4 妖精図書館
オーブと、何度もうわごとで呼んだと思う。
高熱に浮かされる中で、セツは繰り返し海底をさまよう夢を見た。小さな仲間の姿を探して歩き回るが、海は果てなく、オーブの銀色の光をみつけることは叶わない。
「オーブ!」
泣きそうな自分の叫び声で、セツは目を覚ました。
そこは船の自室のベッドの上で、びっしりと汗をかいている。全力疾走した後のように息が上がっていた。
「落ち着け、セツ」
声が聞こえて振り向くと、枕元にラグランが座っていた。
「水を」
セツの肩を支えながら、水差しを口に近づける。からからに乾いた喉に水を通すと、少しだけ体の痛みが引いた気がした。
セツを横たえて、ラグランは言う。
「骨と内臓の傷は塞いだ。汗が出たから、熱もじきに下がるだろう。後で着替えるといい」
「オーブは? 彼女は無事なのか?」
たまらずセツは起き上がって問いかける。ラグランはそれを制した。
「まだ本の中だ。でもあの中では時間が止まるから、彼女も動かない」
「本の中……彼女」
ラグランは底の見えない目でセツをみつめて告げる。
「この船は妖精図書館と言われている。あるフェアリーが書いた本の中に、モンスターが住む」
セツは息を飲んで、ラグランを見上げる。ラグランはうなずいた。
「知恵のフェアリー、ミュシャ。六十歳を過ぎる頃にこの世界にやって来て、世界の知恵を本に書き続けた。最期は自らを本に封じ込めたが、彼女に興味を持つ半性が絶えなくてね。彼女が残した本に引き寄せられて、集まってくるんだ」
「それで半性をモンスターに変えると?」
うなずいたラグランに、あの声をセツは思い出す。
原罪を抱えたままさまようがいい。憎悪に満ちた、体の芯が凍るような声だった。
ミュシャは世界を呪いながら死んでいったのだろうか。オーブの友、ジークと同じように。
元の世界だったら、きっとそういうものを悪と呼ぶのだろう。
「僕も同じようなものだけど」
セツはつぶやいて、苦々しい顔をした。ラグランが不思議そうにセツを見る。
「何を恨んでいいかわからなくて、結局誰も恨めないだけで」
「セツ」
暗い思いに沈みそうになったとき、ラグランがセツを呼ぶ。
「フェアリーが嫌いなドラゴンなんて、一人もいない」
ラグランは紺色の瞳でセツを捉えて、ゆっくりと話し掛ける。
「世界中の半性がフェアリーを恨んでも、僕らは君たちを歓迎してる。えっと、どんな言葉なら君に伝わるかな」
ラグランは言葉に迷って、ふいに苦笑する。
「フェアリーが傷つくのは、嫌だな。なぜかは知らない。アニマがドラゴンをそう作ったのかもしれないね」
ラグランは息をついて告げる。
「大丈夫、僕がオーブを助けるよ」
「僕も」
立ち上がろうとしたラグランに、セツは追うように言葉をかけた。
「オーブは友達だ」
セツは自分の口調がわがままな子どものようだと思いながら、言葉を止められなかった。
口をへの字にして、セツは言う。
「僕だって、友達が傷つくのは嫌なんだ」
それ以上どう説明していいかわからなくて、セツは黙った。
セツの頭をラグランがぽんと叩く。
セツが顔を上げると、ラグランは笑っていた。
「十年ほど前に、シーリンから手紙をもらったよ」
「シーリンが?」
「シーリンは古い友人でね。とても大切な子ができたと便りをくれた。自分のことをお母さんと呼んでくれると、嬉しそうだった。フェアリーと過ごすドラゴンの宿命として半性を失ったが、それでよかったと。僕は……」
ラグランは困ったように苦笑する。
「僕も半性を失ってでも、ミュシャと過ごせばよかったな」
つぶやいてから、ラグランはセツを見返す。
ラグランは手を差し出す。セツはうなずいて、その手をつかみ返した。




