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ドラゴンとフェアリー  作者: 真木
2 愛と知恵の章
16/24

7 彼女のこころ

 夢と現実の狭間で、セツはオーブとラグランの話し声を聞いていた。

「今、世界は少しバランスが崩れているんでしょうね」

 オーブの問いに、ラグランが答える。

「ああ。少しなんだけどな」

 応じるラグランの言葉も静かなものだった。

「フェアリーたちがアニマを変え過ぎると、世界はドラゴンを守ろうと道を閉ざす」

 ラグランの声がふいに和らぐ。

「セツはドラゴンを好きでいてくれる子だ。きっとアンシエントドラゴン・バレーのドラゴンもセツを好きなんだろう」

「二人を会わせてあげたいのは私も同じです。でも」

 オーブは一度口ごもってから告げる。

「……ミュシャさんを一人アニマに還したところで、生命の流れが元通りになるとは思えません」

「元通りでなくていいんだよ」

 ラグランが苦笑する気配がした。

「僕はミュシャに向き合わなきゃ。ミュシャは知恵の化身のような子だったけど、僕が教えられることもあった」

 ラグランは一度息をついて言う。

「アニマから知恵を与えられたら、愛を返すんだって。それが世界の理なんだよって」

 オーブは沈黙して、考えている気配がした。

 やがてオーブが苦笑のような声をこぼす。

「あなたって意外と真面目で、融通が利かないんですね」

「はは、意外か。言うね」

「わかりました。これ以上引き留めません。……ただ、一つだけ」

 オーブの声が緊張を帯びる。

「私はあなたが戻るのを待ってます」

「お、オーブ?」

 ラグランの声が、急にぎこちなくなった。

「え、あ……えと……う、嬉しいよ。他に何て言えばいいかな」

「しっかりしてください」

 オーブが噴き出して、叱るように言った。

「しょうがない方。あなたがすることは、行って帰ってくるだけです。簡単でしょう?」

「……うん、ごめん」

 ラグランは確かめるように告げる。

「じゃあ」

「はい。行ってらっしゃい」

 セツは少しだけうらやましかった。

 二人の間に流れたその空気は、セツが遠い昔故郷で感じた、父と母の気配に似ていた。








 セツの目が覚めたとき、船は青い海をゆったりと航海していた。

「じきに陸に着きます」

 ラグランの姿はなく、オーブの平静な声がむしろセツには不自然に感じた。

「そこからアンシエントドラゴン・バレーまで、歩いて一日ほどで着きます。私が知っている頃の道ならば」

「ラグランも一緒じゃないと嫌だ」

 セツは思わず子どものような調子でオーブの言葉を遮ったが、オーブは首を横に振る。

 セツはオーブと喧嘩をしたことなどなかった。二人で決めたことなら、喧嘩をする理由などなかったのだから。

 でも今、セツはどうにも納得できなかった。にらむようにオーブを見て、踵を返す。

「セツ!」

 セツはオーブの制止の声を無視して船倉に走る。

 走りながら、ラグランと過ごした船旅の日々を思い出していた。

 初めて会ったとき、オーブの手にキスしたラグランが気に入らなかった。冗談ばかり言っていて、どこまで本心なのだろうと疑ったこともあった。

 でも楽しくなかったかと訊かれたら、自分に嘘をつくことになる。

「待てよ……!」

 口ではふざけながら、穏やかにセツをみつめていたまなざしを思い出す。

 セツは転げ落ちるように図書室の螺旋階段を駆け下りて、扉を開け放った。

 駆け寄ってしゃがみこんだが、ミュシャの日記は閉じている。セツが両手でこじ開けようとしても、ページは開かない。鉛のように沈んで、セツを拒む。

 しんとした沈黙が落ちる中、オーブが追いついてくる。

