兄さん編
ーー警護、と聞いていたのですが…マスターには見透かされていたのですね。
ゴートに届けられた制服を見て、兄さんは思わず苦笑した。
彼はああ見えて、なかなか慧眼なのだ。
ーーもしや、あの時の事を覚えていらっしゃるのでしょうか。
初めて彼に会った時の事は、今でも覚えている。
鎖を解かれ自由になったあの日、人生が変わったと言っても過言ではないだろう。
その恩を返そうと、側で働いているのだ。素性は隠していたが、無駄だったらしい。
ーーいや…見透かされていたとしても、覚えてはいらっしゃらないでしょう。
もう10年以上も前の事なのだ。
兄さんは一人かぶりを振ると、準備に取り掛かった。
ーーー
民族祭りは、多くの異民族が集まる珍しいものだ。
様々な雑貨や小道具、飲食物。さらには、占いや魔紋付与まで。静かな夜が、灯りに照らされた今は陽気な雰囲気と賑わいを見せていた。
大国のアレスティアとセレイーンのテナントはもちろん、少数民族のものも年々増えてきている。
「あれは…」
一際体格の大きな女性を見つけ、そちらに足を向ける。巨人族のテナントらしい。
ゴートも巨人族の血を引いているが、この女性は彼よりも大きい。これが、生粋なのだろう。
「いらっしゃい。」
くっきりとした目鼻立ちは巨人族特有の無骨さがあるが、程よく整えられた髪やにこやかな表情が、それらを軽減させていた。
いや、彼女の魅力を最大限に発揮していた。
思わず見とれた後で、視線を陳列棚へと向ける。
「ここは、装飾品を取り扱っているのですね。」
「そうよ。私の自慢のお手製なの。お一ついかが?」
最初はその品揃えに驚き、それが彼女の作ったものだという事にまた驚かされる。
巨人族には細かい作業は不向きだとされているが、王都で見た物が粗雑に思えてしまうほどに、精巧にできていた。
いくつかの品を購入しようとしたところで、彼女が身を乗り出しながら問うてきた。
「ねぇ、あなたはどちらの出身なの?」
「極海でございます。」
「極海……」
聞いた事がなかったらしく、ゆっくりと吟味するように繰り返してから、興奮気味に頬を上気させて言った。
「きっと、素晴らしいところね!」
「ありがとうございます。」
見慣れない異国の服飾に、血が騒ぐのか。理由は分からないが、とにかく気に入ってくれたらしい。
ふと思いついて髪留めを一つ引き抜くと、代金と共に彼女の大きな掌に置いた。
「これを、是非。」
「まぁ……!」
先端の飾り玉が、内部反射してキラリと輝いた。
☆★☆★
『続いては、遊牧民族、草原の民の方々ですね〜!では、どうぞ〜〜!』
数カ所に設置された魔道具から、男性のノリの良い声が響いている。
ーー催し物もしているのですね。
独自の馬術や武術等が披露されているのを横目に、巡回を続ける。
紅い髪の少女とばったりと会ったのは、その時だった。「あっ!」と驚きの声を上げ、大きな目をさらに見開きこちらを凝視している。
「ラスカ様。」
先に声をかけると、彼女は目を瞬かせた後で、嬉しそうに笑った。
「びっくりしました。兄さ……姉さんが、そんな格好で来るなんて。」
「まぁ、なりゆきで…今夜は特別ですから。」
相変わらず賢い少女だ。秘密だと感づいたからこそ、余計な詮索はしないのだろう。
(私が女性だとお気づきになった時も、変わらず接してくださいました。)
実際に、女性としての姿を見た今も。彼女は自然に振舞っている。
それが、とてもありがたかった。
「そういえば、他の極海の方はまだ見ていないです。」
「遠い島国ですので、この大陸で会うのは稀なのですよ。私も、煌様だけでーー」
言いかけて、自分と同じような衣服が視界の隅を横切り、息を飲む。
男性用だが、ちらりと見えた背中はまだ小さかった。
「今の、あの子……!」
「これはこれは、珍しいですね。」
同郷なのについそう呟いた後、はっと息を飲む。
まだ子供だったはずだが、一人でいたように見えた。遠い異国の地で、それはあまりに不自然だ。
慌てて目を向けると、先程より少し離れた人波の中に、白い衣が翻っているのが見えた。
☆★☆★
追いかけるのは困難かと思えたが、実際はそう難しくなかった。
強い異国の雰囲気に圧倒されるのか、人々が道を開けてくれるので、人波に呑まれずに済んだのだ。
ただ、ラスカはそうはいかなかったようで、やや遅れている。
追いついた少年に声をかけようとしたところで、彼がくるりと振り返りーー悪戯っ子のような笑顔が、まっすぐこちらを向いた。
「え……?」
途端に開けた場所に出た。周囲からの賑やかな騒めきに続いて、拍手が耳に響く。
はたと足をすくませたところへ、不思議な魔道具を手にした小人族の青年が駆け寄って来て、にこやかに話しかけてきた。
『お姉さん達は、どこの出身ですか〜〜?』
催し物の司会者の声だ。ここがその会場だと気がつくのに、そう時間はかからなかった。
側では少年が黒い瞳をくりくりとさせながら、面白そうにこちらを見上げている。
「極海と呼ばれているところです。」
少なくとも、質問には答えた方が良いだろう。
『極海?え、極海ですか?!珍しいですね〜!これは楽しみです!!』
楽しみ。
これは、芸か何かをする流れなのだろうか。好奇心と期待の視線に、ばつが悪くなる。
「いえ……」
ーーでは、一曲。
傍観していた少年が、突然口を挟んだ。
たった一言。
しかし、充分に注意を引くほどの魅力があった。
ーーそれにしても、今宵はよい月だ。
空を仰ぎ、腕を広げる。その拍子に、白い袖がふわりと揺れた。月夜に散る桜のような幻影の後、数々の楽器が宙に現れる。
どよめきの中、彼は三味線を手に取り、弾き始めた。その周りで、笛や太鼓がひとりでに音色を奏でる。
ーー今日の喜びは 何に例えられよう
蕾の花の 露に開くがごとし
「これは……。」
懐かしい唄に、心が揺さぶられる。いくらか薄れてしまっていた、大切な記憶が再び鮮やかに蘇る。
知らぬ間に扇子を取り出して、いつかのように舞っていた。
少年の唄と音楽に耳を傾けて、ひらりと扇を翻す。風がそよいで、髪飾りがしゃらしゃらと軽やかな音を立てた。
遠い故郷と。
過去と。
夢に描いた未来も。
この特別な夜で繋がっている気がした。
ーー我らもいと嬉しゅうて 歌えや踊れ
踊って遊べ
唄が終わる。
少年が、最後の弦を弾いた。
その余韻と共に、彼の姿はとても幻のように風に消えてしまった。
満足そうに笑みを浮かべたまま。