2 小さな友だち
セツは重い体を引きずって夜通し歩き、明け方に小さな宿場町に辿りついた。
ぼそぼそと宿賃の交渉をして、前金を払って部屋に入ると、倒れるように眠る。
右肩の傷と背中の打撲は簡単な手当だけでは痛んで、うなされた。熱も出てきて、震えながら体を丸めて眠る。
シーリンとうわごとで何度も呼ぶ。子どものように甘えてしまう自分が嫌だった。
旅の間ずっとそうしていたように、短槍を抱きしめて横になると、少しだけ寂しさが薄れた。シーリンが与えてくれたものはあまりに多かったが、短槍だけはセツが一人で作った武器だったから。
痛みと寒さと寂しさ。その中を行ったり来たりして、やがてセツの意識は静かな海に降りた。
夢を見た。生まれる前のように、水の中をたゆたう。
生まれてきてくれてありがとう。誰かが言った。
誰かに抱きしめられたぬくもりで、セツは目を覚ました。
そこは宿のベッドの上で、窓と扉が一つずつあるだけの部屋。窓の外には草原が広がっていて、青い空には雲一つなかった。
「……いつまで子どもでいるつもりなんだよ」
まるでシーリンに抱きしめられたような目覚めだった。
セツは自分の体をさすって、また泣きたくなる気持ちをどうにかやり過ごそうとしていた。
ふと気づく。体が痛まず、熱も下がっている。起き上がって肩の包帯を解くと、傷跡が残っていなかった。
「お体の具合はどうですか?」
ささやくような声が聞こえて、セツは視線を下げる。
「君は……」
ベッドの枕元に、手の平に乗るような少女が立っていた。波打つ銀髪を腰まで伸ばし、小花で編んだ冠を頭に乗せている。紫色の瞳は水晶のようにきらきらと輝いていた。背中には光の軌跡のような、透明の羽根が二枚生えている。
「……痛くないのは君のおかげ?」
「お礼です。あなたは錆猫をアニマに還してくださった」
セツよりも年下に見えたが、その柔らかい微笑が大人びていた。
少女は飛び立って、セツの顔の前で一礼する。
「私はオーブ。お会いできて嬉しいです。あなたは男性のフェアリーですね?」
セツは息を呑む。セツを半性ではなく男性と呼ぶのも、フェアリーと呼ぶのも、この世界では珍しい。
唯一、シーリンだけがそうだった。
「君はこの世界の外のことを知っているの?」
「ええ。私の友達も来訪者でしたから」
オーブの微笑に警戒を解きかけて、セツはうつむく。オーブは心配そうにセツを見上げた。
「どうされました? 傷が痛みますか?」
「僕は……道を間違えたんだ」
セツは顔をかげらせて言う。
「あの場所を通らなければ、生命に選ばせることはなかった」
オーブは首を横に振ってセツを見上げる。
「私はあなたのおかげで、錆猫が凍り付かせたアニマから解放されました」
オーブは微笑んで、もう一度頭を下げた。セツはぎこちなく、おずおずと頭を下げ返した。
オーブはセツに優しく問う。
「あなたのお名前は?」
「セツ。古代竜の谷を目指して旅をしてる。ドラゴンに会うために」
「アンシエントドラゴン・バレー……」
セツがうなずくと、オーブは難しい顔をする。
「風のアニマが教えてくれました。今、アンシエントドラゴン・バレーへの道は閉ざされていると」
セツは口元に手を当てる。
「うん。養母も言っていた。もう十年、アンシエントドラゴン・バレーに便りを出しても返事がこないと。代わりに、モンスターの噂ばかり耳にするって」
二人の間に沈黙が流れた。
誰か答えを知っていたらと旅をしてきたが、出会う者すらほとんどいなかった。オーブと会ってもしかしたらと思ったが、彼女も知らないようだった。
セツは答えをみつけたわけではなかったが、顔を上げて告げる。
「行きたいんだ」
オーブは複雑そうな微笑みを浮かべてセツを見返す。
「私も一緒に行ってもいいでしょうか」
「え?」
両手を差し出して、オーブは言う。
「遠い昔、亡くなった私の友達がアンシエントドラゴン・バレーを目指して旅をしていたんです。モンスターが生命の流れ(アニマ)を歪めて、今では道が変わっているかもしれませんが……途中までなら、案内できますよ」
オーブは懐かしそうに笑っていた。震えた声ににじんだ哀しみと寂しさは、セツにも覚えがあった。
「……うん」
セツは小指を差し出して、小さな仲間と握手を交わした。




