師の教え方はうまかった。具体例とともに、理解しづらいポイントも分かりやすく説明してくる。これなら、並み程度の塾講師よりも上手だ。

ただ、一時間も過ぎると、瞼がだんだん重くなっていた。疲れは蓄積する。加えて腹の減りもきつい。そろそろ限界というところで、占い師の密着指導が始まった。効果は抜群。カフェインを摂取した以上に効き目はある。悪いほうで……。

占い師は後ろから覆いかぶさるように、大野の背中へと胸を密着させる。背中越しに伝わる占い師の体温と柔らかい感触に理性が揺れる。おまけに、占い師の垂れ下がった髪が大野の頬をさわり、なんとも言えない魅惑の香りに頭がクラついた。緊張は上昇中。全然勉強がはかどらない。

「仕方がないわね……はい、離したわよ」

うん。離したと言っているが、占い師の『それ』の感覚がわずかに残っている。離れ

てないじゃないか。

「あの、類似問題解いとくので、休憩したらどうです?」

「まだ元気よ。ほら、次の問題に進んで」

「……集中できない」

「何が集中できないのかしら?」

「胸……ああ、もう!」

大野は歯をかみしめた。煩悩退散。勉強に集中。占い師は喋るクッション人形と思え。

しかし、人間とはそうそう上手く邪念を取り払えない。抵抗しても、その反発は強い。現状にたいして、意識は強く反応する。

三十分後、同じ科目ではマンネリ化してしまうので数学から英語の勉強へと変えた。占い師は、あい変わらずベタベタと体を密着してくる。英文の内容把握率は著しく低下していく。

「その設問は、この文に関係しているわ。健一君が、寧々ちゃんに会いに電車へ乗ったが、電車が遅れて約束の時間に間に合わなかった、の所よ。それにしても、健一君はガッツあるわね。途中の駅に降りて寧々ちゃんの家へ走って向うなんて、よっぽどその子が好きなのね」

時折、問題の内容から脱線した話を割り込んでくる。そのせいで、集中とやる気が阻害されていく。

とりあえず公平な評価をしよう。占い師は頭もよく、教え方も上手だ。しかし、そのプラス持ち点があっても、マイナス面が勝っている。一人で勉強したほうがマシだ。

 英語の文法問題を解き始めていると、廊下側から電話のベル音が聞こえた。

「あっちの電話が鳴るなんて珍しいわね。ごめんなさい、問題解いててくれる?」

 占い師は急ぐ様子で、部屋を離れた。襖が閉じると同時に、大野は大きく息を吐いた。

「疲れた……」

 一人問題集と睨めっこをして二十分が過ぎた。振り子時計の鐘の音が八回連続で鳴り響く。大野は、時計を見上げる。

「もう、こんな時間か」

 腹が減ってきた。お腹は、ご立腹らしく、腹を鳴らし続ける。

「戻ってこないな」

 大野は、襖を見る。長電話でもしているのか。そう思っていると、心の声に呼ばれたのか、占い師が戻ってきた。

「ごめんさない、話が長くなってしまったわ」

「依頼ですか?」

「そうなの。それも、急な依頼でね、明日そっちに行かないといけないのよ。それで悪いけど、大沢さんの家に一人で行ってもらえないかしら?」

「俺だけ?」

 一人で調査するのは、少し不安な面がある。一方、占い師がいないので、逆に集中しやすいかもしれない。元々作業は複数よりも一人の方が、気が楽で性に合っている。

「構いませんよ」

「ありがとう! 後で大沢さんにも連絡しとくわ」

「それにしても、急な依頼って大変ですね」

「友人からの依頼調査なのよ。困ってる様子で、断れなかったの」

 友達か。友の頼みだからこそ、そちらを優先させたのか。占い師にも人を思う気持ちが少しはあるのだろう。

「依頼金額すごいのよ。達成すれば、一年丸々仕事せずに済むわ。大沢さんには悪いけど、未達成もやむを得ないかもね」

 前言撤回。やっぱり人を思う気持ちは零だ。気持ちより、金の秤で動く。占い師にたいしてのイメージは下降へと転じた。



 いつもより遅い時間に夕食(出前)を食べ、いつもより遅い時間に風呂に入り、疲れをとるためにいつもより長く湯船につかる。風呂をあがり、持参した服に着替え、占い師に用意された宿泊部屋に足を運んだ。

 畳六畳分の部屋に入ると、大野は敷布団に向かって倒れこんだ。枕に顔をうずめ、一日を思い起こす。とにかく色々あって、疲れた。それが今日の感想だった。

 足をバタつかせ、疲れと同居する心のモヤモヤを発散しようと小さく呻いた。それを、三十秒ほど続け、息が苦しくなり顔を上げた。

 大野は、壁掛けの時計を見る。寝る時間には少々早い。本来なら、まだ勉強している時間だが、さすがにやる気はない。

「テレビでも見るか」

 大野は枕もとにあるリモコンを手にし、部屋のテレビをつける。

適当に番組をザッピングするが、特に見たい番組はなく地元テレビ局が放映するニュース速報にきり替えた所で、リモコンを置いた。

 町の特産物をピーアールのため町長が特産物展示会に参加。お年寄りの住む家が火災により全焼。○○祭りの様子。興味のない内容ばかり。大野は呆然と画面を眺める。

 寝よう。テレビの電源ボタンに指を伸ばす。


『次のニュースです。今日の午前、軽トラックの自動車が住宅地の壁にぶつかる事故がありました』


 アナウンサーが読み上げ終えると、事故のあった現場の映像へと切り替わる。現場の状況伝えるキャスターが事故状況を伝える。カメラは、住宅のコンクリートブロックに大きな穴を開けさせた軽トラックの惨状をうつした。

「ん?」

 大野は、首を傾げる。どこかで見たことのある軽トラックだ。自動車ナンバーがテレビ画面にでた瞬間、頭の回路が結がった。

「あのトラックか!」

 やはりそうだ。ナンバーは、覚えている。危険運転をしていたトラックで間違いない。やるかとは思っていたが、本当に事故を起こしていたのか。

「迷惑な野郎だ」

 大野は両腕を組みながら、食い入るようにテレビを見る。事故状況としては、けが人は運転手の一人だけで、軽症らしい。よくよく現場を見ると、自宅から、占い師の家へ向かうコースにあった。

「……」

 なんだろう。事故が起きた時間帯と、場所が引っかかる。

 自分の家から、占い師宅までにかかる時間。もし、歩きだったとしたら? 

大野は、携帯の地図アプリを使い、時間と距離を確認した。

「やばかった?」

 ゾクリと背中に寒気が襲う。もしかしたら、自分は事故に巻き込まれていたかもしれない。時間の多少のズレはあるかもしれないが、事故にあっていた可能性は高い。

「自転車で来い」

 偶然か。幸運なのか。それとも、占い師は分かっていたのだろうか。大野は、ふと後ろを振り返る。人の気配ない。でも、誰かに見られているような気配があった。監視されているような視線を……



5.部屋の謎


 大野は、寝不足だった。

 疲れによる眠りの質の悪さもあるが、それ以上に眠りを阻害する原因があった。大野が眠りにはいる直前に、布団に潜りこもうとするふとどき者がいた。無理やり押し返し、防衛は成功させたもの、時間おいてはしつこく襲いにくる。そのため、常に奇襲に備え続けなければならず、眠る暇もなく朝を迎えてしまった。

おかげさまで、目下にはクマが浮かんでいる。加えて、思考力も鈍く頭が全く回らない。

 トースターが焼き上げ知らせる。占い師はトーストパンを取り、表面にバターをのせ、ナイフで滑らせる。

「クマが、できてるわよ。緊張して眠れなかったの?」

「さあ、なんで……でしょうね」

 大野は心の中で叫んだ。あんたのせいだと。

「昨日も話したけど、朝食終えたらすぐに家を出るからね。それと、さっき大沢さんから電話があって、訪問は午後から来て欲しいそうよ」

 占い師からトーストパンを手渡された。熱い。

「仕事が立て込んで忙しいみたいなの。それで、午前中には家に戻れないんだって。だから、午後になるまで、留守番をお願いしてもいいかしら?

 占い師はデニムパンツのポッケから鍵を取り出した。

「これ家の鍵ね。戸締りと玄関の鍵かけよろしく」

 占い師は大野に鍵を手渡すと、食器を重ねた。

「あっ、片づけは俺がやります」

「いいの?」

「お世話になってますし」

「ありがとう。助かるわ」

占い師は嬉しそうに合いの手を打った。

「そうだ! ねえ、右の頬に何かついてるわよ」

 大野は顔を横向けた。すると、占い師が近づき大野の頬へ軽いキスをしてきた。

「先払いのご褒美よ」

 あっ、という間の出来事だった。占い師は、手を振って台所を離れた。

 大野は、頬をさすった。

「なっ、なんなんだ!」

 急に、全身が熱くなった。

 午後。大野はタクシーを呼び、大沢氏宅へと向かう。

「はい、これ領収書ね。ご利用ありがとうございました」

 運転手から領収書を受け取り、大野はタクシーを降りた。

 昨日の今日だが相変わらず大きい屋敷だ。近くに立っているのに、建物大きさに遠い目で眺めてしまう。

 鉄柵の前に進み、インターホンを鳴らした。

『はい、どちらさま?』

「すみません。依頼の調査に来ました大野です」

「大野……ああ、探偵の助手か。これは、ご苦労様。柵に鍵はかかってないから、入ってきて構わないよ」

 大野は、柵を開け庭へと入る。芝生を横切り、玄関へ進んだ。ドアを叩くと大沢氏が出迎える。

「やあ、いらっしゃい」

「こんにちは。えーと、電話で連絡があったと思うのですが、真賀が急ぎの用事がはいってしまいまして。自分一人ですが、調査させていただきます」

「電話?」

「はい。真賀から電話がありませんでしたか?」

 大沢氏は眉をひそめた。もしかして、伝えてなかったのか!

