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二、面倒な人

「虹、見なくてもいいのかい?」

 その見知らぬ声は、私に向けたものでは無い。それは分かっているので、わざわざ声の主を確認したりはしない。それどころか、私は顔を上げすらしない。

「虹、見なくていいのかい?」

 同じ声で同じ言葉が、さっきより少し大きめに響く。私は俯いたまま靴紐をいじる。

「虹、見ないのかい?」

 今度は彼女が私の肩をがっしりと掴んで、耳元でそう言った。

 前言撤回、世の中には変な人も居るようで、こんなに話しかけないで下さいと言わんばかりの態度で廊下に座り頬杖をつく女に、何の脈略もなく話しかけてくる人間は、この世の中に存在しているらしい。

 そもそも、初対面の相手に急に虹の話をふっかける時点で私には理解出来る相手だとは思えないので、沈黙を貫くことにした。申し訳ないが、私はこういう人間なのだ。

「もしかして彼女は難聴なのだろうか…。早期の治療を勧めなければ…。しかしこの辺りで評判の良い耳鼻科と言ったらどこなのだろうか。」

 考察が明後日の方向へ向いている。それよりも、声に出さないと考えることが出来ないのだろうか。しかし、このままだと私は強制的に耳鼻科に連れていかれてしまうのだろうか。それは普通に嫌だ。

「保健室の先生に聞いてみるか…。いや、個人的なことで手間を取らせる訳には…。インターネットを信用するのも危ういし…。」

「…うるさい。」

 その言葉が思うよりも先に口から出たのは、私にとって珍しいことではなかった。こういった場合、相手はだいたい無意味に怒るか、無言で立ち去り陰でひそひそと文句を言う。高校生の女子なら、後者が多い。どっちにしても、面倒この上ない。

「いや、聴覚っていうのは早く治さないと戻りにくいんだ。大丈夫、薬だけで治せる可能性も高いから。」

 否、至って真面目。彼女はやかましいほどに真面目であった。座っている私に合わせて中腰で、だが目は、その切れ長な目は、見下すことも見上げることも無く、ただ真っ直ぐ。自分が無視されていたなんて発想すらないのだろう。バカと真面目は紙一重と聞くが、これ程とは思わなかった。

「…別に、私難聴じゃないから。」

「そうか、よかった。」

 彼女は背を壁に預け、今度は少し低めなトーンで返した。預けると言っても、棒が刺さったように背筋はピンと伸びていて、腰も据わっている。…よく知った誰かさんとは大違いだ。

「私のクラスはみんな窓に集まっていたよ。綺麗な虹がかかっているってね。」

 この人はいつまでここに居るつもりなのだろう。虹がそんなに見たいなら、早く窓に顔をくっつけてくればいいのに。作り物のように整っていて、ボーイッシュで、全体的にキラキラしている、口角の上がったその顔を。

「さっきまでのジメジメとした雨が嘘みたいでさ。すっごく綺麗なんだ。」

 くだらない。だからなんだと言う話だ。そもそも、雨が降った後に虹がかかるのがそんなに珍しいことなのだろうか。湿り気の無い、カラカラに渇いた青空に虹がかかっている方が変だ。

「…興味無い。」

 そうして私の口から出たのは、率直かつ端的で、この上なく素直な答えだった。

「虹になにか嫌な思い出でもあるのか…。いや、失礼。ほぼほぼ初対面だと言うのに踏み込み過ぎてしまっただろうか。あぁ、そういえば自己紹介もしていなかったね。私は四組の一ノ宮詩歌(いちのみやしいか)。呼び方は一ノ宮でも詩歌でもなんでも構わない。お菓子を作るのが好きだから、今度持ってこよう。」

 なんというか、この人は一人で本当によく喋る。無人島に一人で取り残されても、独り言で盛り上がっていそうだ。

「君は?」

 独り言に飽きたのか、私に話を振ってきた。君は?と言われても、私には貴女のようなスピーチ力はありません。私は黙って立ち上がり、自分の教室へ足を向けた。

「待ってくれ、名前ぐらいは教えてくれないかな。」

 一ノ宮詩歌は私の前に躍り出て、行く手を阻んだ。想像以上に阻まれているので、為す術なく直立不動。

 …面倒くさい。悪意はないのだろうが、私にとってここまで面倒くさい人は久しぶりだ。類を見ない面倒くささだ。面倒くさいの天才だ。面倒くさくて死にそうだ。この人。

 この時間が止まったような硬直状態は、数秒後に鳴ったチャイムによって、昼休みと共に終わりを告げた。

一ノ宮詩歌(いちのみやしいか)

 高等部一年四組に所属。気遣い上手で真面目な性格。切れ長の目に、ボーイッシュな顔つき。髪は真っ直ぐで短い。

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