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ドラゴンとフェアリー  作者: 真木
2 愛と知恵の章
12/24

3 ふたりの戦い

 ラグランの船は、海を往くドラゴンの形をしている。

 二階建てほどの高さがある船体は紺色が基調で、所々鮮やかな朱色に彩られる。先端にはドラゴンの鋭角的な顔の彫刻、後方には尾ひれがあり、真っ白な翼のような帆が二枚はためく。

「空と海どちらでも、誰より速く進めるのがドラゴンなのさ」

 ラグランが話したとおり、船は飛ぶように出航する。

 見渡す限りの海に出るまで、セツはめまぐるしく変わる景色に圧倒されて、ただ甲板で立ち竦んでいた。

「セツ、オーブ。部屋に案内しよう」

 船が波に乗って進むままになり、船員の半性たちが休憩に入る頃、ラグランに声をかけられて我に返る。

「一人で寝られる?」

 赤色に輝く瞳に見下ろされて、セツはむっとする。

「オーブと一緒だからいい」

「おやおや。女性と同衾とは大人だね」

 ラグランはからかうように笑って、先に立って船室へ降りていく。

「調子のいい方。セツ、大丈夫ですか?」

 肩の上でオーブが困ったようにつぶやいて、セツは答えに詰まる。

「ドラゴンってシーリンとオーブしか知らなかった。真面目で物静かな種族だと思ってたよ」

「私の知っているドラゴンたちもそうです。あの方が変わり者なだけですよ」

 二人で首をひねって、うなずきあう。

「わ」

「二人はどういう関係?」

 ラグランの顔がすぐ近くにあって、セツは悲鳴を飲み込む。

「はい、到着」

 ラグランは一つの扉を後ろ手に開いた。

 地下にありながら、その部屋は天窓から光が差しこんで明るかった。木造りの棚にベッド、床には朱色の絨毯が敷かれ、机にクローゼットと、一通りの調度が揃っている。

 何より、入ってきたときからセツには気になるところがあった。

「羊皮紙の束……こんなにたくさん」

 部屋は今まで泊まったどの宿より広いが、一見するとそう感じないのは、部屋の四隅に積み重なる羊皮紙の束のためだ。

「うん。これが妖精さんからもらう船賃」

 ラグランは羊皮紙を一束手に取って、それを翼のように広げる。

「船旅の間、日記を書いてほしい。その日見たもの、考えたこと、どんなことでもいいから、できるだけ詳しく」

「セツの日記をどうするんですか?」

 オーブが問いかけると、ラグランは指を口元に当てる。

「秘密。僕の道楽なのさ」

 やはり変わり者のドラゴンらしい。セツはそう思って、それ以上追及はしなかった。

「時々停泊する以外は、波に乗って進むだけだから。日中は船室を探検しておいでよ。時間をつぶすにはいいものがたくさんある」

 ひらりと手を振ると、ラグランは部屋を出ていく。

 セツは荷物を部屋の床に降ろすと、オーブに手伝ってもらいながら荷を解く。

 ハーブの粉、鉱石、水筒に食料、衣類、それほど多くはないがお金など、持ち歩くか部屋に置くか選別していく。

 ゴエのフェアリーとの戦いで折れた短槍は、修復したものの、セツの身長ほどの長さに留まっている。

「念のため、これは持っていこうか」

 持ち歩くには邪魔な大きさだったが、セツは短槍の柄を握った。

 荷造りのために広げた敷物の上で、セツはふと顔を上げる。

「それにしても、こんなに見たのは初めてだ」

 視界に映る羊皮紙の存在は大きい。鼻がむずかゆくなる独特の匂いも、昨日まではなかったものだ。

「他の部屋もこうなんでしょうか」

「どうだろう」

 首を傾げて、セツは手元の作業に戻った。

 荷物の仕分けが終わったら、セツは念入りに部屋の様子を見て回る。引き出しを全部奥まで見たり、座り込んで絨毯をめくるセツに、オーブは苦笑した。

「セツ、緊張していますか? 普段の宿ではそこまでしないでしょう」

