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全力疾走

 僕がやめてくれないか? という言葉を妹に告げた瞬間、妹は僕をソファに押し倒した。

 その後、右手をチョキにした。

 妹はその手の人差し指と中指の先端が僕の両目に当たる寸前のところまで移動させた。


「ねえ、お兄ちゃん。どうしてそんなこと言うの? 私はお兄ちゃん以外、何もいらないし、お兄ちゃんも私以外、何もいらないはずだよね? それなのに、どうしてそんなこと言うの? ねえ、お兄ちゃん。答えてよ。どうして? ねえ、どうして?」


「僕と夏樹なつきは実の兄妹だ。恋人のフリをすることはできても本当の恋人にはなれない。それくらい、分かってるだろ?」


 妹は黒い長髪で僕を拘束こうそくする。

 いつもより、かなりきつめに。

 どうやっても逃げられないようにするかのように。


「うん、分かってるよ。ちゃんと調べたから。けど、それは私とお兄ちゃんには当てはまらない」


「当てはまるよ。だって、この世界の妖怪たちは、もう人間と同じように法に縛られているんだから」


 法によって守られているが、法によって縛られている。

 ルールがないと暴走するが、あると支配されてしまう。

 自由になれる時が来るとしたら、それは死ぬ時だ。


「そんなもの、私とお兄ちゃんで壊しちゃえばいいんだよ」


「壊す? 鬼の力を宿しているガキと妖怪の中では認知度が低い『二口女ふたくちおんな』だけで何ができる? 異分子は消される。それが世の常だ。だから、そんなバカなことを考えるな」


 妹の髪が硬化した。

 その強度は針……いや、はがねのようだった。


「お兄ちゃんはそんなこと言わない。お兄ちゃんはいつも私のことを受け入れてくれる。お兄ちゃんはいつも私の味方。お兄ちゃんは私の王子様。お兄ちゃんは私の全て。けど、今のお兄ちゃんは私の知ってるお兄ちゃんじゃない。あなたは誰? お兄ちゃんをどこにやったの? お兄ちゃんを返して。私のお兄ちゃんを返して。返して。ねえ、返してよ。返せよ……早く返せよ!」


「なあ、夏樹なつき。お前はいつからそんな乱暴になったんだ?」


 妹は何かに気づいた。


「乱暴? 私が? あれ? 私、どうしてお兄ちゃんを髪で拘束こうそくしてるの? あれ? あれれ? おかしいな。私、お兄ちゃんが傷つかないようにしてたのに、いつのまにか私がお兄ちゃんのことを傷つけてた」


夏樹なつき、少し落ち着けよ。あと、できれば僕を解放してくれないか?」


 妹は何も言わずに僕を解放した。


「ごめんなさい。私、どうかしてた。本当にごめんなさい。だから、きらいにならないで。じゃないと私、生きていけない」


「今まで夏樹なつきのことをきらいになったことはないし、これからもきらいになんかならないよ。だから、そんな悲しそうな顔するなよ。こっちまで悲しくなるからさ」


 妹は僕の胸に顔を埋めると、静かに泣き始めた。


「泣くなよ。僕が泣かせたみたいになるだろ?」


「……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 しばらく動けそうにないな。


あやまるなよ。夏樹なつきは別に悪くないんだからさ」


「……でも……でも……!」


 妹は僕を強く抱きしめた。


「いつまでもウジウジするなよ。あと、ちょっとこっちを向いてくれないか?」


「……なあに?」


 妹の目から止めどなくあふれ出す透明なしずくを僕は指でぬぐった。


「僕はさ、夏樹なつきには悲しい思いやつらい思いをさせたくないんだよ。それをゼロにすることは難しいけど、限りなくゼロに近づけることはできる。だから、僕は毎日、夏樹なつきのことばかり考えているんだよ」


「私なんかのためにお兄ちゃんが毎日、頑張ってることは知ってるよ。けどね、私だって、お兄ちゃんの力になりたいんだよ? いつまでも子どもだと思わないで」


 そうだな。体の成長はゆっくりでも、心はどんどん成長してるんだから、いつまでもおさない女の子だと思ってたらダメだよな。


「そうだな。じゃあ、これからは一緒に家事とか手伝ってくれないか?」


「うん、いいよ。あと……まだ怖いけど、学校にも行けるように頑張るよ」


 それはもう少し後でも……いや、待てよ。こういうのはその気になった時の方がいいのかな?


「それはまあ、ぼちぼちってところだな」


「そうだね。徐々にレベルを上げていかないといけないね」


 まあ、そう……だな。


「えっと、そろそろバイトに行かないといけないから詳細は明日あした話す方向でいいか?」


「うん、いいよ。バイト、頑張ってね」


 頑張ってねが彼の頭の中で何度も再生された。


「ああ。それじゃあ、行ってきます」


「あっ、ちょっと待って」


 彼が妹の方を向く。


「ん? なんだ?」


「……チュ」


 彼の頬にやわらかいものが触れた。

 それは、一秒もたないうちに離れてしまったが、彼が自分の頬に触れたそれが何なのかを導き出すのに、さほど時間はかからなかった。


「今はまだ……これが限界。だけど、いつかはちゃんとするから、楽しみにしててね?」


「え? あ、ああ、楽しみにしておくよ。そ、それじゃあ、行ってきます」


 彼は慌てて家を飛び出した。


「お兄ちゃんったら、ものすごく動揺どうようしてたなー。可愛い」


 やばい! やばい! やばい! やばい! やばい! やばい!

 なんだよ、あれ! 不意打ちは卑怯だろ!

 あんなことされたら、しばらく顔合わせられないじゃないか!

 彼はバイト先に着くまでの間、顔を真っ赤にした状態で全力疾走をしたという。

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