「ラグランは一人で本の中に入ったんだね」

「はい」

 オーブがうなずき返す。セツはうなだれてぼやいた。

「どうしてこんなときだけかっこいいんだよ」

 膝を抱えて顔を埋める。オーブもセツの肩に立って、声をかけかねているようだった。

 セツは幼い頃、何もできずに途方に暮れていた自分を思い出した。

 家に帰りたいと、よく泣いていた。

 まだこの世界に来て間もない頃、セツはよくだだをこねてシーリンを困らせた。

 空を見上げてもそこに太陽はなく、通りかかる半性たちはセツが怯えるほど大きくて、その頃セツが大嫌いだった虫の形をしていたりした。

 けれどセツには家に帰るすべがなく、シーリンだってセツの願いを叶えてやることはできなかった。

 そんなとき、シーリンは泣きじゃくるセツを膝に乗せて頭を撫でながら言った。

 アニマはあなたの家族なの。そこにいて、あなたが自分に気づいてくれるときを待っている。

 シーリンは絵本を広げて、一つずつ指さしながら世界の名前を教えた。

 アニマの名前を教えてあげよう。アニマと話をする内に、きっとあなたも、自分を包んでいる世界が怖いものではないとわかるでしょう……。

 成長した今も、セツはすべての言葉を知ってはいない。モンスターにだって話しかけることができたシーリンと違って、セツは今も知らないものばかりに囲まれている。

 けれどセツは、幼い頃より知らないものに近づくすべを知っている。

 セツは心を決めて立ち上がった。

 自分の船室に戻って、持てるだけの素材を持ってくる。ハーブの粉に鉱石、水に木片、糸やドライフラワー。それぞれは他愛ないものだが、何もかもにアニマが宿る。

「ごめん、オーブ。ラグランの思うままっていうのはしゃくだから」

 床いっぱいに素材を広げて口をへの字にするセツに、オーブは苦笑する。

「……本当は、私もです」

 ちょっとだけ笑い合って、二人は素材を前に考える。

「ミュシャさんは火のアニマを操っていました。火は他のアニマを圧倒する力がありますが、鎮める方法ならあります」

「うん。「木箱の手紙」だね」

 セツが答えると、オーブは少し驚いたようだった。

「ご存じでしたか。火のアニマが暴れると、水や砂をかけてしまう半性が多いのに」

「火のアニマは怖がりだから。攻撃をしたら、ますます燃えてしまう」

 セツは素材を見渡しながら言う。

「火のアニマを鎮めるには、彼らが取り込む木箱にそっと手紙を忍ばせると本で読んだことがある。手紙か……」

 紙を手に取って、セツはうなずく。

「書いてみよう。アニマとミュシャに伝わるように」

 セツはオーブに手伝ってもらいながら、手紙を書き始めた。

 自分のこと、友達のオーブのこと、自分たちがラグランと旅を始めた理由、その旅の様子。

「日記みたいだ」

「そういえば、ラグランが船賃代わりにセツの日記を欲しがっていましたね」

「日記も部屋から持ってきたけど」

 セツは船旅の間書き溜めた羊皮紙を取り出して、ふと周りを見渡す。

「熱を出していたとき、この図書室の本を読んでいたんだ。そうしたらフェアリーの日記ばかりだった。ラグランはどうしてフェアリーの日記を集めていたんだろう」

 自分の手元を見下ろして、セツは首を傾げる。

「日常の記録なんて、一体何が……」

 そうつぶやいたとき、セツの指先を何かが掠めた。

「痛っ!」

「セツ!?」

 痛みが走って、セツは羊皮紙を手放す。

 はらりと羊皮紙がはためいて、床に落ちた。そこに赤い火が宿る。

 セツは慌てて水筒を手に取ったが、そのときセツの耳に聞き覚えのある声が届いた。

――知りたい、知りたい……知りたい!

 ミュシャの声が切羽詰まったように繰り返す。

――私は何? 私は何だというの……!?