「ああ、そういうことか。そうだったね。うん、道理で来てない訳だ。用があるなら仕方がない。どうぞ、入りたまえ」

「失礼します」

「館内は散策をするのかな?」

「あっ、はい。よければ部屋の中も確認もしたいのですが……」

「構わないよ。ほとんどの部屋は鍵をあけたままだから、自由に見てくれたまえ。では、ワタシは仕事があるので」

 大沢氏は二階の自室へと戻って行った

「やるだけ、やってみるか……」

 大野は別館に移動した。

 金庫の前に立ち止まり、顎下に指をあてた。ズボンの後ろポッケに手を回し、メモ帳を取り出した。パラパラと片手でめくり遺書を書き写したページを開く。

 四季を通る。この意味はなんだろう。探偵関係の小説やら漫画やら思い出すと、何か季節に関係かる物を示している場合がある。安易な考えかもしれないが、動かなければ何も始まらない。

「その辺で、絞ってみるか」

 大野は季節に関係するものを探すことにした。まずは本館に移動、各部屋をしらみつぶしに回る。

「この部屋も外れか……」

 現在、大沢氏の祖母の部屋を詮索していた。家具やら、置物などを確認したが、四季に結びつく様な物は見当たらず。大野はため息を吐いた。

「疲れた……」

 部屋の中にあった木材椅子を借り座った。

 ダメだ。さっぱり見つからん。大野は顔をうつ伏せる。手で頬を挟み、小さく呻いた。

 一分もたたずして、寝不足による睡魔が訪れる。すごく眠い。寝てはダメだと抵抗するも、睡魔の囁きに抗えず、ウトウトと夢の世界へと入りかける。

 しかし、眠りの時間は長くはなかった。スボンのポケットに待機している携帯が、アラームを鳴らした。しかも大音量で。

突然の爆音に、水を引っ掛けられた猫のごとく、大野は体を跳ね除けた。

「おわっ!」

 驚いた衝動で椅子が傾く。座っている椅子と一緒に横倒れになった。

「痛い……」

 大野は、肩をさすり起き上がる。人生の中でも、最悪な目覚めランキング上位にはいるだろう。大野は、鳴きつづける携帯を開いた。

気づかぬうちに音量設定が最大になっていた。メールの受信のマークを見て、すぐさま開いた。

 送信者、占い師。メールの内容は、

『おはよう。仕事は順調かしら? 行き詰まりを感じたら、間をあけて休憩したほうがいいわよ。何かあったらすぐに連絡してね♡』

 寝ていると予想して、送ってきたのだろうか。最初に書かれた『おはよう』の文字に、驚きを通り越して怖さを感じた。

体の何処かに盗聴器でも、つけられてないだろうな。大野は体をまさぐる。

「さすがにないか……ん? あれは?」

 床に倒れた衝撃で棚上から落ちてしまったのか、写真立てが伏せている。

「いけねえっ!」

 慌てて写真立てを拾いあげる。

「壊れてないなよな」

 幸いキズや、破損はしていないようだ。大野は、壊れ物を扱うように、そっと棚の上へ戻した。

「ヒビもなし。壊したら弁償だからな……よかった」

 写真には、肩を抱き合わせ、微笑みを見せる二人の若い夫婦が写っていた。とても仲がよさそうだ。

「俺も、こんな風に笑える仲でいられるのかね……」

 将来、もし自分が結婚して、家族をもったらどんな生活を送れるのだろうか。先のわからぬ未来は、予想しようがない。そもそも結婚できているのだろうか。少子化に加えて結婚率が減っている我が国の現状からすると、自分もその一人に含まれていても可笑しくはない。

そんな思いふける大野にたいして、『どうでもいいことだ、いい加減に仕事に戻れ』と言わんばかりに、振り子時計が鐘を鳴らした。

 大野は想念をやめ、詮索へと戻る。

 かれこれ二時間経過。これといった手がかりは見つからず、ただ時間が過ぎていく。大野は、最初から考え直そうと別館へ移動する。そこでは、大沢氏が待っていた。

「どうです? 何かわかりましたか?」

 全く手がかりを探せていない。しかし、仕事をしていないと思われるのはよろしくない。

大野はもう少しで謎が解けそうな気がすると、曖昧に答えた。非常に心苦しい。

「まずまずですか。日も暮れました。今日は、ここまでにしてわ?」

「そうします……」

 眠気もあり、これ以上の能率は上がらない。帰って休むのが得策だろう。

「明日は、本職の方もくるのかな?」

「すみません。聞いてみないなんとも。俺は来ますけど……」

「そうですか。まあいいでしょう。では、明日も頼もみますよ、優秀な助手さん」

 大沢氏は、大野の肩をぽんぽんと叩いた。期待しているという揶揄だろう。あくまで、社交辞令としての意味で。

 大沢氏に帰りを告げ、館を出た。帰りのタクシーを頼み、携帯を閉じると着信が鳴りだす。携帯を開きなおすと、メールが届いていた。

 送り主。また、占い師からだ。

『お疲れ様。だいぶ、苦戦してるみたいね。夜はレストランで食事をしましょう。下の住所の所まで来てね』

「外食か……」

 思ったのだが、占い師は自分で料理しないのだろうか。昨日の夕食は、出前で、朝はパンのトーストだけ。おかずはなし。忙しくて、料理を作る暇がないとも考えられるが、料理がものすごく下手だから出さないのかもしれない。とまあ、根拠のない憶測をしても意味がない。現時点で分からない以上、考えても無駄だ。

 メール本文を下にスクロールし、住所を確認する。

「四番地、レストラングー……てっ!」

 なぜ、この店をチョイスしたのか。大野は無意識に携帯を強く握りしめ、フルフルと腕を振るわせる。

「もし、お兄さん」

 大野の横脇から、声をかけられる。声が聞こえた方を振り向くと、背を曲げた白髪の老婆が心配そうに、こちら見上げていた。

「さきほどから見ていたのですが、なにやら慌ているご様子で。顔色も悪そうでし、何かお困りことでも?」

「あっ、ああこれは、その人間関係のトラブルが発生しましてですね。でも、全然気する必要なさそうなので、ご心配なく」

 大野は笑いでごまかそうとする。しかし、老婆の顔は心配そうなままだ。

「あの、本当になんでもないですから!

大野は、念を押すように大丈夫だと強調を続ける。

「それなら良いのですが。お兄さん、ひとつお尋ねをしてもよろしいですか?」

「なっ、なんでしょうか?」

「お兄さんは、この館のお住まいで?」

「いえ、違います。俺は―――」

 大野は、いきさつを説明した。

「そうですか。旦那様の遺産を探していると」

「はい。今は、その金庫を開ける鍵を探して……えっ?」

「どうなさいました?」

「おばあさん。いま旦那様って言いませんでしたか?」

「ええ。ワタシは、昔この館で住み込みの使用人をしておりましたので」

「すみませんが、当時の雇い主さんのお名前を教えてもらってもいいですか?」

「はい。大沢タカマサさまです」

 なんと、これは驚きだ。まさか、このおばあさんが、タカマサ氏が生前していた時に働いていたなんて。でも、現主の大沢さんの歳を考えると、このおばあさんは相当高い年齢のはずだ。なのに、言葉ははっきり言えているし、顔もそれほど老け込んでいない。当時の人たちはパワフルだとも言われるし、若々しいのは、その所以なのかもしれない。

 ともかく、これは糸口を見つけるチャンスだ。大野は、タカマサ氏の当時について尋ねた。

「そうですね……旦那様は、それはもう非常にやさしいお方でした。気さくで、使用人の私どもによくよく声をかけていました」

 老婆は、遠い日々を思い返すかのように、目を細めながら、館を見上げる。

「ですが、ある時を境に旦那様は変わられてしまいました」

「変わった?」

「はい。奥様が病で亡くなった時からでしょうか。旦那様は深い悲しみを陥りました。その時からです。旦那様は、非常に怒りやすい性格になられました。気が急くようになり、物にあたったり、小さな事で、使用人を怒鳴ったりと。友人や知人との関係も悪くなったと聞いております。それと、外出が多くなりました。亡くなった奥様のためだと言っては、あちらこちらに世界を回ったそうです。ただ、それが原因か病をもらい、その一か月後に息を――」

 老婆は瞼を閉じた。

「もし奥様がお亡くなりにならずにいたら、悲しみで終える人生ではなかった……彼は、幸せのままに死を受け入れたでしょう」

 重い話だ。いまになって、尋ねるべきではなかった。暗い話に、大野の気分も影が射す。

「タカマサさんと奥さんは、その、互いに仲が良かったんですね……」

「はい。相思相愛だったと思います」

 次の言葉に詰りだし大野は焦っていた。気まずい状況をどうにかしようと考えていると、救いの手とばかりに、タクシーがやってきた。

「お迎えですか?」

「はい。おばあさん、貴重なお話ありがとうございました」

 大野は、老婆に深くお辞儀をした。老婆もゆっくりとした動きでお辞儀を返す。

 タクシーの後部座席に乗り込み、運転手に行先を告げた。

ゆっくりとタクシーは前進し、徐々にスピードを上げていく。大野は、後ろを振り返り、後部ガラスから、老婆の背中姿を見た。

どうしてだろう。あのおばあさんと会うのは初めてのはずなのに、以前にも会ったような気がする。いや、見た時がある。しかし、どこで見たのか明確に思い出せない。もどかしく、モヤモヤする。

ダメだ。分からない。これ以上頭は回せない。諦めよう。ある時に突然思い出すかもしれない。それに任せよう。

それよりも、問題が差し迫っている。この後をどうすべきか、こちらに考えを回さなければならいのだから。



 レストラン駐車場にて、

「待ってたわよ。遅かったわね」

「帰宅する車の渋滞にはまりました」

「運が悪いわね」

「……そうですね」

 大野のテンションは低かった。原因は、目の前にあるレンガ風の建物にある。

「浮かない顔ね。調査中にヘマでもしたの?」

「いえ……この店は行きつけなんですか?」

「そうよ。週に二回は来てるわ。和洋中そろってるし、おいしいわよ」

「そうですか……」

「なになに。このお店は嫌なの?」

「嫌ではないです。けど、だって、ここは、ハルカの……」

「ハルカ? あなたと一緒にいたお嬢さんのこと?」

 大野は、黙って頷いた。

「お友達のお店だから気恥ずかしいのね。気持ちはわかるわ。でも、悪いことをするわけじゃないし、堂々と入りましょうよ」

 そうはいっても、足が進まない。幼馴染の家のお店なのは別に構わない。問題なのはハルカの母にある。あの人は話が好きで、同じ地域の人になりふり構わず伝言するのだ。占い師と一緒となれば変に噂が広がるのは間違いない。追加で、ハルカにも耳が届くことにもなる。それをネタに毎度、振り回されるハメになる。ストレスが貯まる未来しか見えない。

