選ばれた青年
「ごめんなさい。勇者の育成なんて初めてしまったばかりに……」
勇者を選び、加護を与えて満足した創世神が退出した部屋で、イステは選ばれた青年に謝罪する。
水晶球の向こう側にいたのは、明るい茶髪に灰色の瞳の、どう見ても「勇者」には向かない青年だった。
優しい眼差しは、それこそ花にでも向けられるべきだろう。
けれど、神は彼を勇者に選んだ。選んでしまった。
一度下された託宣は変えられず、ただの天使であるイステは従うしかない。
「どうか、あなたの魂が健やかでありますように」
イステは青年に勇者育成プランを適応するため、運命の書き換えを実施した、のだが……。
――青年、ルイスが持つ元々の職業適正は植物採集家だった。
「……ねぇ司、武器が鎌の勇者ってどう思う?」
「うーん。鎌は大きくして、ついでに黒いフード付きのローブとか装備させたくなるねー」
「それだけはやめて。勇者じゃなくて討伐対象になっちゃう」
育成プランを考えるために広げたルイスの潜在ステータス。
まず最初に書かれているのは武器に対する適正で、一番ルイスに適合するのは「鎌」だった。
なるほど、植物相手ならばそれもまた武器なのだろう。
ちなみに二番目は「鉈」で、三番目が「斧」だ。いちいち物騒で勇者らしくない。
ならば魔法の適正は、と見れば「水」と「光」それから「土」と書いてある。
「三属性か。魔力は高そうだし、悪くないじゃないか」
「にしても、とことん植物方面だなー。農業でもやらせたら大成功しそうだ」
サイラスが感心したように声を上げる横で、司は「勇者に向いてなさそう」と息をつく。
おそらく本人にとってもそっちに進んだ方が幸せに違いない潜在能力値だ。
勇者に決まってしまったわけだけれど……。
「……とりあえず、最終目標は鎌で倒しやすいモンスターがいいかもしれない」
あまりのステータスにイステがヤケになった。
勢いだけで「武器創造:勇者の鎌」と書類に書き込む。
隣で見ていたサイラスがおもしろそうだな、と眼を細めた。
「なら、属性は死霊かな。水も光も浄化に向いている」
人はそれを悪ノリと呼ぶ。
鎌を武器に死霊を狩る勇者。絵面が物騒な事この上ない。
おそらく、歴代の中でも五指に入るほどのイロモノ勇者へと育つだろう。
かわいそうに。穏やかに過ぎるはずだったルイスの運命は、勇者に選ばれたがゆえに大きく変貌してしまった。
「じゃあモンスターはせめて植物の方がいいだろう。寄生型とかどうだ?」
白紙に書き出されていくルイスの将来設計図を見て、少しでも植物と接点を残そう、と司は気を使った。本人は善意のつもりだった。
が、アンデット属性の植物型モンスターなど、下手をすればただの悪夢である。
闇を浄化する水も光も、植物にとっては栄養源だ。効果は半減するどころか逆に作用する可能性さえある。
そしてルイスは、浄化の炎を持っていない。
先行きは一気に不穏となったが、残念な事に誰も気づかなかった。
* * *
イステが神託を伝え、ルイスに勇者の鎌を渡してから3ヶ月。
地上の状況はどうだろうと水晶球で覗いてみれば、そこには大鎌を振り回して猪を追い掛け回すルイスの姿があった。
光魔法をまとわせているのだろう、白銀の鎌はほのかな輝きをまとっている。
柄の部分に施された装飾は優美でいて繊細。最上級の金剛鉄で鍛えられた刃は鋭利でありながらもどこか上品だ。
まさに勇者の持つ武器として相応しい品格を兼ね備えているといえよう。
が、なにぶん鎌だ。それも長身に分類されるルイスの身長を遙かに超える長さの大鎌だ。
「は、迫力満点ね……!」
湧き上がるなんともいえない気持ちを誤魔化すように、イステは「経過良好」と工程表に書き込んだ。
予想はできていたが、なんと言うか絵面の破壊力が酷い。
「大鎌担いだ見た目温厚な美青年って、どのくらい需要があるのかしら」
今度聞いてみよう。イステが面食いで有名な同僚の顔を思い浮かべている間に、下界の猪が真っ二つに裂けた。
犯人はもちろんルイスなのだが、なんというか、見事な鎌捌きである。
得物を手に入れてから3ヵ月とはとても思えない。
「そろそろ次の段階に行っても良いかもしれないわね」
地に倒れた猪の死骸から、血は流れなかった。ある筈の肉や臓器もない。
