3 イミル
セツがアンシエントドラゴン・バレーで過ごして、一月ほど経った。
宿主の古代竜は、せっかくの遠方からの来客だから宿賃はいいと言ってくれていたが、さすがに長期間にもなるとそれは悪い。
セツは乾燥ハーブや日用雑貨、加工した鉱石などを作っては市場で売って、それを宿賃として払っていた。
その頃には、セツはアンシエントドラゴン・バレーを一回りして、住民にひととおりの挨拶を終えていた。
谷には斜面に三十ほどの家が点在し、古代竜が五十ほど住んでいた。
古代竜たちの暮らしぶりは、セツがシーリンと暮らしていた頃と似ていた。食料を保存したり、家の建てつけを直したり、時々少しだけ遠出して友とお茶を飲む。
古代竜たちは穏やかな性格で、あまり社交的ではないけれど、セツを優しく見守ってくれる。セツはシーリンを思い出して、懐かしさに切ない思いがした。
ここに住んだら、きっと寂しくない。
「セツ、アンシエントドラゴン・バレーに住まない?」
でもと迷っていた頃、ラグランに提案された。
オーブとラグランも日中はそれぞれの生業をしたり、知り合いのところに行っているが、その日は偶然三人ともが宿にいた。
珍しく天気のいい昼下がりだった。セツは外で敷布を引いてハーブを干していて、オーブがひっくり返すのを手伝ってくれる。ラグランは側で本を読んでいたが、顔を上げて話しかけてきた。
「よくレナといるのをみかけるよ。一緒に暮らしたら?」
「ラグラン」
オーブが咎めるような声を出す。
「そういうことは周りが押し付けるものではないんです。セツの好きなようにさせてあげましょう」
「でもレナはずっとセツを待っていたんだよ?」
ラグランは興味津々といった目で、セツを見やる。
「どうなの、セツ。レナはどんな話をしてくる? セツは?」
「うん……」
セツはうなずいて答える。
「レナはその日市場で見たものとか、花の名前とか、谷の古代竜のこととか。僕は暮らしていた森のこととか、旅のことを話すよ」
「もう」
ラグランは本を両手で閉じて、口をへの字にする。
「もっと差しさわりのある話しようよ!」
「え?」
「具体的には、二人はいつ伴侶になるかってこと!」
「ラグラン!」
オーブは慌てて飛び立って、ラグランの頬をぺしっと叩く。
「それは皆気になってはいますが、本人たちの前で言ってはいけません!」
「気になってるの?」
セツが驚いて問い返すと、ラグランは真顔でうなずく。
「そりゃそうだ。ドラゴンの生活で最大の変化って、伴侶と暮らすことだもの」
セツは伴侶とつぶやいて、ようやくその言葉の意味に気づく。
「は、伴侶!?」
思わず声を上げて、セツはうろたえる。
「そう。いいんじゃない? 子どもの頃からアニマを通して話ができたなんて、相性がいい証拠だよ」
「そ、そんなの」
セツはおろおろと視線をさまよわせて、うつむく。
「……違うよ。僕はレナに嫌われてる」
「どうして?」
「よく知らないけど、レナはシーリンのことが嫌いで……彼女に育てられた僕にも、あまりいい感情を持っていないみたいだから」
「そう、それ」
ラグランは足を組みかえて、セツの顔を覗き込む。
「まだ話してないの? レナの気持ち、君の気持ち」
セツの顔の前で指を立ててひとつずつ数えると、ラグランは首を傾ける。
「セツ、君もレナももう大人だ。シーリンだって、君たちの生き方は決められないんだよ?」
息を呑んだセツに、ラグランは笑いかける。
「まあ若い子をつつくのはこれくらいにしとこうか。怒らないでよ、レナ」
振り向くと、そこにレナが立っていた。例の不機嫌そうな目でラグランを見ている。
セツが気まずさに思わず目を逸らすと、レナが憮然とした調子で言ってくる。
「約束の時間だけど、出られる?」
「う……うん」
慌ててセツはうなずいた。
「行きましょう。天気がいいときに、連れて行きたいところがあるの」
セツはレナに連れられて、斜面をのぼって行く。
斜面の上の方は、普段雲が垂れ込めていてよく見えない。あまりドラゴンたちも住まないところだというので、セツはそちらには行ったことがなかった。
「雨だと道が消えてしまうの」
今日は青空が広がっていて、雨の心配はなさそうだ。斜面に刻まれた土の道を辿って、セツはレナと並んで歩く。
金獅子の光が明るく差し込む昼下がりだった。緑が鮮やかで、セツは目を細めながら木々を仰ぐ。
ふっと懐かしい香りがして、セツは道の先を見やる。
そこに樫の木の家が建っていた。自生したカモミールに囲まれて、側には水汲み場と薪小屋がある。
古びた木の香りが、シーリンと暮らした家とそっくりだった。
レナが進んでいって扉を開けようとするので、セツはためらう。
「入ってもいいの?」
「今は誰も住んでないわ」
「今は……?」
「以前はシーリンと、伴侶のドラゴンが二人で住んでた」
扉を開け放って、レナはつぶやく。
「どちらも今はアニマに還った。私の両親の家よ」
レナが促すので、セツもそっと扉の中に踏み込んだ。
外から見るより、中は広かった。入ってすぐのところに絨毯が敷かれて、テーブルと椅子が二つ置いてある。その横に厨房があって、鍋や皿がそのまま残っている。窓は板で補強した跡があって、窓辺に今はもう土だけになった鉢植えがあった。
はしごの上に二階があって、下からは見えないが、たぶんシーリンはそこに寝室を作っているだろうとセツには想像がついた。
「伴侶のイミルさんのことは、少しだけシーリンから聞いたことがあるんだ。ぬいぐるみを作るのが大好きな、かわいいひとだったみたい」
セツは暖炉の上や壁際、絨毯の真ん中、至るところにたくさん並んだぬいぐるみを見やって言う。
「掃除が大変なの。ぬいぐるみのせいで片付けるのも一苦労で」
くすっとセツは笑う。レナは掃除をしているのだ。セツは彼女が両親のことを嫌ってはいないのだと知った。
「レナ、僕も掃除をしていい?」
「いいの?」
「うん」
「それなら、二階の窓を開けてきて。風を抜きたいの」
セツははしごを上って二階に向かった。
予想通り、そこは寝室だった。大きなベッドと少し小さなベッドが仲良く並んでいる。大きなベッドにはシーリンが好きだった藍色のベッドカバー、小さなベッドにはうさぎの刺繍がされた、新緑色のベッドカバーがそれぞれ掛けられていた。
二階の窓を開けると、外のカモミールの香りがふわっと漂った。よくシーリンが淹れてくれたハーブティーと同じ匂いだった。
「ここで暮らしたんだね」
窓枠を手で撫でて、セツは目を細める。
「アニマの中で、イミルさんと会えた……?」
風に問いかける。そうであってほしいと思った。