 悪い予想が頭の想像領域を埋めつくしそうになる。その時、占い師が大野の右肩を手で払った。

「……何か付いてました?」

 占い師は無言のまま頷き返す。肩位置に腕を上げ右手で拳をつくる。

「これが張り付いてたわ」

大野に見せつけるように、右手を強く握る。

「花よ」

 占い師は握る拳を緩め、手を咲かせる。白い花弁と中央に黄色みかがった管状花。目玉焼きが思い浮ぶ。この花はカモミールだ。

 しかし、花の大きさから見て、ここに来る前から花がついていたとは思えない。気づくはずだ。最初から、肩にはついてなかったのではないか? そう考えると、占い師が花を出したに違いない。でも、一体どこから花を出現させたのか。大野は目を見開き、花を見続ける。

「これはカモミールよ。聞いたことはあるでしょ?」

「花の名前は分かりますよ。そこじゃなくて、どうやって手の平から花を出したんですか?」

「マジックよ」

「……手品ですか?」

「そう。若い時に、一時期はまってね。指先から火を灯もさせたり、物を消したりとかだいぶ練習したものよ」

「はぁ……えーと、単に手品を披露したくて肩に触ったと?」

「うん。あなたを元気づけるためにね。まあ、本当は肩の所にシワになっていたのよ。気になったから、治したの」

「シワ? そんなに目立ってましたか?」

「手で摘まれたような跡だったわ。ここに来る前に、誰かに肩を触られたりしてない?」

 今日を振り返る。覚えているかぎり、肩に触れたのは一人。頑張れと鼓舞するように肩を叩いた大沢氏だけだろう。

「大沢さんね」

 占い師は、なにやら難しそうな顔で唇の下を撫でた。

なんだ? 肩に触れられるのはまずかったのだろうか。

「二流ね。痕を残すなんて」

 気難しい顔から一転、クスリと一笑した。

「その笑い、怖いですよ」

「そう? ごめんなさい。旧友に依頼された謎が分かったから、ついうれしくてね。あなた持ってるわね」

「えっ?」

占い師は、フフと小さく笑った。

「さて、立ち話もなんだし、店に入りましょう!」

占い師は、大野の手を握り店へと連れて行く。

 来客の到来を知らせる。入店の扉に取り付けられた呼び鈴がカラカラと鳴りだした。

「いらっしゃいませー。あら、いつも御ひいきに」

 店員。ハルカの母が出迎える。

「こんばんわ。ご主人の腰の調子は、どうですか?」

「ええ、それはもうすっかり。いい整体師さん紹介してもらってほんと良かったわ。さあ、どうぞ、いつもの席空いてますよ」

「ありがとうございます。ほら、あなたも早く入りなさい」

 中々店に入ろうとしない大野。占い師は、無理やりに腕を引っ張った。

 足もたつかせての入店。大野はなるべく顔見せぬように頭を下げた。

「今日は連れがいるの。二人席は空いてます?」

「ああ、電話で言ってましたね。どのテーブルも空いてますけど、奥の席はどうです?」

「じゃあ、そこで」

「はい。二名様ご来店でーす」

 大野と占い師は奥側にある窓際のテーブル席へ移動した。

 席に座ると、ハルカ母がお冷とおしぼりを持ってきた。

「はい、こちらメニューです」

 ハルカ母がメニュー表を占い師に手渡した。

「あれあれ? お兄さんどっかで見たことある顔だね……」

 ハルカ母は、膝を曲げ下から覗き込む。まじまじと大野を見てくる。

やはり、気づかれたか。これ以上は隠すのは無理だ。いずれにせよ、バレる。

諦めよう。大野は顔を上げた。

「お久しぶりです、おばさん」

「あらら、似てるなーと思ったら、やっぱりカズミ君じゃない!」

「はは……どうも」

「久しぶりねー。もう、いい男になったじゃない。どう、彼女はできた?」

「あー、ぼちぼち」

「あら、ごめんなさい。おばさんになるとね、ヅケヅケ質問しちゃうのよ。もうほんと、歳取ると遠慮なしになるんだから困るわよねー」

 おばさん特有の笑いが奏でる。相変わらずテンションが高い。占い師とは違った意味で、苦手な性格だ。大野は恥ずかしそうに顔をうつむかせた。

「でも、あれ? おばちゃん、すーごーく気になるんだけど、お二人さんはどんな関係なのかしら?」

 その質問。間違いなく問いかけてくると思っていた。

 占い師が先に口を開くより前に、大野は即席で考えた、嘘っぱちの関係を迫真な口調で答えた。

「実は、従兄弟なんですよ。久しぶりに会ったので外食しようと誘われたんです!」

「ありゃ、親戚なの! それはびっくりね。あれ? だけど、ハルミさんはこの街に住んでるのよね? 確かカズミ君の家から、そう遠くないような……」

「この街で働いているって知らなかったんですよ! まさか、占い屋やってるなんて、思いもしませんでしたからね、もう本当に、ビックリです!」

 大野は目を泳がせていた。ハルカ母は「そうなの」と懐疑的姿勢はなく、とりあえず納得はしてくれた。一方、占い師は口を割り込まず、大野が必死になって答弁する姿をニコニコ顔で観賞していた。

「あら、いけない。おばさんがいると、メニュー決められないわよね。ごめんなさいねー。注文決まりましたら、お呼びください」

 ハルカ母は、厨房へと引き返した。それを見計らって、占い師は口を開いた。

「嘘はダメじゃない?」

 占い師は人差し指を立て、大野の鼻先を軽く突いた。

大野は、やめてくださいと顔を引いた、

「本当のこと話したら、町中の噂になっちゃうでしょ! 背中越しから指されるのも、冷たい視線を受けるのも、嫌です!」

「別にいいじゃない。気にせず堂々打ち明けたほうがいいわ。ずっと胸の内にモヤモヤを持ち続けたくないでしょ?」

「まだ、誰にも知られていないなら、永遠に隠しつづけた方がいいです!」

「私が口を滑らせたら?」

「それは、大丈夫です。冗談だと、思われるだけですから。俺と真賀さんとじゃ、誰の目から見ても、不釣り合いですし」

「不釣り合い? 私には魅力がないってこと?」

「俺が不釣合いって意味です。歳の差を考えれば、普通ありえないですからね」

「歳の差なんて関係ないわ。 だいだい、カップルの条件とはなに? 互いに好きならオールオッケイじゃない?」

「口ではそう言えますが、世間はそう思いませんよ」

占い師は、理解しがたいとばかりに、軽く眉をひそめた。その様子に、大野は多少の配慮の言葉を加えた。

「公表しない方が吉な時もありますよ」

 占い師は、顔をそむけた。そして、大野に流し目を送った。

「フフーン。なるほど。そういうことね!」

「はい?」

「秘密の関係であればあるほど、お互いの信頼度が深い証拠。だから、誰にも知られたくないのね!」

 どうも変な解釈をしている。それも、自分に都合の良い方向に。占い師は、上機嫌になったのか、メニュー表をルンルン気分で見始めた。

「好きなメニューを頼みなさい。デザートもプラスしていいわよ。全て私の奢りだから」

 黙っていてくれるのならこれ以上は何も言うまい。一時の安心。彼は、気に留められなかったのだろう。またしても、占い師との関係を認めていることに。

 ハルカ母に注文を伝えた後、料理が来る間に、大野は今日の調査状況を報告した。

「四季に関するものを探す。着眼点としては正しいわ」

「でも、全く手かがり見つからないんですよ」

「部屋は全部周ったの?」

「はい……あっ、一部屋だけ確認してないです。扉が壊れていて中に入れない部屋がありました」

「壊れてた?」

「一階敷地の奥。隅にある部屋です。そこに、頑丈な鉄扉があるんです。大沢さんに聞いたら、先日あたりから、扉の開きが悪くなって、完全に開かなくなったみたいです」

「部屋の中はどうなっているか訊いたかしら?」

「物置らしいです。修理依頼は頼んではいるみたいですけど、業者が忙しいらしくて期限前日に間に合うかギリギリかもしれないと言ってましたね」

「気になるわね……」

そう思うだろう。その物置部屋に、鍵の手掛かりあったとしたら、いままでの調査時間は無駄に終わってしまう。宝を目の前にして、手に届かず。それだけは絶対に避けたい。鍵の在処とは関係ない、ハズレ部屋であることを願おう。

「はい、お待ちどうさまー」

 おいしいに匂いを引き連れて、ハルカ母が料理を運んできた。

「あら、お二人さん。難しい顔してどうしたの?」

「真賀さんに、悩みごとを聞いてもらってました……」

「もしかして、恋の相談かしら? ハルミさん占い師だし」

「えっ、ああそうっすね……」

「あらあら、若いっていいわね。うちのハルカも、彼氏絡みでよく悩んでるのよ。別れた時なんてすごいのよ。あの子ワンワン泣いてね。でも、それがいい思い出になるの。恋の悩みなんて今の内だけよ。恋して、付き合って、別れての繰り返し……ああ懐かしいわ」

 青春を謳歌した過去を思い返しているのか、ハルカ母、目を輝かせている。

「おばさん。現実に戻って……」

「あらら、ごめんない。ついつい、若いころを。はい、ご注文の料理」

 大野は前にはミートソースパスタ、占い師にはカルボナーラが届けられた。

「では、ごゆっくりー」

 ミズハラ母は喜々しながら厨房へと去っていた。

「さて、頂きましょう」

 トマトの芳醇な香りとニンニクの食欲をかきたてる香りが胃袋を活性させる。大野はフォークを手にした。

フォークの先端でパスタを巻く。旨そうだ。いざ口の中へと運ぼうとした。

「そうそう、言い忘れたわ」

 占い師の声に、食べる手を止めた。

「蛇足かもしれないけど、答えを導く鍵はすでに掴んでいるはずよ。しかも、だいぶ前にね」

 占い師は、口に運んでいいよと、手で促した。

 答えは見につけている? それもだいぶ前に? 初日に来た時点で発見しているいということか?