 セツはひととき意識を失っていた気がする。オーブの呼び声で我に返った。

「セツ、気をしっかり持って!」

 見下ろせば、一面に火が広がっていた。赤い炎が猛烈な勢いで床にも壁にも燃え移って行く。

「こんな火、水や砂では消せません! 早く逃げないと!」

「あ……」

 恐怖がこみ上げてきて、セツは慌てて立ち上がる。

 短槍だけを背負い、オーブを抱きかかえて走る。船内は煙が立ち込めて半歩先も見えない。

 セツは這うようにして階段を上り、船倉から出た。

「う……くっ!」

 煙で喉が痛んで、外の空気を吸った途端に何度も咳をする。

 苦しむ暇もないようだった。背後には炎が迫り、今にもセツたちを飲み込もうとうごめく。

 前方には青い海。まだ陸は見えない。それでも待っている時間はない。

 セツは船首に立って覚悟を決めた。

「オーブ、なるべく遠くに飛んで!」

 セツはオーブに呼びかけながら彼女を手放す。

 それから船荷の木箱を海面に投げて、自らも飛び込む。

 服と短槍の重みで沈む。おもいきり呼吸も溜めたつもりだったが、いざ海に入ると息苦しさにあえいだ。

「……げほっ! オーブ、オーブ!」

 どうにか水面に顔を出すと、セツは泳ぎながらオーブの姿を探す。

「ここです! つかまって」

 すぐに銀色の燐光をみつけた。オーブはセツの側を飛んでいて、セツが浮き袋代わりに投げた木箱の方に導く。

 セツは木箱につかまると足を動かして、燃え盛る船から離れる。

 海に入ってみると、思いのほか波があった。服が水を吸って重く、セツは汗をかきながら懸命に泳ぐ。

「あそこに砂浜があります!」

 オーブの声に振り向くと、小さな白い砂浜をみつけた。セツはうなずいて、そちらに方向を変える。

 船から火花が散って、残骸が降り注ぐ。風にあおられて煙も流れてきて、オーブの光がなければ砂浜を見失ってしまいそうだった。

 セツはオーブの光を頼りに泳ぎ、どうにか砂浜に這い登る。

 振り向くと、ラグランの船は燃えながら沈もうとしていた。轟音を立てて、船体が折れてしまう。

 セツは倒れ込んでしまいそうな体を叱咤して、波打ち際に走る。

「ラグラン!」

 セツの呼び声は煙にまぎれて、すぐに聞こえなくなってしまう。

 船体は崩れて、ただの木片に変わっていく。

 セツは泣きそうな声で繰り返しラグランの名を叫ぶ。

「……泣くなって」

 声が聞こえて、セツははっと顔を上げる。

 砂浜にひときわ大きな波が押し寄せたあと、そこにサンゴの花が咲く。鮮やかな赤いサンゴの花は一度震えて、半性の形になった。

 あちこち火傷を負い、疲れ果てた様子でラグランは倒れ込む。セツは駆け寄ってラグランを受け止めた。

 セツはラグランに肩を貸しながら砂浜を上り、ラグランを寝かせようと身を屈めた。

 また押し寄せる波を感じる。

 今度はサンゴでも波でもない。それは肌で感じたものではなく、セツの内側に響く共鳴のようなものだった。

 顔を上げると、浜辺に大きな本が開いている。本にはセツの身長ほどの炎が立ち上り、その中に老年の半性が立っていた。

「ミュシャ」

 セツが呼びかけると、彼女はほほえむ。

 ミュシャは何か言いかけて、眉を寄せてうつむいた。セツがその声を聞こうと身を乗り出すと、ラグランが言う。

「ミュシャが本当に欲しかった知恵は、知識じゃないんだ。フェアリーがどうしてこの世界に呼ばれるのか……」

 ラグランはくしゃりと顔を歪める。

「……でもきっと僕は答えを知っている。ただ僕たちドラゴンがフェアリーに会いたかったから」

 ミュシャはラグランの言葉を聞いても、もう何かの感情を見せることはなかった。砂浜の炎の中、虚空を見上げて立ちすくんでいる。

「もう敵意はないみたいだ。オーブ、ラグランをお願い」

 セツはラグランをオーブに託して立ち上がる。