 セツは手を止めて、難しい顔をする。

「どうされました?」

「上手く言葉にできないけど、この船ってとてもにぎやかなんだ」

「確かに船員がたくさん乗っていますね。十五……二十くらいでしょうか」

「アニマが騒いでいる感じがする。海に囲まれているからかな」

 お金と短槍、簡単に調合できるハーブや鉱石だけ持って、部屋を出る。幸い鍵はかかったので、安心して離れることができた。

 地下にある船倉には、部屋が三つある。その内一つはセツとオーブの部屋で、もう一つはラグランのものだと教えてもらった。

 三つ目の部屋には「書庫」と紺のインクで描かれた札がかかっていた。

「これだけ? 船員の半性たちの部屋は?」

「変ですね。船の上は機関室や作業室で、寝泊りできるようなところには見えませんでした」

 オーブと顔を見合わせて、書庫の札をもう一度眺める。

 セツはためらいながら、ノブを下げて扉を押し開く。

 その途端、鼻がむずかゆくなる、あの独特の匂いに包まれた。

「わぁ……」

 そこには圧倒されるほどの本が詰まっていた。皮の背表紙の立派な本から、羊皮紙を紐で束ねただけの簡単なものまで、ぎっしりと本棚に並んでいる。

 本棚は螺旋階段を囲むように弧を描いて並び、入口はその螺旋階段の最上段にあった。

「地下に何層も続いてるみたいだ」

「こんなに底の深い船だったんですね」

 停泊していたときに船の外観は見ているが、海に沈んでいる部分については知らなかった。

 螺旋階段の手すりから下を覗き込む。中央は大きな吹き抜けになっていて、羊皮紙の匂いのする空気が流れてくる。天窓から光は差し込むが、底の方までは見えない。

「セツ、危ない!」

 ふいに背後の扉が開いて、船員のカニが入ってくる。

 セツは滑り落ちないように、慌てて手すりを強く握った。そのセツの上を飛び越えて、カニは中央の吹き抜けに飛び込む。

「え……」

 カニは吸い込まれるように吹き抜けに消えた。

 セツはオーブと視線を交わして、注意深く階段を下っていく。

 相当な深さがあるように見えたが、三階ほどの高さを下りたところで底に辿りついた。光が届かないせいで、果てない地下のように感じたらしい。

「……いない」

 辺りを確認してからセツは床に降りる。カニの船員の姿はなく、一番下のフロアには本棚もない。

 その代わりに、歩くと奇妙な感触があった。足元がざらついて、時々へこむ。船の素材である木とは違う。

「これ、何だろう」

 セツは屈みこんで、床を確かめようと手を伸ばした。

 瞬間、むせ返るような匂いに包まれる。床が波打って、セツは半腰のまま手をついた。

 あ、と短く声をもらす。

「羊皮紙。これは……」

 自分が巨大な本の上に立っていることに気づいたとき、本に文字が浮かび上がった。

『忌々しい来訪者フェアリー。お前など生まれてこなければよかった』

 セツはその声に満ちた、刃のような悪意に身を凍らせる。

『原罪を抱えて永遠にさまようがいい!』

 本にインクの染みが広がって、ページが真っ赤に染まる。

「セツ!」

 波打つ本のページに押し流されるようにして、セツはオーブと引き離される。

 視界が真っ赤に染まったかと思うと、そこは船室ではなく海の底だった。

 水流がぶつかってきて、その衝撃に身を伏せる。不穏な気配に目を開けたら、巨大なカニがハサミを振り上げるのが見えた。

「ブラッディグラブ!」

 ハサミの間をかいくぐって避けると、セツは岩場の陰に身をひそめる。

 全身を鎧のような甲羅に覆われ、二本のハサミが鈍く光る。小柄なドラゴンほどの巨体だった。

 ブラッディグラブはぎょろりとした目を高速で動かして、セツを探している。セツは息を詰めて気配を殺したが、まもなくその目はセツが隠れている岩場で止まった。