先に占い師がパスタを頬張る。おいしそうに食べる姿に、大野胃は音を鳴らし訴える。

 考えはるのは後だ。今は食べることに集中しよう。

 フォークに巻いたパスタを口へと放り込んだ。トマトの程よい酸味、ひき肉の肉汁が舌に広がる。口の中は旨味で一杯だ。舌は次の一口を欲求する。

 旨いものを食うと気分が晴れるとは言うがあながち間違いではないだろう。食べ終えるころには、体の疲れも、精神の疲れも軽減していた。



 翌朝。玄関先にて、

大野はスリッパを脱ぎ、外履きへと履き替えた。

「ごめんなさいね。パパっと終わらせたら、すぐに向かうわ」

「大沢さん不満がってましたからね。また来ないとなると、怒るかもしれませんよ」

「午前中に片が付くわ。なにもなければお昼前に行けるはずよ。別にあなたが、解決しちゃってもいいのよ?」

「だとしても責任者がいないのはまずいです」

「もう、心配性ね。大丈夫よ」 

 大野は、靴先を叩いた。そして、いざ外へと出る。

「ちょっと待った!」

 占い師のよび声に足を止める。振り返ると、手招きをしていた。

「忘れ物があるわ」

「忘れ物?」

 何か忘れたか? 大野はスパンのボッケに手を入れまさぐる。携帯と財布はある。これ以上持って行く物はないはずだ。

「はい、これ。ラッキーアイテム」

 占い師は、無地の白いお守りを手渡してきた。

「お守り?」

「私の占いによるとね、今日、あなたは大きな変動に巻き込まれるとでているの。だから、悪い事が起きないように、お守りを持っていきなさい」

「変動ですか? どんな?」

「さあ、それは分からないわ。占いは、曖昧だから」

本業がそう言っては、身も蓋もないだろう。

「もしかして、命の危険とかじゃないですよね?」

占い師は笑顔を絶やさず、

「さあ、どうかしら。でも、そのお守りがあなたを助けてくれるわ。きっとね」

 本当に大丈夫だろうか。大沢氏の家に行く前から不吉な予告をされ、テンションは途端に下がりだす。

 上着の胸ポケットにお守りしまった。

「それともう一つ、忘れてない?」

「はい? これ以上持っていく物は無いはずですよ?」

「やっぱり忘れてる。ダメよ、思い出さないと」

 占い師は中腰に屈みこんだ。

「頬に何かついてるわよ」

 占い師に促され、大野は玄関口の脇にある鏡の方へ顔を向ける。

 その瞬間だった。占い師は飛び込むように顔を近づけ、頬に唇当ててきた。

「なっ!」

 熱く、柔らかい感触。唇が離れた後、尾引くように淡い花の香りが鼻をくすぐる。

「忘れちゃダメでしょ。行ってきますの、キ・ス」

 やってやったぞとでもいいたげな顔だった。

大野は強く唇を結ぶ。背筋が伸びだす。

 昨日の今日。予想はできたはずだ。油断した。途端に心拍数が上がりだす。体が暑い

 大野は自分の顔を見せまいと、顔を俯かせ背を向ける。占い師から逃げるように、玄関を飛びたした。


大沢宅にて、

「今日も来られないのですか?」

「午前中は別の依頼があるそうで、遅くても午後には来ると思います……」

「出立まで時間がないんですよ! 本当に大丈夫なんだろうね?」

「すみません。できるかぎり調査しますので、本当に申し訳ございません」

「まったく……頼みますよ!」

 大沢氏は不機嫌だった。それはそうだ。請け負った本人は来ずじまい。進捗が不透明なままなのだ。大沢氏の滞在時間までの期限も少なく、イライラもするだろう。

 大沢氏は仕事があると、強めの足音を立て自室へ戻っていった。

 大野は、深呼吸をした。気持ちを切り換えなければなるまい。気合を入れるように、両手で頬を叩いた。

 行くべき場所は決まっている。何も準備をせず来たわけではないのだ。昨日の晩の食事に言われた占い師の助言と、今まで見てきた館内の情報を元に、ある一つの推理をたてた。それをいまから確認すべく、別館へと駆け込んだ。

 当たっていてくれ。そう願いながら、四つの部屋が並ぶ通路を訪れる。

 鍵はこの四つの部屋にある。そして、どの部屋に入るべきか、すでに決まっていた。大野は、その部屋の前に立ち止まり扉を開ける。

 部屋に入り、壁に掲げられた花の絵画へと近づく。

「冬から春にかけて咲く花か……」

 遺書の謎。ヒントは、占い師が語っていた。

 他の部屋に飾られている絵画も、すべて花だ。花の種類はバラ、ひまわり、コスモス。そして、大野が入った部屋に飾られたビオラの絵。

 四種類の花が意味するところ。花が咲く時期を示している。つまり、バラは春、ひまわりは夏、コスモスは秋、ビオラは冬と四季に連なる。

 占い師の素振りを見るに、彼女はとっくの前に気づいていたのだろう。

前回のペット探しと同様、俺自身に謎を解かせようとしたのかもしれない。

「口で言えばいいのに……」

 大野は、壁掛けの画を取り外した。絵を裏側へとひっくり返す。裏面は木材状敷板になっている。その端の方に薄茶色に塗られた箇所があった。

「何か貼ってあるな」

 大野は爪をたて、浮かぶ部分をひっかいた。少しめくれると、親指と人差指の腹でつまみゆっくりと剥がした。

「あっ」

剥がした箇所から、ユラユラと紙が舞い落ちた。

 床下に落ちた紙を拾い上げる。白で塗られたな色紙の真ん中に文字が書かれていた。

「読めん」

内容は不明。解読は不能だ。しかし、この文字の形は知っている。金庫に掘られた文字に似ている。占い師ならば解読できるかもしれない。来たら、見せてみよう。

「ん? 肌さわりが違う?」

指の腹にツルツルと滑る感触がある。大野は白紙を裏返した。

「写真?」

 大野が手にしていたのは、ただの紙ではなく写真だった。それもも、古い写真だ。モノクロで鮮明度が低く輪郭も多少ぼけている。しかし、そこに写る人の姿は、鮮明に確認できる。

 優しそうな表情を浮かべる若い女性の顔写真だ。

「この人は、大沢さんのおばあさんか?」

なぜ、絵の裏側に写真を忍ばせていたのか。理由はあるのだろう。気にはなる。

だが、まずは鍵を探すのが優先だろう。大野はズボン後ろのポケットに写真をしまい込んだ。

「ない……」

 絵画を注意深く確認するも、鍵は見つからない。

 困った。推理は間違っていたのか。他に四季に結びつくようなものは、思いつかない。見逃しでもあったのか。

 大野はメモ帳をとりだした。付箋の貼られたページを開く。

「鍵はありかを探すもの、四季を探し、雪解けを見よ。その先四季に思いを辿り鐘の音を追え。さすれば、この世へ呼び鈴となろう」

 遺書を読みあげた。まだ秘密は解き終えてないってことか? メモしたページと睨めっこをする。

「その先の四季に思いを辿り鐘の音を追え……」

 四季の思いとはなんだ? そして鐘の音は何を示している? 大野は足を揺すりながら、思考をめぐらす。

「四季は花を指しているはず。思いの部分に意味がある……意味?」

 占い師のある言葉が思い出される。それは、大野の脳に閃きを与えた。携帯を取り出し、画面を開いてはウェブサイトのページの検索欄にワードを入力した。



 大沢氏の部屋にて、

「それは、本当かね!」

 大沢氏は大きく目を見開いた。大野は肩を上げ下げし、息を落ち着かせては言葉を発した。

「はい、間違いなく。一緒に来てください」

 大沢氏を連れて、目的の場所に移動する。通路を歩く間、大野はしきりに携帯に表示された時刻を何度も確認した。

「この部屋です」

「ここは……祖母の部屋?」

 なぜ、この部屋なのか。大沢氏は尋ねた。

「順に説明します。まず、遺書に書かれていた最初の部分。四季を探し、雪解けを見よ。この文は、は四季に関係するものを示していました。金庫近くの、四つの部屋に飾られていた花の絵が該当します。次に、雪解けについてですが、冬から春先にかけて咲く花のことを示している。それに該当する絵を調べたら、これがありました」

 大野は一枚の写真を大沢氏に手渡す。

「これは、祖母の写真?」

「はい。最初は単に写真を隠していただけだと、思っていました。ですが、この写真は遺書のある文章を指し示す重要なヒントになっていたのです」

 大野はメモ帳を開いた。ウェブサイトの内容をメモ書きし、その内容を読みあげる。

「四季の思いを辿り鐘の音を追え。四季の思いは、部屋に飾られた四つの絵に共通した花言葉を意味していたんです」

「花言葉?」

「バラ、ひまわり、コスモス、ビオラ。これら全て、花言葉で『愛』なんです」

 大野は扉を開け部屋へと入った。

「それで、ピンときました。四季に思いを辿れとは、花が持つ花言葉の意味に繋がりがある場所に迎えと」

 大野は、部屋の中にある写真立てを指差した。

「昔ここで働いていた人に聞きました。とても仲の良い夫婦で、互い愛していたと」

 大野は夫婦の写真立てを手にし、哀悼の目を送った。

「つまりは、祖父が愛していた人の部屋を指し示していたと?」

「その通りです」

「なるほど、納得はできた。それで、この部屋のどこに鍵があるのかね?」

「最後の文章、鐘の音を追え。部屋にはいれば、すぐに気づきました。鐘の音が鳴るのはあれだけですから」

 大野は壁に取り付けられた古い振り子時計を指さした。丁度長針が一周し、短針が新たな数字に変わるころ、鐘の音が鳴りだした。

「まさか、あの時計に!」

 大野は部屋の中にあった椅子を拝借し、時計の前へと持っていく。靴を脱ぎ、椅子を台座代わりにしてのぼる。背を伸ばし、時計の扉式のカバー開くと振り子を手で止めた。そして、振り子の裏側表面指先でなぞると、わずかな凹凸の引っかかりを見つけた。

