エピローグ
薫風の吹くおだやかな日、オーブとラグランがアンシエントドラゴン・バレーを去る日取りになった。
「体に気をつけてね」
「ええ。セツも」
セツは離れがたくて、何度も同じことを言った。そのたびに、オーブは安心させるようにセツの頬に手を触れて笑いかける。
「いつでも手紙を書いてください。けっこう届くんですよ。そうしたらすぐに会いにいきます」
「そうだよ。セツは心配しすぎ。何とかなるよ」
ラグランもセツの肩を叩いて言う。
「それに、ゴールデン・ストリームのときは谷に戻って来る」
「うん……」
セツはうなずいて、決意したように二人を見上げた。
「オーブ、ラグラン。お願いがあるんだ」
二人は顔を見合わせて、セツを見やった。
「フェアリーのことですね?」
オーブはすぐにセツの言葉を当ててみせた。驚いてまばたきをしたセツに、ラグランが続ける。
「アニマが変わったから、きっとまた新しいフェアリーがやって来る」
「うん。僕のときは、すぐにシーリンが助けてくれたけど……」
「大丈夫。ドラゴンはフェアリーの来訪にとても敏感なんだ」
ラグランとオーブはセツをみつめて言った。
「次のフェアリーが来たら、必ず僕らが迎えに行くよ」
「約束します」
セツの顔からようやく笑みがこぼれた。
ラグランはドラゴンの原型に変わり、セツは手作りの籠をラグランの胸に下げる。そこにオーブが収まって、二人は飛び立った。
悠々と飛んでいくドラゴンの姿は美しかった。セツは彼らが見えなくなるまで、いつまでも手を振ってそこで立っていた。
やがてセツは顎を引くと、斜面に刻まれた道を歩き始める。
ニレの樹が枝葉を広げて木陰を作っていた。セツはその下で、彼女が好きな白い花を摘んで花束を作る。
霧雨が少し降っていた。けれど道は消えない。古代竜たちが手伝ってくれて、家までの道を整えてくれていた。
斜面を上って、群生したカモミールに囲まれた家に着く。
薪小屋には真新しい薪が積まれて、水汲み場のロープもつい最近張り直した。家の屋根にはゴールデン・ストリームで傷ついた跡があったが、傾きはすっかり直って、両脇を立派なニレの樹が支えていた。
「ただいま」
家の戸を開いて、セツは窓辺の花瓶に白い花束を挿す。
その横に小さな青い箱を置きかけて……セツはさっとそれを背中に隠した。
「おかえり」
二階からレナが降りてきて、いつものように声をかける。
「そろそろお昼にする?」
「レナ、あのさ」
セツは言い淀んでから、おずおずと箱を机に置く。レナは首を傾げて、箱を手に取った。
リボンの結ばれた小さな箱を開くと、指輪だった。レナは目を見開いて、セツとそれを見比べる。
「ごめんなさい! 売り物だって知らなくて」
慌ててセツに箱ごと指輪を返すレナに、セツは首を横に振る。
「……売り物じゃないんだ」
セツは手先が器用で、金属細工や木工細工を作る生業をしている。黙々と細かい作業をするのは苦痛にならないから、一日中部屋にこもって仕事をしていることも多かった。
「いつもお昼を作ってくれたり、一緒にお茶を飲んでくれてありがとう」
セツは目を逸らしてからレナを見た。
「僕は話すのも上手じゃないし、ドラゴンみたいにかっこよくないけど、いいかな」
セツのレナの左手を取る。見上げたレナに、セツは打ち明ける。
「……僕を伴侶に選んでくれないか」
セツはレナの薬指に指輪をはめる。レナは指輪をまじまじとみつめた。
「この世界ではどんな風にするのかわからないんだ。でも昔、僕の母が父に指輪をもらって結婚したって、言ってたんだ」
レナは指輪をみつめてはセツを見上げて、そっと問いかける。
「これは、あなたの世界の伴侶の証なの?」
指輪を触って、セツはうなずく。
「故郷ではケッコンシキというものがあったみたいなんだけど、僕は子どもだったから覚えてないんだ。……あ」
ふいにセツは声を上げる。
「どうしたの?」
「一つ思い出した」
「どんなもの?」
セツはかぁっと顔を赤くして、口ごもる。
「い、いいから。忘れて」
「セツ」
体を離そうとしたセツを、レナが引き寄せた。つと顔が近づく。
唇をかすめるようにして、レナは口づける。
目を見開いたセツに、レナは困ったように言った。
「嫌だった? ドラゴンは伴侶への誓いとしてキスをするの」
セツはもぞもぞと言葉を飲み込んだ。
目を閉じて、セツはレナの体をぎゅっと抱きしめる。
ドラゴンとフェアリーは、まだまだお互い知らないことがたくさんある。
アニマの中で出会えた伴侶と、これからどんな時を過ごしていこう?
手探りで始めた二人暮らし。未来を考えるのは当分後になりそうだったが。
「実はね、ケッコンシキでは……」
それも幸せなことだと思いながらセツは笑って、レナの耳に口を寄せた。