 ゴポリと大量の泡を吐き出して、ブラッディグラブは方向転換する。その間に、セツは別の岩場に走った。

 アニマに働きかけるための素材をほとんど持ってきていない。まして大岩のような体だ。槍の切っ先さえ通りそうにない。

 動きが遅いのを幸いに、走って逃げながらこの海の出口を探す。

 水面に上がれば出られるだろうが、水の中のように体が浮かない。呼吸はできるものの、次第に手足が重くなってくる。

 ついに一歩も体が前に出なくなったとき、ブラッディグラブに追いつかれた。

 ハサミに体を掴まれそうになって、とっさに短槍を挟んで体の前身を庇う。次の瞬間、短槍ごと全身を持ち上げられた。

「く……!」

 短槍のおかげで断ち切られたりはしなかった。ただギリギリと締め付けられて、前身に挟んだ短槍が体に食い込む。

 思わず身をよじったら、ハサミが短槍からそれて肋骨の下に触れる。骨が軋む痛みと恐怖に、セツはうめく。

『優しさを抱く水のアニマよ』

 誰かの声に、水のアニマが騒ぐ。海の中なのに、風が吹いた気がした。

 締め付けるハサミの力が少し緩んで、セツは海底に落ちる。急いでブラッディグラブから距離を取ると、そこに小さな仲間の姿をみつけた。

「オーブ!」

「遅くなってすみません。加勢します。セツ、練習したとおりに」

「わかった」

 セツは短槍を構えて、動き出したブラッディグラブに向き直る。

「『慈愛を抱く』……ごほっ! ぐっ!」

 アニマに話し掛けようとして、セツはたまらず咳き込む。体を締め付けられた衝撃で肋骨が軋み、内臓が痛んでしまったらしい。

「セツ!」

「大丈夫。オーブ、用意は?」

 セツは血の塊を吐き出して、どうにか喉から声を出した。

 震えながら短槍の切っ先の糸を切って、へし曲がった刃を外す。

「うまく反応してくれるか?」

 セツは懐から銀の刃先を取り出す。

『慈愛を抱く石のアニマよ。力を貸して』

 セツは銀の刃先を手早く短槍にくくりつける。オーブはその先に手を置いて告げた。

『水のドラゴンが願いをかける』

 刃から霧が立ち上り、オーブが刃に吸い込まれる。

 ブラッディグラブはハサミを振り上げて、今度こそセツを断ち切ろうと迫って来ていた。

 ハサミをすんでのところでよけると、その上に跳び乗る。そのまま、ブラッディグラブの腕を駆け上がる。

 ブラッディグラブはセツを振り払おうと身をよじった。セツは重心を変えてバランスを取ると、頭に飛び移る。

 狂ったように動き回る目がセツをとらえる。ブラッディグラブが泡を吐き出しながら口を開いた。

『水と石のアニマに委ねる!』

 短槍を突き出して、セツは叫ぶ。

『セレクション!』

 ブラッディグラブの口の中に、セツは銀粉が輝く刃先を振り下ろした。

 アニマが膨張し、セツは弾き飛ばされる。

「つ……!」

 肋骨も内臓も、背中も痛んで、身動きが取れない。目の前がたわんで、意識が掠れていく。

 ブラッディグラブが一度大きく震えた後、口から銀鉱石に石化していくのも、途中までしか見ていられなかった。

 薄れていく意識の中、誰かが側に立っている。

 長い紺のドレススカート、結い上げた栗色の髪。老齢の、良家の女性らしい落ち着いたまなざしを持つ彼女は、大きな本を持っていた。

 本の中身を朗読したのか、口元がわずかに動く。

 老年の女性は海底に倒れたオーブを拾い上げて、どこかに去ろうとする。

「待、て……オーブを、連れていくな……」

 切れ切れの声で止めようとしたとき、女性が振り向いた。

 地味な格好の中、やけに可愛らしい桃色の片眼鏡がセツの目に焼き付く。

「ドラゴンと心を通わすフェアリーがいるなんて」

 書庫の底で聞いた、あの悪意に満ちた声だと思ったとたん、セツの意識は完全に闇に沈んだ。


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