兄失格
バイトから帰ると、玄関付近の廊下の隅で妹が寝ていた。
無防備だな……。
でも、可愛いな。よしよし。
僕が頭を撫でてやると、妹は目を覚ました。
「あっ、ごめん。すぐに二階まで運ぼうかと思ったんだけど、つい……」
「おかえり、お兄ちゃん。あと、お疲れ様」
なんか機嫌が良いな。
「え? あ、ああ、ありがとう。けど、別に疲れてなんかないぞ? 全部、夏樹のためだって思えば、時間なんてすぐに経つんだから」
「そうなの? でも、無茶はしちゃダメだよ?」
僕のことを心配してくれている。
なんて優しい妹なんだ!
「ああ、分かってるよ。体調管理も仕事のうちだからね」
「お兄ちゃんは偉いね。私より、しっかりしてるね」
そうかな?
「僕はまだまだだよ。というか、僕なんかより、すごい人なんてゴロゴロいるよ」
「そうかな?」
多分……おそらく……。
「そうだよ」
「そっか。じゃあ、私、もう寝るね」
妹が立ち上がった時、少しふらついたような気がした。
「夏樹、大丈夫か?」
「え? あー、うん、大丈夫だよ。ちょっとバランス崩しただけだよ」
本当かな?
「そうか? なら、いいんだけど」
「……おやすみ、お兄ちゃん。ちゃんとお風呂に入ってから寝てね」
心配性だな。
「うん。じゃあ、おやすみ」
「おやすみー」
妹はそう言いながら、二階にある自室に向かい始めた。
「さてと……それじゃあ、やるべきことをやりますか」
*
朝になった。
今日は晴れ。
絶好の洗濯日和だ。
「夏樹ー、起きてるかー?」
今日が晴れの日だということを妹に早く教えたかった彼はそう言いながら、彼女の部屋の扉をノックした。
しかし、反応はなかった。
まさか……また誰かに誘拐されそうになってるんじゃないだろうな!
彼は急に不安になった。
彼は扉を壊す勢いで妹の部屋に入った。
「夏樹! 大丈夫か! 夏樹!」
「……あー、お兄ちゃん……おはよう」
ベッドに横になっている妹は少し苦しげな表情を浮かべていた。
良かった、とりあえず誘拐はされてないみたいだな。
けど、なんかいつもより元気がないような。
「おはよう。あと、ついでに熱を……」
「ヤダ……」
妹はそう言いながら、そっぽを向いた。
ヤダって……。
というか、まだ最後まで言ってないのだが。
「夏樹。頼むから、こっちを向いてくれないか?」
「ヤダ……」
困ったな……。
無理やりしてもいいけど、あんまり強引にすると心が痛むからな……。
僕がそんなことを考えていると、座敷童子がどこからともなく現れた。
「おはようございます。お困りのようですね」
「あー、まあ、そうだな」
こいつ、いつも当たり前のように物音一つ立てずに現れるよな。
「夏樹さん。いい加減にしないと、怒りますよ」
「ヤダ!」
今の夏樹に何を言っても無駄なのかな?
「そうですか。なら、もう文字の力を使うしかありませんね」
「ちょ、それはさすがに……」
座敷童子は僕を睨みつけた。
怖い! 怖い! 何なんだよ、その目は!
彼女は僕が怯んでいるうちに、妹の背中に『操作』という文字を人差し指で書いた。
すると、妹はスッとこちらを向いた。
「いい子ですね。それでは、熱を……。あー、これは完全に風邪をひいていますね」
「な、なんだって! いつからだ! いつから……」
いや、待てよ?
もしかして昨日の夜、夏樹がふらついていたのって。
「くそっ! もっと早く気づくべきだった! 僕は兄失格だ!」
「落ち着いてください。看病は私がしますから、あなたは早く学校に行ってください」
これは僕の責任だ。
「でも!」
「学校を休んでまで妹さんの看病をしてあげたいという気持ちはよく分かりますが、今回は私に任せてください」
こいつはいつも上から目線というか保護者みたいに振る舞うけど、こういう時はちゃんとやってくれる。
「分かった。じゃあ、任せたぞ」
「はい、任せてください」
*
彼は学校に行く前に妹の手を握った。
「それじゃあ、行ってきます。できるだけ早く帰るからな」
「……いってらっしゃい……気をつけてね」
あー! 心配だ!!
「ああ。じゃあ、行ってくる」
彼はそう言うと、目に涙を浮かべたまま家を飛び出した。