「ここから鍵を探すのに、苦労しました。振り子に細工がしてあるとは、普通思いつきません」

振り子から、わずかに異音が聞こえたのが幸いだった。耳が良くて、よかったぜ。

 凹凸の部分を指で押しながら上の方へと滑らせる。すると、カシャリと振り子の表面がシャッターのようにあがり、横倒れに鍵が落ちてきた。

 カタカタと震える鍵を掴み、大沢氏へと見せつける。

「素晴らしい。いやー本当にすごいよ、君は!」

 大沢氏は腕を広げ賞賛をはじめた。

「実のところ、君だけで大丈夫かと心配していたんだ。でも、ここまで推理ができると思ってなかった。失礼した申し訳ない」

大沢氏は深々と礼をした。

「気にはしてませんよ。こちら側も、色々不備があって、迷惑をかけてますし」

大沢氏は顔を上げ、

「ところで、金庫は開けたのかね?」

「いえ、まだです」

「そうなのか? だったら、これから一緒に金庫が開くのか確認しようじゃないか」

 大沢氏に促され、別館へと移動した。大沢氏の足取りは軽く、ご機嫌そうだった。

「大沢さん、鍵をどうぞ」

 金庫の前へ着くと大野は鍵を差し出した。しかし、大沢氏は頭を横へ振った。

「謎を解いたのは君だ。開けてくれるかな?」

「俺が? いいんですか?」

「構わんよ。というよりも、わたしは、その、臆病でね。その金庫は特別だから」

 そういうことか。いわくつきの金庫には手を触れたくない。だから、一緒に同行させたのだろう。事後か起きている以上、鍵が本物だとしても、開けるのは怖いはずだ。

「わかりました。俺があけます」

 後ろで大沢氏が見守るなか、大野は金庫の鍵穴に鍵を差し込んだ。一瞬だが、鍵が回らなかったらと、危惧を覚えた。不正、間違いということで金庫から天罰が降りてはこないだろうな。

 不安の波が押し寄せるも、ずっとこのまま動かずにはいられない。どうにでもなれとばかりに、鍵を押し込んだ。

入った! 鍵穴は一致している。ズルズルと奥まで入り込む。あとは、回るかだ。

 カチリと施錠が開く音が鳴った。

「開いた!」

 大野は大きく目を見開いた。ほっと、安堵の笑みがこぼれる。

大沢氏に吉報を伝えようと振り向く。

「へっ?」

 頭上へと両手を振りかざす大沢氏。その手には鈍器らしき物が握られていた。大野は状況がつかめず、体は停止したまま。目で見た情報を処理できず、行動に移せなかった。


 目の前が真っ暗になった。


6.犯人


「……あ、あぐぅ?」

 大野は、目を開いた。

「ここは……どこだ?」

 上半身起き上がらせ周囲を見渡す。視界はぼやけている。加えて両目の視点があわず周りがよく見えない。視覚以外はどうか。ひんやりと肌寒い気温。埃臭い空気。地面はザラザラとした硬い感触がある。他の感覚器官は正常に感知している。

 見えない状況で動くのは危険だ。大野はその場で静かに待った。次第に、視界のぼやけが薄れいく。周りが把握できるほどに視力が戻ると、

「痛っ!」

同時に、頭に痛みが走った。ずきずきと脈打つような痛みだ。

「そうか、殴られて……」

 意識を失う前の事。鍵を開け後ろを振り向いた瞬間、鈍器を持った大沢氏に殴られたのだ。

 頬にかけて血が流れている。額から出血だ。結構強めに叩かれたらしい。

 なにか、怒らせるようなことでもしたか? 記憶を振り返るも逆鱗に触れるような行動や発言をした覚えはない。

「わからん」

 真相は本人の口から聞くしかあるまい。意図せずに相手を怒らせてしまった可能性もあるからな。

それにしても、なんたって自分はこんなにも落ち着いていられるのだろう。頭を殴られたせいで、性格が変わってしまったのか。だとしたら、病院へと速攻で行き、脳をみてもらうべきだろう。昔の俺なら、気が動転しているはずだからな。

「さて、どうする?」

今すべき行動は何か。まずは、自分がいる場所を把握しなければならないだろう。

 固いコンクリート壁で囲まれた狭い部屋。回り薄暗く、照明はない。天井近くの隙間から、光が、わずかにこもれているだけ。そして、注目すべきは鉄柵が行き場を差止めしていることだろう。

 ここは、牢屋ではないのか? 大野は、柵へ近づく。

「ん?」

 カラカラ金属が擦れるような音が、足元から聞こえた。

 視線を下ろすと、鎖か地面に垂れている。よくよく見ると、鎖は大野足元から壁側へと連なっている。

 腰を落とし、右足首に手を触れると金属製の枷が取り付けられていた。

 なぜに枷がついている? 状況整理だ。最低限わかるのは、逃げられぬように捕えられていることだろう。では、なぜ捕らえられている?

 少なくとも、今回の依頼の内容に関わっているのは違いない。外部に知られるとまずい『何か』があるからこそ、檻に閉じ込めている可能性はある。それなら納得もできる。推理物のお約束事みたいなものだ。

 となると、この後どうなるのか。展開は良くはならないだろう。

『カチャリ』

 何処かで扉が開く音がした。大野は耳を澄ませる。足音がコンクリート壁に反響しコツコツ鳴り響く。だんだんと音が大きくなっていく。

 大野は生唾を飲み込んだ。牢に閉じ込めた当人が近づいてきていると。

「お目覚めかな。おはよう!」

「……」

 大野は、沈黙する。大沢氏が来ると思いきや、見知らぬ男が声をかけてきた。

 黒いフードを着飾り、片目には眼帯をしている。身なりと容姿から、怪しさと不気味さが漂っている。

「誰?」

必然的にその言葉しか投げられない。

「ああ、やっぱりそうなるね。こりゃ残念。初めてじゃないのになー」

 初めてじゃない? どこかで会ったことがあるのか?

「わからない? 昨日から会ってるはずだよー」

 昨日から会ってる? 知らない。記憶を遡っても、この男との面識は一切無い。間違いなく断言できる。仕事を請け負ってから、大沢氏とタクシー運転手以外で男性に会うのは、この場で初めてだからだ。

「オマエなぞ知らんって、顔だね。そりゃそうだ。じゃあ、これならわかる?」

 男は喉元を人差し指で押しつけた。邪気を含んだように、気味の悪いニヤケ顔を見せては、

「やあ、助手君。鍵を見つけてくれてありがとう」

 大野は、ぽかりと口をあけた。男の声色は大沢氏の声で発せられていた。

「わかった? 本当は顔も体型も変えてあげたいけど、メンドクサイから無し。ごめんね! でも、何日も見てるし新鮮味もないでしょ?」

 訳がわからない。新たにもたらされた情報しに、整理がつかず、戸惑い混乱するばかりだ。

「何がどうなっているのか理解できない? 簡単にいうと、僕は大沢氏に変装してたの。それも昨日からね」

 変装をしていただと。事実なら、驚きとしか言いようがない。容姿や話し方に違和感は全くなく、本物の大沢氏にしか見えなかった。

しかし、なぜこの男は大沢氏に変装している? そして、本物の大沢氏は何処にいる。

「本物の大沢氏なら物置部屋に監禁してるよ。ボトルキープしてあったお酒に、ちょいと特製の睡眠薬を盛ってね。一週間近くは起きないかな?」

「扉が壊れてるのは嘘だったのか……お前、何が目的だ?」

「そりゃ、金庫の中身に用があるのさ。欲しくて、欲しくて堪らない物なんだけど、あの金庫を破るのは危険でね。仕方がないから真面目に謎を解こうとしたけど、チンプンカンプン。困ってた訳なんだけど、そんな時に、君達が来てくれた。おかげで、僕の目的は達成。いやー本当ありがとう!」

 意気揚々と喋る男の言葉の裏腹に、突き刺すような棘を感じる。こいつは危険だ。本能が警戒音を鳴り響かせる。

「さてと、おしゃべりはここまでにして、最後の仕事をしようか」

 男は、牢屋の鍵を開け中へと足を踏み入れた。大野は後ろの壁際まで下がり警戒をする。

「なっ、なにする気だ!」

「えっ、そりゃ君を殺すんだよ」

「こっ、殺す⁉」

「そうだよ。君を殺して、その魂を贄として捧げるのさ」

 男は刃渡り十五センチほどのナイフを裾から滑らせ、見せびらかすように刃先を向けた。

 キラキラと光を反射する刃。やばい。本当にやばい奴だ。笑いながら、大野へと歩み寄ってくる。

「そんなに警戒しないでよ。僕はそれほど頭がおかしくないよ。至極まっとうな人間だ。理論に基づいて実行しているしね」

「至極まっとうなら、人を殺すとか平気でいわないぞ! だいだい贄ってなんだ。危ない宗教にでも入信してるのか?」

「僕は宗教家じゃないよ。魔法使いさ」

「魔法使い……」

大野は眉をひそめた。

「ありゃー、信じられない。でも現実に存在しているからねー、僕みたいに」

「笑えない冗談だ」

「冗談でも嘘でもないよ。本当のことさ。声の色変えも、他人そっくりに化けるのも魔法のおかげ。君の魂を隔離するのにも魔法を使うよ。まあ、見せられないのは残念だけど」

 ナイフを手に男はにじり寄ってくる。絶えない不気味な笑みで迫ってくる姿は、この上ない恐怖だ。

「苦しまずに死んでもらいたいから、暴れないでね。痛がる姿は見たくないもん」

 はい、わかりました。と、素直に受ける奴などいない。命の危機に瀕したとき、生物は身を守るために力を振るう。周りに武器になるよう物は無い。大野は素手で抵抗すべきと構えた。

