鬼化
妹を二階まで運んだ後、僕は課題と今日の分の復習と明日の分の予習をしてからベッドに横になった。
今日も僕はこの世でたった一人の妹のためにすべきことを成し遂げた。
僕はえらいぞ、よしよし……なんてことを心の中で呟く。
そのあと、明日も頑張るぞ! と、自分に暗示をかけるように心の中でそう言った。
明日も忙しくなりそうだ。
「……きて……お……きて……」
声が聞こえる。
この声は……夏樹か?
僕の意識がはっきりするまで数秒かかったが、妹(?)はその間も僕を起こそうとしていた。
「お……おはよう、夏樹。どうしたんだ? 今日はいつもより早起きじゃないか」
僕がそう言うと、妹は僕の左手をギュッと握りしめた。
「い、痛いよ、夏樹。もう少し優しく……」
僕は自分の左手を見て、ようやく気づいた。
妹が僕の左手を強く握っている理由。
それは……僕の手が鬼化していたからである。
「ごめん! 夏樹! 今、なんとかするから!」
僕は上体を起こすと、真っ赤な左手を右手で握り潰すように強く握った。
僕の父は人間だが、父の父親……つまり、僕の祖父は鬼だった。
つまり、僕は祖父の鬼の力を少なからず宿しているのだ。
もちろん、父も少なからず鬼の力を宿しているだろうが、僕のように体の一部が鬼になったりしない。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
僕は元に戻った左手を開いたり、閉じたりするのを何度か繰り返す。
よかった、どうやら問題なさそうだ。
僕が安堵の息を吐くと、妹は僕に抱きついた。
黒い長髪と黒い瞳と後頭部にあるもう一つの口といつも僕のワイシャツを着ているのが特徴的な『二口女』であり、僕の妹でもある『山本 夏樹』。
妹は無口だが、感情を表に出せないわけではないため嬉しい時は嬉しそうに笑うし、悲しい時は涙を流す。
そして、今はどう考えても僕の体の一部が鬼化していたことに対して驚き、不安感を抱いている。
僕はそのことを察すると、妹を優しく抱きしめた。
もう大丈夫だよ、と言わんばかりに。
「夏樹。心配させて、ごめんな。でも、僕は大丈夫だ。だから、いつも通り、朝ごはんを食べよう」
妹は視界を遮っている前髪の隙間から僕のことをじっと見つめると、コクリと首を縦に振った。
僕が妹の目尻に溜まっている涙を人差し指で拭うと、妹はニッコリ笑った。
「……お兄ちゃん……朝ごはん……」
「ん? あー、そうだな。早く朝ごはん食べないと遅刻するよな。教えてくれてありがとな、夏樹」
僕が妹の頭を撫でると、妹は嬉しそうに触手のような黒髪をユラユラと動かした。
「よし、それじゃあ、着替えるから少し部屋の外に……」
僕が最後まで言い終わる前に、妹は頬を膨らませて、それを拒否する。
やれやれ、同い年なのに未だに異性として見られてないみたいだな。
まあ、いいか。
僕は制服に着替え、カバンを持つと妹を背中に乗せた状態でリビングへと向かった。