 浜辺を歩いて、本とミュシャに近づく。一人分ほどの間を空けて、セツはミュシャと対峙した。

「あなたがうらやましかった」

 ゆらめく炎の中、ミュシャの声は頼りなげな少女のようだった。

「アニマに愛され、アンシエントドラゴン・バレーに呼ばれる。どうしてあなたのように生きられなかったのかしら」

 セツは首を横に振って言う。

「まだ僕は子どもなんだ。僕もいつかこの世界を憎むときが来るのかもしれない」

「そうね、いずれ」

 顔を上げて、セツはミュシャをみつめる。

「そのときが来たら、ドラゴンに会って、決めようと思う」

 ミュシャはその答えに満足したようだった。

 本の中から、ミュシャは背丈ほどもある羽根ペンを引き抜く。

「お願いがあるの。私に最後の選択をさせて」

 ミュシャは羽根ペンの先をセツに向ける。

 セツはうなずいて、背中から短槍を抜いた。

 ミュシャとセツの間に、アニマが揺れる。以前ゴエでジークと対峙したときが蘇る。

 ジークは自分の行き先がわかっていなかった。ミュシャもまた、アニマへの還り方を知らない。

『火のアニマに手紙を送る』

 荷物と共に、素材も置いてきてしまった。けれど浜辺には海から流れ着いたフェアリーたちの日記が散らばる。

『この世界で生きたフェアリーたち。アニマの心をたどらせてほしい……』

 ミュシャが羽根ペンを剣に変えたとき、セツも短槍を繰り出した。

『セレクション!』

 二人の間で、炎が渦巻いた。フェアリーの日記を巻きこんで、空に舞い上がる。

 突風に吹き飛ばされて、セツは仰向けに倒れた。どっと煙が流れ込んでくる。アニマは暴れて、決断に迷っている気配がした。

 ミュシャもフェアリーで、セツもフェアリー。どちらかをアニマに還し、どちらかを個体のまま残す。

 ゴエのときはセツが残ったが、ミュシャは半性たちに愛されたフェアリーだ。生命の流れはミュシャを選ぶかもしれなかった。

 セツは自分の輪郭が薄れるような感覚に、恐怖より寂しさを抱く。

 シーリンと同じところに行けるのに、どうしてだろう。そう思ったとき、セツを取り巻いたアニマがあった。

――セツ!

 誰かの呼びかけが、セツの中心に響く。

 シーリンの声に似ているけれど、少し違う。それは幼い日から時々聞こえる声だった。

――行かないで!

 心の中で何かが弾けて、セツは目を見開いた。

 アニマの流れが変わっていく。セツを飲み込もうとしていた炎は踵を返し、辺りに散って行く。

 視界が晴れたとき、そこには凍りついた本が置かれていた。

 本の上をペンが転がり、砂浜に落ちる。風でページがめくられて、やがて表紙を閉じた。

 本は氷の粒になって、風に溶けていく。煙で濁った大気を癒すように、ひんやりとした空気が辺りに満ちた。

 ひととき意識を失い、やがて目覚めた。砂浜に倒れているセツを、心配そうにラグランとオーブが見下ろしている。それに笑いかけようとして、セツは空を往くものに気づいた。

 雲の向こうからぐんぐん近づいてくる、金色の体躯。金獅子のようで、その光はたまらなく懐かしい。

「……ドラゴン」

 それは黄金のドラゴンだった。セツは慌てて体を起こす。その頃には、ドラゴンは浜辺のすぐ上まで来ていた。

 全身を鱗に覆われ、ゆるく弧を描く鋭い爪と牙を持つ。けれどその瞳は空と同じ色で、透き通るように青い。

 黄金のドラゴンはセツの側に舞い降りると、見覚えのある半性の姿になる。

 白い肌に、切れ長の目とすっと通った鼻筋。金色の長い髪を後ろで縛り、空色の瞳がセツを見ていた。

 セツは自分が見ているものが信じられず、願うようにつぶやいた。

「シーリン……?」

 次の瞬間、変化があった。

「誰がシーリンよ!」

 半性の目が鋭く尖って、彼女はセツに怒鳴ったのだった。

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