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ドラゴンとフェアリー  作者: 真木
1 水と石の章
3/24

3 敵は誰

 セツとオーブは宿を出た後、わだちの跡を辿って草原を歩き始めた。

 昔は街道だったのか、時々石畳の欠片が落ちている。ガラスのような光沢が空で眠る金獅子の光を反射して輝いていた。

 それ以外に作り物の気配はない。ぽつぽつと樹木が茂る中、セツの膝丈ほどの草原が見渡す限り一面に広がっていた。

 セツは天を仰いで、金獅子のたてがみが揺らいでいるのを確認する。

「オーブ。そろそろ夜が来る」

 二人で野営の準備をする。三日間繰り返したので、手際よく分担できるようになった。

 オーブはいつも手早く水場をみつけて、飲み水を取り出してくれる。オーブが水を用意している間に、セツは食事の準備をする。薪木に使う枝や、食用にできる花や実を集めた。

「ありがとう、オーブ。僕一人のときは、毎日水に困っていたんだ」

 金獅子が目覚めて空から走り去った頃、セツとオーブは朽ちた大樹の根元で腰を落ち着けた。すぐ近くに雨水の溜まった窪地があり、そこで汲んできた水をろ過しながら食事を作る。

「オーブの本性は水なんだな。僕よりアニマに近いのを感じる」

「そのようです。私の友達は初めて会ったとき、来訪者の世界では私みたいなものをフェアリーと呼ぶと、教えてくれました」

 オーブはセツが煮込んだ豆のスープを花びらの皿で受け取って、一口飲み干す。

「あなたたち来訪者の手の平に乗るくらいの大きさで、羽根が生えているんでしょう?」

「そう……だったな。それで、不思議な力を持ってる。僕たちの世界では、確か魔法と言ったんだっけ」

 セツは夢見るようにオーブを見やる。

 ふいにセツはうつむいて苦笑する。たき火の明かりが、セツの頬に陰影を落とす。

「子どもの頃、夢のような世界に来て、魔法のようなこともできるようになったのに……一番幸せな思い出は、シーリンの膝で眠ったことなんだ。情けない」

 セツは目をこすったが、それでも少しずつまぶたが下りていく。

「はは。僕、こんな風で大人って言えるのかな。モンスターより、寂しさの方がずっと怖くて……」

 セツの瞼は重くなって、ゆっくりと閉ざされていく。

「セツ?」

 すぅすぅとセツから寝息が聞こえた。

 オーブは慌てて飛び上がって、セツの頬に触れる。

「だめですよ。せめて横になって毛布を被らないと風邪をひきます。セツ」

 小さな手で一生懸命セツの頬を叩くが、セツの瞼は上がらない。

「もう」

 オーブはため息をついてセツの頬から離れた。

「私がモンスターだったらとは考えないのですか……?」

 頼りなげな寝顔を見上げて、オーブは困ったように笑った。

「……そうですね。フェアリーは何もかもから引き離されて、こちらに来るんですものね」

 オーブはセツを起こすのを諦めて、火の番をすることにした。

 幸い、薪木に必要な枝はどれもセツが細かく折ってある。決まって朝夕に行う短槍の手入れも終わっている。几帳面な性格らしいと、オーブはここ三日間セツを見ていて思った。

 生活に必要なことはひととおりできるけれど、どこか不安定な少年。オーブはそっとセツの頭をなでた。

 夜も深くなってきた。時々薪木を足しながらオーブもまどろみかけて、ふと霧が流れ込んでいることに気づく。

「これは……」

 あまりに静かに視界を真っ白に染める濃霧に、オーブは異変に気付いた。

 オーブは薪木の側から飛び立って、セツの元に急ぐ。

「起きてください、セツ! モンスターがいます!」

 セツの目が開いたのと、彼の背後の闇がうごめいたのは同時だった。

 抱えていた短槍をバネにして、セツは跳ね退く。たった今まで座っていた場所に、地面から棘が生えて空を切った。

 バキバキ……と、セツのもたれていた大樹がきしむ。朽ちて茶色にくすんでいた幹は赤黒く変色し、枝から濁った樹液を吐き出す。

虚木きょぼく!」

 闇が質量を持ったような巨木が、枝をしならせて二人に襲いかかった。

 セツは振り下ろされた枝をかわすと、水筒を手に取って叫ぶ。

「オーブ、ここで少しだけ眠ってて!」

「私だけそんな!」

「だめだ! 虚木は水が本性のものを飲み込んでしまう。あとで必ず僕が起こすから!」

 オーブはためらったが、セツの懇願するような目と目が合って言葉を飲み込む。

「……朝は私があなたを起こしますから」

 オーブは水筒に入って、その中の水につま先をつける。

 銀色の燐光を放って水は波打つ。その途端、オーブは水のアニマに溶け込んで姿を消した。

 セツは水筒に手早く蓋をして懐にしまうと、踵を返して走る。

「また霧……!」

 濃霧のせいで、夜のしるべとなる銀鴉の瞳が隠れてしまっている。ほんの数歩先もよく見えない。

 セツは腰のポーチから小瓶を引き抜いて、中から綿毛を取り出す。

 綿毛を手の平に乗せて、セツはささやくようにつぶやく。