「そうそう。その鎖には魔法が仕込んであるんだ。繋がれた者は身動きがとれないようにね。だから、抵抗は無駄だよ」

 男が指を鳴らした。それが魔法の発動を呼びかけとなる。動けない。まったく動けない。動けと必死に命令しても四肢は固まったままだ。

「次に会うのは僕の一部になってからだね。じゃあ、さようなら」

 男はナイフを突き立てた。



『死の花が咲いた?』



「待ちなさい!」

 女性の声が響き渡る。ナイフが大野胸に刺さる寸前で、男はナイフを止めた。

「誰だい? お仕事の邪魔をするのは?」

 聞き覚えのある声。忘れようのない声だ。間近いなくあの人だ。

「未来の旦那に何をしようとしてるのかしら? ことによっては、地獄を見るわよ」

 占い師。真賀晴美が仁王立ちで現れた。

「もしかして、本職の探偵さん? 顔を合わせるのは初めてだね。こんにちは」

「そうね。初めまして。自己紹介は省いていいわよね?」

 カツカツとハイヒールを地面に叩き付け、占い師は牢屋と近づく。

「うーん、おかしいなあ。確か、別件の依頼が長引きそうだと数分前に、電話で言ってなかったかなー」

「ええ、そう伝えたわ。『今』、その案件を片付けようとしてるの」

 占い師は、親指と人差し指を立てる。銃を模した手を男に向けた。

「なんの真似かな?」

「武器を降ろしなさい。おとなしく投降してもらうわ」

「いやー、それはお断り。それと忠告をしとくとね、僕は普通の人は違うの。だから逃げた方がいいよ、お姉さん」

「あら、奇遇ね。私もよ」

 占い師は『バンッ』と声にだした。人差し指の先端から、赤く光る小さな球が現前し、目にも留まらぬ速さで放たれた。

カンとなり響く金属音。男の手からナイフが跳ね飛ばされる。

 ナイフは地に叩きつけられ、カラカラと荒ぶる。静止した後、ナイフの刀身には穴が広がっていた。

「まさか、お姉さんも同業?」

「違うわ。探偵兼占い師よ」

「占い師……そういえばどこかで、聞いたことがあるね。この地区に小さな占い店を経営する魔法使いがいるとか。しかも、あろうことに、僕が叶えたいと―――」

「口を閉じてなさい」

 男の話を遮るように、占い師は靴底を鳴らした。その瞬間、男は牢の柵に向かって大の字に吹っ飛んだ。男は鉄作を正面全体へと衝突。鉄作はブルブルと揺れ響く。男の体は柵から滑り落ち、仰向けに倒れた。

 その光景を傍観していた大野は、目を何度も瞬かせていた。占い師が靴底を鳴らした瞬間、大野を震源に、体から強い光が発せられた。男はこの光を背中から受けて吹っ飛んだのだ。

「まったく、彼の前でペラペラと喋らないで欲しいわね」

 占い師は、不機嫌そうに、横髪を払った。

 男は意識を失ったらしい。ピクリとも動かず起き出す気配はない。一応、胸の動きはある。息はあるらしい。

「失礼するわね」

 男が倒れている間に、占い師が牢屋の中へとまたいだ。

占い師は、大野に近づき前屈みをする。

「怪我してるわね。頭を見せて」

 大野の頭を撫でながら、髪の毛をかき分け傷口を見る。

「血は止まっているわね。腫れも小さい。吐き気とか、目眩はしない?」

「少しクラクラします。それと、痛みも」

「あとで、知り合いの医者に見せてもらいましょう。ごめんなさい。襲われる前に助ければよかったのに出遅れたわ」

 占い師は、血のついた大野の顔をハンカチで拭き取った。彼女の姿は怪我した自分の子を心配して介護する母のように思えた。

「どうやって、ここに……」

「それは、アレのおかげよ。今朝渡してあげたやつ」

今朝。玄関先で、ラッキーアイテムと称して手渡されたアレのことか。 

大野は胸元のポッケから、お守りを取り出した。

「貸してみて」

占い師にお守りを手渡すと、袋を閉めた紐をほどき、中身を開く。逆さま振り出すと、袋の中から黒く四角い物体が、占い師の手の平に落ちてきた。

「それは?」

「盗聴器兼発信器よ。これで、あなたの動向を見守っていたの」

 大野の声が聴こえなくなった後、何かしらのトラブルに合ったと思い、携帯に何度も連絡したが応答はなかった。盗聴器越しに、男が地下へ閉じ込めるとほのめかしていたこと、金属の擦れる音、きしむような音を聞き、発信器による居場所を元に、地下に通じる階段を見つけた。

「それ、プライバシーの侵害ですよ」

「でも、おかけで助かったでしょ?」

「それはそうですけど……友達の依頼はどうしたんですか?」

「請け負っているわよ。現在進行形でね。ある人物の詮索と監視をお願いされるの」

「ある人物って……」

 大野は床に伏せる男を一瞥した。

「正解。昨日の深夜にね、その男が近辺に潜伏している情報があった。そして、その男が大沢氏に変装していると。奇遇よね。二つの依頼が交差するなんて」

「どっ、どうしてそれを俺に教えてくれなかったんですか!」

事前に知らされていれば、色々と対処できたかもしれない。理由を教えて欲しい。

「秘密裏にこの男を監視しないといけなかった。警戒されにないために、あなたを隠れ蓑にする必要があったの」

 隠れ蓑。要は囮にされたってことか。

「黙っていてごめんなさい。だけど、あなたにその話をしていたら、不自然に挙動になる可能性もあったから、あえて言わなかったの」

 ポーカーフェイスは得意ではない。苦手だ。顔に出易いのは自分でも知っている。もし占い師に話を聞かされていたとしたら、ギコチナイ顔と不自然な行動を見せていただろう。

「この男が動き出したら介入するつもりだった。結局あなたに怪我を負わせてしまったわ。本当にごめんなさい」

「……もう謝らなくていいですよ。殺されずに済みましたし」

「お詫びは必ずするわ。牢屋を出ましょう」

占い師は手を差し伸べる。

「あっ、足の枷を外さないと」

足首に取り付けられた枷と壁に繋がる鎖を見せた。

「よく、見せて」

 占い師は、足首の枷を正視し手に触れる。

「鍵穴が無い特殊なタイプね。仕方がない、枷はつけたままで鎖だけを壊しましょう」

 占い師は鎖の輪を摘み、目瞼を伏せる。

「呪いは無いわね。焼き切るわ」

 つまんだ指を強く押しつけ、すぐに輪の一部を放した。

「火傷したくないなら、じっつとして」

 数秒後、指でつまれていた部分が赤く輝きだす。さらに数秒後、輪から激しい炎が上がると、鎖のつなぎ目がプツンと切れた。

「うまくいったわ。切断部分は、まだ熱いから触れちゃダメよ。歩くときも気をつけて」

「あっ、あの、道具も使ってないのにどうやって?」

「鎖の一部を高熱状態にして、つなぎ目を弱くしたの」

「いや、原理じゃなくて方法ですよ」

「マジックよ」

 マジックとは、うまい例えだ。二重の含みを意味する。どちらかといえば、タネの無い方に思えてならない。ナイフを撃ち落とした火の玉も、指を鳴らした後に男がぶっ飛んだのも、鎖を焼き切るのも、世間が認識するマジックの範疇超えている。

「魔法じゃないですか?」

 男は言っていた。占いの店を持つ魔術師がいると。

 占い師は、フッと小さな息を漏らした。

「黙っておくべき迷ってたけど、早く知った方がいいわよね。あれは、魔法よ」

「本当に魔法使いだと?」

「細かく言うと魔法使えるだけでは、魔法使いと呼べないのよね。ある協会員に従事し、かつ社会的貢献者として認められた人が、魔法使いと呼べるの。私は教会に属してないし、個人利益優先の商売者だから、魔法使いではないわよ。単に魔法が使える人って所かしら」

 意味的には、あまり区別がないような気がする。まあ、それは問題ではない。

この世界には魔法は存在している。これは、非常に驚くべき事実を知ってしまったのではないのか。

「悪いけど、この話は他言無用よ。誰かに話したりしたら、きっと恐ろしい目に合うわ。間違いなく」

 占い師は片目ウインクをとばした。警告とばかりに。

「じゃあ、そいつも……」

「そうなるわね」

「そいつは、ここに放置ですか?」

「あとで、依頼主が引き取りに来るわ。牢屋に閉じ込めておきましょう」

 大野達は牢屋から出る。気絶した男を牢に残し鍵をかけた。

「これで、いいわね。私はこの男を見張るわ。外で待ってなさい」

 占い師は携帯を取り出し電話をかけた。

「もしもし、終わったわ。ええ、ぐっすりと。すぐに来て」

 電話の相手は依頼主だろうか。その人も普通の人ではないのだろうか。

それにしても、今回の依頼が別の依頼とクロスしているとは、思いもしなかった。おかけで、頭に怪我は負うし、殺されそうにはなる。散々な目に会ってばかりだ。加えて、この世には魔法が存在する衝撃に、自分の常識が大きく崩れた。動揺もした。なのに、


『どうして冷静にいられる?』


明確な理由は分からない。でも、一因はある。

それは、その、なんとなく、彼女の存在が要因だろう。根拠はないが……。

「うん?」

 正面から緩やかな風が横切る。大野は、無意識に風の流れを追った。後ろへと振り向く。

 占い師はまだ、会話を続けている。大野の視線に気づいた占い師は首を傾げた。

 地下に、風が入り込む隙間はないはず。気のせいだったのか? 

