ギブ……
昼休みが終わった。
さぁ、午後からの授業も頑張ろう。
僕が席に着くと、見覚えのある黒い長髪が僕の左腕付近にやってきた。
廊下に目をやると、それは『とある人物』がいる教室の方に伸びていた。
「……授業の邪魔はするなよ」
雅人は小声でそう言った。
彼女に聞こえているかどうかは分からなかったが、髪でサムズアップしていたから大丈夫だろう。
それは授業中、僕の左腕付近にずっといた。
何がしたいのかよく分からなかったが、もしかしたら変な虫が寄ってこないようにしていたのかもしれない。
放課後になると、夏樹が猛ダッシュでやってきた。
「お兄ちゃあああああああああああああああん!!」
「おう、夏樹。いったいどうし……」
僕は夏樹の髪と両腕に抱きしめられた。
胸が圧迫されて息苦しい。
このままでは、窒息死してしまう。
「夏樹……ギブ……ギブ……」
「え? あっ、ご、ごめんなさい」
夏樹が僕から離れる。
あー、苦しかった。
好意は嬉しいけど、何事にも限度というものがあってだな。
「お兄ちゃん、怒った?」
その言葉を聞いた瞬間、僕はどうでも良くなった。
「いや、全然。けど、いきなりあんなことされたら誰でもビックリするから、次からは気をつけるんだぞ」
「うん! 分かった! 次からは気をつけるね!」
この笑顔を守ることができればいい。
ああ、一生見ていたいな……。
「そうしてもらえると助かるよ。よし、じゃあ、帰るか」
「うん!!」
二人が帰ろうとすると、彼の幼馴染が二人の行く手を阻んだ。
「ちょっと! 雅人! 何か忘れてない?」
「え? あー、そういえば、何か忘れてるような気がするなー……。あっ、そうだ。今日は金曜ロードショーが……」
彼の幼馴染である『百々目鬼 羅々』はブンブンと首を横に振る。
「違う! 違う! たしかに今日は金曜日だけど、もっと他にあるでしょ?」
「うーん、じゃあ、恋が始まる日?」
彼女はすぐに否定しようとはしなかった。
恋という単語に反応するあたり、やはり彼女も女の子なのである。
「そ、そうだけど! そうなんだけど! みんなで集まってやるものがあるでしょ?」
「うーん、みんなで鯉を愛でる日か?」
彼女は頭を抱えている。
本当は知っててやっているのではないかと思ったが、彼はこういう時、からかったりはしない。
それは彼女自身がよく知っていることだった。
彼女は深呼吸すると、彼にこう言った。
「雅人、部室行こうよ」
「ん? ああ、いいぞ。夏樹、お前も来るだろ?」
夏樹はニコニコ笑いながら「うん!」と返事をする。
そう、最初からこうしていれば良かったのだ。
それは分かっていた。
しかし、頭では分かっていてもいざそれを実行しようとすると遠回しに言ってしまうのだ。
そういうお年頃なのだ。
「よし、じゃあ、部室行くぞー」
「はーい!」
彼女は二人の後を追い始める。
「ちょ、ちょっと! 置いていかないでよー!」
やれやれ。もう少しうまく誘えるようになれるといいね。