毛皮に覆われた猪の内部には、緑色の蔦がみっちりとつまっている。
司がルイスの成長用にデザインしたモンスターだ。
生き物の躯を苗床に発芽・成長する寄生植物で、生きている存在にとってはたいした脅威ではない、と制作者は言う。
けれど、死体が動くというだけでも実は大問題である。
俊敏性も腕力も特殊能力もないモンスターは、駆け出し勇者の練習相手にはちょうどいいかもしれない。
だが、関係のない人間への精神的ダメージが大きいのもまた事実だ。
動く死体が増殖すると、お子様どころか大の男も布団に包まって震えだすことを、イステは知っている。
武器を握って追い掛け回し、倒した後はサンプルをとった上で土に還すルイスのような人間は、とあるデザイナー天使が考えているよりもずっと少ないのだ。
「そろそろ休息も必要だろうし、ね」
事切れた猪を浄化の光をかけ、祈りをもって見送るルイスの姿を見つめながら、イステは手を振る。
――この日、3ヶ月にわたり民を苦しめた「生ける屍の行進」が収束を向かえたのであった。
* * *
ルイスの成長は、順調そのものだった。
体を鍛え、技能を磨く。
同じ事を繰り返すだけの代わり映えのない日々を、ルイスは淡々とこなした。
確実に。堅実に。丁寧に。終わりの見えない道のりを、一歩一歩確実に踏みしめて。
そうして、地上の時間で5年。青年は立派な戦士へと成長した。
ルイス・アルシェリア。24歳。
白銀の魔鎌を操る異色の勇者だ。
身の丈の倍はあろう大鎌を、疾風のごとく振るう彼の姿は「死神そのもの」と各方面に大評判である。
彼に落ち着いた声と穏やかな容貌がなかったならば、目が合った途端に泣く子は逃げ出し、笑う子は泣き喚いただろう。
ちなみに死神を育てた元凶は、この惨状を嘆く同僚の天使に「ないわ。あんた美青年様を何だと思ってるの? 世界の宝になんて事するの」とこってり絞られる事になる。
三日三晩、美についての特別講義を受けさせられたイステは眼をぐるぐるさせながらも深く反省し、お詫びとしてルイスに「天使の守護」を与えた。
天使の守護とは、対象の生命が危険にさらされた時に一度だけ天使の助けを得られるシステムで、主に上位の天使がお気に入りに授けるものだ。
この守護に命を助けられた存在は多く、彼らが後に天使となる道を選ぶケースも珍しくはない。
司がまさにそのパターンで、地上にいた頃に守護を与えられ、命を救われた事があるそうだ。
だから、戦場に身をおくルイスにとっても、あって困るものではないだろう。
そんな経緯で守護を与えたイステだが、何故かこの日を境にルイスの事が気になってしかたがなくなった。
今までは数日に一度の経過観察しかしなかったのが、毎日地上を覗かなければ落ち着かない。
ステータス上の成長が良好であればそれでよかったのに、気がつけばそれ以外の事にも目が行くようになった。
好んで着るのは、落ち着いた色合いの動きやすい簡素な衣服。
優しい味わいの素朴な料理が好きで、味付けの濃いものはあまり得意ではない。
意外と絵が上手で、部屋には自身の手による草花のスケッチが飾ってある。
ひとつ新しい事を知るたびに。
勇者ではない、ルイスという人を知るたびに。
やわらかく、温かな感情がイステの心にうまれる。
「……この気持ちは、何?」
なんだかおちつかなくて、くすぐったくて、でもけして、嫌ではない。
ルイスが笑うと、イステもうれしい。ルイスが楽しいと、イステの胸も弾む。
長い長いイステの天使生活。
けれど、守護する人間の感情に、こんなにも振り回されるのは初めての事だ。
どうしてそう思うのか自分ではわからなくて、イステは首をかしげる。
「イステは意外とかわいらしいね」
「まぁ、そのうちわかると思うよ」
サイラスからは幼子を見守るような暖かい眼差しをおくられ、司からはぽんぽんと頭をなでられた。
天使としてはイステの方が先輩だというのにこの扱いはいかがなものかと思う。
「うわーむかつく」
イステはむくれ、その様子を見た二人は更に笑みを深めたのだった。
◆ルイス
選ばれてしまった不運な勇者。
三度の飯より花が好き。美しい花を咲かせるためなら寝食を忘れて研究する。
最近は花の研究よりも大鎌を振り回す時間の方が多くて心の中では泣いている。