『季節を運ぶ風のアニマよ。貴女の通り道を教えて』

 そっと綿毛を吹くと、それは渦を巻いて飛び上がった。

 セツは綿毛の飛び去った方に、なるべく足音を立てないように駆けた。身を低くして、抜け道を通る小動物のように素早く動く。

 次第に霧は薄くなってきた。虚木のきしむ音も遠ざかる。

 セツは安堵の息を吐こうとして、ようやく見えるようになった地面に足を止めた。

「……いつの間に」

 オーブと休んでいたときは草原だったのに、もう地面には草一本生えていない。ひび割れた大地が一面に続く。

 足で踏むと、細かい泥が砕けて砂粒になる。地面がたくわえていた水を、虚木が吸い取ってしまったようだ。

「モンスターもアニマの一つ。善も悪もない……」

 子どもの頃シーリンに諭された言葉を、セツは小声でつぶやいた。

 虚木は枝を広げる勢いこそ早いが、木そのものは動かない。テリトリーから抜けるだけなら難しくない。

 セツの目に、足元の花が映った。

 わずかな泥の中に根を張っていたが、泥が砂に変わるのと共にしおれていく。ほっそりとした二枚の葉はくすんで、黄色の花びらは色を失う。

 花びらが落ちたとき、セツは思わず踵を返していた。

 霧が濃くなる元、幹がきしむ方に向かって戻る。

『土に眠るアニマよ』

 短槍の切っ先で地面の砂を掠める。砂同士がこすれあう甲高い音が響いて、細かい砂が舞い上がった。

『涙を吸い取られた花の声を聞いてほしい』

 闇を食らうように枝葉を広げる虚木の下に立って、セツは短槍を繰り出した。

「ぐっ……!」

 その途端、見えない壁にぶつかったようにセツは後ろに吹き飛ぶ。

 セツに向かって砂粒が降り注ぎ、火花を散らす。土のアニマの反抗に、セツは悲鳴を上げた。

 土のアニマは虚木を選んだ。セツの感傷を聞き入れることはなかった。

 その間に虚木は枝を伸ばし、セツの頬や腕をかすめて傷をつけていく。

 セツはどうにか起き上がろうともがくが、虚木の広がる勢いは止まらない。

「痛……っ!」

 虚木の棘がセツの腕を貫いた。

 牙ほどもある棘の刺さった痛み。そこから体の水分を吸い取られる。

 激痛と恐怖の中、セツの意識が遠のく。

 アニマに飲まれる。それは死の実感と同じで、セツは身動きができなかった。

 視界は真っ暗に染まって、セツは命が終わるのを覚悟した。

 ふいに視界に白がまぎれこむ。

 ざわめきながらセツを包んだのは、相対する虚木ではなく濃霧だった。霧は燐光を放ちながらセツを取り巻く。

 ふいにセツの眼前に坐していたのは、銀色に輝くドラゴン。

 優しいまなざしにみつめられて、痛みと恐怖が溶ける。

 一瞬だけのことだった。次の瞬間には、セツは虚木の枝葉に取り巻かれて、今にも飲み込まれようとしていた。

 セツは震える手で短槍を握り直す。熱砂で短槍の柄はところどころ焦げ跡がついていたが、刃は霧に湿って光っている。

『……霧に溶けたドラゴンの息吹よ』

 セツの声に応えるように、短槍の刃が銀色に輝く。

『貴女の故郷、アンシエントドラゴン・バレーへ導いて』

 痛みを喉の奥に押しこめて、セツは叫ぶ。

『セレクション!』

 わずかに突き出した短槍が、見えない力に後押しされて飛ぶ。

 虚木の幹にめりこんで、短槍は破裂したように見えた。

 実際に破裂したのは虚木の方で、幹が裂けて折れる。地響きを立てながら、乾いた砂地に沈んでいく。

 しばらくの間、セツは倒れこんだまま動かなかった。

 やがてセツはのろのろと水筒の蓋を開けて、オーブの名を呼んだ。水面は揺らいで、そこに小さな花が浮き上がる。

 花びらの中から少女が生まれる。セツが手を差し伸べると、オーブはその手に乗って水筒から出た。

 辺りには枯れ木の束が積み重なり、氷の粒が立ち上っていた。

「セツ。無事で……」

 オーブは言いかけて気づく。セツが氷の粒を浴びながら顔を覆ったから。

 オーブはセツの腕から血が流れているのを見てはっとする。

「怪我をされたのですか! 横になって。すぐに手当します!」

「痛くない」

「そんなことを言って!」

 オーブは声を荒らげたが、セツが力なく首を横に振ったのを見て言葉をやめる。

「どうしました?」

 オーブが訊ねると、セツはつぶやくように答える。

「僕はこの地のアニマに反したのに、ドラゴンが助けてくれた」

 セツは膝を抱えて、そこに顔を埋める。

「僕はたぶん、モンスターよりこの世界のアニマから遠いものなのに。僕は……」

 セツはそれきり言葉をやめてしまった。

 氷の粒はセツの髪に積もって、黒髪を滑り落ちていく。

「……泣いているのですか」

 オーブの問いかけに、セツは首を横に振る。

 長い間、セツは顔を伏せたままうずくまっていた。

 オーブはセツの頭をそっと撫でる。黙って、一緒に氷の粒を浴びていた。

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