7 黄金と氷の花
セツが目を覚ましたとき、そこはまばゆい黄金の輝きで埋め尽くされていた。
黄金の麦が揺れる大地に、七色の小川が流れていく。小川のほとりには金色のりんごをつけた大樹が立ち、かぐわしい香りを漂わせていた。
「セツ」
誰かの声に呼ばれて、セツは顔を上げる。
セツの目の前に美しい半性が立っていた。長い金髪で青い瞳の彼女に、セツは問いかける。
「レナ? どうしてここに……」
言いかけて、セツは違和感に気づいた。
彼女は癖毛の長い金髪を一つの三つ編みにし、海のような深い青の瞳をしている。年は三十を少し回ったくらいで、降り注ぐ霧雨のように穏やかな眼差しをしていた。
似ている。けれど確かに違う。
「……シーリン」
ざぁっと風が流れて麦が揺れた。風の中に、懐かしい香草の匂いが蘇る。
彼女は困ったようにほほえんだ。
「レナの名が先に出たのなら、あなたは変わったのね」
セツはごくんと喉を鳴らす。胸に万感の思いがこみ上げてきて、目から涙が溢れた。
セツは立ち上がってシーリンに駆け寄る。彼女は何も言わずにセツを抱きとめた。
「会えるまで泣かないって、約束したけど……。本当は旅の途中、いっぱい泣いたんだ。ごめん、ごめん……!」
後は言葉にならなかった。しゃくりあげて、泣きじゃくる。シーリンはずいぶん長いこと、セツの背中をさすってただ立っていた。
「……レナに会ったんだ」
やがてセツは体を離して、シーリンを見やる。
「惹かれているのに、側にいたいのに……勇気がなくて、喧嘩をしてしまった。こんな大変な時期なのに、そればかり気になって」
「ゴールデン・ストリームの時は皆そうよ」
シーリンは優しく返した。
「同族が影に飲まれて命を失うかもしれないのに、私もイミルの心ばかりが気になった。それでいいの」
シーリンはセツの頭を撫でて、つと後ろを示す。
「ほら、もう一人。生きたドラゴンで初めてゴールデン・ストリームにやって来た者がいる」
黄金の麦畑を駆けてくる少女がいた。癖のない長い金髪は簡単に結っただけで、少女らしさの残る体格、澄んだ空色の瞳の半性だ。
セツはシーリンから手を離して、麦畑をかき分けながら半性に近づいた。
「セツ!」
レナはセツに駆け寄ると、セツの肩を引き寄せた。
「アニマに還らないで! 私はまだ頼りないけど、必ずシーリンを超えてみせるから!」
セツは肩を揺さぶられて息が詰まりながらも、ふいに苦笑する。
「言ったのに。レナ、またシーリンを気にしてる」
「う……」
セツはレナの背中に腕を回して笑う。
「でも、そうだ。レナは、そういうところが……かわいいんだ」
レナは腕の中のぬくもりを確かめて、ゆっくりと体を離した。
セツが振り向くと、シーリンは少し気に入らなさそうな、でも安心したような表情で二人を見ていた。
レナは守るようにシーリンとセツの間に立つ。シーリンはうなずいた。
「あなたたちが倒すべき、最後のアニマの影を見せよう」
ここに落ちてきたときから聞こえていたゴールデン・ストリームの声と、シーリンの声が重なった。
「……愛しているわ。セツ、レナ」
シーリンの姿が揺らめき、彼女を中心に波が押し寄せた。
世界が塗り替わって行く。黄金の麦畑は無機質な灰色の大地に変わり、黒い建物が無数に伸びていく。
「セツ、乗って!」
レナはドラゴンの原型に変わる。セツが急いでその背中にしがみつくと、レナは大空に舞い上がった。
地面から伸びる黒い建物は、細長く縦に伸び続ける。緑は消え失せ、土は埋め立てられ、ゴミ山となる。風は滞り、雑多な匂いが立ち込める。
明かりだけは煌々と灯る、にぎやかな街だった。
「ここは……僕のふるさと」
セツが生まれた街が眼下に見えていた。空に金獅子と銀鴉の姿はなく、太陽と月が交互にめぐる。
月を背後にして、ドラゴンの原型となったシーリンが飛んでいた。体中をびっしりと黄金の鱗に覆われて、飛ぶために生まれてきたような流線形の体躯をしている。翼をはためかせるたびに黄金の風が押し寄せて、王者のような風格を持っていた。
「……来る」
黄金竜は旋回して襲い掛かる。レナはそれをすんでのところでかわしたが、黄金竜は直後に方向を変える。
「レナ!」
黄金竜の爪がレナの翼をかすめて、レナが悲鳴を上げる。セツは慌てて覗き込もうとした。
「構わないで! この世界はアニマの気配が小さい。素材にできるものを探して!」
「素材……」
セツは辺りを見回す。
故郷の街に物は溢れている。豪奢な貴金属、おいしい食べ物、技術をつくした加工物、なんでもある。
けれど手を加えつくしてアニマの気配が消えていた。アニマの声自体が小さく、セツの心を乗せることができるかもわからない。
黄金竜の爪と牙をかわしながら、レナは叫ぶ。
「セツ、あなたのアニマにもっとも近いものは何?」
「僕のアニマ……?」
セツはレナの背中に掴まりながら、繰り返しつぶやく。
「……もしかしたら」
ふいに顔を上げて、セツは空を仰いだ。
「レナ、なるべく高く飛んで! 雲の上まで!」
「わかったわ。しっかりつかまっていて!」
レナは急上昇を始めた。
凍るような風が通り過ぎていく。雲を突き抜け、やがて氷の粒がセツを取り巻く。
後ろから黄金竜が追ってきていた。セツは凍える手で背中の短槍を抜く。
『僕はかつて「ユキ」だった者。この世界を漂う氷のアニマの一つ』
短槍を水平に構えると、周囲でアニマがざわめく気配があった。
『僕は氷の一粒に過ぎなかった。儚い一瞬の生を、舞い散るだけで終わるはずだった。けれど僕を守り、育ててくれたドラゴンたちがいた』
襲い来る黄金竜と、そして自分を乗せて飛んでいるレナを見下ろして目を細める。
セツは毅然と顔を上げて叫んだ。
『僕はフェアリー・セツ!』
短槍を両手で構えて立ち上がると、セツはアニマに呼びかける。
『世界に小さな変化を贈る! 受け取ってくれ!』
セツの周りを、雪の結晶が取り巻いた。結晶は花開き、セツの短槍を彩る。
レナ、とセツは彼女に呼びかける。レナはうなずいて旋回した。
レナは翼を広げて黄金竜に飛び掛かる。レナが黄金竜の翼をかすめたとき、セツは思いきってレナの背中から跳んだ。
『セレクション!』
空に舞う雪と共に、セツは黄金竜に短槍を振り下ろした。
貫く感触はなく、ただ短槍から伝わった冷気が黄金竜を凍らせていった。
凍りながら、セツと黄金竜は落ちていく。ふっと黄金竜はセツを見上げて笑った。
「生きていきなさい。私の氷の花」
その声を聞いたのが最後。
セツは七色の水流に取り囲まれ、守られるようにして押し流されていった。