 カラカラと鉄柵が揺れる。占い師の後方、男は柵を手で掴み起き上がろうとしていた。

「真賀さん!」

 占い師は、電話に気にとられている。大野の声は届かない。すでに男は立ち上がっていた。占い師の背中に向けて、男は腕を伸ばした。邪悪な笑みを浮かばせて。

 耳を塞ぎたくほどの金切り音が地下へと響く。柵の鉄棒が抜け、占い師目掛けて跳んできた。

「無駄よ」

直撃かと思われた。その瞬間、占い師の背後に白い光が放たれた。鉄棒に当たる寸前、占いと間に見えない壁が現われた。

鉄棒は跳ね返され、ガンガンと天井や壁にぶつかり地面へと落ちた。

 占い師は靴底を牢屋の方へ振り返った。

 長髪を片手で払い、男を睨め付ける。

「背後からの不意打ちって、卑怯じゃない?」

「おあいこですよ。そちらの少年に起動遅延の攻撃魔法をかけて、不意打ち気味に発動させたんですから」

「攻撃用じゃなくて、防御用だけど? まあ、どうでもいいわよね。ケンカでもしたいのかしら?」

「そんな気はさらさらないよ。保安局員を呼んだんだね。早くここから逃げたい気分さ」

「だったら、逃げれば。後を追わないから」

「見逃してくれると?」

「依頼の内容はあなたの居場所をつきとめること。もし、できるのなら、拿捕して欲しいだからね。無理に捕まえようとして、ケガはしたくないわ」

「割りきりがしっかりしているね。そういう人は好きだよ。でも、手ぶらで逃げるのはダメだよ。僕から奪った『アレ』を返してくれる? そしたら、すぐにでも立ち去るよ」

「返す? 『アレ』はあなたの物ではないでしょ。所有権は、本物の大沢氏にあるんだから」

「返さないと?」

「yesよ」

「そっか……そりゃ、残念だ」

男は脱力したように肩を下げ大きなため息を吐いた。

「不本意だけど仕方がない。無理やりでも、奪ってやろうじゃないですか」

 男の顔つきがかわる。捕食対象狙う獣の顔だ。懐から黒色の水晶玉を取り出し、腕を突き出す。

「生ける魂よ、生きる者たちを恨み、憎み、本能のままに暴れろ」

 水晶玉強く握りだす。バキバキと表面にヒビがはいる。水晶は脆く、男の片手内で砕けた。

「貴重な魂だけど、貴方の魂で補ってもらうよ。さあ、あいつらを殺せ」

 散らばった水晶の破片から、黒い煙が立ち込める。煙は一点にまとまりだす。煙は一つの集団となる。そして、形を変えた。

 人の輪郭を模した黒い容体。両目にあたる箇所は赤く輝いている。容姿は人に似ているが、両手にあたる部分が大きなカギ爪をしている。

「死の影。あなた、人を殺したのね」

「たくさんね。それじゃ、影君頼むよ。恐怖と死を見せてあげな」

 死の影はぺたぺたと足音をたてる。左右に揺れながら、おぼつかない足取りで進むさまは、得体のしれない異形の者。全身に怖気が走る。

占い師は影が離れる。大野の方へ後退し、

「私が相手をするわ。あなは、後ろにいなさい! 絶対に前にでないでね」

 言われるまでもない。影の姿に、大野の足は震え起こしていた。行動は制限されている。

この状況下では、自分はただのお荷物。手助けしようとすれば、犬死にするだけだ。

 影の歩く速度が、早まりだす。おぼつかない足取りは正確な歩みを始めていた。

「来る」

 占い師が察した通り、死の影は地面を踏み切り跳躍する。カギ爪をたて、飛び掛かり襲いくる。

「捕えなさい」

 占い師は、影を指さした。天井、壁の側面、地面の全方位から青く光る多数の人腕が突き抜けてきた。その手は死の影の四肢を掴み取り、空中で大の字に縛り付けた。

「念押しに用意しといて良かったわ」

 占い師は再び指を向け銃の形を模した。

「苦しみから解放してあげるわ。一撃でね」

 影に狙いを定め、火の弾丸を打ち放つ。

火の玉が額へと距離を詰める。その直前、影は頭を左右に揺らした。火の弾丸は外れる。

「動いたら、当たらないでしょ」

 占い師は、人差し指を死の崖に向け呪文を唱える。天井からもう一本腕が伸びた。腕は。死の影の首下に回り、頭を押さえつけた。

「ロックしたわ。これで、終わりね」

 再度照準を影の頭に合わせる。

死の影の背後から黒く長い鞭の様な物がユラユラと地面に垂れ落ちた。先端には、するどい鋭角がある。悪魔の尻尾と言えはいいか。尻尾は拘束さたれた自らの四肢を切り落とした。

「まさか、自ら切るなんて……」

拘束を逃れた死の影は地面へ叩き落ちる。

「やるじゃない。でも、陸に上がった魚ね」

 占い師は死の影を指差した。命令を受けた青い腕たちは死の影を抑えにかかる。

 しかし、死の影は猛威的スピードで四肢を再生させた。カギ爪で腕たち振り払い、切り裂いた。

 死の影は軽快な動きで立ち上がり、両手を払った。カギが形を変える。二本の槍。鋭く尖った凶器は、占い師へ突き放たれる。

「ヴラフォス・アスピス」

 占い師の前に岩壁がそびえ立つ。槍の攻撃に対する盾だ。だが、槍の突きの威力はすさまじく、岩壁の盾を貫いてくる。

 盾が保たない。占い師は横へ転がるように回避する。

合わせるように、槍は壁を貫通した。危なかった。地面を横に三回ほど転がり、占い師は手をついて止まる。腕を上げ、死の影を指さす。青い腕達が召喚される。

 しかし、遅かった。影は、占い師との間を詰めていた。二本の槍が、占い師に襲いかかる。



『死の花が咲いた』



 人が動くのに、意識は必要ない。無意識がすでに行動を決めている。

『助けなさい』

意識はしてはいなかった。だが、足は動いていた。心が命令したのだ。でも、それは俺じゃない。全責任はそいつにある。しかし、そいつに訴えかけることはできない。結局、この行動は自分の行動へと帰結する。

痛い。黒い槍は胸から背中にかけて貫かれた。

痛い。声にならない声。死に際を前に、ひどい声が漏れる。

痛い。血が肺に入り込んだ。苦しさと激痛。もう、虫の息だ。

「あっ、あっ、あっ……」

 大野を貫いた槍が引き抜かれる。

糸が切られた操り人形のようにクタリと体が倒れる。

 薄れいく意識の中、占い師と影の戦いが見えた。占い師は、指で数えられぬほどの青い腕を出現させた。死の影を完全に拘束した。赤い閃光が死の影の額を抜けた。

 死の崖は、断末摩をあげる。姿は歪み、黒い煙へと分散していった。

 占い師が駆けつける。彼女の顔には余裕はない。ひどく血相をかいている。

 占い師は訴えるように呼び掛けている。大きな声。でも、聞き取れない。

 瞼が重くなる。意識は薄れていく。

「……」

 走馬燈が流れる。占い屋の店の中で、卓上に座る自分と占い師の姿が見えた。

『あなたには、死がつきまとっている』

 目の前が暗くなる。

『ああ、死ぬんだ……』

 見えない。聞けない。触れない。人生の終わりが訪れる。


7.魔女


 目覚めは良いか? 問うならば答える。はっきり言って悪い。頭は痛いし、息苦しい。胸のあたりがズキズキと痛む。喉もカラカラ。水が飲みたい。

「はい、水よ」

 欲しいと思っていた時だ。誰かが水入りのペットボトルを手渡してくれた。これはありがたい。大野はキャップを開けるなり、オアシスにたどり着いた旅人のごとく水を一気に飲み干した。生き返る。

ふと、飲み干したペットボトルを見る。はて、一体誰が手渡してくれたのだろう?

 透明な容器越しに、物陰が動く。

「おはよう。調子はどう?」

 ペットボトルを避かす。すると、女性の顔が見えた。それもすぐ隣で、寝そべるように。

「えっ……えっ!」

 大野は目を大きく見開いた。

状況を整理しよう。ここは占い師の家だ。この部屋で寝泊りしていたのだから、間違いない。

 よし。大野は一呼吸をいれた。聞きたいことがある。どうしても聞かなければならない。逃げるわけにはいかないぞ。

「真賀さん。どうして、俺の隣に寝てるんですか?」

「さあ、なぜかしら?」

 彼女は笑顔のまま答えた。落ち着け。大野は唾を飲みこむ。

「どうして、俺は裸なんでしょう?」

「それは、私が脱がしたからよ」

 そうだとは思った。問題はここからだ。

「なんで、真賀さん……服着てないんですか?」

「それは、もう、あれでしょ。口で、言わせないでよ」

 大野の心拍数が上がる。心音が聞こえるまでに脈が早くなる。背中が発汗し始めた。

「昨日の夜は、はげしかったわね。全然寝むれなかったわ」

 占い師は「きやっ」と恥ずかしそうに両手で頬を挟んだ。一方、大野は青ざめていた。

昨日の夜に何があった。まったく、覚えていない。『それ』をした覚えはないぞ。しかし、記憶がない以上、完全な否定は持ち得ていない。

「安心しなさい。冗談よよ。体か冷えないように人肌で温めてあけただけよ」

 占い師は、クスリと鼻で笑った。

「俺、すごく冷や汗かきましたよ……」

 大野は、胸に手をあて息を落ち着かせる。一線は越えていない。それは、まだ早すぎる。本当に、本当によかった。

「うん?」

 胸をなでおろしていると、胸元にザラザラとした感触があった。視線を下ろすと、心臓付近に二十センチ径ほどの爛れがあった。

「背中にもあるわよ」

 背中に手を回す。胸と同様、皮膚が爛れている

「死の影に射された痕よ。覚えてないかしら?」

 胸を貫かれた。そうだ、占い師をかばって、それで……。

「俺、生きてるんですか?」

「足があるし幽霊ではないわね」

 占い師は舐めかしく腕を伸ばした。大野の頬を指でなぞると、親指と人差し指でつねってきた。

「いたっ!」

「夢でもない。正真正銘、現実世界。あなたは生きてわる」

占い師は手を離すと、大野の鼻先を指で軽く突いた。

 夢ではないのはわかった。俺は確かに、生きている。心臓の鼓動も聞こえている。痛みも感じている。しかし、この痕は心臓を位置している。確実に心臓は貫かれている。心臓は潰れて芋おかしくない。治すことなどできるのか?

