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ドラゴンとフェアリー  作者: 真木
1 水と石の章
7/24

7 堕ちたもの

 わだちの跡は、先に向かうにつれて細く頼りなげなものになった。

 動物もモンスターを恐れて近づかないらしく、虫も少ない。花の種子を運ぶものがいないからか、この辺りでは花も咲いていない。

 暗闇が訪れると、不安も増した。セツもオーブも、自然と無口になる。

「上手く吹けないな」

「好きな歌を練習してみてはどうですか?」

 笛を吹いて気を紛らわそうとしているセツに、オーブが肩の上で寝そべって勧める。

「甘い恋の歌とか」

「恋? そんなの、まだよくわからないよ」

 久しぶりの夜長話は、そんな風に始まった。

「オーブは恋をした?」

「もちろん」

「それは楽しいの? 苦しいの?」

「苦しいときの方が多かった気がします。でも楽しいときも確かにありました」

 オーブはセツの膝に舞い降りて、暗闇に語りかけるように歌を口ずさむ。

 切ない歌詞だった。オーブの柔らかな高音に包まれて、セツの耳に心地よく響く。

「綺麗な声。上手だね」

 オーブがお辞儀をすると、セツは拍手を送る。オーブはふと苦笑を浮かべた。

「歌にでもしないと、なかなか思いを口に出せないんですよ」

「大人の世界だ」

「セツももう大人でしょう?」

「そう……なのかな?」

 夜遅くになってテントに入ってからも、そんな話をしていた。

 道が細り、言葉数が減っても、音に乗せると少しだけ二人の間に明るい雰囲気が訪れる。

 あるとき、セツは真夜中に目覚めて気づく。今、自分は寂しくない。

 ゴエに辿りつけなくとも、ドラゴンに会えなくとも、自分は笑っていられる。

 けれどだからなのか、心に息づく小さな泉のような憧れもよく見える。

 アンシエントドラゴン・バレー。ドラゴンたちの故郷。

 ドラゴンは、セツ自身であり故郷にはたくさんいた「人」という種族に見た目は限りなく近い。ただ、めったに他の種と交わらない。

 セツは彼らの側にいたかった。シーリンがそうしてくれたように、毎日を共に過ごしたかった。

 セツは寝具を引き寄せながら、目を閉じて眠りに身を委ねた。












 ウタを出発して十日後、セツはオーブと食事をしながら問いかけた。

「オーブ、具合が悪いんじゃないか?」

 オーブは枯葉の皿から一口もスープを飲んでいない。朝もほとんど食べていなかったのを思い出して、セツは自分の枯葉の皿を置く。

 顔をのぞき込もうとしたセツを避けるようにして、オーブは体を丸める。

「どうしたの?」

 口をつぐむオーブに、セツは心細いような声で問いかけてしまった。

 オーブに背を向けられた気がして、なんだか不安だった。何かオーブに悪いことをしただろうかと考えてみても、思い当ることがない。

「今日は僕が火の番をしてるから、オーブは寝ていていいよ」

 どうしたらいいかわからず、そっとオーブが寝床にしている籠を差し出す。両手を差し伸べて、オーブを抱き上げようとしたときだった。

 手元でひび割れのような音が聞こえる。セツが慌てて手を引っ込めると、オーブの肩が欠けていた。

「オーブ、体が……!」

 オーブの肩から腕にかけて、まるで風化した石のようにぱらぱらと欠片が落ちていく。セツは真っ青になって、それ以上触れることもできずに震えた。

 セツがかける言葉もみつけられずにいると、オーブは顔を上げて弱々しく告げる。

「……何も訊かずに立ち去ってはくれませんか」

 セツは息を呑んだが、とっさに首を横に振った。

 今オーブを置いていったら、二度と会えなくなる。そういう確信があった。

 セツはごくんと喉を鳴らして、自分を落ち着けて言った。

「後で話してくれるなら、今は訊かない。でも置いていくのはできない」

 オーブは哀しいようなほほえみを浮かべて、ふいに強くセツをみつめた。

 セツはそのまなざしに覚えがあった。シーリンも以前、そうやってセツをみつめた後に言ったのだ。

「だめです。お別れですよ」

 瞬間、セツは体の内部を虫が這いまわるような悪寒を感じた。胃がおしつぶされそうで、何かが後ろから襲い掛かって来るような恐怖が迫る。

 セツは震えを押し殺して辺りを見回す。

「モンスターか?」

 探るようにつぶやいたセツに、オーブが細い声で返した。

「モンスターはもういません。彼がすべて狩り尽くしてしまった」

「彼……?」

「行ってください、セツ。あなたを獲物モンスターにはしたくない」

「オーブ!」

 オーブの言葉の意味がわからなくて、セツは声を荒げた。

 霧が流れ込んでくる。得体の知れない流れが押し寄せてきて、セツの手足が冷えていく。

 顔を上げたセツの目に、オーブの泣きそうな顔が映った。

