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五、息切れ

 雨は嫌いじゃない。嫌いじゃないと言っても、好きではない。ただ、痛い程に眩しい日差しのうざったさを避けられるという意味ではこちらの方がマシと思うだけだ。窓から眺める分には害はないが、雨に晒されて外を歩くことは、結局好ましいことではない。好ましいと言えば、クラスの中心人物…を目指している滑稽な道化人たちは、晴れの日に比べて雨の日は静かである。静かと言っても、耳に触らないとは言えない程度であるが。日光の量で活力が左右される、となると、彼女たちの前世は植物だったのだろうか。

「…。」

 雨が傘がお迎えがと、発泡スチロールを鉄で引っ掻いたような声で騒ぐ彼女たちを見遣り、いや、無いなと一人思う。植物は晴れの日だろうと甲高い笑い声を出さない。ただ黙々と生存のために光合成と呼吸をするのみだ。人に踏まれても文句は言わないし、成長を手助けされても礼は言わない。環境の波に身を委ね、自分の生存のために自分の為すべきことを淡々と、寡黙に完遂するだけ。全ては自分が生きるために。まるで…私。

 …兎にも角にも、私は今からこの雨の中、ノーガードで帰宅せねばならない。多少待っても止みそうにないし、多少の時間をこの騒がしい場所で過ごすのが嫌だからである。窓を閉め切った教室にまで漏れる激しい雨音に軽く身震いをしながらも、私の足は帰宅のため玄関へと向かったのだった。


「…最悪だ。」

 外に出た私は、生命保険の危機を感じてすぐにその身を引き戻した。天候は私が思っていたよりも酷いもので、人が傘なしに通れるものでは…いや、雨具を持っていても無事帰れるか怪しい。それぐらいの大雨だ。その後扉を閉め切ってしばらく私は、雨特有の匂いと空気の重さにあてられて、息が切れるような感覚に陥ったままであった。


 結局、私は行き宛てもなく校内を彷徨う羽目になった。天気予報をしっかり見ていなかった私の自業自得なのだが、どうにも苛立つ。出処が分からず、やり場のない、ぬるく、乾燥した苛立ち。それは暴力的ではなく、激しく身を揺さぶるものではない。ましてや、誰かに銃口を向けるようなものでもない。それはまるで誰かの目を気にするように少しずつ、ゆっくり、細々と、どこからともなく現れ、じわじわと身体の節々に、まるで血液が巡るように流れゆく。そして、私の心を支配するのだ。心を乗っ取った臆病な苛立ちは、何かに危害を加えたり奮い立たせたりするわけでもなく、ただ私の行動を制限する。その制限が、間接的に私を益々孤立させていくのである。

 私はきっとその支配による制限に対していつも怯えている。一言で表すと「恐怖」だ。それが怖くて、そうなるのを避けて、結局行き着くのは常に何かを嫌うことだった。

 静かな場所が好きなのは本当だが、うるさい場所が嫌いなのは、単に静かでないからという訳ではなく、そのせいであったりするのかもしれない。…ならばもしくは、この苛立ちを克服する日が来たら、私は…。

 私のじめじめとした感傷は、騒がしい声と人の気配によって掻き消された。大勢のたむろ…いや、誰か一人を大勢が囲っているらしい。その中心に居るのは…

 …一ノ宮詩歌。私が苛立ちの支配から逃げるために避けている人間の一人だ。私のような人間に自ら好んで声を掛けてくるような変わり者。私には到底理解ができない。

 しかし、いや、当然と言ったところか。彼女は人気者である。男性的だが端麗な顔つきに高身長で、おまけに気配りも出来る。現に包囲されているように、人を惹きつけて止まない人間なのだろう。…私には分からないが。

 彼女は人好きのする笑顔で囲いと談笑をしている。傍から…いや、多分近くから見ても、絵に書いたようなただの陽気な人気者。純粋にそう見える…はずなのだが。やっぱり、私には違和感が残る。

 囲いは話題が尽きたのか、もしくは目の保養が終わったのか、餌を背負い終えたアリのごとく散り散りになった。一ノ宮詩歌は手を振り、さっきと同じ人好きのする笑顔を…解いた。次の瞬間、彼女の表情は一変し、怒られるのを待つ子供のような、悲観と絶望が散りばめられた表情に変わった。息を切らした、という言葉が適切だろうか。その変わり様は、不思議と大雨に晒され室内に戻った時の私を思い返させた。思い返した私の眼は、彼女を追った。視界に入ったのは、感情の読めない…疲れたようにも、飽きたようにも、苛立ったようにも視える、硝子玉のような、彼女の瞳だった。目が合いそうになって、とっさに逃げて、壁にもたれ、私は。

「…綺麗。」

 息を、飲んだ。

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