「傷を治したのは、真賀さんですか?」

「いいえ。心臓の再生と、刺し傷の治療は知り合いのお医者さんに頼んだわ」

「知り合いの医者?」

「普通の病院では、破裂したあなたの心臓は治さない。だから、ちょっと訳ありのお医者さんに頼んだのよ」

「訳ありって……魔法を使った治療とか?」

「んー、どうかしら? 知らない方がいいともうけど、聞きたい?」

意味ありげな発言は、聞くべきではないと暗示している気がする。

「いえ、やめときます……」

「腕は確かだから、心配はしなくてもいいとも思うわ」

「そっ、そうですか」

「まあ、体の再生は何とかなったけど、蘇生させるのはすごく大変だったわ

「蘇生させた? どう言う意味です?」

「命を体という器に戻したの。要は、あなたは一度死んでしまったの」

「……えっ?」

 死の影の攻撃により、大野の心臓は突き抜かれた。心臓は破裂。間もなくして大野は命を落とした。

死の影を倒したあと、占い師は急いで蘇生を試みた。結果は、天へと昇る、大野魂を引き戻し、生き返らすことができた。と簡易的ダイジェストで説明された。

 話を聞けば、呆気なく思えてしまう。しかし、今の話には、普通ではありえない現象が起きている。死んだ人間を、どうやって生き返らせたのかと。

 占い師はシーツを引っ張りあげた。胸元をシーツで隠し、空いたほうの手を前にだした。

「これのおかげよ」

 拳が花を開く。手のひらには一枚の花びらがあった。

「死の者を現世に呼び戻す、奇跡の花よ」

 普通の花ではない。一目見れば分かる。花弁は淡い赤色と青紫色が時間をあけて、色変えていく。

「幻の花とも呼ばれているわね。架空の存在だと思ってたけど、本当に実在するなんて、正直驚いたわ」

 誰が聞いたとしても驚くだろう。死を克服することはできない。そんな世の仕組みを覆してしまうのだから。

しかし、占い師の話を聞く限り、所有者は占い師ではなさそうだ。偶然あったとも思えない。

一体どこにあったのか。

心の声を読んだのか、占い師は目をつぶり、

「この世へとの呼び鈴となろう……もう、分かるわよね?」

「金庫の中身ですか」

「そう。大沢さんの祖父、タカマサさんの遺産よ」

 占い師は花びらをつまみ、大野へと手渡した。

「タカマサさんはね、蘇りの研究に没頭していたみたいなの。この花についても詳しく調べていたわ」

蘇りの研究をしていた。はて? この情報は初めて聞いた。占い師はどこで、その情報を掴んだのか。これまた、疑問だ。

「タカマサさんの日記を見たのよ」

「日記?」

「書斎室にあったのよ。本と一緒に紛れこんでいたわ」

 書斎室。調査初日に、占い師は忘れ物があると屋敷に戻ったさい、勝手に書斎室の本を読んだと言っていた。あの時に、日記を発見していたのか。

「かなり深いところまで研究をしていたわ。蘇生技術についても、正確な理論を打ち出していた。あなたを救えたのも、その理論のおかげね。偉業ものよ」

 必死に研究をしていた。その理由がわかる気がする。それはたぶん……奥さんのためだろう。 でも、その成果は報われたのだろうか。俺の蘇生だけが、唯一の証明ならば、それはとても悲しいことだろう。

「どこで花の情報を知ったのか、あの男がやってきた」

「あいつも、誰かを生き還らせようとしたんですかね?」

「さあ、どうかしら。自分の為だけに使おうとしたのかもしれない。永久の命、不老不死を手に入れるとかね」

あの男からは、誰かのために使うというのは想像しにくい。

「まあ、そういうが気しますね」

「あの花は、その一端を含む物だったから……でも、永遠なん苦しいものよ。本当、馬鹿男ね」

占い師の顔は普段通りの顔った。でも、どこか怒っているようにも見えた。

「そうそう。友達がお礼を言っていたわよ。指名手配犯の逮捕にご協力ありがとうだってさ」

「あいつ捕まったんですね……よかった」

あの男とは、もう二度と会いたくない。吉報を聞いて大野は安堵した。

「あっ、大沢さんは無事なんですか?」

 依頼主である大沢氏の安否情報を聞いていなかった。

「生きてるわよ。外傷もなく保護されたわ」

 現在は、病院に入院しているとのこと。一部記憶の欠如があるも、意識もあり会話ができるほど回復はしている。後に警察が聴取に来ており、知らない男にいきなり襲われたと話しており、強盗事件として捜索が始まっている。

「俺らも事情聴衆されるんですかね」

「襲われた時間帯の前。その時間に私達はいなかった。大沢さんもそこまでは覚えていたみたいなの。アリバイがあるから大丈夫よ」

 それなら安心……そう思ったのだが、大野の頭の上に雨雲が浮かぶ。

 占い師は、金庫の中身の行方を話しだろうか?

「もちろん伝えたわ。残念ながら、金庫を開くための鍵を見つけることはできませんでした。誠に申し訳ありません。てね」

「偽装じゃないですか!」

「花びら一枚見せても、納得できるかしら?」

「……難しいですね」

「でしょ? 蘇生に使ったせいで、花は消えてしまった。だったら、もう開けられませんでしたってことにすれば終わりよ」

「それは……そうかもしれないですけど」

「ということで、今回の依頼は未達成で終えました。残念ながら、未達成のためバイト代は弾めないわ。代わりに、蘇生してあげた分で勘弁してね」

占い師は両手を叩いた。それは、今回の依頼は幕を閉じたと、意味しているようだった。なんとも、強引な人だ。

占い師は座りながら背筋を伸ばし、「うーん」と声をあげた。

「さてと」

 占い師は、大野の目の前で立ち上がった。胸元を隠していたシーツはズルズルと下へと流れる。ベールが解き放たれた身体。占い師の白い透明な肌はまばゆく、大野は慌てて、背中を向けた。

「あら、後ろを向いちゃってどうしたの?」

 とぼけたような口調。わざとやっているようにしか思えない。

「早く服着てください!」

「ん? これから着替えをするつもりだけど、何か問題あったのかしら」

 おおありだ。俺をからい、慌てふためく姿を見て、面白がっているんじゃないか。いや、絶対にそうだ。まったく、本当にまったく。困った人だ。

 でも……助けてはもらった。伝えるべき言葉がある。

「降ら落ちない点がありますけど、とにかく、救ってくれてありがとうございました」

大野は背を向いたまま、お礼を述べた。

「顔を隠したままだと、誠意は伝わらないわよ。面と向かって、もう一度言ってくれる?」

「服、着てないでしょ」

「それがどうしたの? 問題ある? 私は全然気にしないわよ」

こっちが、気になるのだ。自分は傷を負った身だ。安静が必要であり、刺激はいらない。

「そうだ! 身を挺してかばってくれたお礼に、好きなだけ見る権利をあげちゃうわよ。どうかしら?」

「謹んで、遠慮します」

「もう、恥ずかしがりやね」

 占い師は、大野の背後へと近づいた。両腕を広げ、そして抱きしめてきた。

 ひゃっと、大野は裏声をだす。

「なっ、なな、なにするんですか!」

 後ろへと顔を振り返る。大野と占い師の鼻先にあたる。

占い師は、ニッコリと笑う。心を見透かす、いつもの笑顔で。

唇が熱くなる。占い師は大野の唇を奪い取った。

長いキスだった。息が止まるほどに。

唇が離れる。

「なっ、な、なな!」

頭がぐらつく。目の集点は、てんやわんやで合わない。

「お礼よ。王子様」

 占い師の笑みは眩しかった。大野は逃げように顔を戻した。

顔はみるみるうちに、赤く染めあがった。



エピローグ


雨上がりの晴天。

館の近くにて、一人の老婆の姿があった。

「こんにちは。おばあさま」

館を見上げる老婆の元に、女性が声をかけてきた。

老婆は声の方へと顔を向ける。

「あなたは先日の……」

老婆は柔和な笑みを浮かべ挨拶を返す。

「今日も、お仕事を?」

「いいえ、今日は別件で参りました。おばあさまに、お礼を言いにね」

「ワタシに?」

「ええ。当時のお話をしていただいたおかげで、解決への糸口になりました。それに、私の大切な人も守れた。感謝いたします」

女性は一礼を送った。

「それはよかったです。たわいない話が役にたって……」 

女性は、肩掛けしたバックを開いた。

「お礼になるかはわかりませんが、どうかこれを受け取ってください」

 バックの中から一枚の写真を取り出し、

「見覚えがありませんか?」

 老婆は写真を手にする。

「これは……」

老婆は目を大きく見開くと、写真を持った手を震わせた。

「これに写っているのは、おばあさまでは?」

老婆は写真から視線を外し、女性を見る。

「よく、気づきになられましたね。この写真がワタシだと……」

「面影がありますもの。綺麗な顔は隠せませんから」

「どうして、これをワタシに?」

「あなた宛てに送ったメッセージが書いてあったからです」

「メッセージ?」

「裏側を見てください」 

老婆は写真をめくった。白色の裏面には、文字がなぞられていた。

「古い時代の文字です。内容は——」

『あなたとの出会いに感謝を。二度目の生に幸せを。どうか、僕を忘れずに』

老婆は静かに瞼を閉じた。写真を胸元へと寄せる。長く抱きしめるかのように。

「さすがは、探偵さんですね」

「はい。見抜けないものはありませんから」

「他にも気づいているのではないのですか?」

占い師は前髪を払った。

「おばあさまは、普通の人とは違う。時間の進みが遅いのでは?」

老婆は小さく頷く。絵本を子供に絵本を読み聞かせるように、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「ワタシが再び目を覚ましたことを夫は知らずに、この世を去ってしまいました。夫は、ワタシを蘇らせようと、苦悩の日々を過ごした。でも、成果を見届けられなかった。悲しい最後です。報われない。せめて、ワタシの顔を見て欲しかった。あなたは、奇跡をおこしたのだと。ワタシの口から言ってあげたかった」

女性は、腕を組み老婆の話を静かに聞いた。

「この体は中々歳をとれません。当に、百の歳を越えても、お迎えの声は聞こえません。早く夫の元へと会いに行きたいものです」

「再び与えられた命です。長く生きて欲しい。タカマサさんは、そう願っていたと思うわ」

「確かに、あの人ならそう言っていたかもしれません。昔から、優しい人でしたから」

老婆は、寂し気な表情で再び館を見上げた。

「明日も、見続けるのですか?」

「いいえ、これで終わりにしたいと思います。夫の思いは十分に伝わりましたから。この写真と、それを見つけてくれた、お嬢さんのおかげで……」

 老婆は、ゆっくりとお辞儀をした。

「おばあさま、どうか健康でいらしてください」

「あなたも、良き人と長く幸せな人生でありますように」

「……そう願いたいものです」

老婆に別れを告げ、彼女は来た道へと戻り足を進めた。

「時は進むべき……永遠は苦しいだけよ」

占い師は、髪を払い真っすぐ前を見た。

自身を救ってくれる人が待つ場所へ。


作品をお読みいただき、ありがとうございました。

文章力も構成も、まだまだ力不足と思っております。

ご参考のため、評価をいただけると幸いです。


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