 オーブの全身がひび割れて、まぶしいばかりの光の塊に代わる。

 光の中に銀のドラゴンの姿が浮かび上がったのは一瞬だった。

 ドラゴンは稲妻のように分かれて四方に走る。

「サンダーガゼル!」

 角から稲妻を迸らせるモンスターが目の前に迫った時、セツは自分もまたその光で焼かれるのを覚悟した。

 けれどサンダーガゼルはセツを避けて通り過ぎた。跳ねまわるたびに地面に稲妻を落としながら、何かから逃げるように駆けていく。

「オーブ! どこに……!」

 彼女の名を叫んだとき、セツのすぐ足元に何かが刺さった。

 足元を見て目を見張る。地面に刺さったそれは、最初矢の形をしていた。

 すぐにどろりと溶けて、地面を腐らせていく。

 顔を上げると、霧の中で人影が弓をつがえていた。

「半性……いや」

 動物や植物の特徴を併せ持つ半性、この世界の住民たちとはどこか違う。

 強い腐臭が鼻をついて、セツに再び悪寒が走る。

 不気味なほど静かに徘徊するものが何かに気づいて、セツは悲鳴のような声を上げた。

「……不死者アンデッド!」

 恐怖が覆いかぶさって来て、セツはたまらず逃げ出す。

 アンデッドに出会ったなら何もかも振り捨てて逃げなさいと、シーリンは言った。

 アンデッドはアニマから外れたもの。シーリンが教えてくれたときは、セツは困って訊き返した。モンスターとどう違うの、と。

 けれどひとめでわかった。あれには何も宿っていない。

「来るな……!」

 虚無、死よりも恐ろしいところに落ちて、どこにも還れなくなったものだ。

 セツは息を切らしながら、暗闇の中を無我夢中で走る。サンダーガゼルが走った軌跡がなければ、たぶんすぐにつまずいて倒れていた。

 ふいに一本の矢が、一匹のサンダーガゼルの首に刺さった。セツはいけないと思いながらそれを見てしまう。

 サンダーガゼルの首からは血も出なかった。悲鳴も聞こえなかった。何が起こったのか、たぶんガゼル自身気づかなかったに違いなかった。

 無造作に倒れて……そのまま、闇の水たまりに落ちるように消えた。

 恐怖への反射のように、セツは無理やりに顔を背けようとする。

 瞬間、セツの体を金縛りが走った。

 音が消える。体が鉛のように重くなって、指一本持ち上がらない。

 サンダーガゼルの光が遠ざかって行くのに、アンデッドの姿は真昼の最中のようにはっきりと見えた。

 それはセツより少し背丈があるものの、あまり姿形は変わらなかった。目立った動物や植物の特徴もない。頭、手足、胴体の構成、顔立ちも似ている。

 「彼」は限りなくセツに近かった。

「……フェアリー」

 かつてセツが生まれた世界では、人間と呼ばれていた種族。

 セツがつぶやいたとき、アンデッドは弓を背中に仕舞った。

「くっ!」

 代わりに腰から剣を抜いて、セツに切りかかってくる。

 素早く辺りを見回したが、もうサンダーガゼルはいなくなっている。獲物はセツだけだ。

 セツも短槍を背中から引き抜いて、剣を受け止める。ぶつかった反動の強さに手がしびれる。

 アンデッドは故郷の世界でいう「男性」らしい。セツより体格がよく腕も太い。剣にも慣れていて、セツより腕力も強そうだった。

 セツは短槍を弾かれないように、必死に両手で支えて後ずさる。

 足元で小石が動く音がした。

 気がつけば背後に切り立った崖がそびえている。アンデッドに目を奪われて、地形の変化まで意識が回らなかった。

 暗闇の中にぽっかりと大穴が広がり、奈落へと続く。

 もう後ずされない。恐怖が蘇って、セツは震える。

 アニマから外れたアンデッドに、アニマの力が通用するだろうか。それに手練れの剣士に敵うほど、セツは自分の短槍の腕に自信がなかった。

 どうすればいい。焦りで頭がいっぱいになったとき、セツは水の音を聞いた気がした。

 どこかで水が流れている。

 セツは腰の水筒を手に取ると、思いきってその中身を周囲にばらまいた。

『石に眠る水のアニマよ』

 アンデッドが切りかかってくる。足を踏ん張って、その場で短槍を水平にして受け止める。

 剣の重みで短槍が折れそうになる。セツは奥歯を噛みしめながら叫んだ。

『貴女の流れの中に、僕を隠して!』

 瞬間、地面が大きくたわんだ。

 大地から水が噴き上げる。その衝撃で地面は割れて、セツの足元が消えた。

 大地の狭間に落ちていく。悲鳴を喉の奥に押しこめながら、セツはアニマに身を委ねる。

 落下の中、目を閉じてアニマの判断を待つ。こうするより他なかったとしても、恐怖で体が壊れそうだった。

 虚空に放り出され、何を恐れているのかも一瞬わからなくなる。

 セツは誰かの腕の中に受け止められた気がして、意識を失った。



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